第六十二話 田中くんハイ!
田中は愛車のクラウンアスリートで首都高を走っていた。
これは2005年型のクラウンの12代目モデルS18タイプ、つまりこれはもう20年選手だ。だが古臭さなど微塵も感じられない。
初代クラウンの発売はなんと1955年、四半世紀近い歴史のあるブランドだ。今でこそレクサスと言うトヨタの上位ブランドがあるがクラウンは長くトヨタを代表する、いや日本を代表する高級車であり続けた車だ。
高い走行性や耐久性、そして信頼性からパトカーやタクシーまで広く採用され続けている名車と言うよりも、名ブランドだ。
その助手席には砂場が座っている。
砂場からルビーの指輪を買い取るために念のため、田中が懇意にしている銀座の宝石店で鑑定をしてもらうためだ。もちろんこれは砂場を呼び出すための嘘だ。
田中は銀座などで指輪どころか貴金属の類さえ買ったことはない。当然懇意にしている店などない。
田中はここに至るまでに、この状況を避ける選択を採るチャンスはあった。
やはり指輪などいらないと言えば済む話だ。
待ち合わせをしていたが、都合が悪くなったと言えば済む話だった。
だが砂場は今、田中が運転するクラウンの助手席に座っている。
もう、やるしかない。
いや、やるべきなのだ。
田中はジャケットに右手を差し込み拳銃を取り出した。
S&WのM360J、通称SAKURA。五発装填の短銃身のリボルバーでおそらく日本国内に存在する銃の中で二番目に多い銃だろう。
田中は助手席の窓を開けてから右手を砂場に向け、引き金を引いた。
バン!!
田中はスマホを手に電話をかけた。
呼び出し音が数回繰り返してから相手は電話に出た。
「はい砂場です。もしもし、田中さん・・でしたよね」
「ええ、どうも。あの指輪の件ですが、今日この後はどうでしょう?」
田中はこの期に及んでまだ心のどこかでこの状況を回避したいという思いがあったのだろう。
いきなり電話をし、今日この後と言っても断られる確率の方が高いだろう。
だが砂場は快諾した。
「いいですよ、今は松さんのところでね」
「そうですか、では車で迎えに行きますね」
「車で、迎えに?」
「ええ、そのう・・・疑うと言うわけではないんですけどね・・その、安い買い物ではないわけですし・・ね?」
「なるほど。まぁそれもそうか・・・どこか伝手がありますか?無ければ紹介しますよ」
「いえ、私が懇意にしている店があるんで、出来れば・・そこで・・」
「それもそうですね。私の伝手では信頼できないか」
「いえ、その・・ね、安くはない買い物なんで・・・」
「気持ちは分かりますよ。じゃあ、松さんのところで待っていればいいですか?」
「ええ、すぐに行きます。20・・いや30分ほどで」
「はい、じゃあゆっくり呑んでますよ」
そう言って砂場は電話を切った。
田中はスマートフォンを見つめ、アドレス帳を開き「照間瑠衣」を開いた。
自分がこれからすることを考えたら連絡しておくべきだ。
もう会えない、と。
だが、まだ田中は何とかなるのではないかと言う思いを捨てきれなかった。
瑠衣さんがこの後の事実を知ってもなお、自分を選んでくれるのではないかと言う希望を捨てきれなかった。
いや、ダメだ。
彼女に選ばせるのは、より彼女を苦しめる事になるかもしれない。
瑠衣との年齢は一回り離れている。田中との逢瀬はただの気まぐれかもしれない。それならそれでいい。
今となってはその方がまだ気楽だ。
だがそうではなかったとしたら?瑠衣も自分を愛してくれているとしたら?
