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思いつき

批判が役立つなどという事は無いだろうと思う理由の一つとして

作者: よぎそーと
掲載日:2019/02/10

 批判とは、暴言や罵倒の代名詞にしか思えない。

 こんなものが役立つとは全く思わないし、実際今まで何の役にもたってこなかった。

 正直、暴言・罵倒とだけ言ってれば良いと思う。

 そう思わせないために批判という言葉を隠れ蓑にしてるのだけであろうとも考えている。

 だが、一応ここでは批判という言葉を、嫌々ながら、仕方なく使っておく事にする。

 どのみち、これらが(控えめに言っても)無益で無駄にしかならないのは確定的な事実なのだから。

 少なくとも俺にとっては。



 さて、その自称批判と表現したくなるようなものについてだが。

 それらしきものを俺が受け取ったのは、書いてるものがなぜだかランキング上位に入ってしまってからだった。

 言い換えれば、鳴かず飛ばずの時期には全くやってこなかった。

 よせられる感想は、「楽しかった」「面白かった」というものだけ。

 少なくとも否定的な内容はほとんどなかった。



 だが、批判(自称)がランキング上位に入ると出てきた。

 そういうのも来るだろうなと思っていたが、実際に来たのを見て呆れた。

 そして、感想の受付を全て停止した。

 それから該当する感想を削除し、書き込んだものをブロック対象とした。

 こういう措置をしたのはだいたい次のような理由からである。

 ここで書きたい事の主旨とは外れてしまうが、参考になるかもしれないので少しだけ述べておく。



・否定の書き込みは一つでも残すと、それを足がかりにするのかその後も増大するから。

・そういった感想一つ一つに対処する手間が面倒で大変だから。

・執筆もそうだが、普段の生活があるのでそれらに対応してる余裕などない。

・手間をかけるくらいならば、書き込み禁止にした方が対処としてははるかに楽だから。

・その分、執筆などに時間を費やす方がはるかに有益だから。



 感想の全てに目を通して、不快なものを探して対処するのに時間がかかりすぎる。

 そもそも、不快な感想を一度は目にせねばならないというのが最悪だ。

 だったら、最初から何も受け取らない方がマシである。

 もらって嬉しい賞賛などの感想を排除する事になってもだ。

 不快な感想を目にする憤りというのは、賞賛や応援の言葉を軽く打ち消すほどの害悪である。



 こういったものを批判としておこう。

 この批判がどれ程役に立つのか、という事を少しだけ考えてみたい。



 批判(自称)による成長が、欠点の把握が、などという言葉は割と見かける。

 少なくとも批判(自称)にも意味があるし利点もあるという事は目にする事はある。



「そんなわけあるか!」

 と声を大にして言いたい。



 既に述べたが、批判(自称)がやってきたのはランキングにのってから、ランキング上位に入ってからだ。

 つまり、ランキングにものってなかった頃にはやってこなかった。

 おわかりだろうか?

