2-10. とある貴族の懐事情
「最近厨房の支出が多くなっているのはどういうわけか」
ルイス達とはうって変わり、こちらは穏やかならざる空気が場を支配している。
執務机でしばらく帳簿を眺めていたジェミーは、手に持った帳簿を左手の甲で乱暴に叩くと机に放り投げた。帳簿が落ちる音に、机の前に直立不動の初老の男が眉を寄せる。
不機嫌そうに鼻を鳴らすのはジェミー・ウィリアム・ガードナー。ルイスの父、ガードナー伯爵その人である。
「は。どうやら先代の家令と家政婦、それに……ご子息がとても優秀な方々であったらしく、かなり倹約をされていたようで」
初老の男はつい最近雇われた新たな家令だ。ジェミーの妻――例の後妻だ――の遠縁だという。
「ふん。それはすなわち、お前自身無能だと言っているようなものだぞ」
「ふむ。それは困りましたな」
そのようなこと、露程も思っていないのだろう。涼しい顔で困ったといったところで、主人の苛立ちをいたずらに増やすだけであることに、気づいているのかいないのか。
「無能は我が屋敷に必要ないぞ。……そうだな。では以前と同じようにすればよいであろう」
「はい。それも考えました。ですが彼らは出入りの商人にも顔があったようで、今はなかなかこちらの要望にも応えてもらえない状況でございます」
面倒くさそうに受け答えをする主人に、この家令は変わらず淡々と応対する。人間ができているのか、はたまた単に受け流すこととしているのか。すました彼の表情からそれをうかがい知ることはできない。
ジェミーは小さく舌打ちをする。
「では新たな商人と取引すればよかろう。良い条件で取引するなら、今の商人は切って新たに取引をしてやる、とでもいえばよいだろう?」
そんな簡単にいくわけがないだろう。家令はそんな悪口をおくびにも出さず、かしこまりましたと一礼を返す。
「次に領民や商人が、困りごとの解決を願い出てきております」
「それもいつも通りやればよかろう。いちいち私に」
「いえそれが。ダミアン様などにご対応いただいているのですが、うまくないようでございます」
「領民ごときの悩みが、そんな高尚なものか。本当に手を煩わす程なのか?」
「以前の対応の記録をもとにご指導いただいているようですが、見様見真似では難しいようです」
「ふん。まぁいざとなれば領民の悩みなど、放っておけばよい」
「そういうわけには……ああ、そういえば領民の一人が気になることを」
「なんだ」
「はい。『ルイス様はよく本の内容を引用されてご指導くださった』と」
「本? ああ、確かにあやつは本の虫だったが……そういえば、あやつがよく読んでいた本はどこにやったか」
「もしや、指導をする手引書の類だったのでしょうか」
「ふむ。あやつが使っていた部屋や書庫など探せ。何かの役に立つやもしれぬ」
「次は商人からの来月の請求に関してにございます」
別の分厚い帳簿を受け取ると面倒そうに目を通す。その顔つきがページをめくるたび、徐々に険しさを増していく。
「なんだ、この金額は!? 先月より更に増えているではないか!」
そして突出した一枚の伝票に伯爵の目が留まった。
「それになんだ、この『ソコ・シェネル』という店の請求は?」
「奥様のドレスのお仕立て代にございます」
「ドレスだと? しかしこの金額はどういうことだ。金貨四十枚だぞ。ちょっとした店一軒の年間税収ほどあるが。一体何着仕立ててるんだ」
「一着でございます」
「い一着!? 一着でこの値段だと!? 何かの冗談だろう」
「上級貴族御用達の店とかで、伯爵家の格にふさわしい店をとの奥様のご指定でございます」
金貨一枚あれば四人家族が借家付きでゆったり一月暮らせるご時世。四十枚は確かに破格だ。
「ちなみに奥様は毎度の夜会のたびに、新たなお召し物をお仕立てになっておいでのようです」
慌てて帳簿を改めると、後妻アマンダの放蕩ぶりがありありと記録されていた。
(最近機嫌がいいのはこれが理由か!)
いちいち金の使い方に唯一口を出してきたのが前の家令、ニックだ。愛人の座からようやく伯爵家の正妻になれた。これで贅沢三昧できる。そう思っていたのもつかの間。彼のせいで自由に金を使えない。彼女にとって、この上なく厄介で忌々しい家令だったに違いない。
アマンダが家令についてあれこれ言うものだから、ジェミーが適当に問題をでっち上げ、ようやく追い出したのは最近のことだ。今の家令も彼女の親類。彼女の言うまま実績も確認せず雇い入れたが、間違いだったのだろうかと後悔するも後の祭りだ。
(首にする、なんていった日には、アマンダはどれほど怒るのだろうか)
いや、目下の課題はそれではない。
目の上のたんこぶが居なくなった今、まさに彼女の天下。
夜会などにも足繁く通っているようだし、金が湯水のごとく消えていくのも納得だ。
なぜか我が家の羽振りがよくなった、などとうわさを最近耳にすることが多かったが、こういうことだったのか。
惨憺たる内容の帳簿を前に、伯爵は言葉を無くした。




