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第五十九話 唯一の道

「瑠衣先生~!」

25メートルプールを泳ぎ切った女の子が嬉しそうにビート板を掲げるように持ち手を振り声をかけてきた。

「スゴい!よく頑張ったね!」瑠衣は笑顔で子供を褒めてやる。

「ねえ!!4級に上がれる?」

「そうだね、次の進級テストで頑張ろうね!!」

「ホントに!?みんなイルカさんクラスなのに私だけ5級だから!大丈夫だよね!?」

「うん、大丈夫だよ!でもイルカさんクラスになったらビート板はもう使えないよ」

「大丈夫!!息継ぎできるようになったんだから!ほら見てて!」

そう言って女児はビート板を手にプールを泳ぎ瑠衣から離れていった。

その姿は水に浮いたビート板にしがみ付きただ暴れているだけの子供で、10歳の割には泳ぎが下手だ。


瑠衣がインストラクターとして勤めるここ台東区は谷中の水泳教室はプール設備のない近所の幼稚園や小学校が授業の一環として利用することもあるし、もちろん私営の水泳教室でもある。

そしてあの女の子は水泳教室の客の一人だ。

だがあのようにビート板にしがみ付きただ足をバタバタさせているだけでは4級昇格の条件である25メートル30秒以内は無理だろう。

でもまあ大丈夫だ。その時は瑠衣が少し早めにストップウォッチのボタンを押してやるだけだ。


照間瑠衣。

彼女が東京は谷中のスイミングスクールのインストラクターとしての仕事に就けたのは水泳のスキルが高かったからではない。

実際、瑠衣の水泳スキルはそれほど高くは無かった。

それでも瑠衣が履歴書を出し水着に着替え少しプールを泳いだだけで採用が決まったのは瑠衣が「沖縄の女」だったからという事よりもその見た目だ。

顔とプロポーション。

結局、女が今の社会で上手く立ち回るためにはこの二つが最も需要なのだ。あと、若い事。


女児がヘタクソな泳ぎを見せて瑠衣に振り返り嬉しそうにプールの中から手を振った。

「ねー!瑠衣先生!出来たでしょ!」

瑠衣は笑顔で女児に手を振り返した。


瑠衣は子供が嫌いだ。

特に東京の決して安くはないスイミングスクールに通えるくらいには裕福な家庭で何不自由なく育ってきた無邪気な女の子は。

この裕福な家庭で育つ女の子が選べる未来の選択肢は多くそれはどれも明るい道ばかりだろう。

早ければ中学校に上がったら、遅くとも高校生にでもなれば初めての彼氏ができるだろう。それは同級生か、少し背伸びをして大学生の彼氏を作るかもしれない。

そして入学金や学費を気にすることも無く大学を選び進学し、数年のキャンパスライフを満喫したら親のコネで就職しいつかは結婚し子供をもうけ幸せな家庭を築くのだろう。


瑠衣が選べる未来への道は少なかった。

いや一つしかなかった。そしてその道は塞がれていた。だから瑠衣はその道をこじ開け、今ここにいる。


瑠衣はこの女の子と同じ歳の時にレイプされた。

10歳の時だった。相手は瑠衣の母の男だった。

それは母の知るところとなり一度で終わり、それをきっかけに瑠衣母子は東京に移り住んだがその後も母の男が変わるたびに瑠衣はその男たちに汚され続けた。

そして瑠衣が高校生になった頃だ。母は瑠衣に女を見て嫉妬し、瑠衣はついには母にすら捨てられたのだ。

いやそれが始まりだったのか。


当時はインターネット黎明期でそれに伴い援助交際と言うものが流行っていた。今でいうところのパパ活と言うやつだ。それに必要な携帯電話は通信会社がタダでばらまいていたので高校生どころか中学生であっても手にしている子供は多かった。そうして一気に広まったインターネットに規制は無いに等しく今でいう出会い系サイトは無数にあり、その多くは無料だった。通信会社がデータ通信量で稼ぐビジネスモデルが一般的だったからだ。

