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第五十話 蔵井戸のスパーテクニクーで一瞬でイッてしまう崎谷くん

小田が恐る恐るにゆっくりとドアを開けると崎谷が横から手を伸ばし「さっさと開けろよ!」と乱暴にドアを押し開いて部屋に入って行く。

小田は今ならまだ「オレは帰ります」と言ってあの黒服を追いかければ何とかなると思いたかった。だが不思議と分かる、それは無理だと。蔵井戸さんか誰かがそれを許可しない限り俺はここから出れないだろうという事が分かる。いや、ここで俺は何一つ自分の意思で自由に出来ることなどないという事が分かる。それは崎谷も同じだろうという事が分かるんだが、崎谷にはそれが分からないらしい。


崎谷に続いて小田も部屋に入ると蔵井戸はゆったりとソファーに腰かけ、その横で一人の女が急いで服を身に着けているところだった。

崎谷は女を見て鼻で笑うが、小田はシャツを着て丈の短いジャケットを羽織ると急いで部屋から出て行く女を見ていた。

知ってる!名前は忘れたがグラビアアイドルだ、あまり売れてはいないが小田は知っていた。

あのアイドルがここで蔵井戸さんと何をしていたのか。まさか酌をしていただけではないだろう。小田は黒服に連れられて去って行く女性の後ろ姿を名残惜しそうに見ていたが、蔵井戸に「ドアを閉めてくれるかな」と言われ慌ててドアを閉めた。


崎谷はソファーでくつろぐ蔵井戸とテーブルを挟み置く椅子に座った。それは椅子と言うよりクッションの付いたただの円柱だった、キャバクラによくあるヤツだ。そんな椅子はもう一つあったが小田はとてもじゃないが座る気にはなれず、ドアボーイの様に突っ立っていた。部屋の中にはかすかな音量でレディーガガのポーカーフェイスが流れていた。

幸いにも蔵井戸はお楽しみを邪魔されたという感じではなかったし、久しぶりに会った友人に向けるような笑みを浮かべながらソファーにもたれかかったまま「どうした?」と言った。

怒りと痛みに震える崎谷はいびつな左手を掲げて単刀直入に言った。

「どうしたじゃねえだろ、これ見ろよ!!」

小田はそんな崎谷の態度を見ると現実に戻された。無名とはいえグラビアアイドルを侍らすことが出来る蔵井戸を羨ましいという思いは瞬時に吹き飛んだ。

「酷いな、痛そうだ」

蔵井戸はまるで興味なさそうに言った。

「で、それが?」

「それがじゃねだろ!!!あんたに頼まれてあの酒屋かなんかにちょっかい掛けたらこれだぞ!!!」

崎谷は蔵井戸の目の前に左手を突き出したがそれはとてもゆっくりとした動きだった。それはそうだろう、指が五本全て折れているのだ。

「そんなに大声を出さなくても聞こえる、静かにしろよ」蔵井戸はゆっくりと身体を起こし崎谷の無残な左手に顔を近づけて観察したが、すぐに興味を失ったかのようにソファーに背をもたれさせもう一度言った。

「で、それが?」

崎谷は痛みではなく怒りに歯ぎしりを嚙みギリギリという音が小田にまで聞こえた。

「ふざけんなよ!!あんなやべえ奴だったなんて冗談じゃねえ!!!」崎谷が叫ぶ。

「おい、崎谷・・」思わず小田が声を漏らしたが二人とも小田などには目に入ってはいないしその声も耳には入っていない。

「聞こえてるって、そんな大声出すなよ。な?あの酒屋がやべえ奴かどうかなんて俺が知るわけないだろ。知らねえからお前に頼んだんだからな。で、その指が何だっていうんだよ、俺に治せって言いに来たのか?俺は医者じゃねえけどな」

蔵井戸はそう言ってテーブルに置かれたグラスを手にし口にした。

蔵井戸が崎谷にグラスを掲げ「飲むか?痛みが和らぐんじゃないか?」と口角を上げながら聞いた。

「あんたが医者だなんて思ってねえよ!三万ぽっちじゃ割に合わねえって言ってるんだ!!」

また崎谷が大声を上げた。

小田は怯えたまま突っ立っている事しかできない。今すぐドアを開けて走って逃げ出したいがドアノブを掴んで右に左に必死に回してももこのドアは開かない気がする。それが恐ろしかった。ドアが開かなかったら?という現実を突きつけられることが恐ろしかった。それならまだ「開くかもしれない」という希望を維持するためだけにドアノブに手を伸ばさないでいる方が良かった。

