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―レイの復讐Ⅲ―


 今思えば酷い計画だ。例え教皇一人殺した所で、次の教皇に据え変わるだけ。アギトル教が軍隊や政治のように瓦解し、消えるだなんてことはまずありえない。それでも、その時の俺には、それが全てだった。


「笑えるだろ? 丁度俺の出生について語られたのが正式な俺の6歳の誕生日の話だよ。6歳の餓鬼が教皇暗殺を企てるんだぜ? 悪い冗談にしか聞こえねーよ」


 自嘲じみた俺の皮肉に、エリシアは悲しそうな表情を浮かべるだけだった。


「全然笑えないよ。本気だったんでしょう? 6歳なんて、まだまだお母さんに甘えてる時期よ? レイが怖いのではなく、レイをそうさせてしまったその環境が恐ろしいわ。小さな子供からそれまで愛に満たされていた時間を全て奪い、その子にとって狂気じみた生活を強いられる。そんな精神負荷をかけ続ければ、どんな人間だって壊れてしまう。惨い、なんて言葉じゃ到底足りないわ。レイのお爺様が、前アギトル教の教皇様なのは驚いたけれど、そんな彼の暗殺を企んだとしても、それはもう当然の流れなのかなって、思ってしまう。アギトル教がレイに行った事は、間違いなくカルト教団のマインドコントロールのそれと同じ物だったのだと思うわ。レイが染まらずに耐える事が出来たのは、もう奇跡としか……。レイ、本当に辛かったわね……」

「どうだろうな。辛いとか、悲しいとか、もうそんな感覚も麻痺してしまっていた。それから、一年くらいかな。また神を呪い続ける毎日さ。……いや、アレも祈りなのかもしれないな。毎日毎日、復讐を果たせますようにと、祈祷し続けていたからな」



 ああ、もちろんだけど、もうウンザリしていたさ。良い子のフリを続け、史上最悪の悪い子になる瞬間を夢見て祈り続けるんだ。日に日に殺意を募らせ、暗殺計画を練り続けた。教皇暗殺を誓ったあの日から、丁度一年が経とうとした時、ついにその日は訪れた。


「一年よくがんばったね、クリス。君を正式にアギトル教の信者と認めよう。さぁ、洗礼を受けなさい。それが終れば、君はやっとおじい様の住む聖宮へと足を踏み入れることが出来る。会えるのだよ、君のおじい様に! きっと教皇様もお喜びになられる!」

「はい、僕も嬉しいです神父様」


 やっと報われる。スキラが処刑されてから、なんて長い2年間だったんだろう。心の底から嬉しかった。言うまでも無いが、祖父に逢えることが嬉しいんじゃなく、復讐のチャンスがやっと訪れたっていう喜びだった。そして決めていた。すべてが終ったら、自分からスキラの元へと行こうと。あの世でスキラに怒られるかもしれないけれど、それでもいいと思った。


 数日後、俺は7歳の誕生日を迎えたその日。聖宮から立派な馬車が俺を迎えに来た。そして俺は、王都から少し離れたところにある、アギトル教の聖宮へとたどり着いたんだ。その聖宮を、使いの人間に案内されながら、廊下を歩いている時だった。



 そこで出会ったんだ。あの男に……。



 聖域とされた聖宮に、絶対に似つかわしくないような血の匂いと覇気を纏った男が、気だるそうに、仲間を一人連れて、こちらに歩いてくる姿が見えた。その姿を見た瞬間、俺は戦慄していた。まるで金縛りにあったように全身が硬直し、俺の心臓は警鐘をを鳴らすように、動悸が激しくなった。



「ったくー、どうでもいい用事で俺を呼び出すなっていうんだよなぁ? ユキカゼ」

「ゼクス隊長。まだここは聖宮内です。ここだけでもシャンとしていただかないと困ります」

「ユキカゼ、俺一応この国の最強の剣士よ? あんな手紙一つで呼び出していい相手? しかも内容が……ん?」


 男と目が合った。その細い目の奥から放たれる眼光に、俺は眩暈と吐き気を覚えた。邪龍を見たことはなかったが、当時の俺にも容易に想像できた。アレは邪龍より恐ろしい存在なのだと。体から汗が噴出した。まるで、巨大な何かに押しつぶされているんじゃないかと思うくらい、感じた事の無いプレッシャーを感じていた。生物として別格の存在が、今目の前に居て俺を見下ろしている。


