1-5. エレナの願い
荷揚げ機の一件で、トニーをはじめ職人たちのルイスへの見方は少し変わったようだ。
「やるじゃねえか、ルイス、だったか。いや、そんな若いのに大したもんだ!」
「まぁ、しばらく様子を見てみないと何とも言えんがな」
「なーにケチなこと言ってんだおめー。ダメならダメなとき、そん時考えりゃいいんだよ」
「そうよ! ウチのガキも同じくらいの年頃だが、ボーっとしてて何の役にも立たねえ! が、お前はすげえな!」
様々な声が掛かるなか、バンバンとルイスの背中をたたきながら職人の一人が笑う。
「そ、そんな。大したことは」
ルイスはけほ、と咳を一つしながら苦笑いを浮かべる。
「いやいや大したことじゃないか。大の大人がわからなかったことを、あっさり解決しやがって。お前、実はすごい奴なんじゃないのか?」
トニーが上機嫌でたずねてくる。ルイスは少し困ったような表情ではにかむ。
「そんな、たまたま。たまたまですって。昔もらった本の受け売りで。それにまだ解決したとは」
「なんだお前、字も読めるのか! はー、大したもんだ!」
「いや、はは……」
何を言ってもほめごろしをうけそうだ。これは面倒なことになったとルイスは困り果てた。
夕方になり、事務所に帰ってきた彼らを、エレナが玄関の前に立ち、笑顔で迎える。
「ルイス様、皆さま、お帰りなさいませ。お怪我などございませんでしたか?」
「うん、ありがとう、大丈夫だよ。エレナも留守番おつかれさま」
エレナは彼からのねぎらいの言葉に、にっこりと微笑む。
「いえ、いらぬお節介をしてしまったのではないかと戦々恐々としております」
そういって彼女は事務所に入ったトニーを目で追う。
そのトニーは事務所に入ったと思ったら、すぐに驚いたような声を上げ外に飛び出してきた。
「おいおい、ここは俺の事務所だよな? 一体全体どんな魔法を使ったらこんなにきれいになるってんだよ?」
続いて入ったルイスも同感だった。
エレナから掃除は得意な方だとは聞いていたが、あれ程散らかっていた事務所が半日でここまできれいになるとは思ってもみなかったのだ。
「きちんと片付けるのは追々させていただくとして、とりあえず見た目だけは見れるようにいたしました」
「さすがに一度に整頓するのは無理なほどでしたので」
エレナは申し訳なさそうに頭を下げる。
(や、それはエレナが悪いわけじゃない)
ルイスは心の中で突っ込む。
「いやいやいや、十分だろこれで! イイトコの出だとはおもったが、いや、嬢ちゃん――エレナも大したもんだ!」
トニーは慌てて両手を振る。そのあと右手をエレナに差し出したが、途中で止める。しばしの間のあと、一つ咳ばらいをしつつ引っ込めたかと思えば、そのまま頭をかきはじめた。
肩を叩こうとでも思ったが、相手が女の子ということを思い出し、恥ずかしくなったといったところか。
トニーの奇妙な行動に首をかしげ目をぱちくりするエレナだったが、再び笑顔をみせる。
「ふふ、ありがとうございます。さぁ、早速夕食にされませんか? ご用意できております」
さらに夕食の時間。彼女の有能さに、トニーは再び舌を巻くことになる。
トニーとルイス、それぞれ席に着くと、エレナは手際よく皿を並べていく。
赤ワインでじっくりと煮込まれた豚の煮込み。その隣で湯気を立てるのはごろっとした野菜のスープ。加えてパンが入ったバスケットがテーブルに置かれた。
豚の内臓のワイン煮込みとカブのスープ。それに黒パンが今夜のメニューだ。
「おお」とルイスとトニーが驚きのハーモニーを奏でる。
「さあトニー様。冷めないうちにどうぞ。ほら、ルイス様も。いっぱい食べてくださいね」
「あ、ああ。じゃあいただくか。なルイス」
「はい、たんと召し上がれ」
エレナが両手を広げて促した。
しばらくして、ひとしきり夕食を堪能したトニーにワインをすすめつつ、エレナが今日の出来事を報告する。
「いやうまかった。あれは内臓だったか。ブタか?」
お腹をさすりながら満足そうな表情を見せるトニーに、食器を引きながらエレナが答える。
「はい。お肉屋さんに立ち寄りましたら、ちょうど子豚が馬車に跳ねられたとかで急いで解体していまして。聞けば内臓なら安くすると言うじゃないですか。これはもう、買うしかないと。カブはすみません。裏庭のものを勝手に使わせていただきました」
