たのしい いせかい せいかつ ③
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「日本人の召喚被害者ってマジで多いんだな。今年三人目だっけ? 」
店の裏手に止めたバンの後部座席を開けながら、男が言った。
「ここ三十年くらいのことらしいわよ」
「へー」
「召喚被害者は適応能力を持っていないから、生き残る確率は低いのよね。それが、観測するだけで一年あたり数え切れないくらい。実際は何百万人が死んでいるのかと思うと、ぞっとするわ」
「あんた、実は相当運が良かったんだぜ? 」
「……そんなことない。苦労が水の泡だ」
おれは、ようやくそう口にできた。
(くそっ、くそっ、くそっ! 適当に放り込みやがって! )
変な体勢で肺が潰れて息が苦しい。体をよじると、こんどは後ろ手に縛られた腕が下敷きになって痛んだ。
運転席には女のほうが座る。助手席におさまった大男が、「ごめんごめん」と言って、長い腕を伸ばしておれの縄を解いた。それを見咎めた女が、男の肩をパチンと叩く。
「ちょっと、晴光」
「大丈夫だろ~? もう諦めてるよ、この人。なあ? 」
その通りだった。おれはいつだって、流されて生きてきた。すっかり立ち向かう気は無くしている。
「そう見える? 」まあしかし、媚びるつもりはないのだが。
車が走り出す。あたりは工業地帯で、街灯が少なくて暗い。まさかこんなところに地下クラブがあるなんて、誰も思わないという場所。実際、あの店は隠されていた。そういう店だった。
「……あんたもニホンジンなわけ? 」
ミラー越しに尋ねた。セイコーと呼ばれていた大男。
若いとは思っていたが、女と言葉を交わすようすはどちらかというと幼い。派手派手しい赤い髪や、鍛えられた体とは少しアンバランスだった。
「たぶん、お兄さんとは違う世界の『日本』だけど」と前置きしたセイコーは、ぺらぺらと故郷の住所と生年月日を言う。
関西にある地方都市。おれは関東育ちだから馴染みがない地名だったが、耳慣れた漢字の響きが懐かしかった。
「お兄さん何歳? 」
「……十九」
「へー、じゃ、同い年だ」
呑気な声。おれとこいつは同じではない。
おれは大学生。美大に受かったばかりだった。
ようやく真っ当になった気がしていたころ、この世界に連れて来られて十カ月。ため息がこぼれた。
車は、どこか知らない街に入ったようだった。先ほどまで雨が降りそうな曇天だったのに、いまは晴れて見える。
「おれ、髪赤いだろ? 」
セイコーは、自分の前髪をつまんで見せながら言った。
「これさ、あんたと同じ、『適合性過敏症』ってやつ。つまりね、異世界に転移すると、その世界にいる生物に擬態しようとして、髪や肌や目だとかの体の色が変わんのね。おれの場合は髪の毛」
「おれは別に……そういうのは」
「じゃーその髪の色って生まれつき? いいじゃん。かっこいい」
バックミラー越しに、セイコーはニコッとする。
なんの含みも無い、誰にでも撫でられにいっちまう犬みたいな笑顔だ。
窓ガラスが冷たくて気持ちがいい。耳鳴りがする気がする。
なんだか眠くなってきたが、どうにでもなーれって気分だった。
「……おれって、このあと殺されるわけ? 」
「そんなことしないわよ。言ったでしょ、保護するって」
「別に殺されたって構わないけど。おれは生まれつき適応できてない。こんな世界、価値も見いだせないし」
「投げやりね。そんなに厭世的にならなくても、別に悪いようにはしないわよ」
「どうだか」
「じゃあ今後の参考までに訊くけど、あなたの思う価値ってなに? 」
少し考えた。
自分でも意外なことに、少しだけしか考えなかった。
「……愛すること?」
「ロマンチストね」
「ロマンなんて欠片もない」
「ないないづくし。それなら、あなたには何がある? いいえ、あったのかしら」
「美貌」
「ずいぶんお役立ちだったものね」
「あいつらを操る能力は……ここに来るとき、神様とやらにもらったんだ」
女がバックミラー越しに睨んできた。
「……その話、もう少しくわしく聞かせてくれる? 」
おれは手のひらをひらひら振って、言葉を濁す。
「眠いんだ。寝かせてくれ」
いつのまにか車は星屑の中を走っていた。極彩色の闇をくぐり、虹色の光が、螺旋状にグルグル回っている。ちょうど遺伝子の配列みたいに。
おれはそれを、シートの座席に寝そべりながら、下から見上げていた。
「……全部夢のなのかな」
ひとりごとのつもりで言ったことを汲んだのか、返事は無い。
「神さま――――かみさまは……。おれを……おれに……ああ、何を言ってたっけ……そう……」
『せかいのほうがふさわしくない』
そう言ったんだ。
おもむろに「あ゛あ゛ー」と濁った声を出す。
なんだかもう、『どうしようもない』という気持ちで、おれの中身はいっぱいだった。