瑠衣はそれらを利用して男にその身体を売る様になった。

そういったことをしていた女性、いや女児と言った方が良いだろう。それは少なくなかった。

コンビニで1週間バイトとして働きようやく手にできる金が、男とホテルに行けばほんの一時間で手に入るのだ。

中にはわずか数千円を受け取る女児もいたようだが瑠衣は違った。

男を見極め選んだ。

母の男を相手にしてきた経験から見知らぬ男とホテルを共にするという事に対するリスクは身に染みて理解していた。金を持っていそうな男を厳選した。年齢は30以上、靴が綺麗でシックな腕時計をはめスーツはくたびれておらず月に一回は美容室に通っているであろう髪型をした30歳以上の男。一番重要なのは結婚指輪を付けていることだ。

瑠衣は身体を売り、それを脅迫のネタにして金を稼ぐようになった。

瑠衣は、結婚しおそらく子供もいるであろう家庭を持つ男から容赦なく金を搾り取った。瑠衣はこれまで男たちに情けをかけられたことは無く、瑠衣も男に対し情けを向けることも無かった。女子高生を金で買おうとするようなクズに容赦はしなかった。

五万、十万。時にはそれを数回。


だがある日、瑠衣は大きなミスを犯したことに気が付いた。

行為の最中を隠し撮りし、勤め先にバラされたくないだろうと脅迫した男から金を受け取るべく深夜の公園に出向いた時だった。

そこには三人の男が待ち構えていた。瑠衣は瞬時に危険を察知し逃げようとしたがすぐに四人目の男に捕えられた。

瑠衣が援助交際をネタに脅迫しようとした男がナイフをかざしてきたが瑠衣は構わず叫ぼうとした。

刺せるわけがない。

瑠衣はそう思ったし、確かにその男には女をナイフで刺すほどの度胸は無かった。

代わりに別の男から容赦のない拳が飛んできた。叫び声を上げる間もなく瑠衣に口にガムテープが張られ瑠衣は物陰に連れていかれた。

男たちの一人が嬉しそうにハンディカムを構えていた。

瑠衣は暴れたが男達に両腕を抑えられ伸し掛かられては身動きも取れないかった。男の一人が瑠衣のスカートをまくり上げショーツに手をかけた。

瑠衣はレイプされた。男たちは実に楽しそうで次はだれがヤルんだと順番を争っているほどだった。

一人目の男、瑠衣を金で買い瑠衣が脅迫しようとした男が行為を終えると、立ち上がり精液に塗れた陰茎を見せつけるように瑠衣をまたぎ立った。

次は俺だと、瑠衣の両腕を押さえつけていた男がその両手を自身のズボンに手をかけた瞬間に瑠衣は動いた。

目の前に屹立している薄汚い陰茎のその下にある陰嚢に手を伸ばしそれを握り潰さんばかりに力を込め、千切れ取ってやるとばかりに引っ張った。さすがに女性の力で人の皮膚を引き千切ることは出来なかったが陰嚢の内部で何かが潰れ弾けるような感触があった。男は目を見開き両手で股間を抑えそれ以上は動かなくなった。

瑠衣の両手を抑え込んでいた男も同じだ、うずくまり両手で股間を抑え倒れた。瑠衣の肘がその股間にめりこんでいたからだ。


男の急所は眼球でも心臓でもなく陰嚢だ。

よく、女性でも使える護身術などと言って男の身体を引き倒したり、その腕を捻り上げたりといった技術を見ることがあるが、そんな技術を覚えるよりもはるかに簡単なことは男の陰嚢を殴るか蹴りあげる事だ。