 当時の俺は、まさに恐怖の虜だったよ。ガクガクぶるぶる震えながら、考えを巡らせ続けていた。


 怖い。怖くて仕方が無い。目を逸らしたい。逃げ出したい。いや、目を逸らすな! 目を逸らした瞬間、俺はこいつに殺される! あいつが剣に手をかけたら、どうにか生き残ることを考えるんだ! 何を犠牲にしても、何を身代わりにしても生き残るんだ! まだ、俺は死ねない。死ぬわけには行かないんだ。教皇をこの手で殺すまでは!



 逃げ出したい気持ちと、足が震えるほどの恐怖を歯を食いしばって耐えて、その男を涙目になりながら、俺は必死にその男を睨みつけていた。


 そんな俺を、ゼクスと呼ばれた男は、まるで珍しい生き物を見つけたように、嬉々として俺をじろじろと全身を見回してくる。


「へぇ、ふぅん? 君があの? へぇ! いいねぇ、良いね良いねぇ。ごらんよユキカゼ。7歳の子供にしちゃあ、いっちょ前な面構えしてるじゃないか」

「……こちら側の、という事でしょうか。だとしたら止めるべきです。まだこんな子供ではありませんか!」

「ククク、わかってるじゃないかユキカゼ。流石に千里眼のユキカゼは伊達じゃないね。見てわかったよ。こんなガキンチョが、こんな (かお)をするだなんて普通じゃない。見てみろよ、俺を見たときのこの反応! 俺はこの子に殺気をぶつけたりはしていない。なのにこの子は、本能で感じ取ったんだ。すげぇセンスしてるって! そしてこの子は、あの手紙が本当ならば、ずっと頑張ってきたんだ。せっかく頑張ってきたのに、それを大人が台無しにするだなんて、かわいそうじゃないか。こういう時はさ、全てを見守ればいい。どんな結末を迎えるか楽しみにならないか? 俺は楽しみだよ。想像するだけでゾクゾクするね! おい、ユキカゼ。いいか? 君は何もするな。いいな? これは隊長命令だ。異論は認めない。破れば、いくら君だろうが、許さない。……さて、レイ君、いやクリス君だっけ。まぁどっちでもいいや、がんばりなよ。ふふふ、ふはははは! アーッハッハッハッハッハ!!!」


 男は俺の肩をぽんと叩くと、さも上機嫌に、高笑いしながら廊下をずんずんと歩いて消えてしまった。


「ぶはっ! はぁはぁ、げほっげほげほ。うぇ、げほげほげほ……!」


 全く息ができなかった。まだ恐怖で指が震えている。プレッシャーで、胃の中の物を全部ひっくり返す所だった。


「どうしました、クリス。気分が悪いのですか?」


 付き人は、甲斐甲斐しく俺の背中を擦るが、俺はその姿に違和感しか感じなかった。何故あんな恐ろしい存在が目の前に居て、この付き人はなんでこうも平然としていられるんだと。そんな俺を哀れに思ったのか、ユキカゼと呼ばれていた男が、俺に声をかけた。


「少年。君はまだ幼い。だが、先ほどの彼の言うとおり、こちら側の人間としての才能に恵まれているようだ。隊長はああは言ったが、老婆心から言おう。君のその決断が正しいものか、今一度心に問いかけてみるといい。……今なら、別の道もあるはずだ」


 彼の言う、こちら側という物が何を指すのかは、何となく察しは着いた。きっと、俺が目的を達成し、その後も生きて行くとしたら、彼らの立つその場所は、俺の堕ちて行く場所なのだろう。


「……毎日毎晩、祈りと懺悔を繰り返してきました。やっと、神が僕に下さったチャンスなんです」

「……そうか。ならば止めまい。その魂に、救いがあらんことを」


 不思議な男だった。まるで心の底までも見透かされているような目をしていた。





 これがユキカゼ班長と、ゼクス隊長とのはじめての出会いだった。






―聖宮・教皇広間―


「失礼します。教皇様、お連れいたしました」

「ご苦労様。いつもすまないな。もう下がってよいぞ。さて、孫と二人きりで食事がしたい。食事の支度が出来たら、皆下がりなさい」

「「はい、教皇様」」


 好都合だと思った。自分から人払いをし始めやがった。これなら、余計な邪魔が入らない。

そう思っていたんだ。


「やぁ、遠いところよく来たね。君が生きていたと知ったときは、これぞ神の思し召しだと神に感謝する毎日だった。会いたかったよ、クリス。うむ、やはり小さい時のお母さんそっくりだ!」