蔵井戸が大きくため息をつき、両手を膝に突き立ち上がった。小田はそれを見てビクッと身体を震わせたが崎谷は威嚇するような顔を蔵井戸に向けている。

蔵井戸は部屋のコーナーテーブルからグラスを二つ取るとソファーに戻りテーブルにグラスを並べるとアイスペールから氷を取り出しグラスへと入れた。そして芸術品のようなクリスタルのデキャンタを傾けグラスを満たすとその一つを崎谷の前に差しだし言った。

「まあ飲めよ、多少の痛み止めくらいにはなるだろ」

だが崎谷は蔵井戸を睨みつけたままグラスに手を伸ばさなかった。

小田の耳に、こいつは俺の心を読めないという歌詞が届く。

蔵井戸はまた立ち上がって崎谷の背後に立った。そして言う。

「なあ、その指な見るからに痛そうだよ、でもここは病院じゃないからな。とりあえず酒でも飲んで落ち着けよ。少しは痛みがまぎれるかもしれないぜ」

蔵井戸は慰めるかのように崎谷の肩をもみ始めた。崎谷は蔵井戸に肩を揉ませているという状況に少しばかりの優越感を得たのか、蔵井戸が自分に謙っていると思ったのか自分に用意されたグラスに右手を伸ばし口にした。

「美味いだろ?それはそこらのキャバクラで出されるような中身より入れ物の方が高いなんて代物じゃあないからな」

そう言われて崎谷もグラスを掲げるようにして光に透かしその琥珀色の液体を眺めてから「ああ、確かに美味いな」と言いグラスをテーブルに置いた瞬間だった。

小田が、それがブランデーかウィスキーかは知らないがいつも焼酎ばっかりのお前に分かるわけないだろうが思った瞬間だった。

蔵井戸が崎谷の肩から手を放し左手で崎谷の顎を掴み引き抜きながら右手を押し込むように頭頂部に叩きつけた。

一瞬だ。ガキっという音と共に一瞬で崎谷の顎は上を向き、頭頂部はその肩より下にあった。

蔵井戸は今にも外れそうになった崎谷の首を両手で大事そうに抱えさらに力を込めると抱えられた首はきれいに上下さかさまになった。

蔵井戸が、ふう・・と息を吐き両手に抱えていた頭を放り捨てると崎谷は椅子から崩れ落ちた。

蔵井戸はまたソファーに座り胸元からスマホを取り出し操作し始めた。

「崎谷・・・おい、崎谷?」

床に倒れた崎谷は痛みを訴えることも、怒りをぶつけることもなく静かで微動だにしなかった。

これ、あれだよな。漢方だか気功だかで痛みを消し去るとかあるだろ?分からないけど、たぶんそうなんだろ?気を失うとかさ、なあ?

「崎谷?」

床に倒れた崎谷の首は三倍くらいに伸びている気がする。一瞬、崎谷が俺を見た。

蔵井戸がスマホをしまい言った。

「なあ、お前」

「な、なあ起きろよ崎谷。なあ」

「おい!聞こえないのかお前」

小田はビクッと震えて蔵井戸を見た。蔵井戸はまたグラスを手にし一口飲んだ。

「はい!」そう返事をしつつ小田は慌てて崎谷を抱え起こそうと近寄った。

ちゃんと椅子に座らせてやらないとと思ったのだ。

「崎谷、ほら」

「そいつはもう喋らねえよ、俺はお前に話してんだよ」

「は、はい!」

小田は床に倒れている崎谷を前に直立姿勢を取った。

「お前、名前は?」

「お、小田です」辛うじて答えることが出来た。もう一度足元の崎谷を見るがやはり全く動かない。

「うん、小田君な。俺はあまりイラつきたくないんだ。色々とイラつくことはあるけどな何度同じことを言っても理解してくれないのは本当にイラつくんだ。分かるか?幸いそいつはもう喋らないけどな」

「は、はい、はい!」

そう小田が怯えながら返事をすると蔵井戸がまたスマホを取り出し「ああ、頼む」と小さく答えると部屋のドアが開いた。

小田は、一瞬、帰れるのか!?と期待したがそこには例の黒服がいてキャスターの付いた大きな箱を引きずって部屋に入ってきた。黒服は箱を部屋に運び入れると蔵井戸に頭を下げてまた出て行った。当然ドアは閉められた。

