ーエリシア皇女ー
─西の大広間―
俺はエリシア皇女の部屋から西に40mほど行った場所にある、西の大広間へと足を踏み入れていた。そこにはやはり、マスターの映像水晶が飛び周り、辺りを調査していた。
「何か見つかりましたか?」
「うーん、目視した限りでは、何も見当たらないわ。本当にここであってるの?」
俺は先ほどのツールを取り出し、反応を調べて見る。水晶玉の中にあるコンパスの針のようなものは、やや下に傾き、その先にエリシア皇女が居る事を指し示している。この部屋か、或いはどこか別の場所に、隠し通路があるとみていいだろう。
「魔法はあんまり得意じゃないんですけどね……」
俺は床に手のひらをつき、魔力を篭める。
「呪縛法、龍脈陣!」
部屋一面に広がる魔法陣。ただこの魔法は、大した魔法ではない。精々敵の動きを止めるだとか、俺が行使した所で、足場を崩す程度の初級の土系魔法だ。属性関係なく誰もが習得できるし、あまり使い所があるわけでもない。だが、習得したのは理由がある。この魔法は、隠された地下室などの場所や入り口を把握するのに便利なのだ。例えばそこに、ひみつの入口が隠されて居たのなら、魔法陣が不自然に途切れる場所が現れる。
「──そこか」
俺は鎧の後ろに、不自然な空間がある事に気がつき、周囲を注意深く探ると、壁の中にプッシュ式のスイッチを発見した。みたところ、暗証番号を入力すると、スイッチが押せるようになり、扉が開く仕組みだろう。そして鎧には、かすかに動いた形跡がある。間違い無くここだ。
俺はアイテムポシェットの中から、指紋検出キットを取り出した。そして慎重にダイヤルに突いた指紋を検出していく。
「指紋検出キット? 指紋なんて回収してどうするの? レイちゃん」
「コレは見たところ、四桁の暗証番号を入力することで解除できるシステムです。このボタンについた指紋を浮き上がらせることによって、どのボタンを押したのか判断します。指紋のつき方、こすれ方によって、番号を割り出す。それだけのことですよ。城が作られてから殆ど使われなかったみたいですね、ずいぶん遅れたローカルシステムですよ」
「なるほどね。ところで、もうすぐジーク君達がこちらに到着するわ。タイミング的にも丁度いいくらいね。お二人の救出を急いで」
「了解です。……OK、開きました」
俺は暗証番号を入力し、扉を開けた。扉の先は真っ暗な螺旋階段で、俺は手持ちのライトを点灯し、階段を下っていく。
そしてそのまま階段を下っていったところで、誰かの話し声が聞こえてきた。
「お母様大丈夫ですか? やっぱりもう無理です! 私さえ、私さえ投降すれば、お母様や騎士団の皆様も許されるのですよね!?」
「いけませんエリシア! 今まであなたを護る為にどれだけの犠牲を彼らが払って戦ってきたと思っているのですか。あなたは生き残らねばならないのです! 信じなさい、きっと、きっと助けは来ます。その時は、あなただけでも逃げなさい。わかりましたか?」
「できません! お母様を置いてなど! どうして出来ましょうか!」
居た。エリシア皇女だ。それにアリシア皇后も。
「っ!? 何者!」
彼女らに声をかけようと物陰から姿を現した瞬間、エリシア皇女と目が合った。
その目は恐怖のあまり涙目になっていて、顔は顔面蒼白と言ったところだろう。
「そ、それ以上近づけば、あなたを刺します! 私は、私は本気ですよ!?」
エリシア皇女は震えた細い手で、扱えないであろう剣をこちらへ向ける。剣先は、体の震えがそのまま伝わり、カタカタと小さな音を立てて震えていた。──まるで、生まれたての小鹿のようだ。あまりにも哀れな姿に、目を覆いたくなってしまう。だというのに──。
「────っ」
気がつけば、息を呑んでいた。目も当てられないほど哀れな姿だというのに、俺は彼女の美しさに目を奪われ、思わず言葉を失っていた。
