1-1. 自由都市ミッテブルック
いくつかの町を経て三日後、ふたりは目的地である自由都市、ミッテブルックにたどり着いた。
この街は彼らが暮らす国、ウェンドランド王国と隣り合うハルラント王国の国境に位置する。小川一本で国を分けている両国だが、関係は非常に良好でそもそも国境らしい物がない。それもそのはず、両国の王家は親類同士。建国の祖が兄弟であったと伝えられる。
このミッテブルックはその名の通り、もともとは一本の小さな橋からその端を発する。それぞれの王都からほぼ中間の距離にあるこの川を国境と定めてからというもの、この橋近辺で野営する者が増え、やがて小さな宿が立ち、食べ物を出す者が現れ、道具を売る者、乗り合い馬車など足を売る者などが集まりだした。
周辺に有力な貴族も居なかったため、比較的自由に発展してきた経緯がある。そのため街の存続には危機も少なからずあった。
街というものは基本的に富の源泉だ。そんなカネのなる木に貴族という強力な力が及んでいない。それは誰の目からも、とかく魅力的に見えたことだろう。当然のように多くのならず者がこの街を我が物にせんと、その食指を伸ばしてきた。
そのたびに両国は兵を出し、それらを退けてきたが、つい十年ほど前から都市伯を置くようになった。川をはさんだ両国の領土内を、それぞれ管轄する二名の貴族だ。それからというものならず者共はパタリと鳴りを潜め、それぞれの都市伯の運営のもと順調に発展を続けている。
都市伯は王宮の宮中伯が任期を与えられ、派遣されてくる文官だ。土着ではない。実質は衛兵隊が治安維持をしているので、文官でいいらしい。そういった点からも、この街がいかに平和なのか、そして両国が彼らの自主性をどれほど尊重しているかが理解できるというものだ。
したがって普段は軍ではない、衛兵が町中に数多く立ち、街角の平穏を保っているのだ。
そう、例えばこんなふうに。
「あん? 仕事はどこで斡旋しているか、だと?」
軽鎧をまとった衛兵が、少年に尋ね返した。彼は軽く頷く。
「口入れ屋があるにはあるが――だがお前さん、年はいくつだい」
衛兵は少年に不躾な視線を浴びせる。何度も顔を上下に振り、少年の資質を推し量ろうとする。だが彼の様子からして、一人前の男、労働力として見ていないことは明白だ。
「十五です。先日成人しました」
にこやかに、しかしまっすぐに少年は答える。その返答に衛兵の顔がくしゃりと歪んだ。
「なんだ、まだ毛も生え揃ってねえガキかよ」
「ちょっとアナタ、ルイス様に向かって失礼な。それに毛はしっかり生えております!」
今度は少女――エレナが鼻息荒く衛兵に突っかかる。しかし相手も心得たもの、多少のことには動じない。それどころか面白い物を見つけたように、ただでさえ細い目をさらに針のように細め笑い出した。
「は? ルイス『様』? あっはっは! ガキの上にお坊ちゃまと来たか。悪いことは言わねぇ、早く帰んな。ママのおっぱいが恋しくなってきたろう? それともこの嬢ちゃんに面倒見てもらってんのか?」
「母は幼い頃に他界しました。私は父から廃嫡された身。帰る家はありません。それに彼女はそういう者ではありません。同時に暇を出されたので二人でここに」
ルイスは淡々と語る。と、ここで先程まで笑っていた衛兵はバツが悪くなったのか、笑うのをやめ探るような表情をした。
「なんでえなんでえ。訳ありってことかよ。だがよ、どのみちお前みたいな裏なりのヒヨッコは、口入れ屋じゃ相手してくれねえよ」
「そんな。……ルイス様」
エレナが心配そうに胸元で手を組み、ルイスに向き直る。
ルイスは悔しそうに視線を下げ、エレナは彼の手をそっと取る。そんな様子にいたたまれなくなったのか、衛兵は頭を乱暴にかきむしると大きなため息を一つ付き、言葉をついだ。
「っち、しようがねえなあ。……俺の知り合いの旦那に口を利いてやらあ。だがそこまでだぞ」
