―精霊の巫女Ⅰ―
「さて、大変驚くべき事態にはなりましたが、ここで今一度、精霊の巫女について整理して行きましょう」
ばーさんは、用意された紅茶を一口だけ飲み、ゆっくりと深呼吸をした。
執務室に広げられていた儀式用の道具は全て片付けられ、いつもどおりの接客用のテーブルと椅子が並べられ、その上にはティーセットとクッキーが並べられている。そして、問題のシェリルは、エリシアの膝の上で気持ちよさそうに眠っていた。
「まずは、精霊の巫女についてですが、私たちエルフの歴史にも、精霊の巫女という存在は登場しています。
それは何千年も昔の事。当時人間は、身体能力的に最も劣っている存在とされ、気性の荒い魔族などの異種族に一方的に支配され、奴隷として扱われ、その凄惨さは我々エルフの祖先が眼を覆いたくなるほどだったと伝わっています。
しかしある時、人間は思わぬ力を手に入れました。
精霊の力を利用する手段を手に入れてしまったのです。それは、私たちエルフや現在の上位魔術師が行使する精霊魔法とは全く異質なものでした。
そう、レイの精霊剣なんかがその名残ね。精霊魔法が、精霊と契約し、その力を借りるという方法に対し、精霊を金属や鉱石などに封印し、その力を半ば強制的に引き出すことができるようにする技術でした。
結果、人間たちの持つ戦力や生活レベル飛躍的に向上し、文明が瞬く間に進歩して行ったわ。精霊の生み出すエネルギーは、やがて武器から兵器へと変貌し、魔族はおろか、他の種族までをも圧倒して行った。
しかし、そんな力に、人間は溺れてしまった。人間達は、その大きすぎる力の矛先を、自分達の同胞へと向けてしまったの。
何年、何十年と、人間同士の戦争が繰り広げられ、ついに、互いの文明が滅びる寸前に至るまで、戦争は続けられたわ。
そんな混沌の時代に終わりを告げるように、精霊の巫女と呼ばれる女性が現れたの。
彼女は封印された精霊達を解き放ち、精霊武装や精霊兵器を無力化することによって戦争を終結させたわ。
そして人間達には、必要最低限の魔法知識を与え、人間達はその知識を磨き続け、今の魔法技術を作り上げ、現在の人間の生活を支えています。
さらに、巫女は全ての元凶である『エンゼル・ウィング』とも『イービル・ウィング』と呼ばれる何かを、エンゼルクレイドルのどこかに封印し、それを竜族や他種族。幻獣やモンスター達までもが、現在に至るまで守り続けているといいます。
エンゼルクレイドルが魔境とされている大きな要因の一つである、現地の竜族やモンスターの凶暴性は、この伝説が原因なんじゃないかと、エルフの学者の間で最も有力な説となっているわ」
長い。そもそもこんな歴史の授業から始めるべき話なのか? さすが妖怪理屈ババア。
「レイ、つまらなさそうに、とても失礼な事を考えているわね? 顔に『妖怪理屈ババア』って書いてあるわよ」
「すげーやばーさん。ついに読心術まで身につけたか。大妖怪まで後ちょっとだな」
「あなたはそんなだから、魔術が身につかないのよ? そもそもあなたは昔からそうでした。魔術とは何かを理解する前に、魔術を行使しようとするから、あなたの離れにあるお母様の大切な遺品は、宝の持ち腐れとなり、本棚で埃を被る結果になっているのですよ? ああなんて嘆かわしい。あなたのお母様に私は合わせる顔が無いわ……」
……いやまぁ、スキラも俺に魔術は無理だと判っていたから、魔術ではなく狩りやサバイバル技術を俺に叩き込んだんだけどな?
