―希望の光Ⅰ―
扉を開け放ち、大声で騒ぎ立てたエルフの婆さんは、俺とじーさんの姿を目にし、息を飲んだ。そしてすぐにじーさんに駆け寄り、喉元に手を当てて脈を確かめ、その鼓動が伝わって来ない事に酷く落胆した。
「ああ、そんな……。 間に合わなかったなんて……。トーマス! あなた、なんて愚かなことを! あなた馬鹿よ! 大馬鹿よ! 実の孫に、なんて惨い……! こんな形で本気で彼を救えるとでも思っているの!? 答えなさい! 答えて、トーマス……!」
エルフは、じーさんの亡骸の胸倉を両手で掴み、大きな声を上げていたが、やがてエルフは涙を拭うと、俺を真っ直ぐに見つめた。その目には、深い悲しみが宿っているのが判った。この人にとって、じーさんはかけがえの無い友人の一人だったというのは、すぐにわかった。
「そう、あなたがレイ君ね。私はフローラ。おじい様の古い友人です。……あなたが、おじい様を……殺めてしまったのですね」
「……」
俺はただ嗚咽を噛み殺し、凶器であるペンダントを握り締めたまま、頷く事しか出来なかった。
「……自分が、どれだけ愚かなことをしたか判っているわね。たった一人残された家族を、あなたは、自ら殺めてしまったのよ? これからどんなに後悔しても、おじい様は……」
ああ、帰ってこない。死んだ人は、どんな事をしたって帰ってこない。そんな判りきった事を口にするな。そんな御託は聞きたくない。
もう殆ど錯乱状態だったんだろうな。ばーさんの声は、五月蝿いだなんて思う声量はしていなかった。だけど、その時の俺には、耳元で野良犬が喧しく吠え立てているような、そんな錯覚をしたんだ。結果何が起こったかと言うと、感情の爆発さ。俺は、再び癇癪を起したように、なんの落ち度も無いばーさんに怒鳴り散らしたんだ。
「うるさい。……うるさいうるさいうるさい! 判ってるよ! 俺はこの国の教皇を、たった一人残された家族を殺した大罪人なんだろ! さぁ俺をとっとと捕まえろ! そして俺をあの断頭台に連れて行け! お前たちが嘲笑いながら首を刎ねたスキラみたいに俺を処刑しろよ!!! そうさ! 誰も帰ってこない! スキラも、ゴブもドリアードも!!! あんたも俺が憎いんだろ! あんたの友達を俺は今この手で殺したんだ! さぁ俺を殺せよ! どーせお前に俺の気持ちなんて判りっこないんだ! じーちゃんもずっと苦しんでたんだ! それをお前ら少しでも知ってたかよ!? 知らないから俺が殺してからノコノコやってきたんだろ!!! ほら、殺せよ!!! 簡単だろ!? 子供一人殺す事くらい簡単だろ!? 呪いなんてありはしない! 殺せるんだよ! 魔女の呪いなんて嘘っぱちだ! スキラは、お母さんは……魔女なんかじゃない。魔女なんかじゃないんだ! 俺のお母さんなんだ! 世界で誰よりも俺に優しくしてくれた、たった一人の家族だったんだ! スキラを魔女と呼ぶなぁぁぁ!!!」
その時俺は、もう感情のコントロールが完全につかなくなっていた。誰も彼も敵にしか見えなかった。
ただ、街に放り出された野生の狼の子供みたいに、震えながら誰彼構わず吠え掛かることしか出来なかったんだ。そんな俺を、フローラばーさんは優しく抱きしめた。何をされているのか理解できず、腕の中でもがき続ける俺を、それでもばーさんは優しく包み込み、頭を撫でながら、囁く様に語りかけてくれた。
「……わかっています。わかっていますから。貴方のお母様は、無実の罪を着せられた。そして、あなたは、あまりにも苦しみ過ぎた。
怖かったでしょう。寂しかったでしょう。辛かったわよね……。こんな小さな体で、ずっとずっと耐えて来たのね。その結果、あなた自身が、このような過ちを犯してしまった。
確かに、これはトーマスが望んだ結末でしょう。ですが、ただでさえ人を殺める事が許されない事なのに、それが自分の家族だなんて、絶対にあってはならない事なのよ? あなたなら、分かるわよね?」
初めてだった。スキラの無実を、誰かが信じてくれたのは。今まで何度も何度も、声が枯れるほど、スキラは無実だ、誰も殺してない。呪いなんか存在しないと訴え続けてきたのに、誰も俺の声に耳を傾けてくれなかった。戯言だと決め付けたり、罪人を庇い立てしてると罵ったり、魔女に洗脳された哀れな子供だと哀れんだりしてきた。だが、ばーさんは違ったんだ。俺を理解しようと、必死になっているのが伝わってきたんだ。
「スキラの仇を……討たなきゃいけなかったんだ。スキラは、悪い奴なんかじゃない。なのに皆が俺に言うんだ。スキラは大勢の人を呪い殺したって。スキラは、スキラはそんな事絶対にしてない!