田中を捨てるという選択は瑠衣に余計な苦痛を与える事になるだろうし、間違っても田中を選ぶという選択をさせてはならない。
だから、これは私が言うべきだ。
田中はそう思うがやはり電話をかけることは出来なかった。
そして瑠衣にメールを送った。
「もう逢えなくなります」
そして田中はスマートフォンの電源を切った。
瑠衣は、うだつの上がらない中年男と切れてせいせいしたと思うだろうか。それなら気が楽だ。
そうではなかったとしても、数日の後には嫌でも知ることになるだろう。
田中と言う男はろくでもない奴だったと。
田中は愛車のクラウンアスリートに乗り込むとエンジンをかけオーディオの再生ボタンを押した。
ネリーのジレンマが流れ始めるが田中はすぐにネクストトラックボタンを押した。
ボンジョビのイッツマイライフがかかった。
田中はハンドルをかけると駐車場を出て砂場の待つ松の店へと向かった。
砂場が空になったジョッキを持ってビールサーバーに近寄ると松はカウンターの中から目をひそめて砂場を見た。
その、決して歓迎されてはいない視線に気が付いた砂場はへへッと笑みを浮かべ言った。
「あと30分かかるそうですよ」
田中さんとの待ち合わせなら仕方がないが、これに味をしめて佐河という頼る者がいなくなった砂場がこの店の常連になるのは到底歓迎できない。
松は一つ釘をさしておくかと思い砂場を見たが、そこにいるのは相変わらず貧相な老人だ。
かつての佐河組の小間使い。年齢は松よりか一回り、いや二回り近く上だ。
まあ田中さんが来るのであれば今日は仕方がないだろう。もし、常連気取りをするようならその時に言えばいい。
松は諦めてチビチビとビールを飲む砂場に「締めですよ」と三つ葉を散らした焼きタラコ茶漬けを出してやった。
砂場は嬉しそうに茶漬けの盛られた椀を受け取ると箸を握りタラコをほぐしつつ茶漬けをかき混ぜじゅるじゅると音を立てて食べ始めた。
貧相な老人のその意地汚い食い方を見ながら松は訝しんだ。
砂場さんが言うにはこれから田中さんに指輪を売るという。
先ほど砂場さんが、プラチナのリングに大きなルビーの付いた指輪を見せびらかしてきた。
田中さんが砂場さんから指輪を買う?
砂場さんが指輪を持っているのも、田中さんがそれを買おうと決めたとこもどこか不自然だ。
説明がつかないわけではないが。
砂場さんの指輪はバブルの景気のいい時に手に入れた物なのだろう。当時持て囃された車や株券、ゴルフ会員権とは違う。
車は維持費がかかるし株券やゴルフ会員権はただの紙屑へとなり果てた。
宝飾品も価値を落としたが屑鉄になるわけではなく、維持費がかかるわけでもない。
隠し持っていた指輪の存在を思い出し、それをうまい具合に田中さんが欲しがった言うところか。
・・・・。
田中さんと言うより、警察官があんなに派手な指輪を?
・・・・まあそうか、田中さんさんの全てを知っているわけではないしな。松が田中について知っていることと言えば・・・。
あの年齢で交番勤務の制服組という事は高卒、つまり裕福な家庭ではない。そして独身。
その割には非常に整った身なりをしている。
ブランド物ではないがよく磨かれた靴。服装も落ち着いたものでコレもブランド物ではなかった。指輪やネックレスなどの装飾品は身に着けず、腕時計もセイコーのSBシリーズのペプシバージョン。価格は5万前後のモデルだろう。
靴は磨かれ衣服には皴の一つない。
衣服や装飾品を着こなせていると言える人は意外と少ない。
安い貧相な物は論外だが、めいっぱい背伸びをしたのが丸わかりな分不相応なブランド品を身に着けているほど無様なことは無い。
早い話が着こなせていないどころか、服に着させられているのだ。世の中の大半はそうなのだが田中は違った。
着こなしが素晴らしかった。
ブランド品ではない数万円の靴や腕時計がもっと価値がある物のように見えてくる着こなしだ。
その田中が、この貧相な老人から指輪を買うのか。
田中があの派手な指輪を身に着けている姿は想像できないし、転売し僅かな利益を得る為とも思えない。
