第五十二話 わたなべじゃないよ、わたべだよの巻
渡部は軽い二日酔いだった。
さすがにスペイン産は余計だったかと後悔してもそれは10時間以上の遅い、まさに後の祭りだ。
渡部は顎をさすりながら一課のドアをくぐった。
歳はとっても髭だけはしっかり伸びるもんだな。
デスクに付くと一通の封筒が置かれていた。
「なんだこれは?」誰か答えろとばかりに封筒を掲げ周りを見渡した。
「ああ、山井那奈って言う失踪女性の捜査資料ですよ」一人が答えた。
渡部が封筒の中身を改めると確かにそうだった。田中のヤツに渡したばかりの物とほぼ同じ書類が入っていた。
「これがなんで俺のデスクにあるんだ?行方不明の捜査なんか刑事課の仕事だろう」
「ああ、一課に移されたんで渡部さんお願いしますよ」渡部より二回りも年下の準キャリアの川木警部補が答えた。
つまらん面倒ごとは年寄りがやれってことか、若造がナメやがって。八つ面のなどと言われたところで準キャリやキャリアに顎で使われるのは避けられん。
「そうそう、あと新署長がお呼びですよ渡部さん。その書類も署長直々ですからね」そう伝える年下の準キャリアはニヤ付いている。
そんなつまらん仕事を押し付けられるなんて何をしでかしたんだ?という下卑た期待をした顔だ。
別の刑事がうわさ話でも伝えるかのように言い添えてきた。
「なんでも朝っぱらからどっかのハコ長が署長に直談判したらしいですよ。刑事課の連中はハコヅメ如きに面目を潰されたって怒り狂ってるみたいですね」
田中の奴だ、あれほど言ったのにあの馬鹿が。
はあ・・渡部はため息をつき顎を触った。
「そうだ、誰か髭剃りを貸してくれ」
途端にその場にいた全員が顔を逸らした。
「おい、川木、髭剃りくらい持っているだろ?貸してくれ」
「いやですよ髭剃りを貸すなんて気持ち悪いじゃないですか」
渡部が周りを見渡すが誰一人目を合わせようとはしない。
渡部は川木に唾でも吐いてやりたかったが何とか我慢し大きく舌打ちをするにとどめ部屋を出た。
「署長に呼ばれたんだが」
渡部は署長秘書に伝えた。
そうか、この女が田中がここを訪れたことを言いふらしたのか。
秘書が内線電話を手にし一言二言交わすと顔も上げずに「どうぞ」とだけ言った。
お喋りの阿婆擦れは礼儀も知らんか。
「署長、これはなんです?」
署長は書類に目を向けたまま顔を上げずにいた。
「失踪女性の捜査資料だ。誘拐の疑いが強まったので刑事課から一課に移した。キミに頼む」
「田中の奴が来たと聞いていますが」
「まあそうだ、必要なら彼を上手く使っていい」署長は書類仕事に精を出したまま渡部の顔を見る事無く言った。
「今この時期にですか!?」渡部が驚いて声を荒げる。
「どの時期であろうと市民の為だ。捜査状況は彼にも伝えてやれ、頼んだぞ」
渡部は手にした封筒を太腿に叩きつけ不満の音を鳴らし伝えたが高橋署長はそれでも顔を上げずに書類仕事に没頭している。
「ああ、そうだ。外の秘書に誰かと代わるように言ってくれ、お喋りな秘書は要らないからな」
渡部はフンッと鼻で笑い振り返りドアノブに手を掛けながら言う。
「誘拐と言っても身代金の要求もないでしょう、もう殺されているでしょうよ」
そう言って部屋を出る渡部の背を高橋署長は顔を歪め睨みつけていた。
ったく、田中の馬鹿のせいで面倒を押し付けられたぞ。
あの阿婆擦れ秘書に「クビだとさ」と言ってやったのは胸がすく想いがしたがな。
しかし田中もあのボンボンも今が大事な時期だと何故わからない。たかが女一人の為に無駄な疑いを持たれるだけじゃないか。
まあとりあえずは通報してきた女を見つけ出すか。スマホか免許か。窃盗の被害届は出していないだろうが遺失物届なら出している可能性はある。
一昔前ならこういった探し物は膨大なファイルと紙の束との戦いだった。
だが今は令和だ。電子化と言うものは実に便利な世の中だ。最近免許の再発行をした若い女性かバッグの遺失物届を出した女性。データベースから簡単に引っ張り出せる。
