第二十一話 岸くんは立ち上がり仲間にしたそうに後藤くんを見ている
岸は橘京子の電車事故の記事が映ったパソコンの画面を見つめたまま考え込んでいた。
後藤と組んだ事で大きな問題をいくつも解決することが出来た、それは間違いない。
このイカれたゲームで後藤と組んだのは正解だった。それも間違いない。
では巻き込まれた後藤にとっては?おそらく正解だっただろう、おそらく。
岸は自分の、レモンイエローではなく赤い方のスマホに通知が来ていることに気が付いた。
スマホを手にしロックを解除してみると通知は和さんからのメールだった。時間は昨夜の深夜1時。店を閉めてから連絡をよこしたというところだろう。
しかし注文なら店の方にメールするはずだし、和さんは「昨日配達してもらったばっかりなのに悪いんだが・・・」なんて言ってくるようなのんびりした人でもない。
なにか緊急の用事か?とも思ったがなんだろうか?そうかミズサキのパーティーの日取りが決まったのか。岸はそう思ってフォルダを開いた。そこには昭和の男らしくただ一言だけ記されていた。
後藤は部屋に戻ったか?そう思い岸はドアを開けて自室を出た。探すまでもなく後藤の居場所は部屋を出るなり分かった。
階下の車庫からバイクのエンジン音が聞こえてきた。後藤がバイクにまたがり時折アクセルを捻るたびにバイクは大きく深呼をしていた。脇に止まったCX3からも大音量でImagine DragonsのBonesが流れていた。
ヴァルチャーに狙われている。俺は炎に焼かれてもやるべきことをやる。そしてベッドの上で闇を待つ。まだやるぜ、楽しんでいるか?やろうぜ、次のお楽しみだ。俺たちは感づいてるが、お前にもわかるだろ?俺はブッ壊れちまっているが俺の中にはとっておきがある。俺たちの魂は感じている・・・。
イカれた歌だ。
岸は車庫の開けっ放しのドア越しに後藤に声をかけた。
「出かけるのか?」
バイクにまたがったまま後藤は振り返った。
「いや、たまにはエンジンをかけてやらないとな」そう言いつつアクセルグリップから手を離した。エンジンは深呼吸を止め乾いた破裂音の様な軽い音を立てていた。
「うるさかったか?」後藤は少しばかり申し訳なさそうな顔をした。
岸がここに来てから二年になるか?だが一度たりとも後藤は「ここは俺の家だ!」なんて素振りは一切見せない、そんな言動は一度もない。
「いや、大丈夫だ」
シャッターは開いていたが車庫はバイクの排気ガス、後藤の言う「これぞ2サイクルの匂い」で満ちていた。岸にはいまだに後藤の言う2サイクルエンジンと4サイクルエンジンの違いと言う物が分からなかったが本当に排気ガスの匂いでエンジンの仕組みの違いなど分かるのだろうか?岸はそれを信じたことはなかったし、そう言う事がバイク好きだと言うアピールなのかとも思ったが、だからと言ってもどう違うのかと問い詰めるように聞くこともなかった。
岸は時折エンジンを吹かす後藤を見ていた。先に根を上げたのは後藤の方だった。
「どうした?」岸は先ほどのキッチンでの後藤を思い浮かべ「どうした?」ってこともないだろうと思いつつも本題を口にした。
「和さんからメールが来てさ」
「あ?お前のところに?」なぜ?という顔で後藤が返す。
「蕎麦食いに来い。だってさ」
「お前!そういう事は直ぐに言えよ!今か?今行くのか?」後藤は瞬時にエンジンを切りバイクを降りた。
「今なわけないだろ、朝飯くったばっかりだろう?今日の夜だろ」
後藤の奴は和さんの作る飯が本当に好きだ、本当に美味そうに食う。まあ確かに和さんの飯は美味しい、それは間違いない。それに隣で飯をあんなに美味そうに食う奴を見ているとこっちまで楽しくなってくるくらい美味い。だがあれはやはり居酒屋飯で後藤の作る飯とは違う。それに蕎麦は・・。和さんの蕎麦はまあ美味いが居酒屋で食う物か?というのが岸の率直な感想だ。
だが後藤は和さんの蕎麦に、まさに目が無い。
「ちょっとくれよ」なんて絶対に言えない、まあ言うつもりもないが。
後藤が和さんの作る飯で文字通りに目をなくすのは蕎麦、卵巻き、あと一つは何だったか覚えていないが、後藤が和さんの作る飯で何が一番好きかは分かる、絶対に卵巻きだ。
和さんはそう、寿司を握れる。見様見真似なんてもんじゃない、しっかりとした寿司を握ってくれる。でもそれは日常ではなくて、特別な日。つまりパーティーの日だけだ。しっかりと厳選したタネを用意してきて抜群の寿司を握ってくれる。その日だけは外人たちもカウンターから離れようとしなくなる。