それは男の身体を投げ飛ばしたり腕を捻り上げるよりも、もっと言えばたまたま隠し持っていたナイフで切りつけるよりも効果的だ。

男はナイフで切り付けられても痛みしか感じない。

生理や出産と言った痛みは男には耐えられないと言われるが、確かにそうかもしれない。

女は男より痛みに耐えるのだろう。

だが女性格闘家同士の試合よりも男性格闘家の試合の方が凄惨な場面を目にすることが多い。

それは、女は痛みに耐えるがそれはあくまでも防御でしかない。だが男は時として痛みを怒りと変えるのだ。

怒りとは攻撃だ。

女に投げ飛ばされても腕をねじ折られたとしても男は痛みを怒りへと変え殴りかかってくるだろう。必死にナイフを振り回したとしても意味はない、蹴られて吹き飛ぶだけだ。


だが陰嚢への一撃は違う。それは痛みではなく苦しみだ。

痛みは怒りへと変化し男を強くするが、苦しみは悶絶となりその動きを止める。

それも格闘技の試合を見れば分かるだろう。顔や腹を殴られ蹴られても平然と向かってくる選手はいるが陰嚢への一撃では試合が止まる。

多くの格闘技で金的攻撃が禁止されているのはそれをしてしまうと試合にはならないからなのだ。

眼球に指を突っ込むのは難しいが、それに比べれば陰嚢を蹴るのも殴るのも、そして握り潰すのも簡単だ。

女が暴れて男の顔や腕を殴っても効果はないどころか逆上させるだけだが金的だけは違う、女が男に勝てる唯一の方法だ。

瑠衣はそれを知っていた。


もう一人が抑えようとしてきたが瑠衣はそれを振り払い、突然の反撃に驚きつつもハンディカムを構えたままの男の股間に拳をめり込ませた。

これは当たりが悪く少し怯ませただけだったが瑠衣は男の手からハンディカムを奪い取るとなおも掴みかかってこようとする男の頭に叩きつけ破壊した。

瑠衣は口を塞いでいたガムテープをはがすと叫び声を上げ走り出した。

陰嚢を握り潰された男と肘で潰された男は身動きできなかったようだが、残りの二人は逃げ出した。


瑠衣は叫び走り、また叫んだ。そして走った。

優しそうな女性が何事かと寄り添ってきたが瑠衣は追ってきてはいないことを確認すると、女性に何でもないと言って押しのけた。


予想外だった。

たかが十万かそこらの金のために四人の男がその人生を棒に振るかもしれない行動に出るとは。

まだ17の瑠衣には分からなかったが、それこそが男と女の違いなのだ。

女は確実に実りのある麦を育て、男は獲れるかどうかも分からない鹿を狩りに出る生き物なのだ。

男は不確実な明日を夢見て道を進み、女は確実な明日が見える道を選ぶ。

女は破滅の可能性のある道を避けるが、男は破滅を避けられると思い道を進む生き物なのだ。


とりあえずは助かった。

膣から垂れる精液を拭い瑠衣は妊娠を心配するがその可能性は限りなく低いだろう。瑠衣の生理の周期は数か月に一度、半年来ないこともある。

瑠衣の子宮は初めてのレイプで、10歳の時からその成長が止まっていたのだ。あの時はアナルだったが。

だがこのまま終わらせるつもりはない。

隠し撮りの映像を写真に撮りそれを大量に複製した。

バラまいてやるつもりで瑠衣は男の出勤先へと向かった。


朝の出勤時ならば深夜の公園のように襲われることも無いだろう。瑠衣は男を見つけバッグに手を入れ写真の束を掴み近寄ろうとした時に背後から首に手をかけられた。

「やめとけよ」男は言った。

瑠衣がバッグから手を出し男の股間を殴りつけようとするもその腕も掴まれた。

「やめろって、死にたくはないだろ?」男は瑠衣の首にかけた腕に力を込めて言った。


二人は近くのバーガーショップで向かい合っていた。

男は瑠衣のバッグから写真の束を取り出しテーブルに拡げた。

「おお!すげえな!よくやるわ。これをバラまくつもりだったのか?せめてマジックか何かで自分の顔くらい隠しておけよ」

「あんたは?」

「うるせえ、黙ってろ。こんなのをヤツの勤め先でバラまいても金にならねえだろ?あのバカがクビになって終わりだ、少しは頭を使えよ」

「あんたは?」瑠衣が再び聞くと男は思案気に腕を組んで身体を逸らした。

二人は向かい合い瑠衣は男を睨み、男は瑠衣を見てニヤ付いている。

「ここで私が叫んだらあんたは・・・」

「どうにもならねえよ、周りから見たらただの痴話喧嘩だろ」

男はそう言いながらハッシュポテトを手にするとケチャップをたっぷりと浸けて口にした。

「ま、別に良いぜ。この写真をバラまいたところでオレの顔が映っているわけじゃないしな、好きにしろよ」


瑠衣が見るに、この男には付け入るスキがない。

男が欲しがるものはその視線でわかる。コッソリと見ているつもりなのだろうが瑠衣の胸を見ているのはすぐにわかる。そう言った男の扱いは簡単だ。その腕に胸を押しあててやればいい。