スマホの買い替えを見つけ出すのは少し難しいが一課の圧力があればそう難しいことではない。だがあまり意味は無いだろう。昔と違って今は様々な携帯電話キャリアがある。たかが一人の失踪女性のためにその全てに圧力をかけるのは費用対効果から言って無駄と言うものだ。
それよりも事件近辺でのスマホの拾得物届を調べた方が良いだろう。最近のスマホはGPS機能が搭載されている。少しでも頭の働く奴ならバッグの中からスマホを取り出し捨てるだろうからだ。
まあ何れにせよ無駄な事だ。今時身代金目的の誘拐を働くような馬鹿はいない。女性の失踪から一週間以上たっているのだ、ペットにするわけでもなければとっくに殺されているだろう。死体を探す方が早い。
渡部は一課に戻り川木を呼び誰が書いた物か分からないが捜査資料の一枚を渡した。
「これに当てはまる女性をピックアップしておけ」
「なんで私が?」
「署長直々だからな」
それだけ言って渡部は署を後にした。
渡部は道路わきに覆面パトカーを止めタバコを取り出し火を点けた。
これはパンダ柄のパトカーに乗る制服警官には出来ない刑事の特権だ。
渡部は数分間特権を満喫するとアスファルトにタバコを投げ捨て靴の底で揉み消しスマホを取りだし電話を掛けた。今度は相手がすぐに出た。
「はい」
「佐河が死んだな」
「え、ええ」
「その時に警官に見られた馬鹿がいるんだがな」
「え!?誰です!?」
「田中って警官だ。下手な仕事しやがって」
「いや・・・じゃあ、そっちで何とか・・」
「ならん。自分で何とかしろ。今は俺にとっても奴にとっても大事な時期だから面倒にはしないと思うがな」
渡部はまたタバコに火を点けた。
電話の向こうからあれこれを泣きごとを吐かれるが渡部は全て突っぱねた。
「奴は俺が頭ごなしに言っても疑問を抱かずに従うようなタマじゃない。だがまあ奴だってこれを機に結婚をしようって思っているようだからな、自分で何とかしろ」
それだけ言うと渡部は電話を切った。
まったく、使えない馬鹿ばかりだ。
渡部はまたタバコを放り捨て靴で揉み消した。
株式会社向井土木。
それは東京は墨田区にある人材派遣会社だ。
今では大っぴらに人材派遣業などと名乗れてはいるが一昔前までは日雇い労働者の差配をしそこからのピンハネで利益を得ていた。
それが今や人材派遣業と大手を振るって看板を掲げられる時代になった。
人材派遣など誰がどう見てもただのピンハネ業なのだがそれが法的に完全な合法となった。
向井龍二には頭が良く偉い政治家連中がなぜそんな馬鹿なことを合法化するのかその理由はまるで分らなかったがそれは実に都合のいい変化だった。
毎朝毎朝に人を集め「お前はアレに付いて行け」「お前はあそこへ行け」などとイチイチ指図する必要もなくなり、堂々と登録された貧乏人共の情報はパソコンに収まり依頼のままにそいつらを差配するのもパソコンが勝手にメールを送るだけだ。
依頼が無ければ給料を支払う事もなく依頼があれば自動的に貧乏人共に支払われる給料の一部を吸い取って良いのだ。
昔は、朝早くに集まったのに「今日は仕事が無い」と言われて舌を打つまだ酒の匂いのする連中に一々上着を開いて肩の入れ墨を見せて舐めた口を利くなと脅していたものだが、今ではそんな面倒なことをする必要もない。
向井龍二にはなぜピンハネされると分かっていて人材派遣などと言うものに登録する貧乏人がこれほど多いのか、頭のいい人間が集まっているだろう政府がこんな馬鹿なことを合法化する理由はまるで分らない。
だが社会の片隅と言うより底辺にいる連中を相手にしていた向井龍二にはこの変化は実に美味しいものだった。何一つリスクが無く馬鹿な貧乏人から堂々とピンハネできるようになったのだ。
向井龍二は退屈だった、何もやることが無い。馬鹿な貧乏人共が登録するのも、それを差配するのもすべてパソコンが勝手にやってくれる。向井龍二は退屈だからこそ毎朝会社に顔を出し、椅子に座り欠伸を噛む。
「社長、お電話ですが」
形ばかりの女性秘書が内線電話で連絡してきた。