やめてって言ったのに、スキラは無実だって俺はずっと訴え続けた。なのに……なのに、スキラはあんな酷い殺され方を!
全部アギトル教が悪いって思った。だから復讐しなきゃって思ったんだ。それ以外、考えられなくなって……ひっく。アギトル教の教皇がじーちゃんだって言われても、会ったこともない人間を家族だなんて思えなかったんだ。仇だと思ったんだよ。兵士達に命じて、スキラを殺させた張本人だって、俺は知っていたから! 許せなかったんだ。絶対に許しちゃいけないって思ってた!
なのにじーちゃんは、俺に会いたかったって! 俺からスキラを奪ったことを、ずっとずっと後悔してたんだよって!
じーちゃんは、命乞いを一言もしなかった。自分から俺に命を差し出してきたんだ。終らせなさいって。
……苦しい。胸が苦しくて息が出来ないよ。スキラの仇を討てばすべてが楽になると思ってた。毎晩毎晩、俺は眠る度に、スキラが殺されたあの日の夢を見て来た。すれ違う人間から、魔女の子供だなんて言われ続けた。
仇を討てば、こんな辛い事は終わるって思ってたのに! どうして、どうして前よりこんなに苦しいの?」
ばーさんは、泣きじゃくる俺の頬を、ハンカチで涙を拭き取りながら、悲しい表情のまま、静かに語ってくれた。
「……レイ。こんな形で憎しみを晴らしてしまった貴方を蝕んでいるのは、罪悪感よ。復讐で心が救われる事はない。トーマスはそれを理解していたはずなのに、あなたにこんな道を選ばせてしまった。コレは絶対に避けるべき事態であったはずなのに、トーマスには、他に選択肢がなかったのでしょう。でもね、レイ。よく聞いて。 トーマスは、あなたを助けて欲しいと、私にあなたを託しました。しかし、あなたの救い方は、本当に情けない事なのだけれど、賢者の私にも分からない。だけど、私が、トーマスやスキラさんに代わって、あなたが大人になるまで傍にいるわ。あなたの進むべき道が見つかるまで、ずっと傍にいる。一緒に悩み、一緒に考えましょう。……きっと、道はあるわ。私を信じて、一緒に来てくれるかしら、レイ」
はじめて、ばーさんは俺に優しく微笑んでくれた。そして俺に、手を差し伸べてくれたんだ。
「……うん」
俺は、差し伸べられた手を握り返した。彼女を信じてみようと思ったのは、フローラばーさんの匂いがスキラと似ていたからだ。薬草やハーブ、魔法薬の香りが、スキラと同じように、フローラばーさんにも染み付いていたんだ。
「あとは任せましたよ、ゼクス」
ばーさんが誰も居ない筈の物陰に言い放つ。
「……ありゃ、気がついてたんだ。完全に気配消してたはずなのになぁ」
物陰からゆっくりと、男が気だるそうに姿を現した。何時からそこに居たのだろう。その男は先ほどすれ違った暗殺者だった。俺はその気配にまた体が強張ってしまう。あの細く鋭い剣のような眼差しが、再び俺に突き刺さる。そしてゼクスは、ニコリと笑いながら、フローラばーさんに語り始めた。
「ねぇフローラ。ものは相談なんだけどさ、その子、俺に預けてみない?」
「……なんですって?」
「その子、かなーりいいセンスしてる。今からしっかり仕込めば、17歳になる頃には、俺の次に強い剣士になれると思うよ。それって、この国にとっても有益だと思わないかい?」
その言葉を聞き、フローラばーさんは俺を背後に隠し、ゼクスを鋭い目つきで睨みつけ、杖を構えた。
「いいえ、思いません。もう十分でしょう? この子はもう十分すぎるほど苦しみました。今この子に必要なのは、心の安息に他なりません!」
先ほど、俺に優しくしてくれた人と本当に同一人物なのかと疑いたくなるくらい、ばーさんはすごい剣幕だった。だが、ゼクスはそれを意に介せず、俺から目を逸らす事はなかった。
「……安息ねぇ? ま、いいか。今から仕込めば確実だろうけど、本人の努力次第でいくらでも取り戻せる。それくらい、その子には才能あると思うよ? こんなに欲しいと思った人材は初めてだよ。いい暗殺者になるのになぁ」