「さて、話が逸れましたが、ここからが精霊の巫女とは一体どんな存在だったのかという話になります。
レイが極端に嫌う単語を使う事になってしまいますが、まさに『神』に最も近しい存在と言わざるを得ないでしょうね。
その力が伝説の通りなら、精霊を封印し、その力を強制的に引き出すなんて、神にも匹敵するであろう技術を無効化し、自身は精霊を意のままに使役する事ができる。こんな力、規格外もいい所です。
我々精霊魔法の使い手は、精霊と契約し、自身の魔力と祈りを捧げ、彼らの助力を得て魔法を発動させます。
それに対し、精霊の巫女は自身で精霊を召喚し、使役してしまう。つまり、立場は精霊より上という事になります。故に、神に最も近しい存在なのです」
神……。このど天然プリンセスが? そんな無敵の存在なら俺はなんも苦労しなくていいって事になるな。鬼夜叉丸とかカトレアだってエリシア一人でなんとか出来るという事になる。
「ただし、生物的には人とそんなに変わるわけではありません。
魔力は確かに人より高く、魔術の深淵を覗く事も可能と言えるでしょう。
しかし、人と同じように傷つき、そして、死んでしまうのです。
そして何より困った事に、エリシアさんを見てわかるように、精霊の巫女は代々、それはそれは美しい女性だったそうよ。
よって、時の権力者達は、こぞって精霊の巫女を奪い合ったわ。巫女の気持ちなんかこれっぽっちも考えずにね。
巫女を狙うのは、何もその体を手に入れたい男性だけではなかったわ。巫女の力を脅威と感じた者は、巫女の命を狙い、実際、命を奪われてしまった巫女も少なくは無いそうよ」
「たとえ、エリシアちゃんがどんなに強くなっても、『人殺しのスペシャリスト(アサシン)』にかかれば、あっけなくやられてしまうでしょうね。
そう、レイちゃん。あなたが本気で私やオリビアちゃんを殺そうと思った時に、思いつくであろう幾つもの方法が、全て通じてしまうのよ。
そんな奴らからエリシアちゃんを守りきれるのは、やっぱり同じアサシンである、レイちゃん。あなたという事になるわ。頑張ってね♡」
つまりは、超火力を誇る魔術師と大差ないという事になってしまうのか。なんだ、余計に『神に近しい存在なんて、大した存在じゃない』と再認識してしまったじゃないか。
「つまり、精霊の巫女ってのは、呼び方を変えれば精霊召喚士ってことだろ? 死霊使いと親戚みたいなものって理解すればいい?」
「……あら、それは間違いよ? 守り手のボウヤ」
聞き慣れた声が、聞き慣れない呼び方で俺を呼ぶ。その声に、俺は驚愕し、隣にいるその存在に目を向け、さらに驚愕する。
「え……エリシア?」
「エリシアちゃん!? その姿は一体」
見れば、エリシアの美しい金髪は、プラチナのように耀く銀髪へと変わり、頭のてっぺんから狼の耳を生やしていて、それはまるで、狼人族のような姿になっていた。
「ええ。私はエリシアであり、シェリルでもあるわ。つまり、精霊の巫女とは、精霊を召喚するだけでなく、精霊をその身に降ろし、同化する事が出来るの。私はまだまだ力が開花したばかりなものだから、そう長く同化は出来ないし、シェリルとしての力を全て行使できるわけではないけれど、シェリルとしての知識を共有する事は可能よ。ふふふ、どうしたの? レイ。まるで鳩が豆鉄砲食らったみたいに呆けちゃって。この姿がそんなにびっくりした?」
「そりゃびっくりはするだろうよ。その姿はまるで……」
「狼人族みたい? それは当然でしょ? ダイアウルフと人が融合すれば、こういう姿にはなるわよ。
まぁ、シェリルが召喚された理由は、私とあなたと、スキラさんの縁に起因するのだけれどね。
あなたにとって、狼はどんな生き物よりも特別な存在でしょう?
