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第六十七話 鉄パイプで丁寧に頭を砕く山井那奈さん

田中は自分のしたことに対し何とか理屈をつけることが出来ていた。

納得できたわけではないし、これで良かったのだと思うこともない。

ただ、これは仕方がなかったのだと思い込み続けるだけだ、これから一生の間。

他に方法は無かったのだろうかと何度も後悔するだろう。

他に方法はなかった。そう思い続けるだけだ。


鈴木巡査が晩飯のコンビニ袋を片手に派出所に戻ってきた。

「じゃ・・・」

それだけ言って奥の休憩室へと入って行く。

田中はそれを見ても指導をする気も起きない。

少なくとも今は。


田中は長い間目指していた警部補への昇進を手にする寸前だった。

いや、もう手にしていたはずだった。

アマゾンの宅配のようにどこから来たのか分からない段ボール箱を受け取っていたのだ。

後はその箱を開ければ中には警部補のバッジが入っているはずだった。

しかし田中はその箱を開けることなく投げ捨てた。

そしてもう二度とそんな幸運な段ボール箱が届くことは無い。

分かっている。


父が埋められているであろう奥多摩の山奥で砂場を射殺していたら?復讐を果たしていたら?

砂場の死体を隠ぺいする気などなかった。田中は自首し刑務所に入り長い刑期を務めるつもりだった。

だがそうはならない。渡部がいたからだ。

田中が刑に服することになるなら全て話す。父親を原田勝二に殺され、その処理を砂場が行った事。

そして渡部はそれに関わっていただけでなく、かつての佐河組と深い関係があったこともだ。

その多くは時効だろうが、渡部はそれをバラされないようにと田中を懐柔しようとするだろう。

だが田中がそれを受け入れることは無い。

そうなると渡部は田中が知りえた全てを告白することを許さないだろう。

渡部は田中を殺す。

そうならないためには田中は渡部を殺すほかない。

それは無理だ。田中は事実を知ってもなお、渡部を殺すほどの覚悟を持てなかった。

渡部は田中を殺しその死を砂場と共に隠ぺいしただろう。


拳銃を持ち出した時は砂場を殺す覚悟があった。そのために銃を持ち出したのだから。

だが改めてあの真紅のルビーの指輪を見てしまうと、それと対になる青く透き通る南国の海のようなサファイアの指輪を、つまりは母を思い出し、その覚悟は崩れ去った。


砂場を殺した後に田中が渡部に殺されても、田中が渡部を殺しても母を苦しめるだけだ。


母が辰巳の団地まで逃げてきた時に僅かに持っていた貴金属と青いドレス。それらは全て金に換えられ全て田中の為に使われた。

そしてあのサファイアの指輪。母が最期まで持っていた南国の海を閉じこめたように青い指輪。

母はそれも売り、田中を南の島へと連れて行った。

それは母が妻であることを捨て、女であることを捨て母親となる覚悟だったのだ。


その母があの真紅をルビーの指輪、父の指輪を見たらどう思うだろうか。

決して喜ぶことは無いだろう。母はその赤を血と見るだろう。

そして息子は母を残して重犯罪者として刑務所に送られるのだ。

五年か十年か。母は犯罪者の親として後ろ指をさされながら一人で暮らしていくのだ。


そんなことは出来ない。


ならば砂場を殺そうとしなければ良かったのか?

拳銃を持ち出さなければ良かったのか?

それも無理だ。父を殺したであろう砂場に父の指輪を見せられても、警部補になるためだからと目を瞑ることなどできるわけがない。

他に方法は無かったし、選べる選択肢も無かったのだ。


砂場はこれからものうのうと生きていくだろうし、渡部もそうだろう。

田中はこれから定年まで、うだつの上がらない巡査部長として過ごすのだ。

不幸中の幸いとでも言えばいいのか、それは渡部が保証してくれるだろう。

田中は渡部を薫陶を受けた師だと尊敬していたわけだが、それだけに本当の渡部が悪徳警官の見本のような男だと分かってもその思考の予測がつく。

田中を辞職に追い込み警察機構を離れなければならない事になったら、渡部の過去を全てバラされる恐れがある。

渡部がここまで読み田中を殺すか?警官殺しはリスクが大きいし、田中を殺したらそれを見ていた砂場も殺さざるを得ないだろう。そんな無謀な選択をするほど渡部は愚かな男ではない。


