ああ逃れられない
「嫌か」
「嫌に決まってるでしょう。こんな何やってるかわからない部活」
さも意外、と言わんばかりの反応だが、こんな紹介をされて入りたくなる方がおかしい。まずもって部活の内容とか目的とかを説明すべきだと思うのだが、ポスターを書けないあたりそれすらなさそうだ。
いっそ訳のわからないまま犯罪に加担してそうですらある。快く参加できるはずがなかった。
「そうか。そうだな、私も月川の自由意志を尊重したい。気が向いたらまた来ればいい」
「多分もう二度とそれはなさそうですけどね」
「残念だ。お前の英語の成績は1だな」
「自由意志の在り処」
ここに至るまでのあまりの惨事に忘れそうになるが、そういえばこの酒飲みは俺の担任であり、英語教師である。その気になれば本当に英語の成績を1にできるだろう。
愛想はないが仕事はできる人、という先生の印象がガラガラと崩れていった。
「いやー、流石に冗談でしょう? 理由なく成績を下げるのは問題だと思いますけど」
「そういえばクラスの係決めもまだだったな。学級委員は毎年なかなか埋まらなくて困るんだよなぁ。後は英語の教科担とかな。私のお願いをこなせる優秀な人材が欲しいなぁ? 月川君」
「問題にならない程度の嫌がらせはやめましょうね?」
「第一私は忠告した。後悔先に立たず、と言っただろう」
「あれってそういう意味だったのか!」
いきなり攻撃が陰湿になってきた。あれか、最初に不可能な課題を提示して、その後にギリギリ可能そうなのを出すとやってくれるみたいなやつか。
この横暴を本当にやるつもりなのであれば、体育祭や文化祭の実行委員みたいなのもやらされるだろう。できるだけ目立つのは避けたい。柄じゃない。
「なぁ、考えてもみろ。月川」
俺みたいな根暗が前に出て、「何あいつ張り切っちゃってんの」と影で言われる最悪の未来を想像していると、妙に優しい声音で先生が顔を近づける。
年上の美人に耳打ちされる、というかなり美味しいシチュエーションではあるのだが、酒臭さが全てを吹き飛ばした。
「私が学校で酒飲んでるのを見せて、大人しく返すわけ無いだろう?」
「そりゃあ、そうですね!」
私利私欲に満ち溢れた言葉に半ばヤケクソになって答える。気づけば回された腕は首を囲むように一周していた。いつでも首を絞められる体勢である。
もしかすると、今現在俺はこの人に社会的にも物理的にも命を握られているのかもしれない。
「納得したか?」
「この世に理不尽があることは」
「また一つ成長したな」
ダメだ、皮肉が全く通じてない。というかさっきからこちらの言葉が届いてない。ジトッとした目を向けると、飽きたのか絡ませた腕を離してボトルを煽った。
内心のどぎまぎが失せたので、ずっと気になっていた事を確認する。
「なんでこんな訳のわからないものが部活として通用しているんですか」
「ごもっともだな。答えよう」
んっ、と若干色っぽくボトルを口元から離し、蓋をしてから先生は答える。
「元は部活ではなかったんだ」
「と、言うと?」
「そう急かすな。大人しく聞け」
勿体ぶった言い方をしているのはそちらだと思うのだが。嗜めるように言われ、不満そうな態度を残しながら黙る。
素直な対応がお気に召したか、ふむ。と得意気な笑みを挟んで話を続ける。
「こう見えて私が生活指導担当なのは知ってるな?」
「どう見えてるのか自覚はあるんですね」
「同じ事は二度言いたくないな」
黙って肩をすくめてみせる。しかし、見た目はかなり若いにもかかわらず生活指導をやってるとは。威厳やきっぱり発言する所が評価されてのことだろうが、実際の歳はどうなのだろうか。
「よろしい。あともう一つ助言しておく。雄弁は銀、沈黙は金だ」
「肝に銘じます」
もう考えを読まれるのに慣れてきた自分がいる。だが、まぁ、こういう事を言えばこういう事を思われるというのが染み付く程に似たような事を言われてきたのだろう。そう捉えると途端にこの人が可哀想になってきた。
勿論これも、言わない方がいいことの一つなんだろうが。
「続けるぞ。最初はな、私の元に相談に来た生徒や、私が個人的に気にかけた生徒達だったんだ」
「というと、彼女達は2年や3年になるんですか?」
「全員2年だな。いいぞ、そういう建設的な質問は許可しよう。で、その気にかけていた生徒達を何度か引き合わせて見て、結果今に至るという感じだ」
「じゃあ結構仲は良いんですか。その集団に溶け込めって言いたいんですか」
「そうだな。全員何かしら問題を抱えている、そういった集団だ」
「他人事チックですけど先生も抱えてますよね、問題」
「私はいいんだよ、私は。今更どうこうなるものではない」
叱られるものとばかり思っていた発言に何処か遠い目で返されて、驚きに先生の顔を覗き込もうとするが、うまく逸らされてしまった。
いくら生活指導とはいえ、自分から厄介事に首を突っ込むのは誰だってやりたくないことだ。
だが、それを先生はやっている。
何か一言では表しきれない特別な感情が、その行動の裏にありそうだった。
「さて月川。お前にも問題がある事は自分でも感じてる所だろう。まぁ、私にとっては問題と呼ぶほどの物か怪しいのだがな」
「それを解決する為にここに入れと?」
「端的に言えば、そうだ」
答えながら先生は俺の背後に回ろうとする。追いかけようとした顔が窮屈な方に曲がろうとして、長い指に正面へ戻された。
背後で誰かが動く居心地の悪い感覚に数秒我慢していると、思ったよりも近い位置で声が響く。
「単純に私が思うだけ、的を外れた意見かもしれない。だが、参考までに聞いてほしい」
「はい」
「お前に足りないのは自信と勇気だ。誰も自分から距離を取ろうとしてる人間には、一定距離より近づかない。だが、近づくには勇気と、それを裏付ける自身がいる。わかるか?」
「わかります」
いつになく優しげな、ともすれば妖艶ですらある声に事務的な返答しかできない。俺にしか聞こえないようにする為だろう、囁くような言い方が胸の奥の何かを煽った。
「こんなろくでなしも居るんだな、という後ろ向きなやり方でもいい。もし気が向いたのなら、誰か一人でも改善に協力してほしい。それでお前が自信を得られるのなら、私も嬉しい」
そう言って先生は俺の後ろから離れ、部屋の出口へと向かっていく。
「好きに来て、好きに去りたまえ。じゃあな」
去り際は爽やかに、俺に発言の余地を与えずに先生は何処かに行ってしまう。ボトルを持ったままだったが、まさか先生間でも暗黙の了解みたいになりつつあるのだろうか。
さて、と意識を正面の方向へ戻すと、こちらへの視線を感じてそれを辿る。それは目的地へとたどり着く前に、本の壁に遮られてしまった。
ベリーショートの娘だ。恐らく先生との会話が気になっていたのだろう。時々だが探るような何かを感じてはいた。
勇気のための自信、と先生は言っていたが、その自信を得るためにも、最初は勇気がいるらしい。
ああいう事を言われた手前、すぐ部屋を出るのも少し申し訳ない。もしかすると先生が出口で待ってるかもしれないし。本当にやりかねない感じが実に危ない人である。
ふぅ、と一度重く息を吐き出して、まぁ今日ぐらいはいいかな。と後ろ向きに覚悟を決めた。
先生が出てくる時はギャグチックなのは抑えるようにしてます