それはスキラさんが狼人族だったし、スキラさんが使役した狼達は、あなたの大切な家族だった。
そして唯一、あなたが信じるに値する守り神が存在するのだとしたら、それは伝説の狼、ダイアウルフに他ならない。
そんなあなたの相方である私が呼び出した精霊は、あなたの影響を強く受け、シェリルを呼び出したという事になるのよ? どう? 驚いた?」
ふふふと含み笑いをするエリシア。だがその表情は、どこかエリシアとかけ離れていて、違和感を感じずには居られない。
「ふぅん? その割には、俺を殴り飛ばしたり、ボウヤ呼ばわりしたり、随分とシェリルは俺に辛辣に見えるけど?」
するとエリシアは、ジト目で何かを訴えながら、俺の眼前へと何かを見せつけた。
「え……。しっぽ? いやまぁそりゃ生えるんだろうけど……」
「ねぇレイ。あなたは、私のお尻から生えてるこの尻尾をむんずと掴んで、引っ張りあげて、あられもない格好をさせる? もしそんな事をしたら、私のあなたに対する評価はどうなるかなんて、目に見えているわよね?」
「う、そりゃまぁ。怒るどころの話じゃなくなるわな……」
「判ればいいのよ、守り手のボウヤ。
私もあなたの縁によって呼び出された身。あなたには好感が持てる部分が多いのは確かよ。
ただし、レディの扱いがあまりにもなっていないわ。
これから共に巫女を守る存在として、嫌でも協力し合っていく関係になるのだから、是非あなたには気をつけて欲しいわ。
もし、あなたが私への態度を改めてくれたなら、私もあなたをボウヤ呼ばわりはせず、そうね、巫女と区別をつける意味合いで、あなたを『レイくん』って呼んであげるわ」
「大して変わってねぇよ」
にしてもややこしい。口調が変わるが、姿は殆どエリシアで、声はエリシアのまま。そのエリシアが俺をボウヤとか呼びやがる。実にややこしい。
いやしかしまぁ、ティアマトやシェリルの見かけがあんなんだから、女性として認識しろって結構無理難題ではあると思うわけだよ。だって飛竜と狼だぜ? 雌の個体として認識する事はできても、レディとして扱えって、難しい事を言われて無いか? 俺。
「ちなみに、今後巫女が力を順調に開花させたのなら、ボウヤの持ってるその忌々しい武器に封じられた精霊を解放し、自身に憑依させ、ボウヤが培ってきた剣術を、精霊を通して取得するなんてことも、可能かもしれないわね」
「なにそのびっくりチートスキル。つか勝手に封印解かれても困っちまうんだけど……」
しかし、今確かにシェリルは精霊剣を忌々しい武器と表現した。やはり、中の精霊は居心地が悪いものなのだろうか。
「なぁシェリル。俺のこの剣の精霊たちは、無理矢理封印されて、俺に使役される事をやはり不満に思っているのか?」
「ふむ……。なんだかその二人は変わってるわ。
別に居心地は悪く無いみたいよ? シルフィードは、あなたのその性格を気に入ってるみたい。中に入っている精霊が女性の精霊だからかしら? 剣を大切に扱うあなたを、しっかりと主として認めているわ。
そしてイフリートは、そうね。どちらかと言うと、利害関係の一致から貴方にしたがっているところがあるわね。ただ、シルフィードと同じくらい貴方の事を気に入っているのは確かよ。
あなたの闘志、そして心の奥底に燻り続ける憎悪や殺意、強い怒りが、何よりもご馳走みたいね。
私から見たら、とても居心地が良いそうよ。
炎の精霊は、誰もが癖が強すぎて、精霊の巫女ですら文字通り手を焼いてしまう相手だというのに、その剣が手に馴染んでる以上、あなたが剣を選んだと言うより、剣があなたを選んだのでしょうね。
でも精霊剣イフリートなんて生易しいわ。それは間違いなく魔剣イフリータに改名すべきよ」
「ん? 魔剣はわかるが、イフリートをイフリータに改名する意味はなんだ」
「それはそもそも、イフリートは男性の名前。その剣に封じられている精霊もまた、女性の炎の精霊だからよ」
「ええ!? お前女だったのかイフリート!?」
俺は思わず、鞘に納まる剣に向かって話しかけてしまう。エリシアもとい、シェリルはそのイフリートに向かって耳をぴくぴくと動かしながら、彼女の声を聞いているようだ。
「ふむふむ……。そんなのどうでもいいから、もっと自分を使って、敵を焼き殺せとの事よ。特にこの間の鬼夜叉丸との戦いは本当に楽しかったって言ってるわ。ボウヤ、あなた割と女難の相が出てるんじゃない? この精霊、相当性格歪んでるわよ。今ので、私の中でその剣の呼び方は狂炎剣イフリータに決定したわ」
「あ、あははははは……」
いや、全く持って否定できない。しかし、狂炎剣イフリータか。悪くない。しかし、今更改名することも無いだろう。
「やっぱ、お前さえ良いのなら、今までどおりイフリートって呼ぶ事にするよ。殺害許可はマスターに申請してくれ」
「うふふ、レイちゃんったら。そんな許可よっぽどの事が無い限りだすわけないじゃないの。そんな話聞いたら余計に出せないわ♡ それどころか私、今すぐその剣自体を封印するべきかもしれないって思っちゃった♡ なぁに? その物騒すぎる呪いの魔剣。ちょっとお姉ちゃんに貸してみなさい?」
いつもどおりの口調で、顔が全然笑って無いマスターが、ガムテープやら封印器具やらを構えて右手を差し出した。勿論渡すつもりなんて無いが、それを制したのはシェリルだった。
「迂闊に気安く触らないほうがいいわよ?