「お招き有り難うございます教皇様。僕も貴方にお会いすることを生きる目的として、今日まで生きて参りました。お会い出来て光栄です」


 かしずこうとした俺を、教皇はすぐに制した。


「よさないかクリス。私と君は家族だ。普通に話してくれていいんだよ。さぁ! 食事にしよう。今日はクリスの誕生日だからね。ご馳走を特別に用意したんだ。今日は好きなものを好きなだけ食べていいからね!」


 教皇が手元の鈴を鳴らすと、世話係たちが長いテーブルに所狭しと食事を並べていく。


 俺は下座の席に案内されたのだが。


「こらこら違うだろう。この子は私の孫なのだから、私の隣に案内してくれないと困るじゃないか。さぁさぁクリス、近くに来なさい」

「……はい、おじい様」


 なんて愚かなんだろう。やっと会えた孫がまさか自分を殺そうとするはずがないとでも思っているのだろうか。


 普通なら恨んでいても仕方ない。もしかしたら殺されてしまうかもしれないと、警戒してもよさそうなものを。本当に愚かなジジイだな。プランを変えて、生きたまま目玉をくり抜いてやろうかな。その舌をフォークでテーブルに磔にしてやろうか。


 そんな風に確か、そのときは思っていたはずなんだ。


「ふふふ、こんなことをほかの信者の前では立場上あまり言えないんだがね、私はこのグリンピースが子供のころから大嫌いなんだ。大人になるにつれ食べられるようにはなったが、嫌いなのは変わりなかった。そして、このローストチキンは子供のころからの大好物だよ。ハッハッハ」


 教皇はさも楽しそうに食事をするが、俺には味なんて殆どわからなかった。

これから殺すであろう相手と、食事をともにしている。そんな歪な状況が、俺を極度に緊張させていった。


「(いつ殺す? 早くしないと殺すチャンスを逃す。何故殺さない! 何故俺はこんなバカみたいにこいつと食事をともにしているんだ!)」


「さて、クリス。食後に紅茶でも如何かな?」

「いただきます」


 すると教皇は、自ら紅茶を淹れ始めた。


「紅茶に関しては少々私はうるさくてな。まぁこれは友人のエルフの女性の影響なのだがね。ふぅ……。こうしていると昔を思い出す。よく君のお母さんにもこうして紅茶を淹れてあげたものだ。君は本当にお母さんそっくりだ。そう、クリスティーンは隠し事が下手でね。私にバツのわるい隠し事があると、眉間にしわを寄せたまま俯いてじっと動かないんだよ。そう、今の君のようにね、クリス。いや、レイ。今君は、とてもバツが悪そうだ。さっきよりもずっとずっと、眉間にシワがよってしまっているよ?」


 ハッとした。俺は教皇に殺意を見抜かれている! そう確信した。


「……なんで。いつから?」


 俺の問いには答えず、教皇は深くため息をつきながら、手馴れた手つきで紅茶の準備をしていく。


「やれやれ、実の孫に殺意を抱かれる……か。因果応報とはいえ、やはり辛いな……。君の事はすべて調べさせたよ。さっきすれ違わなかったか? 変わった二人に。彼らはね、この国の諜報と謀殺すべてを任せられる者達、アサシンのメンバーだ」

「……アサシン?」

「君自身が調べられていたことに気がつかなかっただろう? 彼らはそう言う存在だ。不思議だったんだ。無慈悲な魔女が人間の子供を身を挺して守っていたと、現場に居たシスターから直訴された時からね。もしかしたら私たちはとんでもない間違いを犯していたのではありませんか? と、彼女は訴えていた。新任のシスターだったから、村人と君たちの間に入った第三者の公平な目で見ることが出来たのだろう。そして、極めつけは友人からの報告だ。黒薔薇の魔女は無実だという報告が届いていたんだ。さぁ、紅茶が入った。飲みなさい」