だがこの男は瑠衣のカバンを漁り学生証や携帯電話を調べ終わるとまっすぐに瑠衣の目を見ている。

年齢は瑠衣より少し上だろうか、女には不自由していなさそうだ。

瑠衣の武器は女であることだけなのだ。


「何がしたいのよ」

瑠衣は全てを見透かそうとしているような男の視線に耐えかねて口を開いた。

男はナゲットを手に取りまたケチャップに深くくぐらせてから口にした。視線は瑠衣からはずさないままコーラで流し込んだ。

「それを今考えているところだよ、黙ってろ」

「学校に行く時間なんだけど」

「はあ?ふざけんなよお前。登校前にオッサンを脅迫しに来たって言うのかよ」


店内のスピーカーからビートルズのイエローサブマリンが流れ始めた。

瑠衣がまだ沖縄にいた頃、隣家のおばあが好きだった曲だ。

おばあはいつもこの曲を聞いていた。朝から晩までおばあの家では常にかかっていた曲だ。

おばあはこの曲は沖縄を歌っているようだと言っていた。

黄色い小さな島。


二人は瑠衣の自宅に移動した。

「母が・・」

「母親が何だ?お前はもう捨てられただろ」

なんでそんなことまで知っているのか。

瑠衣は諦めてドアを開けた。


「狭い家だな」

男はぼやきながら冷蔵庫を開け物色し始めた。

「おお。お前も飲むか?」

男はそう言って冷蔵庫から缶ビールを二本取り出すとテーブルに置いた。

「私のだし」

瑠衣は缶ビールを手にし飲み始めた。

「おいおい学校に行くんじゃなかったのか?」

男もそう言いながらビールを飲み始めた。

「どうするつもりよ」

男は返事をせずにビールを飲みながら瑠衣の携帯をいじくりまわしている。

隠し撮りした動画を見つけたのだろう。

「よくやるわ・・」独り言のようにつぶやいた。

女子高生を金で買うような買春男に言ったのか、女子高生の身でありながらそんな男を脅迫しようとした瑠衣に言ったのか。

「ちょっと!!」

男はやはり返事をせずに空き缶を勢いよく握り潰すと、それにビクッと震えた瑠衣に言った。

「もう一本持ってこい」

「自分で・・」瑠衣は辛うじてそう返したが男は握り潰した空き缶をテーブルに置き拳で叩き潰した。

「持ってこい、お前がだ」

瑠衣が冷蔵庫からビールを取り出しテーブルに置く。

「開けろ」

男はそれだけ言い、瑠衣は男の目を見ながら缶ビールを開け男の前に置いた。

男は満足げにニヤ付きビールを飲んだ。

「どうするつもりよ」瑠衣は再び聞くと男の顔からニヤ付きが消え身を乗り出して深い声で瑠衣に言った。

「それを今考えている、お前に言われなくてもな。質問するのは俺、答えるのはお前。命令するのは俺、従うのはお前だ。俺が何か言うまで黙ってろ」

男は少しの間、思案気にし瑠衣に言った。

「この携帯は貰っていく・・」

「ふざけんなよ!」

「おいおい・・」男は人差し指を立て無言でその意思を示す。ルールを忘れるな。

「この動画が入った携帯はをあの男の前で壊してやる必要があるからな。それに他にも隠し撮りがタップりあるじゃねえか。お前、他にも脅迫してんのか?」

「・・・・」