彼女はこの会社の秘書ではあり社長よりは仕事があるがその本業は向井の愛人だ。
「誰からだ」
今は全てネットで完結する。向井の会社の人材派遣は土木を基本とした単純肉体作業だ。営業をかけることは無く、掛けられることもない。向井の名はこの界隈では昔から深く知られているからだ。
だから普通なら秘書が電話を継ぐこともないし向井も出る気はない。
「昔の知り合いだと言っていますが、繋ぎますか?」
昔の知り合い。その言葉の意味はもちろん愛人も分かっている。だから向井に伝えたのだ。
「分かった、回してくれ」
向井は受話器を手に取った。
「向井ですが」
「佐河さんが亡くなりました」電話の向こうからは聞き覚えの無い声が聞こえてきたが変声機を使っているのだ。電話の向こうにいるのが誰か、龍二はもちろん分かっている。わざわざ佐河の死を伝えてくる人物など一人しかいない。そう忍谷だ。
「そうですか、それは残念です」残念。そんなことは心の片隅にさえ思い置くことは無い。正直なところ、やっとかと言ったところだ。
「しかしねぇ、少しばかり問題があって」
問題?向井の心がざわつき始める。
「それは?」問題など聞きたくはない金は払ってあるのだ。今すぐでも電話を切りたいがそういうわけにもいかない。
「いや、少しばかりミスをしましてねぇ。ええ、こちらの落ち度なんですが。それでちょっと今回は色を付けて欲しいんですよ」
報酬を上げろと言うのか。こんなことは初めてだ。
「そちらのミス・・・」
「ええ、そうです」
向井はしばし考える。金額に寄るか?いや金額は関係ない。それでも一応聞いてみる事にした。
「色と言うのは、いかほどで」
「そうですねえ、まあ100ってところですかね。ミスはミスなんですけどね、あっしもここらで引退するつもりで、まあ引退祝いでも頂ければって・・」
龍二はさらに少し考える。しかしやはりここでは答えは出せない。
「少し考えさせてください、額が額なんで」
「でしょうな、よく相談して」忍谷そう言って電話を切った。
100万など大した金額ではないがこれは独断では決めかねる。
向井はスマホを取り出し電話を掛けた。
相手はすぐに出た。
「どうした兄弟」電話の向こうから野太い声が聞こえてきた。相手は原田勝二。かつての名は向井勝二で同姓で兄弟と呼び合う仲だが血の繋がりはない。たまたま同姓で、たまたま兄弟と呼び合う仲と言うだけだ。昔は二郎兄弟などと言われていたものだが・・・。
「佐河さんが死んだそうだ」
「そうかやっとか!待たせやがって!まったくどんだけ無駄な金を・・」スマホの向こうから聞こえてくる声は実に嬉しそうなものだった。
「勝二!」諫めるような向井龍二の声で向井勝二もハッとしたようだった。
「悪い、兄弟。でもずいぶん時間かけたもんだよなぁ!」
向井勝二は土木業を営むウィナーズコンストラクションの社長で解体業から造成工事までを取り行う。当然そこには向井龍二が差配する人材派遣も関わってくるわけだが、正直なところ縁を切りたいと思ってはいるところだ。
勝二は実に杜撰で解体工事に関わるマニフェストや造成工事に関わる残土の処理までも龍二が手を貸しているような状況だからだ。
自分たちの関係をビジネスパートナーではなく未だに「兄弟」と言うのも実に厄介だ。勝二の頭の中はまだあの夢のような時代、バブルの中にあるのだ。
勝二の中では二人はいまだに、泣く子も黙る佐河組の双頭「二郎兄弟」なのだろう。
確かにあの頃の二人はまさに無敵だった。二人の顔は知れ渡っていて一々名乗る必要もなくその顔を見ただけで誰もが顔を地面に向けて目を合わせることもなく二人を避けて歩いた。
警察官でさえ「二郎兄弟」を恐れおいそれとは手を出せなかった。傷害や恐喝と言った小便刑を食らう事はあったがそれも逃れられなかったというより、少しは警察の面目を立ててやろうというところだった。
実際、一体あの二人は何人殺したのかと噂されているのに傷害程度のバカンスのような刑期でシャバに帰ってくるのでは二人の恐ろしさを際立たせるだけだった。