 批判(自称)はランキングにのるのに何の役にも立ってないのである。

 少なくとも、この部分について言うならば、全く何の役にも立ってない。



 役立つというならば、ランキングにのる前にやってきて、有益とかいう何かを提示してもらいたいもんだ。

 あるいは、批判とか称してる何かを受け入れた後に閲覧数が増大したり、ランキングに入るというような事態になってもらいたいもんだ。

 そういった事は俺のところでは起こってない。

 他ではどうか知らないが、少なくとも俺にとって有益な何かがあったという事は無い。

 そもそもとして、ランキングに顔も出せなかった頃には、こういった批判(自称)なんて来なかったのだから。



 もし有益な何かをもたらしてくれたものがあったとしたら、それは賞賛や応援の声である。

 ランキングにのる事もなかった頃から見つけてくれて、こういったものを書き込んでくれた人達の存在がありがたかった。

 今だって、こういった言葉をわざわざメッセージ機能を使って届けてくれる方々は本当にありがたい。

 難しい言葉はいらない、「楽しい」「面白い」と言ってくれるだけでやる気が出る。

 それらの方が批判(自称)などというものよりよっぽど役に立つ。

 やる気を削ぐ事が全くなく、むしろこれからも頑張っていこうと思えるからだ。



 批判(自称)にはそんなものが全く無い。

 受け取っても不快極まりないだけで腹が立つ。

 やる気の全てを一瞬で失って、暫く書くのを止めたくなる程である。

 不快という言葉ではとうていおいつかない程の憤りを抱く。

 直接的な表現は物騒極まりないので控えねばならない程だ。

 こんなもの(批判)がいったい何の役に立つというのだろうか?



 つまり、批判(自称)は何の役にもたってない。

 閲覧数が少ない頃、ランキングにのらない頃にはやってこなかった。

 なので、批判(自称)は貴重な意見であるという事にはなりえなかった。

 だから、これらを取り入れたというような事はない。

 取り入れないでも、不思議と閲覧数が上がったりランキングにのる事が出来た。

 つまり、批判(自称)とは全く別の要因による。

 批判(自称)が来たのはその後の事になるので、これらが俺の利益になったという事は全くない。



「人気が出てからやってきて、言いたい放題していくもんなぞ邪魔だ」

 批判(自称)とか言うものに抱く率直な気持ちである。

 役立つ?

 意味がある?

 何の、どんな利点があるというのか?

 人気が出たのは、絶対に批判(自称)なんぞのおかげではない。

 それなのに意味があるとか利点があるとか言われても説得力がない(これも思いつくなかでは穏便な表現)。

 批判(自称)とかいうのは、

『人気が出てきてからやってきて、不快極まる事を書き込んでいく』

ものでしかないというのが、ささやかな実体験から得られた事実である。

 これがどうして「役立つ」など言えるのか?

 俺には全く理解が出来ない。



 他の所ではどうなのだろうか?

 人気も何もない頃やらやってきて、あれこれ言ってるけど、言われた通りにしたら閲覧数が上がったりした……などという事があったのだろうか?

 むしろ、俺と同じで、人気が出てからやってきたという所の方が多いのでは?

 だとしたら、本当に批判(自称)とかいうのは何の役にも立たない、それどころか邪魔でしなかいだろう。



 長々とまとまり無く書いたが、こんな実体験から感じる事は一つ。

 批判(自称)を受け入れたから人気が出たわけではない。

 人気が出てから批判(自称)がやってきただけ。

 人気が出るかどうかという事から考えれば、批判(自称)は全く役に立たない。

 むしろ、書く気力を削ぐだけの邪魔(思いつく中では穏当な表現)にしかならなかった。



 なので、批判(自称)が役立つなどという事は根拠のない話としか考えられない。

 どうして批判(自称)が役立つなどと言われるのか、さっぱり分からない。



 とはいえ、こうして書いた事で今後何らかの変化が出てくるかもしれない。

 閲覧数が少ない、ランキングにものらないような話に批判(自称)があらわれるかもしれない。

 それを言い訳にするかもしれない。

 だが、そういう事は、こういう事を言われる前にやるべきだろう。

 言われてからやり出しても何の意味もない。

 むしろ「言い訳作りか?」と考えられてしまうのではなかろうか。

 少なくとも俺ならそう考える。



 実際、批判(自称)らしきものが役だった事なんてこれっぽっちも無かったし。



 などと考える中で少しだけ懸念してる事がある。

 本当に適切に、「こうした方がいい」「ああした方がいい」という意見を述べてる人もいるかもしれない。

 そんな人が本当にいるのかどうか分からないが、ここではとりあえずいるものとして考える。

 もし、批判(自称)でもなんでもない、適切な助言をする人がいたとしてもだ。

 それらも「もしかして批判(自称)か?」と敬遠されたらどうしようなどと思ってしまう。

 そうした人達に余計な被害が出なければいいのだがと心配はする。

 どうか迷惑がひろがらないよう願うところである。


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