瑠衣が答えないでいると男はまた人差し指を立て瑠衣を見た。ルールを思い出せ。

「してる・・」

「全部か?」

男は瑠衣の携帯を指で叩きながら言った。

「全部じゃない、金を引っ張れそうなヤツだけ・・」

男は満足げに、そして少し驚いた様子で瑠衣を見た。

「ならだいぶ稼いでいるだろ、その金はどうしている?」

瑠衣は男の意図を察した。

「遊びとか・・」浪費していると誤魔化すつもりだったが男には通用しなかった。

「そうは見えねえな。バッグも財布も安もんだし、ホストクラブにハマるタマにも見えねえ。それにこの家なんもねえだろ。何に使っている」男は人差し指を立てて言った。

「家賃とか、学費・・・」瑠衣は諦めて答えた。

「他には?」

瑠衣は答えない。それだけは言えない。言ったらすべて奪われてしまう。

だが男はそんな瑠衣の心を読んだかのように言った。

「ここか?」そう言って立ち上がるとクローゼットを開けた。そこには瑠衣の持つわずかな服と女子高生には似つかわしくない一つのスポーツバッグがしまってあった。

「これか」男がスポーツバッグを手に取ると瑠衣は思わず立ち上がった。即座に男が瑠衣に人差し指を向けた。

「じっとしてろ」ルールだ。瑠衣は諦めて再び椅子に腰を下ろす。

男はバッグを開け中を改めていく。

「おお、ガキのくせに随分ため込んでるな。でもなんで銀行に入れない?空き巣にでも入られたらいい餌だぜ」

「未成年だし・・・」ダメだ、奪われる。ここまで貯めたのに・・・。

それならいっそのこと・・・。

「やめとけ、無理だ。俺はガキ相手にボコられるようなマヌケじゃねえよ」瑠衣の決意の目を見て男はすぐに察した。

「正直に言え、この金は何に使うつもりだ?」男は瑠衣に人差し指を向けて重い声で聞いた。

瑠衣は咄嗟に立ち上がり両手で椅子を掴み(せめて・・)と思ったが男の反応は早く適切だった。

瑠衣は椅子を持ち上げる前に男が勢いよく押したテーブルに押し倒された。

男は床に倒れた瑠衣を見下ろして言った。

「やめとけって言ったよな。金は、何に、使う?」男は脅すように言い瑠衣は叫ぶように答えた。

「大学に行きたいんだよ!」

バカにするならすればいい!援交と脅迫で稼いでも大学に行きたいんだ!

「大学?お前マジで言ってるのかよ」

「悪いかよ!私だってそれくらい・・・。まともに生きたいんだ!」

床に倒れた瑠衣とそれを見下ろす男はしばしの間睨み合っていた。

男が納得したように軽く頷き椅子に着き瑠衣にも椅子に着くように言った。

「こんなはした金を奪う気はねえよ、お前はオレの下で働いてもらうからな」

「ふざけんな!」

「まあ落ち着けって、あのロリコンリーマンは今はもうオレの客だ。これ以上脅迫されても困るがお前はどうする?このままうろついていたらヤツに狙われるどころか別のヤツにもな。だがここに写っているヤツらは全員オレの客にする。で、お前はオレの管理下に入ったことにすれば向こうも納得するだろう。いや納得させるけどな」

私を管理する?たかが1万かそこらの金でクズ男どもの相手をしろって言うのか?冗談じゃない!