誰もがマグロやイクラ(もちろん和さん自らの仕込んだイクラだ)煮アワビ(もちろん・・)と言った豪勢なネタに飛びつく中、後藤が誰にもやらないとばかりに意地汚く守り、隠し通して食べているのが和さんの巻いた卵巻きだ。あんまりに美味そうに食っているもんだから一個くれよと言っても「お前が作ってもらえよ」というくせに、こっちで作ってもらうと「お前、どうせそんな好きじゃないだろ?」と言って手を伸ばしてくる。和さんの巻く卵巻きの前では後藤の奴が珍しく子供っぽくなる。
そんな後藤が和さんが作る居酒屋飯で卵巻きの次に好きなのが和さんの蕎麦だ。近所の蕎麦屋から貰った蕎麦とスーパーで売っているような当たり前のめんツユで食べるだけの蕎麦だ。俺は正直後藤の奴がそんな蕎麦になんでそこまで必死になるのかは理解しがたいし、やはり外人たちもほとんど興味が無い。
バイクの排気ガスの様に通ぶりたいだけじゃないのか?というのが岸の本音だ。だがもちろん余計なことは言わない方が良い。後藤の奴はいつも美味い飯を作ってくれるし、俺がピザのデリバリーを頼んでも文句一つ言わない。
「そっか、それもそうだな。じゃあ夜まで暇だし久しぶりにバイクで出かけるか?」後藤はそう言って再びスターターを踏み抜いてバイクを生き返らせた。
「どこに行くんだよ」岸が返すと後藤は「そりゃあ、いけ・・・」と言って少し固まった。
「ちょっと走ってくる。メット取ってくれるか?」
岸は棚にあるヘルメットを手に取り後藤に放った。
「サンキュー!」後藤はヘルメットを受けとった。
「どこに行くんだ?」
「そうだな、環状でも回ってくるよ」
環状。首都高の一番内側の環状線、C1の事だ。後藤のバイクは125CCだから本来ならばピンク色のナンバーだが一つ上の中型バイクに相当する白いナンバーを付けている。
「気を付けろよ」岸は色々と含めたつもりで言ったが後藤もそこいら辺はくみ取ったようだ。
「ああ、ありがとう、気を付けるよ」後藤はそう言ってからヘルメットを被ると顎ひもをしっかりと締め勢いよく走りだして行った。
岸は再び自室にこもりまた考え込んでいた。
あの時、後藤を助けて正解だった。いや、助けてはいない。後藤は自力であの男を殺したんだ、俺は何もしてはいない。
あの時、後藤の家、ここエビス屋に向かった。そして俺は後藤をこのゲームに巻き込んだ。俺が後藤をこの狂ったゲームに「誘う」という決定をしたから後藤はまだ生き延びている。それで後藤に感謝しているかと聞いたことは無いし、後藤から感謝していると言われたこともない。
ただ、あの時から全てが上手く回りだした。エビス屋のバントラックは死体を運ぶのに最適だったし、ボディボックスは問題なくエビス屋の勝手口に設置できた。何より二人組と言うのが何よりの強みになった。
どちらか片方が背後から狙われていたとしてももう片方がその背後を狙える。
だが、このイカれたゲームで仲間を作ろうと思うのはよほどの馬鹿だ。背中を任せることが出来るような仲間を作ることは不可能とさえ思える。背中を任せた相手がナイフを構えて振り向いてくる可能性は目を瞑れないほどに高いだろう。最初のうちはいいだろう、うまくいくかもしれない。だがゲームを進めれば進めるほど、こちらに背を向けている相手にナイフを突き立てたくなる欲求は高まるだろう。簡単に、容易に大量のクレジットが手に入るのだ、仲間などありえない。
ではなぜ俺は後藤を誘ったんだ。あの時に後藤を殺していれば二人分のボーナスを手に入れることが出来た。肥え太らせて刈り取るつもりだったのか?違う、俺は・・・。
後藤はこのイカれたゲームにすぐに順応した。もちろん二人で初めてここエビス屋に来た日は岸が何を言おうとも半信半疑、いやほとんど信じなかった。それは当然だ、岸もそうだった。
しかし、翌朝になっても、次の日を迎えても公園に放置した他殺体が見つかったというニュースが一切流れないことでこのイカれたゲームが現実であると思わざるを得なくなった。
それも岸と同じだったが後藤は岸の説明の範囲でこのゲームのルールを理解しすぐに覚悟を決めたようだ、それが岸との違いだった。