蔵井戸が立ち上がり、小田がビクッと身体を振るわせたが蔵井戸は気にも留めずに運び込まれた箱にスマホをかざした。

ピーっという電子音がなり蔵井戸が箱の蓋を開けまたソファーに戻った。

またグラスを手にし口に運んだ。

「小田君、そいつをその箱に入れろ」

「え!?」

「そいつを箱に入れるんだよ、聞こえたろ?」

「え?なんで。え!?」

蔵井戸はグラスを手にしたまま首を傾げた。

「そいつを、箱に、入れろ」

「は、はい!はい!」

小田は慌てて動き始めた。その箱は見た目はどでかいクーラーボックスと言う感じだった。外装は白と青で中にビールやコーラでも入れてありここが浜辺だったらよほどデカいパーティーがあるんだろうなと言う感じだったが、箱の中身は空っぽでここは海辺でも河原のキャンプ場でもなく・・。

その箱はかなり大きく、崎谷の身体も何とか収められそうなくらいの大きさだった。

小田は動かなくなった崎谷に手を伸ばしその両脇に手を入れた。

「触んな!立てるよ!!!」崎谷がそう叫ぶの期待していたが崎谷の脇を抱え上体を起こすとその首はダラりと垂れ下がり崎谷は何も反応しなかった。

崎谷のいびつな左手に手を伸ばしその指を触ってみたが何の反応もない。さらに折れた指を摘まんで動かしてみたがやはり反応はない。

「いてえな!ぶん殴るぞ!」崎谷にそう言って欲しかったが小田の脳裏に聞こえたのはあの酒屋の「首の骨は一回しか折れないからね」という言葉だった。

代わりに小田の耳に届いたのは「急げとは言わないけどな、あんまりちんたらするなよ」と言う蔵井戸の言葉だった。

小田は慌てて崎谷の身体を抱え上げて箱に収めようとするが、箱に崎谷の身体を乗せようとしたところで箱は倒れた。箱は空なのだから当然だ。

蔵井戸がグラスをテーブルに置く音が聞こえ思わず目を向けると蔵井戸が首を傾けているのが見えた。

「すいません!」小田は横に倒れた箱に押し込む様に崎谷の身体を入れて箱を起こし、はみ出ている足を箱に入れた。

崎谷は頭を下に箱の中に逆さまに納まった。

箱の底から半開きの目で崎谷に睨まれている気がした。

「入ったか?なら蓋を閉めろ。服の端とかはみ出していないかよく見ろよ」

小田は崎谷を収めた箱の蓋を閉め、何もはみ出ていないことを確認し震えるように蔵井戸に何度も頷いた。

蔵井戸が立ち上がるとまた小田はビクッと身体を震わせたが蔵井戸はそんな小田を鼻で笑うだけで蓋のしまった箱にスマホをかざした。

箱はまたピーっという電子音を鳴らし、内部から微かな作動音が聞こえた。

蔵井戸は蓋の取っ手を引っ張りそれが開かないことを確認したのかまたスマホを取り出し「回収してくれ」と言いまたソファーに座った。

小田はいまにも箱の中から崎谷の怒声が聞こえてきそうな気がして、大麻でラリッた時に三角形の小さな箱に押し込められた記憶がよみがえってきた。崎谷もあの地獄を味わっている気がする。

ほら、崎谷。また怒鳴れよ。そうすれば箱を開けてさ、二度と大声を出すなって忠告する蔵井戸さんに二人で謝ろうぜ。なあ?おい・・・。

小田はじっと箱を見つめていたが、ドアが開き黒服が入ってきて崎谷の収まった箱を引きずって出て行くまで箱の中からは何一つ音がしなかった。

そして、またドアが閉まった。

小田は閉められたドアを呆然として見つめ思った。

ここがあの地獄なのか?


「小田、座れよ」

小田がまたビクッと身体を震わせながら振り向き椅子に付いた。先ほどまで崎谷が座っていた隣の椅子に。

「小田、声をかけるたびに毎回ビビるなよ、俺がイジめているみたいだろ。まあ飲めよ、酒は飲めるんだろ」

蔵井戸はそう言って先ほどまで崎谷が手にしていたグラスを小田の前に差しだした。

「え、これ。だってこれ崎谷の・・・」小田が思わずドアを振り返る。

「いいから飲めよ、アイツはもう飲まねえから」

飲むしかない。こんなところで酔いたくはないが飲むほかない。

小田はグラスを手にし口に運んだ。

「美味いだろ?そこらの居酒屋じゃあまず飲めないからな」

小田は味などまるで分らなかった。それどころではなかった。崎谷は・・・どうなったのか?あの箱は一体なんだ?