渡部は田中を飼い殺すことに必死になるだろう。

だが、田中を自分の部下にしろと、弱みを握って脅しをかけた高橋署長に何と言い訳するのだろうか。

砂場の事、田中が持ちだした拳銃の事。何も話せないだろう。

せいぜい必死に弁明すればいい。


そんな渡部の苦労を思うと、これらの事は仕方がなかったと思い込もうとする田中の溜飲を僅かながらに下げた。

それと父を直接殺害した原田勝二があの奥多摩の最近掘り埋めたばかりの土の下に埋まっているであろうという予想もだ。


田中はこれから長く退屈な警察人生を送ることになる。

いっそのこと制服警官全員が毎月戦々恐々としているノルマの達成にでも精を出してみるか。

過積載に目を付けていれば点数などいくらでも稼げる。

地方ナンバーを付けている古いユニックか、荷台幅ギリギリのショベルカーを積んだダンプを止めればいい。交差点の陰に隠れて(一時停止するな!)とか(携帯を見つめていろよ!)などと何時間も期待するよりはるかに効率的に点数を稼げる。

まあそれも二か月も続ければ皆が真似するだろうが。


これが警察と言う物か・・。


ブルルル・・・。

田中が自虐的に自分を慰めているとポケットの中のスマホが振動した。

何だ?田中がスマホを取り出すとそこには「電話に出ろ」と表示されていた。

なんだこれは?メール?ではない。スマホのロックを解除したが何もない。メールも着信もない。なんだ?

プルルル・・・。机上の固定電話が鳴った。これの事か?

固定電話のディスプレイに目を向けるがそこには何も表示されていなかった。

番号非通知ですらない。異常だ。

田中はそっと受話器を取った。

「浅草寺交番です、どうされました?」

「いまおれのめのまえにしっそうちゅうのじょせいがいる」

電話の向こうの声が言った。声は低く男性だが声に抑揚が無い、音声が加工されているのだろう。

「何!?あなたは!?」電話の男は田中の問いかけには答えず一方的に話を続ける。

「じょせいはやまいなな」

「お前は誰だ!!なにをして・・・」

「ばしょは・・・・・・・・・・・」

田中は思わず声を荒げたが電話の男が住所を言い始めたので咄嗟に口を閉じ耳を傾け電話の向こうから聞こえる住所をメモしていった。

「何者だ。お前が拉致したのか?」田中は相手が何を言っても聞き逃すまいと静かに言った。

「いそいだほうがいいぞだいぶよわっているようだ」

「救急車を呼んであげてくれ」

「だめだおまえがここにきてよべほかのものがきたら」

「他の者がきたらなんだ!?」

「さあなおまえがこいこのこがいきているうちにな」

「おい!貴様・・・!」

「このじょせいはいのちをねらわれているみまもってやれ」

「おい!お前は何者だ!!」

プーップーッ・・・・。電話は切れた。


田中はメモを確認しポケットに突っ込み立ち上がった。

「鈴木!俺は出るから後は頼んだぞ!!」

鈴木がノソノソと動き休憩室の戸を開けた時に田中はすでに走り去り机の上には制帽だけが残されていた。


もう一度メモを確認し再びポケットに突っ込むと代わりにスマホを取り出し電話をかけた。

コール音の二回で相手は電話に出た。

「・・・はい。どうしたんですか、部長・・」

このわずかな返事でも必死に平静を装おうとしているのが分かった。

それも当然だ、田中からの電話など訃報である可能性の方が遥かに高い。

「山井さんが見つかったかもしれん、今どこだ自宅か!?」

時刻は夜の八時、飲みに出歩いていられたら面倒だが・・。

「那奈ちゃんが!?なぜ?どこです・・・」

田中は相手の声を遮る。

「墨田区立山の3丁目だ!今どこだ!出れるか!?」

「は、はい!自宅です!すぐに出れます!」

「よし!バイクで来い!10分後に吾妻橋で落ち合うぞ!急げ!」


谷は思わずスマホをテーブルに置き直立し敬礼をしつつ、はい!!と返事をするが慌ててスマホを拾い耳に当てた時にはすでに切れていた。

谷は急いで用意をした。履き替える時間すら惜しんでスウェットの上からジーンズを履き、ブラジャーも付けずに着ていた伸び切った長袖Tシャツの上にデニムジャケットを羽織り、その上から更にブランド物のとっておきのコートを纏った。そしてヘルメットを手にし玄関のドアを開けた。