だが今は令和だ。時代は変わったのだ。
勝二は時代の変化に気が付けないのか、気が付いていてもそれに対処ができないのか。勝二は何のために名前を変える羽目になったのかすら覚えていないのだろうか。
たった今、そんな一人が死んだことを話しているのにそれが自分にも当てはまるとまるでわかっていない。
「まあ、そうだな」
確かにずいぶん時間をかけたものだ。忍谷とは昔からの付き合い、それこそバブル時代からのだ。
地上げの際に先祖伝来だか何だか知らないが意固地に居座る年寄りの排除を頼んだり、正義感の塊のような刑事がいなくなればと頼んだこともあった。頑固に我が道を進み金で道を譲らない人間は忍谷への依頼で処理をしたものだ。
ヤクザ同士の小競り合いや抗争なら二郎兄弟の出番だ。ヤクザが死んだら大騒ぎになる。テレビに取り上げられ「抗争勃発か!?」などと騒ぎ立てられる。しかしそれに二郎兄弟が関わっていると知れれば誰もそのヤクザの死を口にしなくなる。少なくとも業界内では。
忍谷への依頼は一千万。死体の処理まで考えたらまあ納得できる値段だ、五百万を受け取らない人間は忍谷の相手をすることになる。本当に従順になるか分からない者に一千万を払うより忍谷に払った方があとくされが無いからだ。
そうだ、忍谷には俺達にと言うより佐河組に多額の借金を負わせたブローカーを始末させたこともあった。これは一円の得にもならなかったが佐河組は結局その借金が元で解散を余儀なくされたのだ。
忍谷の仕事は実に慎重で全くニュースにならない。都内のどこかで警官が交通死亡事故があっただとか、どこかの老人が飛び降り自殺したとか胡散臭いブローカーが行方不明になったりだとか。
だから忍谷は充分に時間をかけて依頼をこなしていた。依頼の完了の連絡が来たのが長い時で2か月弱、約50日という事さえあった。だが忍谷の仕事は実に慎重で確実だった。
その忍谷が元はヤクザの組長とはいえとうの昔に引退した老いぼれを一人始末するのに約100日、三か月以上もかけたのだ。
「それで?祝いでもするのか?」勝二がまた嬉しそうに話し始めた。
「馬鹿を言うな、そうじゃない。忍谷に追加の金を要求された」
「はあ?いくらだよ」
「百万だ、引退するから祝い金でもくれと言う感じだったな」
「ふーん、良いんじゃね払っておけばさ。あれにはだいぶ世話になったじゃん」龍二は勝二が暗に、そっちで払っておいてくれ。と匂わせていることに気が付く。百万くらいどうでも良いのだが、勝二のこの態度は実に不快だ。昔からそうだ、兄弟と言う仲なのだがどちらかと言うと勝二が下に立つ感じを取るのだ。だがそれは龍二を尊敬しているというより面倒ごとを押し付けようと言う腹なのだ。
昔から恐れ知らずで龍二の制止も聞かずに得物を片手に飛び込んでいくような奴だった。当然龍二も出張るしかなくその後始末も龍二の仕事だった。だが勝二はそれを己の武勇伝として吹聴するような奴だった。
たしかにそうだ、バブルの頃はそれが頼もしかった。いざと成れば最悪でも勝二と二人でカチ込めば何とかなるだろうと言う安心感があった。
だが今は令和なのだ。バブルはもう30年も昔の話だ。もうチャカやヤッパを手に物事を進める時代ではない、今はそれがスマホとパソコンに変わった。
「分かった」
「なあ兄弟、久しぶりにどうだ?銀座とか?」佐河が死んだのが嬉しいのだろう。
「ああ、考えておくよ」
龍二はそれだけ言ってスマホを耳から離し赤いアイコンをタップした。
龍二はスマホを机の上に置き、目を瞑って腕を組んで考える。
佐河の親父は金にがめつい男だった。金の匂いに敏感でどこからともなく儲け話を見つけてくる男だった。それは実に頼もしかった。二郎兄弟の暴力を自在に効果的に金に換えることが出来る男だった。
だがそんな金に聡い男も最後の最後でミスをした。これは佐河だけではない、ヤクザに限らずバブルを謳歌していた大半の者が陥ったミス、バブルなどと言う幻想からいつかは目を覚まさねばならないと言う現実だ。