「美味いだろ?」蔵井戸が聞こえているのか?と首をかしげながら聞いた。

「は、はい!」

小田は慌てて答える。少しわかった、目の前の男が首を傾けるごとに自分も崎谷に近づくんだという事を。

理解したくはないが理解した。崎谷は死んだ。もしかしたらまだ助かる余地はあるのかもしれないが、あの箱は医者が待つ病室まで行くためのストレッチャーの代わりではないのだ。あの箱に入れられたという事はもう終わりなんだ。

「で、どうだった?」蔵井戸が少し前のめりになり小田に顔を寄せてきた。

「は、はい?」

また蔵井戸が首を傾けた。

「あのな、俺があの酒屋にちょっかい掛けてこいって頼んだんだ、分かっているだろ。崎谷の奴はやべえ奴だって言ってたよな。で、お前はどう思った?」

「いや、それは・・・崎谷のヤツ、指を折られて・・・」

「おいおい、酒屋は超能力者か?いきなりアイツの指が折れたのか?そうじゃねえだろ。なあ、今日は何時に起きてどっちの手で玄関のドアを開けて、一歩踏み出したのは右足か左足かなんて聞いてるわけじゃないけどな、いきなり指が折れたなんてファンタジーを聞きたいわけでもないんだ、分かるだろ?」

「は、はいはい!はい!」

小田は酒屋の二人を待ち構えていたところから崎谷が指を折られ涙を溜めながら逃げ出すまでを蔵井戸に話した。


蔵井戸は腕を組みソファーに身体を深く沈め暫し思案気にしていた。

「俺のことは話したのか?」

「いや、名前も言ってません!」

「うーん、岸の奴、面倒なのを味方に付けているようだな」

「き、きし?」

「お前の首を殴りつけた奴だよ。崎谷が相手をした方は後藤くんだ」

蔵井戸は腕を組んだまま、また考え込み始めた。小田はこの恐怖が少しでも誤魔化せればとグラスを手に酒をあおった。

グラスの中の琥珀色の液体はウィスキーだったが小田でさえこれが高級品だという事くらいは分かった。

まろやかと言うか、柔らかいと言うか・・・。普段は安物であってもウィスキーなど口にしない小田でさえこれがそこいらのバーや居酒屋で出されることなどないものだという事が分かった。

空になったグラスに蔵井戸がすぐにクリスタルのデキャンタに手を伸ばし小田のグラスにウィスキーを注いだ。

小田は酒を注がれたことに気を良くしてしまったのか聞くべきではないことを聞いた。

「崎谷は・・」

「ああ?お前も三万じゃ足りねえって言うのか?」

「いや!違います!そうではなくて・・」小田が聞きたかったのは、崎谷は指と首を折られて大変だろうがあとは自分で何とかしろよ、という言葉だったのだが。

「崎谷はよ、やべえ奴だ冗談じゃねえって言ってたけどな、俺はそれを調べてくれって言ったんだよ。やべえかどうかなんて俺が知るわけないよな?知らないから頼んだんだ、だろ?」

「は、はい・・」

「あいつには色々と頼んだよ、今回はきつかったみたいだけどな。でも楽なことだってあっただろ?お前はいつもあいつとつるんでいたんだろ?どうだ?」

「はい、まあ確かに」

小田は崎谷の「仕事」に付き合ったことを思い出す。美人局に加担した時は楽勝だった。ビビりきったサラリーマンを崎谷と少し脅すだけで五万も受け取ったこともある。

「だよな、でも今回は楽だったから金を少し返しますなんて言われたことは無いな。それなのに今回はきつかったから金を多めに寄こせって言うのは違うと思わないか?」

「え、ええ、そうかも」

「だよな。でな、崎谷はもういないし小田君に頼みたいんだ、もう少しあの酒屋の二人を調べて欲しいんだ」


崎谷はもういない。その言葉で小田は認めざるを得ない。

崎谷はもう死んだのだと。

そして首を縦に振らなければこの地獄の部屋から出られないのだと小田は理解した。

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