まあそうだな。田中さんの全てを知っているわけではないな。
松が余計な詮索はするべきではないと自身を納得させたところで田中が顔を出した。
「どうも」
松は静かに会釈を返すが、砂場は声を上げて田中を誘った。
「一杯どうですか?ビールで?」
「いえ、車ですから」半ば驚いた様子で田中が答えた。
砂場はそれを見てまたへへッとニヤ付きジョッキにわずかに残ったビールを飲み干してから「もう一杯、ね?すぐ飲みますから」と言うと即座に松が咎めた。
「締めって言いましたよ」
砂場は松を振り帰り小さく舌打ちすると田中に向かって大きく頷いた。
「行きましょうか」そう言ってカウンターを立つと田中より先に細道へと歩き出した。
田中はそんな砂場を目で追い、小さく頷くと財布を取り出しカウンターに置かれた小箱に千円札を一枚入れた。
「田中さん?」松が問うた。
「いいんです」
「待ち合わせをしていたからってあなたが払う必要はないですよ」
「いいんです」田中は繰り返した。
そしてどこか哀愁を含んだ笑みを返し会釈をすると細道へと消えていった。
「さすが公務員は金がありますね」
砂場はクラウンの助手席で言った。
「もう年代物ですよ」田中が答える。
田中のクラウンは入谷乗り口から首都高に入り1号線を進んでいた。
この先は首都高6号線や都心環状線と交わる江戸橋ジャンクションだが1号線からは都心環状線の外回りにしかアクセスできない。銀座に向かうとなれば自然な選択だ。
実に面倒くさい男だ。たかが指輪一つでイチイチ鑑定を求めるだと?しかもわざわざ銀座まで?
砂場は思わず舌打ちしそうになる。
ハッキリ言ってタダでもよかったのだがそういうわけにもいかない。
この指輪をタダで手に入れられれば満足するという安い男ではないらしい。食いついてくれたのは良かったが実に面倒くさい。
タダでも良いなどと言ったら疑念を深める。この男は佐河の死に疑念を持つ唯一の人物だ。
渡部の奴もまるで使えないしどいつもこいつも馬鹿ばっかりだ。
砂場はそうは思っても当然、そんなことはおくびにも出さない。
「あっしの若い頃はいつかはクラウンなんて言ったもんですよ」
そう、かつてまだまだベンツBMWも一般的ではなかった時代、クラウンが高級車の唯一の代名詞だった時代があったのだ。
砂場の言う若い頃とは高級車どころか、自家用車という言葉すらまだまだ一般的ではなかった時代だ。
「私の父はBMWに乗っていたらしいですが」田中が答える。
らしい?その意味は分からなかったが砂場は受け流した。
「はあ、あっしの若い頃は外車なんてなったんですけどね」
「そうですか」
そう答える田中だったが車は新富町を過ぎて銀座も通り過ぎた。
「え?銀座じゃ?」
砂場はそう言って後ろを振り向いたがその横で田中は助手席のウィンドウを下げてから右手をジャケットに差し込み隠し持っていた拳銃を抜き砂場に向けた。
「寒っ!?」
そう言って振り向いた砂場の眼前に田中が握りしめるS&WのSAKURAがあった。
「え!?」
バン!!
「ああぁ・・・」
砂場はまるで予想していなかった眼前の閃光と銃声の轟音に数秒の間だが意識が断たれた。
銃弾は砂場の目の前を飛び首都高の側壁へと刺さった。ちょうど千代橋の高架下で前後にいる車もかなり距離があった。
実際の銃のマズルフラッシュと言う物はハリウッド映画ほど光り輝くものではないし、田中が手にしていたSAKURAが発射した弾丸は38SP弾でエネルギーは9ミリ弾の半分以下だ。仮に誰かがそのマズルフラッシュを見てもそれが発砲によるものだと思う日本人はいないだろう。
田中は銃をドアのサイドポケットに置くと「何を!?」と声を荒げる砂場に左の裏拳を叩き込んだ。
田中は、びゅう!!と叫び声ともうめき声ともつかない声を上げる砂場に冷たく答えた。
「静かにしていてください」
「こんなもんやるよ!ほら!!」
砂場はポケットからルビーの指輪を取り出し田中に差し出すが田中はチラリとも目を向けずにまっすぐ前を見ていた。
「運転中ですから」
奪い取ろうというのか?こんな指輪を一つの為に拳銃を隠し持ってきたのか?馬鹿か!