腰の辺りまで綺麗に真っ直ぐ伸びたブロンドの髪。
晴れ渡る空の色を写した海のような、美しい紺碧の瞳。
気品溢れる皇女らしいドレスを着た女性は、紛れも無くいつかのパーティで見かけたエリシア皇女だった。
世の中の男が魅了されるのも無理は無い。
マスターやオリビアにも劣らぬ、絶世の美女……。いや、美少女と言った方が適切なのだろうか。二十歳にしてはやや幼い顔立ちをしているようにも見える。
こんな、血塗られた俺には遠すぎる、尊い存在が、俺の目の前で、扱えない剣を必死に構えている。
「…………」
『ゴッ!』
「痛っ!」
ごちんと、後頭部にマスターの映像水晶が体当たりしてきて、俺は正気を取り戻す。
あまりにもこのシュールなシチュエーションに、俺は一瞬我を忘れてしまっていたようだ。
「え、えと。落ち着いてくださいエリシア皇女。自分は怪しい者じゃありません」
「あ、怪しい者じゃない!? あなた、今すぐ鏡を見た方がいいんじゃないかしら! 真っ黒のローブマントで身を包んだ上に、覆面と武装までした男性の、どこをどう見たら怪しくないと言うのですか!?」
いやはや、ごもっとも……。俺は古ぼけた鏡に映る自分の姿にため息をついた。
彼女の言う通り、これは命を取りにきた人間の姿だ。これが救援のはずがない。
俺はフードと覆面をとり、素顔を晒す。そして武器をその辺にあった木箱に立て掛けた。
「──無礼をお詫びします、エリシア皇女、アリシア皇后陛下。自分はレイ=ブレイズ。エアリアルウィングの者です。マスター、セイラ=リーゼリットの命により、あなた方をお迎えに上がりました」
「エアリアル、ウィング?」
俺は両手を上げ、手に持っていたギルドカードを提示してみせる。
皇女はきょとんとしたが、アリシア皇后だけは違った反応を見せた。俺の掌に納まるギルドカードのエンブレムを見た瞬間、表情がパッと明るくなったのだ。
「ああ、やはり来てくださったのですね! なんとお礼を申したらよいやら……」
「レイちゃん、映像通信に切り替えるから、用意して」
「了解」
俺がアイテムポーチから映像通信用の水晶を取り出すと、マスターの姿が空中に投影された。
「お久しぶりです、アリシア様」
「セイラ様、やはり来てくださったのですね。心よりお礼申し上げます」
「すべては、ディムルット様のおかげです。時間がありません。脱出はそこのレイが案内します。我々エアリアルウィングが、あなた方をレオニードまでご案内いたしますので、どうかご安心を。レイ、お二方と合流地点まで撤退しなさい」
流石にここで『レイちゃん』はありえないよなぁ。
「イエス、マイ・ロード」
「お待ちください」
案内をしようとしその時。俺を遮ったのは、アリシア様だった。
「見てのとおり、わたくしは大きな傷を負いました。この先逃亡の足枷となるでしょう。どうか娘だけでもお救いくださいませ」
「だめよお母様! 一緒に逃げましょう! お願い! お母様を助けてください!」
俺の腕を縋る様に掴むエリシア皇女。彼女のような美しい女性にこんな事をされて、断れる男がこの世に存在するだろうか? いや、もちろんそんな事されなくても助けるんだけどさ。
つーか近い近い近い近い近い!!! あのエリシア皇女に俺腕掴まれてるよ! 胸! 胸当たってる! オリビアみたいなボリュームじゃないけど! 俺! 腕! 胸! やっべ!? お、落ち着け俺!
「と、とりあえず離れてください、エリシア皇女。大丈夫ですから!──アリシア様、自分の任務はお二人の救出です。マスターより『アリシア様とエリシア様両名の救出』が最優先事項として命じられています。どうか、もうしばしのご辛抱を」
あ、危なかった! こ、この皇女めっちゃ天然じゃね!? 勘弁しろよ、心臓音やっべぇんだけど!?