その笑みが、無邪気に笑う子供のようにも見えたが、俺はその奥にある、底の無い虚のような邪悪を感じ取り、背筋にぞわっと寒気が走った。
「いい加減にしなさいゼクス! 人殺しの才能なんて褒められたものではありません!」
「そうかな? 言ってしまえば魔術師の才能だって人殺しの才能の一つと解釈することだってできるよね? 騎士たちが国を守るために理想を掲げ、日々修練に励んでいる姿も、言ってしまえば人殺しの訓練だし、その理想は言い訳に過ぎない。世界はなんだかんだ単純だよ。力ある者が力なき者を支配する。力なき者は支配されるか、または庇護されるかだ。レイ君、君はこう思った事はないかな? 『自分に力さえあれば』ってさ。そう例えば、君の大切な人たちが、理不尽に蹂躙されていくところを、ただ何も出来ずに傍観するしかなかった時、とかね?」
「……っ!」
脳裏に浮かぶゴブ、ドリアードの最後。そして、あの断頭台がフラッシュバックする。
「これ以上この子の心の傷に触れて見なさい!!! 貴方の体に風穴が開くことになるわよ!!! これは脅しなんかじゃないわ!!!」
ばーさんが身の丈ほどの杖の底を床に着くと、一瞬にして光る魔方陣が足元に広がり、先端の魔水晶とよばれる加工された鉱石に、夥しい量の魔力が集中していくのがわかった。まさに一触即発。そんな緊迫した空気がそこには間違いなく流れていたはずなのに、まるでゼクスは悪戯を咎められた悪ガキのようにケラケラと笑い出した。
「はいはい、そんな怖い顔するなよ。シワが増えるよ? さて、俺は仕事をしてさっさと帰るよ。レイ君、どの道君には、魔術師として大成するほど魔力があるわけじゃない。どんな道を選ぶにしても、剣くらいは、握れるようにしておいたほうがいい。このご時分、大切なモノが出来ても、それを守る力がないと、両手から零れ落ちるよ? 覚えておくんだね。ほらほら行った行った。仕事の邪魔だよ」
ゼクスは俺達を、右手でシッシッと払いのけるようなジェスチャーを見せた。その時、俺の頭と心に、『大切なモノが出来ても、それを守る力が無いと、両手から零れ落ちる』と言う言葉が、焼き鏝で焼印を入れられたように、脳裏に刻み込まれた事を覚えている。
「行きましょうレイ。さぁ……」
俺はそのままフローラばーさんに連れられ、聖宮を後にした。
それから半日もせず、すぐに教皇の死は公になり、ニュースや新聞には、犯人はアサシンによって追跡されていたが、持っていた爆弾で自爆し、犯人は跡形もなく消し飛んだと発表された。
その新聞を読み、フローラばーさんは『なんてやっつけ仕事をするのかしら』と呆れ果てていた。今思えば、ゼクス隊長は本気でめんどくさがっていたんだろう。彼にとっては、とんだ茶番の尻拭いをさせられていると思ったに違いない。
俺は『精霊の森』とよばれる森にあるばーさんの屋敷、リーゼリット邸に匿われていた。ばーさんの結界は恐ろしく強力で、許可のない者は絶対にたどり着けないような仕組みになっていたため、俺を匿うにはうってつけだった。世話になり始めたころの記憶は、正直殆ど残ってない。ただ毎日、虚ろな時間だけが流れていった。以前もそうだったように、俺は再び、抜け殻となり、夜になれば悪夢を未だに見続けていた。
そんな俺を見かねたのか、ある日フローラばーさんが言ったんだ。
「ねぇレイ? たまにはどこかに出かけましょうか。どこか行きたいところは無い?」
そうばーさんに尋ねられ、俺は即答した。考えるまでもなく、行きたい場所なんて、一つしかなかった。
「……住んでいた森に帰りたい。ほんの少しだけでもいいから」
俺は自分に与えられた部屋の窓の外を眺めながら、ポツリと消え入るように呟き、ばーさんはその言葉を聞いて、少し悲しそうな表情を浮かべた。