「そんなに欲しけりゃロハでくれてやるよ!」
「運転中なんで、しまっておいてください」
違うのか?指輪を奪おうというわけじゃないのか。ならなんだ!?
「何がしたい!?」
「・・・・」
「なあ!どこへ行こうって言うんだ!」
「あなたがその指輪を手に入れたところに案内してもらいます」
「はぁ!?」
何だってんだ?そんなの・・・。
「それは・・もう30年以上前の話だ!なんかの仕事で手に入れたんだよ!あっしが元ヤクザだって知っているだろ!」
「そう、ヤクザらしく仲田と言う男から奪った物でしょう?そこに案内してください」
田中は相変わらずしっかりと前を見てクラウンを走らせる。汐留を過ぎ右に車線を移すと浜崎橋ジャンクションを過ぎそのまま都心環状線を進んだ。
「そんなの覚えてない!あんたは何か勘違いしてるぞ!」
田中は砂場を見つめて小さく首を振った。
「勘違いですか」
「そうだよ!あんたの勘違いだ!」
「そうだと、いいですね」
糞が!なんで仲田の事を知っているんだ。という事はあの奥多摩の死体処理場の事を嗅ぎつけたのか?なんでだ、今更なぜだ。
「いや、それは覚えていないって!」
「大丈夫です、奥多摩でしょう?」
「行ってどうするつもりだ、今更行っても何も残ってない!」
「思い出しましたか?高尾山のあたりまでは行きますから、その後は道案内をしてください」
それだけ言うと田中は砂場に何を言われても沈黙を貫き都心環状線を走り三宅ジャンクションから四号線に入り中央道を目指し走った。
もちろん奥多摩の死体処理場の場所は覚えている。
何度も使った場所だし先日使ったばかりだ。死体処理場と言ってもただ埋めるだけだったが必要な道具を保管しておく小屋があるが、仲田を含め埋めたのはそこからさらに離れた場所だ。
今更なんだ30年以上前だぞ、とっくの昔に時効だ。どうしたいんだ?一課のデコ助ならわからないではないがこいつは箱詰めのチンケな制服警官だろう。それが拳銃まで持ち出して何をするつもりなんだ、何がしたいんだ!
田中が運転するクラウンは高井戸を過ぎ中央道に入り八王子インターチェンジを超えた。
「そろそろ、案内の方を頼みますよ」
「あんたが何をしたいのか知らんが時効だぞ!30年以上前なんだぞ!?それにあんたは箱詰だろうが!なんで私服で拳銃を持っているんだ!?」
田中はそれには答えずにサイドポケットから銃を取り出し砂場のわき腹に突きつけた。
「分かった!案内するから!小津川だ!あの川を沿いを上って行くんだ」
田中はそれを聞くと再び銃を再びサイドポケットにしまいカーナビを操作した。
「小津川・・・ここですね。丁度いい、八王子西インターからすぐですね」
「ゆっくり走ってくれ、暗くてわからない・・・あ!ここだ!ここから上がって、行くんだが・・」
「ガードレールがありますね」
「本当にここだ」
田中は車をバックさせ100メートル下がったところでガードレールの切れ目から車を乗り上げ歩道をまたぎ車を進めようとした。
「待って!すぐ横に小川があるんだ、坂道があるまで歩道を進んでくれ」
田中が砂場が言ったように確かに歩道のすぐ横に小川があり慎重に車を進めた。
「ここだ」
砂場は言った。小川はカルバート化した部分がありその上は通路に見えないことも無いがその先はと言うと・・・。
田中が進むのをためらうと砂場はすぐに言った。
「なあ30年も前なんだ、分かるだろ」
田中は獣道ですらなくなった道なき道を灌木を踏み潰しながら慎重に進んだ。
「この斜面に沿うように反対側に行くんだ」
「距離はどれくらいですか?」
「そうだな2キロか、まあ3キロも無いと思う」