「その通りです。どうしても拒否なさるのであれば、あなたを眠らせてでも、こちらで救出させていただきますわ。レイ、アリシア様に眠り薬を」
「イエス、マイ・ロード! 喜んで!」
俺が変なテンションのままさっと注射器を用意すると、アリシア様がクスリと笑った。
「頑固者が三人に増えてしまったわね。生憎私は、注射が苦手ですの。ブレイズ様、だったわね? 申し訳ありませんが、逃げる際に足をやられてしまいました。どうか運んでもらえますか?」
「御意に。では、失礼して……」
映像通信を終了し、元の音声通信に切り替え、俺はアリシア様を両手に抱えた。いわゆるお姫様抱っこという奴だ。
「フフフッ、あの人にもこんな事はしてもらわなかったわ。エリシア、あなたも、いつか心を許せる殿方が出来た時はしてもらいなさい? 存外に良いものですよ♪」
「お、お母様! 何をおっしゃっているのですかこんな時に!」
エリシア皇女は顔を真っ赤にして怒り出す。いや、これは恥ずかしがっているのだろうか?
てかなんだよこの皇后様、ずいぶんと余裕じゃないか。むしろこの親子何!? 俺めちゃくちゃ振り回されてねぇ!?
『レイちゃん、くれぐれもよ? くれぐれも失礼のないようにね! あなたの素をここで出したらひっぱたくわよ!』
無線に切り替えたマスターが、耳元のイヤフォンから俺に釘をさした。
「あら、セイラ様の声が聞こえるわ? フフフッ、普段はそんな明るい口調で話すのですね。私は、こちらのほうがとても好意的に受け取れますわ」
「あー、マスター。聞こえてしまっていますね、マスターの会話」
『やだ嘘!? もーぉ最低! レイちゃんあとでお仕置きよ! 馬鹿!』
……今のは俺のせいじゃないだろう。
俺はアリシア皇后を抱えながら階段を上がり、隠し扉を開けようとしたその時だった。扉の向こう側から、強烈な血の臭いを感じ、動きが止まる。アリシア皇女を一旦階段に座らせ、ゆっくりと、物音をたてないよう扉をわずかに開き、隙間から小型のカメラを忍ばせ、再びゆっくり扉を閉めて、内部の様子をうかがう。
「──マスター、画面はマスターだけが見れてるんですよね? できればいっちゃんには見せない方がいいです」
「──私だって見たくないわよ、こんな光景。この数分の間に、いったい何があったっていうのよ、この惨状は!」
画面に映る西の大広間は、一面真っ赤に染まり、あちらこちらにバラバラに切り刻まれた人間の遺体がいくつも転がってた。つまり、この扉を一枚隔てたその先は、地獄絵図が広がっているのだ。
「──幸い、これをやった犯人はもうこの場から離れたみたいです。移動するなら今がチャンスでしょう。ジーク達の到着と同時に、ここを離脱するのが理想型ですしね」
「そうね、フェアリーカメラで先行します。レイちゃん、移動を開始してください」
「了解。移動を開始します。お二人とも、聞いてください。この先は沢山の兵士の遺体があります。きっと顔見知りの者もいるでしょうし、非常にショッキングな光景だと思います。エリシア皇女、もし恐ろしいのであれば、目を瞑って自分の肩にお掴まりください。自分が先導しますので、焦らず自分が合図するまでゆっくりついて来て下さい」
「わ、わかりました……」