男は瑠衣の怒りに震えるような顔を見てまた察したのだろう。

「お前に売りをやらせるつもりはない、お前の仕事は管理だ」

そうは言われても何のことか瑠衣には分からない。

「ま、とりあえず銀行に口座を作りに行くぞ。こんな風に現金を自宅に置いておくな」


運転免許証はもちろんパスポートもなく親権者である母もいない未成年の瑠衣が銀行口座を作るのは難しかった。

だが男はいとも簡単に瑠衣の為に二件の一橋銀行を巡り口座を二つ作りそこにバッグの中の金を入金させた。

「なぜ二つも?」と瑠衣が聞くと男は簡単に説明した。

「同じ銀行の中で違う支店に口座を作っておけばバレにくいからな。普段使いの口座とぜったにバレたくない口座はちゃんと使い分けろよ」

男はそう言って瑠衣に印鑑と二冊の通帳を渡した。

「名前は?」瑠衣が聞くと男は答えた。

「蔵井戸だ。蔵井戸・・・二郎だ」


瑠衣は蔵井戸という男のビジネスパートナーとなった。

蔵井戸のビジネスと言うのは端的に言えば金持ちの男に女児をあてがう援交組織だった。

「男の俺じゃメスガキの管理は面倒なんでな」

瑠衣は蔵井戸の買春ビジネスに使う女児の管理をするようになった。時に親身に時に残酷に買春の管理をした。

蔵井戸はそれだけでなく瑠衣の望みを叶え大学へも導いてくれた。

だが夢に見たようなキャンパスライフは遥か遠く、瑠衣は蔵井戸の違法で無慈悲なビジネスパートナーであることは変わらなかった。

だがそれでも瑠衣は大学を卒業すればと、淡い夢を捨ててはいなかった。

そんなある日、玄関のチャイムが鳴った。

ここに来るのは蔵井戸しかないない、瑠衣は全く警戒をせずにドアを開けた。

そこに立っていたのは蔵井戸ではなかった。それは瑠衣の母だった。

「寒いんだから!」母は数年ぶりの再会の言葉も、謝罪を口にすることも無く当然だと言わんばかりに瑠衣の押しのけ部屋へと上がった。

「まだここに住んでいたのね、良かったわ」

「ママ・・・」肌は荒れ気味で髪は乱れ染められた色も中途半端でプリンのようだったが間違いなく瑠衣の母だった。

「ちゃんと生活しているみたいじゃない」

「ママは・・・?」母はすっかり歳を取っていた。目じりに皴が寄り、髪にはまだ少なかったが白髪が混じっていた。

「ちょっと今月さヤバいのよ、お金貸して」

「マ・・・マ?」

「あんたも稼いでるんでしょ?ちょっとこっちに回してよ、すぐ返すからさ」

あなたも?その言葉だけで瑠衣は理解した。

「ちょっと、早くしてよ!あんただってワタシのおかげで東京に来れたんだからね」

瑠衣は白昼夢でも見ているかのように生活費を入れておいた封筒を取り出すと母に渡した。

母は封筒を受け取ると直ぐに中身を確認し小銭を抜き取るとテーブルに投げ捨てた。

「六万と・・七千か」母は舌打ちし封筒をポケットにしまい言った。

「絶対返すからねー」

母は瑠衣に触れることもその名を呼ぶことも無く金を受け取ると背を向けた。


その背中を見て瑠衣は自分が選べる道など一つもないのだと理解した。

母は返すどころか、これからも瑠衣にたかりに来るだろう。

瑠衣が進める唯一の道でさえこの女が塞いでいるのだ。

だから瑠衣は自分の力で道をこじ開けた。


時間がどれほど経ったのか。

自分が生きているのかどうかも分からなかったが頬を張られて瑠衣は顔を上げた。

そこには蔵井戸がいた。

「なんだよこれお前がやったのか?」

「・・・」

「おい!」蔵井戸がもう一度瑠衣の頬を張った。

「なぁに?」

「なにじゃねえよ、強盗・・じゃねえよな。誰だよこれ」

「おい!しっかりしろって!これ誰だよ!」蔵井戸は今度はかなり強めに張った。

「ママ・・・」辛うじて瑠衣は答えた。

「マジかよお前・・・たかられたのか?そんなもん引っ越せば済む話だろうが!」

蔵井戸は瑠衣を抱え上げるように立たせるとキッチンの椅子に座らせ、冷蔵庫からビールを取り出し蓋を開け瑠衣の前に置いてやった。

「一歩も動くな、いいな?電話なんかするな。じっとしていろよ」

蔵井戸はそう言って部屋から出て行った。


瑠衣はただビールを飲んでいた。

飲み干すと冷蔵庫を開け缶ビールを二本取り出すと一本を玄関の前に倒れている女のそばに置いてやりもう一本はキッチンのテーブルにつき飲み始めた。


蔵井戸が青い大きなバレルを持ち込んできていた。

「手を貸せって言いたいところだが・・・無理だよな・・」

蔵井戸は一人で作業をこなしていた。バレルのほかにも液体の詰まったいかにも重そうな大きなボトルを