「……そうね。でもレイ、もうあの森はあなたが居た頃とは、随分と変わってしまったわ。それでもいい?」
「うん」
「……そう。わかったわ」
俺は森が真っ赤に燃えている所をこの目で見ていた。もうあの森は失われてしまったと分かっていても、どうしても行きたかった。
たとえ焼け野原が広がっていようと、少しでもスキラやゴブたちと過ごした時間を感じたかったんだ。
でも、現実はもっと残酷だった。
馬車の車窓から見えたその場所は、見た事もない新しい集落ができ、畑や放牧地が広がっていた。一瞬ここが本当に住んでいた森なのかと疑ったけれど、いつも水を汲んでいた池がそのまま残り、放牧された家畜たちが、その池の水を飲む風景を見て、ここが俺の住んでいた森だと理解した。俺の心は、悲しさと空しさで溢れるばかりだ。美しく緑色に耀く草原。だが、俺はその数年後の未来を幻視していた。
俺の目に映ったのは、目の前一面に広がる草原を、黒と赤で染めた死の大地。血吸いの黒薔薇が一面を多い尽くす、地獄絵図がはっきりと見えたのだ。
「……ああ、本当に人間は馬鹿ばっかりだ」
焼いた程度で薔薇を滅ぼせたのならば、スキラやその先祖が、薔薇を焼かないはずが無いのだ。切っても焼いても、薬を使っても、薔薇を滅ぼす事ができなかったのだろう。だから薔薇の繁殖を広げないよう常に見張り、木々で囲むように森を広げ、『封印』するしかなかったんだ。だが、封印は消滅してしまった。数年もしたら、この土地は薔薇に覆われてしまうだろう。いや、もっと早いのかもしれない。どちらにせよ、この草原や、新しくできた集落。そしてあの忌わしい村も、すべて薔薇に飲み込まれるだろう。もう今更、それを食い止めることはできないだろうし、愚かな人間は、その危機が目前に迫るまで、今の生活を手放そうとはしないだろう。その結果、命を落とす嵌めになろうとも……。
「レイ、あなたが住んでいた場所だけは、まだ当時のまま残っているそうよ。皮肉な話よね、スキラさんが魔女と恐れられていたおかげで、彼女の家とその周辺は誰も手をつけようとしなかったの。それでも、、焼け跡と林が少し残っているだけなのだけれど……。辛い光景だと思うけど、大丈夫?」
「……うん。覚悟ならして来たから」
馬車は途中で進めなくなった。道もなく、藪が生い茂った林を進んだ。そうしてしばらく進むと、目の前に焼け落ちた廃屋が現れた。
それは、無残に焼け落ちてしまっていても、俺とスキラの家だというのは、一目見て分かった。
「っ!」
足の力が抜け、俺はその場に崩れ落ちてしまった。ショックだったよ、すごく。判りきってた事だし、覚悟もしてきたはずだった。けれど、現実を目にすると、本当に辛かった。失ったものを、再確認させられた。でも、それでも、俺はそこに来たかったんだ。
「レイ!」
崩れ落ちた俺を、ばーさんが心配して駆け寄って来るが、俺はばーさんを制した。
「大丈夫! ……大丈夫だから」
俺は立ち上がり、もう扉とも呼べないような扉を開けて、その廃屋の中へと入った。中も、本当に悲惨な状況だった。全てが焼け焦げ、煤で真っ黒に染まり、触れただけで崩れ落ちてしまうような、悲惨な光景。ここに、自分が住んでいた事を疑ってしまうほどだった。
『スキラ! ただいま!』
『おかえり、レイ。危ない目に逢わなかった? 頼んだハーブはしっかり採ってこれた?』
一瞬、過去の幻影を見た気がした。
台所に立ち、泥だらけのまま飛びついてきた俺を、嫌な顔一つせずに、優しく微笑みながら頭を撫でてくれたスキラの幻影を見た気がした。
「……ただいま、スキラ」
ぽつりと、消え入るように、いつもスキラが居た台所に向かってつぶやいた。その台所も、今は真っ黒に染まり、そこが台所だったと窺い知れるのは、黒く汚れてしまった、石造りのシンクのみだ。