「……こんな茶番、もうやってられるか!」


 差し出された紅茶を、俺はカップごと床に投げつけていた。



 そのときの教皇の顔は、本当に寂しそうで、悲しそうだった。俺は憎んでいる相手に、あんな顔をされるとは思っていなかったから、一瞬だけ殺意を忘れたよ。悪い事をしてしまったと、一瞬だけ思ってしまった。だけど、俺の中の復讐心は、その程度じゃ消せなかったんだ。



「よくも皆を! よくもスキラを! みんなあんな死に方をしなきゃいけない理由なんて、一つもなかったのに!!!」


 俺はゴブがくれた首飾りを首から引きちぎった。以前、ゴブが一度自慢げに見せてくれた事があった。ゴブがくれた首飾りはただの首飾りじゃない。仕掛けを動かすことで、鋭い毒針へと変形する暗殺器だ。


 ゴブリンたちの最後の手段。相手を油断させ、刺し殺すことは勿論。潔く自決するための道具でもある。


「俺はあれから復讐のためだけに生きてきた! 俺にはお前が血のつながった肉親だろうが関係ない! 俺の家族はスキラだけだ! スキラだけだったんだ! そのたった一人の大切な家族を、お前達は俺から奪った! それだけじゃない! 住む場所も、友達も全て失った!!!

 全部全部、お前が俺から奪って行ったんだ!!! なのに、何でだ!? 俺がお前を殺そうとしてることなんて判りきってるのに!!! 何で俺を招いたりしたんだよ!?

 何とか言えよクソジジイ!!! 俺には食事も紅茶も用意して、優しく笑いかけるくせに、なんであんな残酷な命令を下せたんだ!!! よく調べてよく話し合いさえすれば、あんな残酷な結果になんてならなかったはずなのに!!!

 今も尚、スキラが悪くないって知ってるくせに、スキラに魔女の汚名と濡れ衣を着せ続けてる!!!

お前らのやってる事こそ、悪魔の所業そのものじゃないか!!! 答えろ! 教皇!!!」


 俺はテーブルの上に駆け上がり、毒針をのど元に突き立てて、何時でもやろうと思えば殺せた。

なのに教皇は悲しそうな顔を浮かべただけで、抵抗するそぶりも見せなかった。


「フゥーッフゥーッフゥーッフゥーッ!!!」


 怒りのあまり呼吸が乱れまくってた。そして体中の震えが止まらなくて、そしてなにより、あと一息で殺せるのに、俺の腕がそこからぴたりと動けなくなってしまっていた。


 教皇は、凶器を突きつけられて居るのに、表情を変えず、申し訳なさそうにしながら、静かに語り始めた。


「……そうだ。そのとおりだよ。やはり君はクリスティーンにそっくりで、とても賢いね。

 愚かだったのは私だった。私もね、君と同じなんだ。妻を早くに亡くした私にとって、クリスティーンはかけがえのない家族だった。


 猟師の男と結婚すると言い出したとき、私は反対してしまったんだ。思想も、宗教も全く違う君のお父さんを、理解しようとしなかったんだ。それが原因で、クリスティーンとは喧嘩別れしてしまった。……だが君が生まれた。君のおかげで私たちは仲を取り戻せたはずだったんだ。だが、あの事件が起こってしまった。


 たった一輪だ。君のお父さんがクリスティーンのために持ち帰った薔薇が、彼とクリスティーンの命を奪ったんだ。そして愚かな村人が君を魔女に生贄として捧げてしまったこともわかった。


 私は絶望したよ。たった一輪薔薇を持ち帰っただけで、魔女は二人を呪い殺し、その二人に関わった無関係の人々をも巻き込み、まだ抱くことも出来なかった孫を奪われたと思っていた。


 その時の気持ち、君ならわからなくはないだろう? 君を生贄として捧げられていても、事態はなんら好転しなかった。5年だ。5年も時間が経つというのに、だ。


 やがて私の心は憎しみに支配されてしまったよ。憎き薔薇と魔女をこの世から消さなくてはと。


 結果、生きていた孫は、私を殺したいほど憎んでいる。本当の我が子のように愛され、大切に大切に育ててもらったのだろう。


 だからこそ、愛する育ての親の仇を討つためだけに、今まで歯を食いしばって生きてきたのだろう?