下手に他人が触ると、その剣は機嫌を損ねて触れた手を一瞬で消炭に変えるわ。
よくもまぁ荒神やら邪神と区別されておかしくない精霊を、こんな剣に封じたものね。
癖の強い炎の精霊の中でも、彼女は特段気性が荒そうよ?
さっきから私に対して『あぁ? やんのかテメーコラ、あぁん!? 燃やすぞ剛毛毛玉ビッチ! びびってないでかかって来いよ雌犬風情が!』ですって。
あーやだやだ。レディとは思えない言葉遣いだわ。
それをシルフィードが『まぁまぁイフリート、そんなに怒っちゃ主さんが困っちゃうよ? ほら、鞘が焦げたらまた取り替えなくちゃいけなくなっちゃうじゃない』って優しくなだめてるわ。
こうして見ていると、なんていうか、シルフィードとイフリートは絶対にセットにしておかないとダメね、きっと。
それにしても不思議ね。属性も性格も違う精霊二人が、双方とも曲刀に封印されているなんて。それに装飾は違えど、刀身はほぼ同種、いいえ、むしろ姉妹剣とでも言うべきなのかしら。
まるで計ったように……。っと、ごめんなさい。二人にこれ以上は詮索するなと口止めをされてしまったわ」
ふむ、察するに、彼女たちは封印される前から互いを知っていて、それぞれ同じような剣に封印されてから、別の場所で保管されていたという事か? これは偶然ではなく、何らかの意図があって、何者かが作為的にそうしたとしか思えないな。そして彼女らはその理由を知っている。……まぁ、下手に詮索する必要も無いだろう。
「まぁなんにせよ、私の知る限りの情報は。巫女と共有する事が出来るし、代々精霊の巫女達は、そうやって自分が何者なのか、そして巫女の使命や運命を理解していったわ」
しばらく沈黙を守っていたばーさんが口を開いた。
「ふむ、ではつまり、巫女であるエリシアさんには、果たさねばならない使命がある、と言うことかしら?」
ばーさんの顔は真剣そのものだったが……。
「いいえ、確かに今の世の中は混沌としているのかもしれないけれど、それは飽くまで人々の戦いであって、精霊の領域に達するほどでは無いわ。むしろ平和なほうよ。
かつての世界は、この大陸はおろか、星そのものを滅ぼしかねなかった。
そもそも、巫女の力が発現する理由や意味は、必ずしもあるわけじゃないの。
突発的に『イービル・ウィング』の封印が解けてしまっても、封印する存在である巫女が居ないと大変な事になるでしょう? 保険みたいな物よ。
そうね、強いて言うなれば、今この時に、精霊の巫女として私が生まれた理由があるとすれば、世界の存続とは無関係な、また別の運命なのかもしれないわね」
俺は大きくため息を付き、ぼりぼりと頭を掻いた。
「そいつは難儀な話だな。てか、そろそろ俺は席を外していいか? 運命だの神だの、ムカつくワードばっかり出てきやがる。魔法だの魔術だのの講義も、俺は昔から大の苦手だってばーさん達も知ってるだろ? 俺にはもう関係なさそうだから、離れに戻るぞ?」
適当な理由をつけて席を立とうとした時だった。シェリルと融合したエリシアの目が、鋭くも悲しみを含んだ目で俺を見据えていた。そして彼女はゆっくりと語りだした。