「レイ、スキラさんとの思い出の品を探しましょう。なんでもいいわ、形見の品が一つでもあれば、きっとそれはあなたの宝物になるはずだから」
「うん……」
放心する俺にばーさんは声を掛けてくれて、二人でしばらく探したけど、家の中にあるようなものはすべて壊れてしまったり、燃えてしまったりしていた。とても大切に出来るようなものは、何も残っているように思えなかったんだが、諦めかけたそのとき。一瞬だけまたスキラの幻影を見た気がしたんだ。
幻影のスキラが研究をひと段落させ、何か呪文を唱えながら石畳の床に触ると、魔方陣が浮かび上がり、地下へと続く階段が姿を現した。
「……地下室! ばーちゃん、スキラが呪文を唱えてここに触れたら、階段が出てきたんだ!」
その言葉を聞いて、ばーさんは床を覆っている埃や煤を払いのけ、指先に魔力を集中しなぞっていく。すると、いつか見た魔方陣が、そこに姿を現したのだ。
「なるほど……隠し工房ね。……ええ、確かに魔術によって入り口が隠されているわ。本当に優秀な魔術師だったのね、普通の魔術師じゃ、これをこじ開けることは不可能。私も出来れば破壊だなんてしたくないのだけれど。……あら? これは、指紋認証魔方陣だわ。しかもプロテクトの術式に直結してる。……そしてこれは、映像投影魔法! ああ、なんてこと。そう、そう言うことなのね……スキラさん。本当に、これが失われずに済んで良かった! レイ、ここに手のひらを着いてごらんなさい。スキラさんが、自分に何かあったときのために、メッセージを遺してくれているわ。あなたの指紋で発動する魔法が、この隠し扉の魔方陣に組み込まれてるの」
「スキラが……?」
俺がゆっくりと床に手をつくと、魔法陣が発動し、床全面に広がったと思った瞬間。目の前が光に包まれ、視界が奪われた。
「……っ」
眩しさに目がくらみ、何が起こったのかよくわからなかった。けれど……。懐かしいスキラの魔力を感じ取ったんだ。
『……レイ?』
「……え?」
その懐かしい優しい声に、涙が溢れた。
「スキラ?」
目の前に、スキラが立っていた。だが、その姿は魔法で作られた映像なのだと理解するのに、時間はかからなかった。それでも俺は、嬉しさで涙が溢れていた。
「スキラ……。スキラぁ!」
スキラに抱きつこうと手を伸ばしたが、その指先はスキラに触れることなく、透き通ってしまったが、俺にとってはそんな事はどうでも良かった。もう一度、スキラの姿を見ることが出来た。それだけで十分だった。そして、映し出されたスキラは、ゆっくりと語り出す。
『ふぅ……。えっと、この魔法が発動したという事は、私の身に何かあったという事ね。大丈夫? レイ。怪我はしてない? 病気はしていない? 今、私が知っているレイは、とっても泣き虫だから、私は心配です。 今、あなたがいくつになったのか分からないけれど、私はしっかりとあなたに教えるべきことを教えてあげられたかしら。
まぁ、あなたがしっかりと成長して、立派な大人になっていたら、このメッセージは消すつもりでいるから、きっとまだまだ教えてあげなきゃいけないことが沢山あるはずです。ごめんね、レイ。……傍に居てあげられない私を許してね。えっと、私がこれから教えてあげられる事は、正直思いつきません。……って、ちょっと違うかな。思いつく事はいくらでもあるのだけれど、どれを教えて、どれを教えてないのか分からないし、そんなに時間がある訳ではないの。
レイ、貴方はこれからきっと、あなたは人間の世界で生きて行かないといけないと思う。その為に、少しでもあなたの力になれる様、私達ブレイズ家が研究してきた事全てを、あなたに託す事にするわ。
これがどんな風に役に立つのかは判らないけれど、魔術師として生きるのであれば、ここにある資料をしっかりと理解すれば、超一流の魔術師になることが出来る筈です。お勉強は苦手なレイだけど、そこは頑張ってね。狩人として生計を立てるのであれば、今以上にしっかりと練習する事。まぁ、貴方ならこっちの方が得意かしらね。うん、狩りのテクニックは心配ないかなぁ。
