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0-4. 二人の食事

「――けど、まさか翌日には出ていけと言われるとは思わなかったなぁ」


 宿屋の食堂でパンをかじりながらルイスはこぼした。これは黒パンというのだろうか。どうにも舌触りが悪く、固い。しかし噛むたびにうまみが染み出るような感覚。これは麦のうまみだろうか。ルイスは初めて食べる黒パンの食感に心を奪われた。


「……あの、申し訳ございません」

 そんなルイスとくらべ、対面に腰掛けるエレナは、しょんぼりと元気がない。


「何が? そんなことより食べなよ。おいしいよ? ちょっと酸っぱいけど」


 最初、ルイス様が食事を終えられてからいただきますと固辞するエレナを、対するルイスが宿の人に迷惑だからとなだめすかしにかかった。


 しばしの押し問答ののち、ようやく観念したらしい。エレナは短くため息をつくとようやく対面に腰掛けたのはついさっきだ。


 もはやあきらめがついたのか。失礼しますと小さく会釈してから、彼女はバスケットからスライスされた黒パンを一枚取り出し、ラードをぬり始める。


 かと思えば彼女の手はすぐに止まった。うん? とルイスは彼女を見上げる。


「……だって」

「ん?」

「だってルイス様が家を追放された原因を作ったのは、その、私ですから」


 パンに視線を落としながら申し訳なさそうに口ごもるエレナ。シャカシャカと乱暴に塗り終えるその様子に、ルイスは軽く息を吐いて苦笑いする。


「いや、エレナのせいじゃないよ。あれはほら……そう。きっかけに過ぎないから」

「きっかけ?」

 エレナはパンをちぎる手を止め、首をかしげる。


「うん。もとからあの人たちはいつか僕を追い出すつもりだったんだよ」

「……そうなのですか?」


「そうさ。母さんの血を引くガードナー家直系の僕がいては、色々都合が悪いからね」

「そういうところ、案外ドライですのね」

 肩をすくめて笑うルイスをちらと見て、エレナはスープに浸したパンを口に入れた。


(お気遣いありがとうございます、ルイス様)

 エレナは心の中でつぶやいた。ちらと彼を見ると、困ったように頭をかいている。

 そんな仕草も、とてもいじらしい。


「そんなことより、どうして君まで出てきちゃったんだよ」

 ルイスがひとつ咳払いをしてからお茶のカップを傾け、片目を開いて彼女に問いかける。


「私だけではございません。奥様に仕えていた使用人の()()()が、クビになったのですから」


 エレナがいう『奥様』とは一貫してルイスの母親であり、今の継母のことではない。


 エレナは八歳のころ、彼女の母親に連れられる格好で伯爵家で暮らしていた。昔からメイドとしてガードナー家に入っていた。


 エレナの父親は先の戦争で不幸にも命を落とした。年が同じ(ルイス)がいたことも手伝ったのだろう。働き手を失った親子を見かねたルイスの母親が、住み込みの働き口として誘ったのだ。


 それ以来ルイスとエレナは、幼馴染として共に学び、遊び、まるで双子の兄弟のように過ごした。しかしあまりにも身分が違う二人。そんな時間は長く続くはずもなく。物心つく頃には二人は自然と距離を置くようになった。


 そんな二人の母親はいずれもすでにこの世にない。天涯孤独の身となったエレナは、放り出されたら行き場がないと子供ながらに思ったのだろう。健気に伯爵家でメイドとして働き、立派に勤めを果たしていた。


「あれ、でも確か君は」

「ええ……残っても良いといわれました。けれど想像してみてくださいまし。()()()ことがあった後であそこに残って、無事に勤め上げられるとはとても」

「まぁ、そうだよね……」


 あの様子じゃ即日手篭めにされて、妾以下の扱いを受けるのは目に見えている。

 とはいえ、街に下りたところで成人したてのメイド崩れに、働き口などあるだろうか。


「エレナは、これからどうするつもりなんだ……?」

「とりあえず食堂や酒場の給仕を探してみようかと思います。お針子も考えたのですが、裁縫はそこまで得意ではないので……」

 そこで言葉を切って、エレナはフォークを置いた。


 ルイスは押し黙った。そんなにうまく働き口など見つかるわけがない。何よりこれだけの器量だ。きっとすぐに騙されていかがわしい店に連れていかれることは容易に想像できる。


 なんと言葉をかけようと、ふとエレナを見やった。彼女は先ほどからスープの皿を見つめ、口を真一文字に結んでいる。


 ルイスは自分を恥じた。


 ――ああ、そうじゃないか。気づくのが遅すぎるだろう。

 彼女からは何も言えない。言えるはずもない。きっと彼女は期待している。自分が誘うことを。もしかしたらうぬぼれかもしれない、勘違いかもしれない。けれど言って違ってもそれでいいじゃないか。


 しかしいま、自分がそれを言ってもいいのだろうかという逡巡が同時によぎる。なにせ彼女には今、行き場がないのだ。自分の誘いを彼女はきっと断らない。いや、断れない。いまなら「君が好きだ」と好意を打ち明けても、彼女は黙って受け入れるだろう。だがそれはあまりにも迷惑で卑怯な話だ。そんな()()で従者としてついてきてくれている彼女は縛れない。


 けれどそれらをおしてもなお、これだけは今、言わなければ。自分は多分一生後悔する――


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