佐河は仲田とか言うブローカーの口車に乗り組の金の大半を投資したのだ。そのタイミングでバブルと言う幻想は終わりを告げ佐河は大金を失い組も失った。いやタイミングが悪かったわけではないのだろう、
何れにせよ佐河の破産は避けられなかったのだ。
いつか来る幻想の終焉のタイミングを見定めることが出来なかったわけではなく、終焉など夢にも思っていなかったのだから。
そして組が無くなった後も佐河は佐河のままだった。
組は無くなっても佐河は二郎兄弟の親のままだった。いや、組はもう無いにもかかわらず佐河は二郎兄弟の親のつもりのままだった。
佐河は、まるで寝たきりになった親の世話をするのは子の務めだとばかりに二人に金の無心をし続けた。
龍二は佐河に金を渡しつつ、たまたま見つけたかつて世話してやった松にも金を渡し佐河の面倒を見るように言い含めていた。
乞食と言うものは二種類いる。
金を恵まれると頭を下げる者と、金を貰うともっと寄こせと顔を上げる者だ。
佐河は後者だ。手に負えなくなってきていた。
龍二には佐河が、なぜ貰った金で競馬やパチンコと言ったギャンブルに精を出すのかまるで理解が出来なかった。あれほど金の匂いをかぎ分けるのが得意で金儲けに聡かった佐河がなぜギャンブルなどに金をつぎ込むのか。
暇。それはもちろん理解できる。かつては自分に傅く手下が多くいたヤクザの組長だったが今は一人だ。
ギャンブルでたまに儲けることが出来るのはそれを思い出させる快楽なのだろう。
毎月毎月佐河に渡していた金と松に渡していた金を合わせると実に百万だ。
毎月百万の金。もちろん勝二にも負担はさせてはいたしかつての親だ。安くはないがかつての親なのだ、それくらいはいいだろう。
しかしだ。
受け取った金額の範囲内でそれをするのはいい、好きにすればいい。
だがパチンコ屋に目を付けられ遠隔操作されただとか、あのレースは八百長だとか言いながら入れ墨を隠そうともしないどころか見せつけるように会社にまで来られては面倒の見ようがないと言うものだ。
入れ墨を見せつけて金を引き出せるのはバブルの頃までだ。
毎月百万の金に加え社の業務を妨害されるとなると当然こう考えざるを得ないだろう。
忍谷に一千万払うのとどちらが良いかと。
幸い忍谷には連絡が取れた。だから依頼した。
龍二は机の引き出しを引き別のスマホを取り出した。
本当にいいのか?龍二は少しの間だけ悩んだが仕方がない。
龍二はスマホを操作した。相手はすぐに出た。
「どうも、忍谷さん。追加の百万は大丈夫です」
「ああ、助かりますよ」
「そこで、もう一つ依頼したいのですがね」
「うーん、私はもう引退するんで、言いましたよね?」
「ええ、分かっています。これが最後です」
電話の向こうの忍谷は少し考え込んでいる風だったが言った。
「いいでしょう、どなたです?」
「向井勝二」
龍二はそれだけ言って電話を切った。
龍二は忍谷と言う男と顔を合わせたことはない。いつも電話越しで常に声を変えていたのでどこの誰かも知らなった。今までは。
だが「あっし」という一人称を使う男。うっかり口にしたのだろう。
「あっし」と言う一人称を使う男、佐河を殺すのにここまで時間をかける男。そして色について考えさせてくれと言うと「よく相談して」と言った。勝二の存在を言っているからこその言葉だ、今回の依頼が龍二一人の物ではないと知っている言葉だ。
忍谷の正体はおそらく砂場だ。
砂場は佐河組の雑用係のような奴だった。組長に次ぐ年長でありながらも年下の組員にいつも小突かれ見下されながらもヘラヘラと媚びるような下卑た笑みを浮かべていた男。
当時は龍二も砂場を見下して飯や酒を奢っていたものだった。
だが今になって分かった。向井勝二と言う今は存在しない名前を伝えているにもかかわらずおそらく確認の連絡も来ないだろう。
砂場が忍谷だったのだ。
龍二はスマホを机の引き出しにしまった。
レモンイエローのスマホを。