「あ、ありがとうございます、恩に着ます!」
「へ、まぁ礼は上手くいってからでいいぜ。そん時に一杯奢ってくれりゃあそれでいいからよ。……さ、こっちだ、ついてきな」
衛兵は隣の男になにやら声を掛けると、ルイスに向かって首をしゃくった。
「あらまぁ、随分お人好しだね、ニッキー先輩は」
もう一人の衛兵がからかうようにいう。ニッキーと呼ばれた男は、その返事代わりに衛兵の尻を蹴り上げる。ギャッと一声鳴いて衛兵が跳ねた。
「うっせ、ちゃんと見張ってろよ。……ほら、行くぞ」
彼がさらに親指を指して二人を促す。
「あ、ありがとうござ、うわっ。……な、なんだよエレナ。急に引っ張らないでよ」
お礼を言ってついていこうとするルイスの首辺りをエレナが不意に引っ張る。
振り返るともの言いたげな目の彼女と目があう。意外と近くに彼女の端正な顔があってどきりとさせられる。
「大丈夫なんですか、あのお方」
「うーん、っていっても他にアテがあるわけでもないし、イザとなったら逃げればいいでしょ」
へらりと笑うルイスに、エレナは危うく暴言を吐くところだった。
(ああもう、なんてお人好しなの!?)
ぐっと言いたいことをこらえ、十分に貯めた後、彼女は盛大にため息をつく。
「はぁっ。もうっ、どうなっても知りませんからね」
「心配性だなぁ。大丈夫、エレナのことは僕が守るから」
「っ! そういうこと言ってるんじゃないです!」
さっと頬を朱に染めたエレナは、ごまかすためについ大声で叫んでしまう。
そんな様子にニッキーは振り返るなり呆れ声を出した。
「なんだ? 痴話喧嘩なら後にしてくんねぇかな? こう見えて俺ぁ忙しい身なんだけどよ」
「すみません! 行きます!」
ルイスが駆け、エレナが一度首をがっくり折ってから「ルイス様待ってください」と、遅れて駆け出した。
「とても活気のある街ですわね」
「ああ、そうだね」
「あら? あれは花屋でしょうか。伯爵領ではめずらしいのに。すてき」
「ああ、そうだね」
ひとブロック歩いただろうか。なにか思い出したようで、先ほどからルイスが柄にもなくソワソワしている。エレナの問いかけにも上の空だ。
「……エレナってかわいいよね」
「ああ、そうだね」
いよいよもってこれはおかしい。エレナは実力行使に出ることにした。
「ルイス様。……ちょっと、ルイス様!」
「え、あ、なに?」
「先ほどからどうして上の空なんです? 私との会話はそんなにつまらないですか!? そうなんですか!?」
「え、や、違う、それはちがう」
「じゃあ何なんです!?」
エレナの問いかけにバツが悪そうに視線をさまよわせていたが、彼女の形相に「ひっ」と声を上げたあと首をすくませ目を閉じた。
そのまましばし身震いをしていたが、やがて観念したように息を吐くと、頬を染め小声で彼女にたずねる。
「ね、エレナ。あの、その……いつ、見たの?」
「はい?」
「いや、毛のこと」
「……それ、わざわざ聞くことです?」
ため息をつきつつ、エレナは彼の頭を指さす。
「誰の目からみても、ルイス様の御髪がふさふさなのは明らかではございませんか」
随分疲れた表情のルイスとそれを不思議そうに見るエレナは、その調子で更にひとブロック歩いた。
職人街に入ったかというところのすぐにある一軒の店に案内された。入ってわかったが、ここは店というよりむしろ何かの事務所だろう。机や椅子が雑然と置かれた室内の、その一番奥に無精髭を生やした男が座っていた。
挨拶もそこそこに衛兵のニッキーがひととおり経緯を話す。律儀にも、最後まで無精髭の男は黙って彼の言葉に耳をかたむけていた。
「まぁ、話はわかった。で、ニッキー。それでお前、俺にどうしろってんだ?」
簡素な事務机に座った二十代後半といった無精髭の男は、タバコの煙を吹き出しながらニッキーを睨みつけた。