1-6. ちょっとしたハプニング
「そういえば、そうだった……!」
目の前に広がる光景から、今更ながらルイスは『客間に二人』の意味を理解し、赤面した。
二つ並んだベッド。ここでエレナと二人、寝泊りせねばならないのだ。
「どうかされましたか? ベッドメイキングには自信があるのですが」
「ああいや、なにも、問題ないよ! ばっちりだ」
せっかくさっき水浴びをしたというのに、早くもジワリと汗をかいている。
ちなみにエレナはルイスが外の井戸で水浴びをしている間に、部屋で体をふいて済ませた。
先ほどまで仕事着だったが、今のゆったりとした服に替えたのもそのときだ。
「ね、ねえ、エレナ」
「なんです、ルイス様」
「衝立とか、ないのかな?」
「んー、ないですね」
てきぱきとベッドの準備をしつつ答えるエレナ。
「そうなんだ……」
「ほら、そんなことより早くお休みにならないと。明日は朝から商人の方の困りごとをお聞きになるのですよね? さあさあ、早くベッドにお入りなさいませ」
手の平を彼にむけ、追い立てるようにベッドへといざなう。
「そ、そんなことよりって……、エレナは気にならないの?」
「なんのことです? それに私はまだ仕事が残っておりますから。さあさあ」
「わ、わかったよ。ホントにエレナはそういうところ口うるさ」
「何かおっしゃいましたか?」
ルイスの言葉にかぶせるように発せられたエレナのそれは、幾分温度が下がっていた。
「いえなにもないですおやすみなさい」
これはまずいとばかりに、そのままおとなしくルイスはベッドに横になる。
「――ねえエレナ」
しばしの間ののち、背中を向けたままのルイスが口を開いた。
「なんです? 子守歌でもご所望ですか?」
髪に櫛をとおす手を止め、彼の方をみる。
「違うよ。あのさ。今日は最高に素敵な一日だったなって。そう思うんだけれど」
「えっ。そう、ですね。そうですわ。とっても素敵な日だったと、私も思います」
「うん。エレナのおかげだよ……ありがと……ね……」
よほど疲れていたのだろう。すぐにルイスは規則正しい寝息を立て始めた。
「そんなことない……って、あら? ふふ。どんな所でもすぐ寝ちゃうのは、今も変わらないのね」
エレナは肩をすくめ、小さくため息をつく。
エレナはそおっと立ち上がるとベッドをぐるっと回り、彼の顔が見える位置に移る。幼子のように無防備な寝顔を見せる彼を見て、エレナは頬を緩める。
「素敵だったのは、今日という日、だけじゃないですよ? ……“旦那様”」
そして彼の頬をツンツンとつつく。ルイスが眉をわずかにしかめたのでつつくのをやめる。
しばらく寝顔を眺めるにつれ、胸の奥が徐々に切なく締め付けられる。
我に返ると軽く首を振り、きゅっと唇を引き結ぶ。
(だめ。私の気持ちなんて、ルイス様には迷惑なだけ)
「……さて、私も寝なきゃ」
一つ伸びをしてから明かりを落とすと、自らも隣のベッドにもぐりこんだ。
「……?」
小鳥のさえずりで目を覚ましたルイスが最初に目にしたのは、視界一杯の肌色。それがはだけた服から覗く、年に似合わず豊かなエレナの胸の谷間だということに、気づくのが少し遅れた。
「え、これ、どういうこと……?」
どういうわけだか、ルイスはエレナに抱きしめられていた。起こさないよう、ゆっくり腕をほどく。そのままそろりと離れ、ベッドを抜け出す。多少はベッドも揺れたはずだが起きる気配がない。朝もまだ明けていない時間だ、無理もない。
いい匂いが、した。
不意に先ほど感じた彼女の香りを思い出し、胸がきゅっと締め付けられる感覚を覚える。
見てはいけないと思いつつも、エレナから目が離せない。
頬にかかる髪は、まだほのかな朝の光でさえ反射する。ぴっちりと閉じられた瞼に長いまつげがツンと主張している。
瞼がピクリと動いたかと思えば、彼女はふいに身じろぎを一つ。そして顔にかかる髪を払いつつ寝がえりをうつ。
ふるり、と胸がゆれた。
ルイスはごくりと生唾を飲み込む。起き抜けであることも手伝ってか、下腹部がどんどん他人に見せられないことになってきた。
「エレナ。起きてるの……?」
ルイスはそっと声をかける。が、気づく気配はない。彼女もまた、疲れていたのだ。彼女の頬に触れるか触れないかといったところに手をのばす。
彼女は規則正しい寝息を立てている。
「やっぱり、いつ見てもきれいだな……」
ぽつりとつぶやくと、ゆっくりとルイスは彼女に近づく。
互いの息が感じられるような距離に近づいていく。
喉が、カラカラだ。
桜色の唇が、上下する双丘が、彼の劣情を駆り立てる。
だめだもう――
「ん……」
彼女のわずかな息もれの声に動きを止める。
「……だめだこんな」
これではまるであの義兄と同じではないか。
我に返ってその場を離れる。そして蹴り飛ばしているシーツをそっとかけてやる。
「さて、鍛錬に行くかな」
ルイスはひとり呟くと伸びを一回。靴を履くと静かに部屋を出て行った。
エレナは窓の外から聞こえる風切り音で目が覚めた。ああ、ルイス様の鍛錬の音ね。
剣を振る音を聞きつつしばらくまどろんでいたが、ふいにあることに気づいて慌てて身を起こす。
「な、なんで私ルイス様のベッドで寝てるの……?」
更によからぬことに思い至ったのか、半ば乱暴に身体に掛かるシーツを引っぺがし、ベッドを隅々まで観察する。やがて安堵のため息をついた。
「よ、よかった……」
取り急ぎよかった。そういう事態には至っていないようだった。
今度は本当に脱力したのか、ため息とともに再びベッドに倒れ込み、枕に顔をうずめる。
「ん……このにおい、すき……」
そこにはもう、すっかりルイスの香りが染みついていた。
このまま二度寝したい。けれどおそらく彼はいま、朝の鍛錬中。メイドの自分が起きないわけにはいかない。
少々名残惜しかったが、後ろ髪を引かれる思いで再び身を起こす。そして服がだらしなくはだけていることに今さら気づき赤面する。
「……見られたかしら」
まぁ、いいか。他の男には絶対見られたくないけれど。
後でカマをかけて、からかってみよう。どんな顔をするかな。きっと顔を赤くして恥ずかしがるに違いないわ。
くっくっ、と喉を鳴らす。
すっかり上機嫌になったエレナは、起き上がり手早く身支度する。その後ベッドの整理を済ませたのち、台所にむかう。
これが自由都市ミッテブルックで二人が迎えた、初めての朝だった。