次の週までに後藤は無料の死体処理の権利を使い切った。もちろん二人がかりだった。岸が囮となり後藤が仕留めたし、後藤が狙われたときは岸が敵の様子を伺いそれを逐次後藤に報告することで後藤は容易に敵を返り討ちにした。無料の権利が有効化されるための条件がはっきりとは分からなかったので岸の関与は出来るだけ減らす必要があった。
しかしそんな杞憂は直ぐに消え去った。後藤は二人を仕留め無料の死体処理の権利を使い切りこれからは殺した相手の死体をエビス屋に持ち帰りボディボックスを使用する必要が生まれたからだ。
一人が囮になりもう一人が背後から襲うという必殺のコンビネーションが生まれた。死体はバントラックでエビス屋へと運びボディボックスに納められる。死体が収められたボディボックスはプロパンガス業者がガスボンベを交換するように中身の入っていない新品と交換してくれる。
常に二人のどちらかが「アンチ」を作動させ敵の「サーチ」を検知する。二人ともサーチされたとしてもどちらかが即座に「アンチ」の高位アイテム「インビジブル」を作動させる。
「インビジブル」これは文字通り姿を消すアイテムだ。一定時間「サーチ」されることを防いでしまう。通常の「アンチ」に比べて効果時間はかなり短い。だが背後から襲うには十分な効果時間がある。直ぐに岸もエビス屋に住む様になり二人は順調に殺人を重ねた。このゲームに於いて二人組と言うのはものすごいアドバンテージを持つ。例えばパソコンでFPSのバトルロイヤルゲームをしているとしよう。目の前に現れた敵と共闘しようと手を振る奴はいるだろか?いたとしてもそんな奴は3秒後にはリザルト画面を見て自分の愚かさを痛感し次のゲームをスタートするだろう。よほどの強者なら手を振ったところを攻撃されても即座に反撃し敵を圧倒することが出来るかもしれない。だがそいつを仲間にするメリットはあるのかと言えば全くないだろう。先手を取らせてやったのに足元にひざまずくような弱者に手を伸ばす奴がいるか?普通ならとどめを刺すだろう。
それにパソコンのバトルロイヤルゲームと違いこのイカれたゲームには「次のゲーム」は無い。つまり仲間を作るというのはほぼ不可能なのだ。
そして後藤のこのイカれたゲームに対する適応力は頼もしいどころか恐ろしいほどだった。二人目の敵を僅かに躊躇したようだが難なく殺した。もちろんそこで躊躇しては囮になっていた岸に危険が及ぶという理由もあっただろう。だが殺人なのだ。
後藤はさらにエビス屋のそれほど多くは無い在庫の保管場所であった半地下の倉庫を「捕えた敵からパスワードを聞き出す部屋」へと変えた。後藤はあの部屋で敵を脅し、時に切り刻み、時に殴り潰し、うまくいけばだがパスワードを聞き出しボーナスを得るようになった。後藤は敵が女であったとしても容赦はしない。男と同じように扱う。レイプなどしない、女も男も同じように切り刻み殴り潰す。後藤は冗談交じりに「これこそが男女平等」だと言った。しかしあれほどまでに慣れるものだろうか?
岸の心には常にそれが棘のように刺さり気になっていた。だがそれが今日、少しわかった気がする。あいつは橘京子を失ったことで心のどこかに狂気を抱えたまま生きてきたのだろう。目の前で最愛の人が砕け散るのを見たのなら、そしてそれが少しも癒えていないほど脳裏に焼き付いているのなら自分の命を狙ってきた赤の他人など容赦なく拷問し殺せるのかもしれない。
そうして二人は順調にこのイカれたゲームに馴染み殺人を重ねてきた。だが二つの大きな懸念が浮き上がってきた。一つはこのイカれたゲームはいつ終わるのかという事だ。目的もゴールも表示されない。いつまでどこかの誰かに命を狙われ、そいつらを殺し続ければいいのか?
後藤は終わるまで続けるしかないだろうと言った。そのうちにラスボスとか最終ミッションでも出るんじゃないかとも言った。
お前は平気なのか!?それは岸の口からは言えなかった。このイカれたゲームに後藤を巻き込んだのは岸なのだ。あの時、あの公園で岸は後藤を殺すことが出来た。だがやらなかった。岸は後藤の前に姿を現さずそのまま立ち去ることもできた。そうしていたら後藤は警察に通報して・・・。いや、しなかったとしても別の誰かに殺されていただろう。
あの時、あの公園で岸が後藤の前に姿を見せたからこそ後藤は生きのびて今も殺人を続けている。
それは俺のおかげなのか?いや、おれのせいなのか?
このゲームはいつ終わるのか分からない。ハッキリと言えるのは、死ねば終わるという事だけだ。
もう一つの懸念、それがハックエイムの連中、ハッカーズだ。