俺が扉を開くと、何かに扉が引っかかる。何かと見て見れば、入り口を隠していた鎧は胴から真っ二つにされ崩れ、鎧の上には同じように胴から真っ二つにされた若い男の兵士が虚ろな目をこちらに向けていた。気の毒ではあるが、今は弔ってやる事はおろか、祈ってやる暇もない。俺は無理矢理力づくで扉をこじあけ、アリシア皇后を再び横抱きにして通路を出る。大広間には、正規軍とクーデター軍双方の死体がいくつも転がっているが、互いに殺し合ってこんな惨状になってしまったというわけではないようだ。なぜなら、彼らの防具を貫通するどころか両断し、さらにその後ろにあった鎧まで両断してやがる。こんな芸当がコイツらの装備、コイツらの武器なんかでできるはずがない。これをやったのは、上位アサシンクラスの達人が、SSSランクの精霊剣に匹敵する名刀、妖刀、神刀の類だろう。今、こんな装備でこんな奴と会敵したくはないな。
「──ゆっくりで構いません。行きますよ、エリシア皇女」
「は、はい!」
ぎゅっと、俺の肩を握る手は震えていた。当然だ。目を閉じれば、他の感覚が研ぎ澄まされる。部屋中に漂う血の臭いは避けようがないし、足元の大理石の床は血の海に変わっている。歩くたびに、ぴしゃり、ぴしゃりと、血溜まりが音を立てた。
「ひっ……っ!」
「──がんばってください、エリシア皇女。もう少しです、もう少しで中庭です。そこから北のホールを抜けて見張り塔から運河へ抜ければ、仲間と合流できます」
俺は万が一に備え、グレンへと無線を繋ぐ。
「こちらレイ。グレン、そちらにお客さまをご案内する。しっかり掃除しとけよ?」
「こちらグレン。それならとっくに終わってる。それより気をつけろよ? 宮殿の中からとんでもなく嫌な気配を感じるぞ。マスターがもうすぐこっちに戻ってくるから、マスターが戻り次第俺も中に入ってフォローしろとさ。お前が死ぬのは構わないが、大切なお客さまになにかあったら大変だからな」
惨状の広がる大広間を抜けた時、斬られた兵士たちの血が足跡となり、あそこを地獄に変えた張本人がどこへ向かったのかを明らかにしていた。幸運な事に、そいつはそのまま南の方へ向かったようだ。
チャンスだ、このまま急いで北の見張り塔に辿りつけば、マスター達と合流できる。
「もう大丈夫です、エリシア皇女。目を開けてください。あと少し頑張りましょう。北の見張り塔まで、一緒に走れますか?」
「は、はい! 大丈夫です!」
「よろしくおねがいします、ブレイズ殿」
俺はエリシア皇女の足に合わせ、駆け足で北の塔へとむかう。大丈夫、たった200mほどだ。マスターやグレンもいるんだ。仮に遭遇したとしても、切り抜けられない相手じゃ……。
「────っ!?」
一瞬の気の緩みを後悔させるほどの、鋭い殺意が俺を捕らえていた。まるで巨人の手に後ろから鷲掴みにされたようなプレッシャーに、背筋がぞくりと凍りつき、一筋の冷や汗が頬を伝う。心臓がドクンと嫌な音を立て、相手を目視せずとも、気配で相手が俺の存在に気付いたと、悟らせた。
「レイちゃん! 犯人がわかったわ! 今すぐグレンちゃんと合流して!」
俺の元に戻ってきたマスターのフェアリーカメラから、焦燥に駆られたマスターの声が響いた。俺は両肩に二人を担ぎ、神速を発動する。
「お二人とも、しっかりと口を閉じて歯を食いしばってください! 舌、噛まないでくださいね! 神速っ!」
「まずい。まずいわ! いい、レイちゃん良く聞いて? 幾多の戦場を渡り歩き、どちらの軍につくでもなく、ただひたすら強者とスリルを求め、両軍に破滅的な被害をもたらすSSSランク相当の殺人狂がすぐそこまで迫ってる! 多対一という数的劣勢を意に介さず、一方的に、そして無慈悲な一撃のもと惨劇を繰り広げるその戦い方から付いた異名、その名は──」
肌で感じる。奴が追ってくるのを! こっちはふたりを抱えて走ってる。それでも常人より圧倒的に速い筈だ。だというのに、やつは……!
「みーっつけたッス!」
奴は宮殿の屋根を疾走して跳躍し、まるで流星のように、北の見張り塔の前へと姿を現した。
「──殺陣鬼、鬼夜叉丸!」