田中は慎重に車を進めるが低灌木のせいで地面があまり見えない。時折、車が大きくガタつくと怯えたように砂場が叫んだ。
「おい!!気を付けてくれよ!こんなところで死にたくない」
歩くほどの速度で10分ほど進むとだいぶ錆びれた小屋が見えてきた。
「あそこだ!あの小屋だ!」
街灯などなくヘッドライトに照らされた小屋は半ば蔦に覆われてはいたがまだ十分に形を保ってはいた。
シャッターがあるだけでドアは無かった。
田中は車を降りると手錠を取り出し砂場の足にかけた。
「シャッターのカギは?」
「こんな山奥だぞ、そんなもん無い。でも開かないぞ、30年も前なんだ!」
田中はシャッターを開けようと手をかけてはみたが、砂場の言う通りすっかり錆びついており手をかけるところも無くビクともしなかった。
田中は懐中電灯を取り出し周囲を探しスコップを見つけたが金属部分はすっかりさび腐っており使い物にはならなそうだった。
それでもシャッターの下に差し込みこじ開けようとしたが、僅かな力を入れただけで30年間放置されたスコップはその柄から折れた。
「開けたって中には何もないぞ」
田中は傍に落ちていた鉄パイプを見つけ再びシャッターをこじ開けようと力を込めるとわずかに上がった。鉄パイプを置きシャッターに手をかけ田中が渾身の力を込めるとこびりついていた錆が僅かに落ちたのか何かが折れるような音がしてシャッターは意外とすんなりと上がり切った。
田中は懐中電灯で中を覗き見た。
まず目についたのは小型のショベルカー。それは小屋の中にあったためか30年も放置されていたとは思えない見た目だった。他にはスコップや斧と言った道具類があった。
田中は砂場を招き寄せ中に入るように言う。
「え?っと何するんだ?」
「とりあえず入ってください」
砂場は、狭いだの手錠を外してくれだのとあれこれと愚痴を並べ立てるが田中が無表情で一歩近寄ると慌てて「はい、入ります!」と地面に這いつくばって小屋へと入って行った。
続いて田中も小屋の中に入る。
懐中電灯で周囲を照らしてみるとショベルカーとスコップ以外にもブルーシートや園芸用だろうか肥料まであった。
ショベルカーを見るとバケットやクローラーに付着した土が乾いていない。何よりもその土と共に巻き込まれていた雑草がまだ枯れていない。
「最後のここに来たのはいつですか?」
「いや、だから30年以上前だって言ってるだろう!」
田中は砂場がウソをつくときのクセが分かり始めてきた。
クセと言うか、この男のウソはだいたい表情でわかるようだ。
田中は砂場の手錠をショベルカーのバケットのシリンダーに繋げ直し「ちょっと周りを見てきますんで、動かないでください」
そう言って小屋から出て行った。
なんだあいつは、何がしたいんだ。
仲田の件にこだわっているようだが、そりゃああいつの事はよく覚えている。なんせ佐河組が解散する原因を作った男だからな。勝二の奴が怒り狂って仲田をスコップで滅多打ちにして殺しその後始末を儂がやったんだ。ご丁寧にスコップでバラバラにしてくれたから始末は楽だったがな。埋めた場所はわかりゃしないが。
・・・勝二?
ここに勝二を埋めたことを探っているのか!?
龍二の奴がこいつを仕向けたのか?まさか儂が忍谷だと気が付いたのか?糞!
吹っかけすぎたか?いや、ハックエイムを介している以上、支払いは拒めない。
とするとあれか、追加料金をこれからも集られ続けると恐れを抱いたのか?それであいつを?
龍二が儂を忍谷だと感づいたとしてもジェネレーションはこっちの方が遥かに上だ、的にできるわけがない。するとあの田中とか言う警官は別の伝手なのか?