幾つも運び込み、バレルに女を収めるとユニットバスへと運びチューブや機械でバレルとボトルを繋ぎ、機械を作動させた。

隣の部屋からニルヴァーナのSLTSが聞こえてきた。


笑っていればいい

どうせ理解はされない

だからどうでもいいの

ねえ、ちょっと、ほら、あんた、こっち・・・

どうせ暗くて分かりはしないから・・・


「おい!おいって!」

作業を終えた蔵井戸はまた瑠衣の頬を張った。

瑠衣は立ち上がり冷蔵庫からビールを取り出すと一本蓋を開け蔵井戸の前に置いてやり、もう一本は自分で飲み始めた。

「大丈夫かよおい・・・」

蔵井戸は舌打ちしながらも瑠衣に説明を始めた。

「あれには触るなよ。三日かまあ四日で全部便所に流れるからな、小便は浴槽で済ませろ。クソは外でしろ」


違う、そうじゃない、ダメ、間違い、ミス・・・。

だが、やり直すことは出来ない。


「おい!マジでしっかりしろ!」蔵井戸はそう言ったが叩いたりはせずに瑠衣の肩を掴み揺らした。

蔵井戸はその後の一週間の間、瑠衣の面倒を見た。自分で動こうとしない瑠衣に食事を用意し水を入れたコップを置き、バレルのチェックをし瑠衣を近所の公園のトイレまで連れて行った。


五日目でバレルの中身は透明な液体で満たされていた。

「エコだぜ、アルカリ性だからな」

蔵井戸は言った。瑠衣の母親は全て下水へと流れて行った。

「進学祝いだ」蔵井戸はそう言って晴れて大学生となっていた瑠衣に一つの機械を手渡した。蔵井戸は専修大に通っていたが

「デバイスだ。絶対になくすなよ、それはお前の命と同じだ」

それは今で言うところのスマートフォンのような物だったがその時に渡されたデバイスはまだ横向きの画面だった。

瑠衣は簡単にその使い方を教わった。

瑠衣の若さもあったのだろう、それにはすぐに慣れ、そしてこのデバイスの向こうにある世界を知った。

ハックエイムと言う世界を。


「・・・先生ー!瑠衣先生ー!」

「ああ、どうしたの?」

「もう時間ー!また明日!」女の子はそう言って笑い瑠衣に手を振り更衣室へと走った。

瑠衣は無邪気に走り去る女児の背を見て思う。


あの時、チョコレートに塗れた手で、おばあを掴んでいたらもっと違う道を選べたのではないか?

いや、無い。瑠衣に選べる未来などなかったのだ。あの母親の元では。

母は瑠衣の選べる未来を悉く潰していたのだから。そして一つ残った道にさえ立ち塞がった。

だからどかした。

そこには後悔も達成感も無かった。

母は障害物でしかなかった。

だから取り除いたし、それは必要だった。

世の全ての人間が聖人君子ではないように、世の全ての母親がその子供の為に良い存在であるわけでもなく、全ての母親が子供に無償の愛を向けるわけでもない。

少なくとも瑠衣の母は子に愛情をもってはいなかった。

だから殺した。瑠衣に唯一残された道を進むために。


瑠衣にはあの女児の前に広がるような未来を選ぶ余地はないのだ。

だがあの女児が選ぶ未来が減る可能性はある。

ドアを開け更衣室へと入って行く女児を見て瑠衣は思う。

更衣室には男が隠れており、これからあの女児が壊れるまで弄び汚すのだ。

そうなればあの女児が選ぶことが出来る未来は少しは少なくなるだろう。

セックスの快楽など理解できないその幼い身体と精神を壊されるのだ。


それでも私よりかはマシか。

あの子の両親は、何があっても全力であの子を守るのだろう。

選べる未来は減るだろうが、私のようにはならないだろう。

私が人生をやり直せたとしてもあの子のようにはなれないし、あの子がワタシのような人生を歩むことも無いのだろう。


「瑠衣先生ー!またねー!」

更衣室から出てきた女児が瑠衣に手を振る。

「次の試験頑張るから!」


そう、瑠衣がこの水泳教室に仕事を得ることが出来たの最大の理由は女だからだ。

まともな親であれば大事な女の子を男に預けようとは思わないだろう。水着を着させるような場所ではなおさらだ。

実際、小学生ばかりの夕方5時までの水泳教室を指導するのは全て女性だ。

この後には一般の部となるので逆に女性講師は少なくなるが。


「がんばろうね!」瑠衣は手を振り返してやる。

これからあの子はピアノ教室だ。


あの子は瑠衣には選べなかった未来が広がっている。























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