テーブルの上に置かれた二本の缶ビールの空き缶は帰ってきてから始末すればいいだろう。


吾妻橋までは1キロ程度だ。田中は全力で走ってはいたが肺がジリジリと焦げ付き始めているかのようでやはり年齢を感じざるを得ない。

いや、煙草のせいか・・・。

それでも田中は1キロと少しの距離を10分と掛からずに走り抜けた。

まだ谷は到着していないようだ。

田中は舌打ちしたが少しでも距離を縮めておこうと再び走り始めようとした時に吾妻橋の西から派手な排気音が聞こえてきた。


谷は愛車のハーレーダビッドソン、スポーツスターSを疾走らせ吾妻橋まで到着するとホーンを鳴らし始めた。歩道を行く観光客は何事かと注目したが谷はお構いなしに周囲を見回した。

いた!

谷を見止め歩道の柵を乗り越える制服警官がいた。

谷はすぐにその目の前にバイクを止め予備のヘルメットを差し出した。

「いらん!急げ!」

田中は言うが谷は「被ってください!マイクが付いていますから!」

田中は渡されたフルフェイス

ヘルメットを被り谷の後ろに乗った。

「急げ!三つ目を曲がれ!」

田中は本当に聞こえているのか?と不安になる前に谷はフルスロットルでバイクを発進させた。

「なぜわかったんですか!!!」谷が大声で言うがハーレーの吐き出す爆音の上では辛うじて聞き取れるといったところだった。

急げとは言ったが不安になる速度だ。

「妙な電話がかかってきたんだ!!山井那奈がいるからすぐに来いと!!!」

「無事なんですね!!!!」谷が更に大きな声で聞いたが田中は「急げ!!」と答える事しかできない。

当然、谷が駆るスポーツスターSの速度が更に上る。

「無茶はするなよ!!!!」田中は言うが谷は赤信号にバイクの物とは思えないほどけたたましいホーンで対応し更にスロットルを開けた。


住所は墨田区立山3ー・・ー・・。

運よく京葉道路、国道14号との交差点は青信号で通過でき田中はホッとした。

「7号をくぐったらすぐに左だ!!!!」

谷はそこまで行くと音を抑えるようにバイクを走らせ目的地の前に着いた。

田中はバイクから降りて腰に付けたガンホルダーから拳銃を取り出し、今日何度も確認をしてはいたのだが改めて確認した。実銃だ、間違いない。

田中はモデルガンを用意し保管庫へ返還したと見せかけるすり替えを行っておりその始末を渡部に任せたのだが彼は下手な意趣返しはせずにきちんと元通りにしてくれたようだ。

銃を抜いた田中を見て私服の谷は一瞬怯えた。

「部長・・・?」

そうか、怯えるのも無理はないか。

日本の警察官はこういった状況、人質がいるであろう場所に突入するような訓練は受けていない。

もちろん田中もだ。

谷を離しておくべきかと思ったがそれはそれで万が一の時にフォローが出来ないし、咄嗟の判断が鈍ることになる。田中は警棒を抜き谷に渡した。

「気を付けろ」そう言ってすぐ後ろをついてくるように促した。


ここは何か工場か?かなり古びた建物だ。

女性を拉致していたのがこんなすぐ近くだったとは。

両脇の建物も工場のようで人が住んでいる様子がない。更に隣は公園で道路を挟んだ向かいは倉庫だろうか。そして頭上は高速道路だ。

捜せばあるものだな。


田中は右手に銃を持ち、左手でそっとドアノブを掴んだ。

ゆっくりと回し慎重に引いた。鍵はかかっていないようで、ドアをゆっくりと引けた。

田中は、その背に張り付くように近寄ってきた谷を手で抑えゆっくりと中を覗き見る。

中は廃工場のようでラックがあるが何もかもが錆びついている。

誰もいない。

田中は慎重にドアをくぐり隠れている者がいないことと右手奥にまたドアがあることを確認した。


右手奥のドアの向こうから何か音が聞こえてくる。

ゴン・・・・ゴン・・・誰かいる。

田中はドアノブを握り、そっと回してみた。こちらも鍵はかかっていない。

谷を振り返り頷きで合図をした。

谷が頷き返し田中はドアを蹴り開け銃を構えた。

「警察だ!!!!」

途端にひどい悪臭に襲われた。

田中は反射的に首をすくめたがそれでも部屋の中を確認した。