ハックエイムでないのならどうしようもない。
砂場はスマホを取り出し電話をかけた。
渡部は今日もワインバー風神の指定席ともいえる一番奥の席に座りメニューを眺めていた。
そこへポケットの中のスマホが振動した。
渡部は右手をポケットに突っ込みサイドキーを押すとスマホは静かになる。
今日のお薦めは・・・と。
ホタテのバターソテー仕上げにピンクペッパーとヒラメのワイン蒸しレモンソースか。
ふむ、ここのレモンソースは絶品だ。バケットでこそげ取って食うには・・・。
シャルドネが良いだろう。今日は少し奮発してフランス産の、そうだな・・・。
またポケットの中でスマホが振動した。
仕方なくポケットから取り出し画面を見ると「砂場」と表示されていた。
渡部はまたサイドキーを押しスマホを黙らせるとポケットに押し込んだ。
ワインリストを見ると当然とばかりにフランス産のモンラッシュにシャブリが並んでいるが、さすがにモンラッシュには手が出ない。シャブリも決して安くはないがモンラッシュと並んでいるとお得な感じがしてくる。
よし!と覚悟を決めたところでまたもやスマホが振動する。
渡部は諦めて席を立つとマスターに対しポケットを指し示し、野暮用でと合図を送り店の外へと出た。
「なんだこの野郎!何の用だ!」
せっかくのお楽しみを良い所で邪魔された渡部は軽く憤慨しそのままスマホに叩きつけた。
「いや、田中って警官に・・・」
「自分で何とかしろって言っただろ!!」
「それが、勝二の・・・」
「おい!勝二が何だ?おい!」
電話は切れていた。
「なんだあいつ」
渡部が店に戻ろうとすると再度電話がかかってきた。
「なんだって言うんだ!」
「ここ、電波が悪くて」
「はあ?どこにいるんだお前」
「いや、だから田中って警官に拉致されて・・」
「ああぁ!?田中に拉致されたってどこに?なんでだ?」
「このままじゃあいつに殺されます!仲田を始末した例の場所です!すぐ来てください!」
「仲田を?」
「あいつ拳銃を持ってい・・・」
「拳銃を?お前何をした!?どういうことだ!?」
「あいつが戻ってくる!早く来てください!!仲田を始末した例の場所です!」
電話が切れた。
田中が砂場を拉致した?なぜだ。
佐河の殺害にそれほどこだわる理由があいつにあるのか?
無い。無いはずだ。
ではなぜ砂場を拉致したんだ。しかも拳銃を持ち出したのか?まさか、馬鹿な。
砂場が殺されようが知ったことではないが、田中が暴走しているというのならそれはこっちにまで大きな被害が及ぶことになる。
田中を俺の子飼いにすると署長に宣言しておいて、それが早速暴走したなどとどう言い訳すればいい!?
あの小僧と俺の立場が逆転してしまう。
糞!!田中の馬鹿が!!なに考えていやがる!
渡部は風神のドアに背を向け奥多摩へと向かうことにした。
渡部は田中の暴走を止めるべく車を走らせて奥多摩へと向かった。
だが田中の暴走の理由が分からない。
砂場の馬鹿の佐河殺害について何か確たる証拠でも掴んだのか?
ただのハコヅメの田中がそれを得る可能性は限りなく低いが、そうだとしてもそれを使って砂場を逮捕すればいいだけの話だ、もちろん砂場の事は放っておけと言いくるめたのは俺だが。
良心の葛藤?
佐河などゴミみたいな元ヤクザなのだ。それが殺されたところで自業自得どころか当然の成り行きでもある。
田中の奴がそんなゴミヤクザに憐憫の情でも持ったというのか?ありえない。
とするとあいつの正義感か?
殺人事件の可能性を見過ごせないという青臭さい正義感か?
それでもやはり砂場を逮捕すればいいだけの話だ。
拳銃を持ち出し砂場を拉致した。なぜここまで暴走したんだ。
馬鹿ばっかりだ!!
