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0-3. 貴族の矜持

「いや、たすけて! だれか!」


 客間のカーテンは厚く閉じられていた。薄暗い部屋のベッドに膝立ちの義兄がこちらを振り返る。

「……エレナ!!」


 そしてその奥、ベッドには絹のようなあの美しい金髪が乱れ流れている。その頬に光るものを見て、あっという間にルイスは我を失った。


「ダミアン、貴様ぁ!」


 ルイスは部屋に飛び込む。


「なんだ兄に向って貴様とはぶはぁ!?」


 勢いそのままダミアンの脇腹を警告なしで蹴り飛ばす。ダミアンは受け身もとれない。ベッド脇のスタンドもろとも床に叩きつけられた。派手な音が響き渡る。遅れてスタンドの部品が彼の頭に落ちて間抜けな音を立てたが、そのまま動く様子はない。


「エレナ、無事か!?」

 ルイスが声をかけるなり、エレナは涙をこぼしながら彼に駆け寄り、その胸に飛び込んだ。


「え!? エ、エレナちょっと」

 あまりに勢いよく来たのでルイスは若干よろけたが、しっかり彼女を抱きとめた。


「あ、あ、ルイス様……わた、わたし……怖かった……急に、ダミアン様が……」

 きつく抱き着いてくる彼女を慌てて引きはがそうとするが、小刻みに震えている彼女に気付く。それからは力を抜き、彼女の好きにさせるに任せた。包み込むように抱き寄せ、そっと髪をなで続ける。


 彼自身の中で燃え盛っていた怒りの感情が下火になるころ、エレナの腕に込められた力が不意にぬけた。

「あの、ルイス様。もう、大丈夫です。その……ありがとうございます」


 エレナも少し落ち着きを取り戻した。身を離し、随分しおらしくなっている彼女を改めて見たルイスはハッとする。ダミアンにやられたのだろう。服が乱れ、肌が見え隠れしている。ルイスは慌てて上着を脱ぐと彼女に押し付けた。


「どうされました、ルイス様?」

「ば、ばか。前。その、服がそのままでは、マズイというか」


 真っ赤になって顔をそむける彼の様子に合点がいったのか、エレナの顔もみるみる赤くなっていく。


「あ、ありがとう……ございます」

 彼の服を受け取ってしばらく呆けていたが、やがて服を胸にかき抱くと、彼女はそのまま服に顔をうずめた。


 そのまま彼女の私室に連れ帰り、その足で家政婦(ハウスキーパー)のもとへ向かった。エレナがバカ義兄に襲われたと伝えるためだ。するとミセスは硬い表情のまま頷き、彼女の様子を見てくるとその場を後にした。


 その数時間後だった。

 ルイスは父――ガードナー伯爵から短く一言、こう告げられた。

「お前にはしばらく謹慎を命じる。外出はまかりならん」

 と。


 ぐらりと傾いだ視界を何とか支えて、ルイスは口を開いた。


「仰る意味がわかりかねます」

「将来伯爵家を担う兄に盾突くこと、その意味を分からぬわけではなかろう」


 父の脇に控える義兄……ダミアンをちらと見る。脇腹をさすりつつルイスをにらむ。


「弱き者たった一人救えぬものが、多くの民を導く貴族となりえましょうか」

「メイドは民ではない。家臣だ。主人の意向に逆らうなど、あってはならん」


 そういいつつ伯爵は机からなにやら木箱を取り出し、その蓋を開ける。独特の香りがすぐに部屋に広がってルイスは顔をしかめる。タバコだ。彼は昔から、この匂いが苦手だった。


 ルイスのことなどお構いなしに、伯爵は喫煙の準備を始める。その様子にいら立ちを感じるが、気を取り直しさらに訴えかける。


「家臣である前に、我らの領民です!」

「くだらんな。では()()でもよい。お前は一人の領民を救うために、将来ある一人の貴族を加害したというわけだ。その軽重、誰の目からも……明らかだと思うが」


 伯爵が箱の中を何やら探る様子を見せたが、目的のものが見つからないようだ。


「ダミアン。悪いがそこの棚から巻紙を出してくれるか。……ああ、リコリスを」


「どちらに義があるかは、明白だと思いますが」

「そんなものはどうでもよいのだ」

 伯爵は面倒くさそうに手を振った。義兄から差し出された巻紙を受け取ると、器用にタバコを拵えていく。


「どうでもよい? (たっと)き者の言葉とは、とても思えません!」

 その言葉に伯爵の手が止まる。


「よもやお前に貴族の何たるかを説教されるとはな……いやはやこれはもう、はっきりさせねばならぬようだ」


 再び働き出した伯爵の手は、慣れた手付きでタバコを仕上げる。

 口元に寄せ火を付けると、すい、と一口吸ってから一気に煙を吐き出す。その様子をルイスは黙って見つめる。

 再び上げたその表情は、凍てついたように氷の雰囲気をまとっていた。


お前(ルイス)は我がガードナー家にはふさわしくない者のようだ。いや、本当に残念だ」

 そういってやおら立ち上がるや、背後の窓に向き直る。外はすっかり暗くなり、月がじわりと山から顔を出していた。


 やがて発せられる、背を向けた父からの短い一言。

「――屋敷を出ていけ」


「そんな! どちらに正義があるかは明白でしょう。なぜそのような」

「正義など」

 ルイスの言葉を、冷たく遮る父。


「人の数だけ存在するのだ。――勘当はせめてもの温情だ。この言葉の意味、わからんわけではあるまい?」


 悔しいがその通りだ。伯爵である父は権力者。中央の判事などにも顔が利いたはずだ。以前家令のニックと帳簿の整理をしている際も、少なくない額がいずこかに流れているのを目の当たりにした。それも一度や二度ではない。二人で帳尻を合わせるのが大変だった。


 このカネはなんだと、一度だけニックに尋ねたことがある。

 すると彼は静かに首をふり、「世の中には知らなくてよいこともあるのです」と寂しく笑ったが、まともなカネだとは到底思えなかった。


 正義は人の数だけ存在する。それはつまり、抵抗しても勘当より悪い結果を招くことになるだけということ。ルイスは黙って頷くしかなかった。


 話し合いは意味をなさなかった。将来伯爵家を担う義兄といちメイド。どちらが大切なのか。それすら解さない者はこの家には必要ないと。


 父の脇に控える義兄のいやらしい笑み。ルイスは二度と忘れないと固く心に誓った。


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