何者かが鉄パイプを手に床に打ち付けていた。

それはおそらく女性だった。薄黒い全裸の女性だった。

「動くな!それを置け!」

女性が振り返りにっこりと笑った。

それは、なぜ笑えるのかと思えるほどに悲惨なものだった。

「山井・・さん?」

「お兄ちゃん!!」

女性は嬉しそうに言った。こちらが見えているのかと思えるほどに顔が腫れあがり鼻は曲がっているというより潰れていたし、ニッ!と笑ったその唇はズタズタに裂けて血がしたたり落ち、歯もほとんどないようだった。

「そ、それを置いて・・・」田中は銃を構えたまま告げた。

だが女性は両手で鉄パイプを掴んだまま床を打ち突き続けた。

「お姉ちゃんが泣いているからダメなの」

「山井さん!!それを置くんだ!」

田中は銃をホルダーに収め手を向けて叫んだ。

「那奈ちゃん!?」田中の声を聞いた谷が部屋に入ろうとした瞬間にその凄惨な現場を見て悲鳴を上げる。


那奈の周りには五人の男が横たわっていた。全員死んでいるようだったがそのうちの二人は間違いなく死亡していることが見て取れた。

一人は頭部が完全に砕かれ失われており、もう一人の頭部は那奈の足元で今まさに失われようとしているところだった。

「谷くん!救急車を呼んでくれ!!」

田中は那奈に歩み寄りそっと鉄パイプを掴んだ。

「もう大丈夫・・」

那奈は抵抗するというより駄々をこねるように鉄パイプを振ろうとしたがすぐに諦めた。

「つかれちゃったー」

そう言って鉄パイプを離した。

田中は鉄パイプを投げ捨て谷を振り返った。

「谷!!救急車だ!!」

田中が叫ぶと谷は我に返りスマホを取り出した。

「彼女を外に!!」

谷は慌ててコートを脱ぎ那奈にかけてやるとその肩を抱き部屋から連れ出した。


田中は念のため床に転がる五人の脈を診て行った。

やはり全員死んでいる。これはどういうことだ。誰の仕業だ。

一人は首を潰されている。出血は多くはない、窒息死か?

一人は後頭部が大きく凹んでいた。

一人は壊れた操り人形のように手足に余計な関節が増えていた上に喉を斬り裂かれている。おそらく失血死だろう。

頭部を完全に砕かれた死体は腹部に無数の刺し傷があった。

最後の一人は全身に切り刻まれて、その頭部は砕かれる途中で肉や骨の塊が何とか首に繋がっているという状態だった。

全員死んでいる。

あの電話の人物の仕業か?


駄目だ!今は山井さんの保護だ。

田中は何かあればと周囲を見回し部屋の奥にあった机に歩み寄った。

何もない。

だが何かが光った。それは今では珍しいハンディカムの電源ランプだった。かつての田中の杉並の自宅にもあったものだ。父が自宅パーティーの様子を撮影していたことがあるし田中も興味半分で何度か使ったことがあった。

これで撮影していたのか?スマホでは無く?

田中は反射的にハンディカムからminiDVを取り出した。役目を果たしたかのようにハンディカムの電源ランプが消えた。

田中は振り返り五人の死体を見た。こいつらが彼女に何をしたのか?それを撮影していたのだろうが、スマホで十分なはずだ。

こいつらのスマホを全て叩き壊してやりやい衝動に駆られたが、大事なのは「今の」山井さんだ。

「谷くん!救急車は!?」

「呼びました!そいつらの分は!?」

「必要ない」


余計な事はするまい。

田中は二人の元へと部屋を出た。


那奈は谷に抱かれていた。

田中はせめてと思い上着を脱ぎ那奈にかけてやるが動きが無い。

「谷くん!?」

「寝たようです。いや気を失ったのかも・・」

田中は那奈を谷に任せ外に出た。

外に連れ出し救急車が到着したらすぐに乗せられるように外に出しておきたかったがこの寒さではそうもいかないだろう。

田中はスマホを取り出し隅田川署へ連絡を入れた。

「浅草寺交番の田中だ、行方不明の女性を思われる人物を発見した。死亡五人、急いでくれ」


田中は耳を澄ませサイレンに集中した。

頼む早く来てくれ!!!






















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