渡部は法定速度などまるで関係ないくらいに車を飛ばしかつての佐河組の死体処理場にたどり着いたのは1時間後だった。
車のヘッドライトで小屋を照らすとそこには眩しそうに顔を背け、手錠で繋がれていることをアピールするかのように腕を振る砂場がいた。
渡部はすぐには近寄らない。
周囲を見回すが車のヘッドライト以外の部分は真っ暗闇だ。
「田中は?」
渡部は問うが砂場は小屋の中で手錠で繋がれた腕を振るだけだった。
「田中!!!」
渡部の叫びに応え田中はショベルカーの脇から姿を現した。
「お前、何をしている!」
「渡部さん、こいつが私の父を殺したんですよ」
田中は砂場を見つめたまま渡部に振り向きもせずに言った。
「田中、今がどういう時期か分かっているだろう!?お前と俺が捜査一課で・・」
田中が渡部の声を遮る。
「渡部さん、なんでここに来たんですか?」
「そ、それはそこの砂場から電話が来てだな・・・」
「こいつは、ここの場所を言っていないでしょう」
「いや、言ったぞ。だから来れたんだ」
田中が渡部に振り返った。その手には拳銃が握られていた。
「田中、お前何をしているんだ」
「渡部さん、こいつは仲田を始末した例の場所としか言っていないでしょう」
田中は手にした拳銃を見つめながら言い続ける。
「渡部さん。なぜここが分かったんです?こんな奥多摩の山奥のボロ小屋が」
「砂場・・・!」渡部は思わず怒りに満ちた声を漏らす。
あの馬鹿野郎、隙をついてコッソリ電話しているような素振りだったが田中に聞かれていたのか。いや、田中に奴に言わされていたのか?何れにせよ・・・糞馬鹿が!!
「渡部さん、あなたも父の殺害に関わっていたんですか?いや、この山に埋まっているのは父だけではない。あなたはそれらに関与していた。そうでしょう?」田中は視線を落としたままそう言って手にした拳銃の撃鉄を起こした。
「待て田中!父親って何のことだ!」
「田中って言うのは母の旧姓です。私の父は仲田と言います」
「・・いや、それはたまたまだろう?」
「そうだといいですね」
田中は地面を見つめたまま撃鉄を起こした拳銃を渡部に向けた。4
「待て!!待て田中!!俺じゃない、殺したのは二郎兄弟だ!お前も名前くらいは知っているだろう!勝二の奴だ!俺は砂場とここに埋めただけ・・・」
田中は地面を見つめたまま引き金を引いた。
弾丸は風が鳴らす草葉の音を貫き奥多摩の山々に木霊した。
渡部は膝を突いた。田中がゆっくりと顔を上げ渡部を見た。
「当たりましたか?」田中は立ち上がり渡部に歩み寄る。
「待て!待ってくれ頼む!止めてくれ!!」
「ああ、当たってないですよ渡部さん」
跪く渡部は歩み寄る田中を見上げた。田中は拳銃を渡部へと向けた。
「止めてくれ!撃たないでくれ!頼む田中!お前の親父を殺したのは俺じゃないんだ!なあ!?」
渡部は両手を拡げ田中に向けて懇願する。
「頼む田中!俺じゃないんだ!勝二の奴なんだ!」
田中は拳銃を渡部に放った。
「あ?え?」
「二発使いました。あとは上手くやっておいてください。私は明日非番なんで」
田中はそれだけ言うと砂場と渡部の二人に背を向けて歩き出した。
渡部は慌てて自分の身体を撫で触り胸に腹、腕をさすり最後に両手で顔を撫でた。
撃たれていなかった。
途端に怒りがこみ上げる。
「田中ぁ!!!」膝に放られた拳銃を手にし田中の背に向けた。
若造がなめやがって!!
「ただで済むと思っているのか!!」
田中が渡部を振り返った。
「私を撃つんですか?それでここに埋めるんですか?」
田中はそれだけ言いまた歩き始めた。
田中をここで射殺し埋めてしまうのは簡単だ。
だが、田中はそんな馬鹿な奴じゃない。俺をここにおびき寄せたようにまだなにか罠を仕掛けているはずだ。仲田の奴をこの山に埋めたのはもう三十年も前の話だ、証拠は無いし時効だ。父親を殺された恨みを晴らすために自分を殺させ俺を破滅に追いやるような罠を仕掛けているのかもしれない。
「覚えていろよ田中!!」
田中は歩みを止めたが振り返らずに答えた。
「忘れるわけ、無いじゃないですか」
田中は愛車のクラウンへと乗り込みエンジンをかけた。
ラジオからアヴィーチのザ・ナイツが流れていた。
息子よ、道を踏み外すな
時間が戻せたらと思う時が来るかもしれない
もし恐ろしい目に会ったら父さんを思い出せ
だが田中は父の顔すらも思い出せなかった。