「ああ、それは近所のばあさんに貰ったやつだ。かまわないよ。しかし屠畜の様子を見て平気とは。いや、肝も据わった嬢ちゃんだ」
「市場に調達に行けば何度か出くわしますから。慣れてしまったというか」
苦笑いを浮かべたエレナは、はたと何かに気付き腰のポケットを探る。財布を取り出しトニーに差しだした。
「お預かりしたお金の残りはこちらです」
「ん、ああ。ってこんなに余ったのか? ほとんど使ってないじゃないか」
財布をちら、と覗いてトニーは驚きの声を上げた。
「はい。あまり無駄遣いをするのも、と思いまして……あの、もっと良い品にすべきでしたか?」
エレナが上目遣い気味に探るような視線を彼に向ける。
「いや十分だ、むしろこれでも普段からすると贅沢な部類だが。たったあれだけの金でここまでできるのかよ。俺は普段どれほど無駄遣いしてるんだ……」
トニーは頭を抱えた。
「まだ市場に慣れていないので、もっとお店を知ればさらに安くできるかもしれません」
褒められて気分がいいのか。嬉しそうに語るエレナはいつにも増して身振りが大きい。
「マジかよ。……ああもうわかった! これからはもうエレナに任せる。足りなくなったら言ってくれ」
そういってトニーは先ほど受け取った財布を再びエレナに放り投げた。彼女は慌てて両手で受ける。
「は、はい。承知しました。あとアンソニー・チャールズ様とおっしゃる方が事務所を訪ねていらっしゃいました」
「アンソニー? ああ、チャールズ商会の若旦那か。彼が訪ねてきたって?」
「はい、不在をお伝えするとまた明日来ると」
「ふうん。買った機械の文句を言ったから、気になって顔を出したかな。丁度いい。修理を頼むことにしよう」
「え……ということは修理がうまくいかなかったということですか?」
エレナが途端に不安げな表情を浮かべる。そんな様子にトニーはにやりと笑顔で返す。
「いや、それはそこにいる優秀な君のご主人様が原因を突き止めてくれてな。正直助かった。危うくあの優男をぶん殴りに行くところだったからな」
「本当ですか、ルイス様!?」
「ああ、なんとかね」
「すごい、さすがです、ルイス様!」
エレナは小さく飛び上がり、ツインテールが大きく揺れる。
まるで自分事のように喜びを表現する彼女に、ふたりは目を細める。
「ルイス、お前元々ああいうことが得意なのか?」
「得意というか、家では使用人たちと一緒になって、屋敷や領民の困りごとを解決するのが趣味というか、仕事のようなものでしたから」
「そうなのか? ……なあルイス。一つ相談に乗ってやってほしい奴がいるんだが」
「はい、僕にできることならなんでも」
「すまないな。実は雑貨商人なんだが品質でちょっと困ってるやつがいてな――」
二人が熱心に語り合う間、エレナは後ろに控えて嬉しそうに微笑む。
ルイスはいきいきとトニーからの質問に答え、議論を重ねていく。
お茶のカップをルイスの傍らにそっと置きながら、エレナは思いをはせる。
――こんな彼の姿が再び見られるとは、正直思っていなかった。
自分があの時。ケダモノに襲われていたとき。もし声を殺していたなら?
声を上げずに我慢しさえすれば、彼が家を追い出されることもなかったのではないか。
そうずいぶん自分を責めもしたけれど、そのたびに彼は違うと。エレナのせいではないと否定してくれた。
むしろあのとき何事もなかったことが、君にとって何よりだと慰めてくれた時は、思わず大声をあげて泣いてしまった。
彼はそう言ってくれるけれど、内心不安で不安で仕方ない。本当は彼に恨まれているのではないのかと。お前のせいで、自分は家を追われたのだと、そう思われているのではと。
いっそ罵ってくれたほうが、よほど楽だったかもしれない。
けれど今、幸運にも好きなことを再び始められそうな彼の真剣な姿を見れて、本当にうれしい。この縁が上手くいってほしい。そう願うばかりだ。
そう。私には願うことしかできない。
だからせめてもの罪滅ぼしとして、彼に尽くす。
私が彼の将来を閉ざしてしまったから。彼の地位と、生きがいをすべて台無しにしたのだから。
愛しい人の、すべてを奪ってしまったのだから。