ねぇ、レイ? 私からのお願いがあります。一つだけ、約束して欲しいの。……きっとこの先、絶対に、あなたを必要とする人が現れるはず。その時、あなたがどんな大人になって居たとしても、その人の希望になってあげなさい。レイ、あなたは、私にとって『希望の光』そのもの。貴方のおかげで、暗く閉ざされた私の人生に光が満ち溢れたわ。だから、私はあなたを『光』と名付けました。
あの時からずっと今まで、本当に毎日が楽しいわ。あなたの成長を見守ることが、私の生き甲斐です。
だからこそ、私が居なくなった後のあなたが心配で心配でたまらなくて、ここにメッセージを残すことにしたの。
……そしてあなたはこのメッセージを見てしまった。あなたにこんな寂しいメッセージを見せてしまった。……すごく残念で、無念です。このメッセージを無事に消せたらよかったのに。
……やだ、もしもの話で、私は何を泣いているのかしら。……さぁ、私の手のひらに触れて約束して? それをこの扉の鍵にするからね。立派な大人になって、大切な人の人生を照らす光になってあげてね、レイ。約束できるかしら?』
幻のスキラが、俺に向かってゆっくりと手を差し出した。懐かしい、忘れもしない、狼人族の約束の証。
「……うん」
俺はごしごしと袖で涙を拭き取り、右手を伸ばし、幻のスキラと、手のひらを重ねた。
「約束だよ、スキラ」
約束を交わすと、足元の魔方陣が光り輝き、消滅していく。そして少しずつ、隠された階段が姿を現した。
『約束、したわよ? がんばってね、レイ。もう泣いちゃだめよ? ……それじゃあね。ずっとずっと、愛してる。目に見えなくても、私はずっと、あなたの傍にいて、あなたを見守っているわ、レイ。忘れないでね。あなたは希望の光。私の自慢の息子よ。どんな最期を迎えたとしても、私は、あなたが居たから、あなたが居てくれたから、とってもとっても幸せだったわ。レイ、ありがとう……。さようなら、私の愛しい息子よ。あなたの人生が光で満ち溢れるように、私は祈っているわ……』
最後に優しく微笑み、スキラはまた光に包まれて消えてしまった。待って、消えないでという願いをかみ殺し、追い縋ろうとする右手を、ぎゅっと握り締め耐え、溢れそうになる涙を、瞼を閉じて封じ込めた。
「……本当に、素敵な人に育てられたわね、レイ。これほどの魔法術式を組み込める人は本当に稀なのよ。これほどの魔法の知識を持つ人はね、この国では『賢者』と呼ばれる存在になれるの。私もその一人。その私が保証します。あなたのお母様は魔女などではない。正真正銘、貴方の母親だったわ。本当に本当に、優しくて素晴らしいお母様だったのね」
ばーさんの言葉は嬉しかったが、俺にとっては、そんな当たり前な事を言われてもしょうがないと思ってしまった。だって、俺にとっては、それだけが真実だったから。
「……泣かない。泣くもんか。もう泣かないって、スキラと約束したっ!」
「……そうね、レイ。一緒にがんばりましょう。さぁ、お母様との思い出の品を探すわよ」
「……うん!」
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。少しでも楽しんでいただければ幸いです。暁のほうでは、ここから数話ほど話が進んでからの番外編を挟んでいますが、次回からは先に番外編を掲載して行こうと思います。引き続き、Aerial Wing -ある暗殺者の物語-をよろしくお願いします。
もしよかったら感想をお聞かせください。自分も他の作者様の作品を読ませていただき、感想を述べさせていただきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いします。