心の底から憎んでいるはずのアギトル教に、染まったフリをし続けてまで。……レイ、本当にすまなかった」


 教皇は、のど元に毒針を突きたてられているというのに、何も動じず、ただただ受け入れようとしていた。その行為が、俺をさらに混乱させていった。


 これは本気なのか、それとも俺の殺意を奪うための演技なのか。そして何故俺はこんな話を聞いてしまっているのか。これ以上こいつの懺悔を聞いてしまったら、何も出来なくなってしまうんじゃないか。本当にこいつは殺すに値する人間なのか? 曲がりなりにも最後の自分の血族だ。いや、殺すべきだ。スキラやゴブ、ドリアードがされたことを思い出せ! ってさ。


 「謝れば済むのかよ。許せるわけないだろ! お前が謝ったってスキラは帰ってこないんだ!!! せめて死んで償えよ!!!」


 俺の言葉にも、教皇は命乞いをする事は無かった。


「ああ、そうだな。君が望むのなら、この命、喜んで差し出そう。君には私を裁く権利がある。命乞いなどしないさ。


 私一人の命で、償いきれる罪でもないが、私が君にしてあげられることは、それくらいしか思いつかない。だが、君の祖父としてこれだけは言わせてくれ。


 私が言える立場じゃないことは重々承知しているが、君には伝えなければならない。レイ、よく聞いて欲しい。復讐は何も生まなかった。悲劇だけが繰り返されていくのだよ。私は復讐を果たしたが、復讐を果たした結果がこれだ。


 私の復讐が果たされたことにより、私には生きていた孫が私を殺すほど憎んでいるという悲劇が生じた。レイ、信じてもらえないかもしれないが、君が生きていてくれたことは本当に嬉しかったよ。


 君が生きていると知ったとき、私は心の底から神に感謝し、そして後悔し、懺悔した。間違いを犯さない人間などいないが、起こしてはいけない間違いを私は起こしてしまったのだ。


 私はあの日、処刑場に居た。この目で憎き仇が討たれるところを見なくてはと思ってね。


 全ての真実に気が付いた時から、私は毎晩悪夢にうなされてきた。


 体を真っ赤に血で染めながら、悲痛な叫び声をあげ、魔女と私が憎み続けた女性の亡骸にすがりつき、彼女の名前を呼び続け、泣きじゃくる君の夢だ。そして夢の中の君は、私を血眼で睨みつけながら言うんだ。『絶対に許さない』とね。


 恐ろしい恐ろしいと思っていた夢だが、いざ現実になってしまうと、怖いというより、悲しくて仕方がない。


 もっと他に道はあったはずだ。君から大切なものを一つも奪わずに、そしてこんな事をさせずに済む方法が! 


 だがもう手遅れのようだ。君の憎しみは、もう止められない。レイ、本当にすまない事をした。許してくれなど言えない。本当に、本当にすまなかった。


 私は罪を償いたい。自ら命を絶つことも考えた。だがそんな事をすれば君の心は憎しみに囚われたまま、君の全てを焼き尽くすだろう。憎しみがどれだけ恐ろしいものか、私は痛感したのだ。


 こんな感情をこれ以上君に抱かせてはいけない。 レイ、賢い君ならうすうす気がついているはずだ。私を殺しただけでは、アギトル教を滅ぼすことが出来ないのだ。


 私を殺したその後、アギトル教を滅ぼせないと理解した君が次にすることは、恐らく、自分を苦しめた信者達への復讐。そして、育ての親を追い詰めた、村人への復讐。そうやって君は復讐の連鎖に飲まれ、殺人鬼へと豹変してしまうだろう。


 それだけはダメだ。そんな人生を、君には絶対に歩ませてはならないのだ。クリスティーンも、ダニエルも、そして君の育ての親、スキラ殿もそんな事、絶対に望まないはずなのだ。


 私の命一つで、少しでも孫を救えるのなら、私は喜んで差し出そう。レイ、私のことは許さなくていい。そのかわり、私で終わりにして欲しい。私を裁いたら、復讐なんて終わりにしなさい。君には幸せに生きて欲しいのだ。お願いだ、レイ。わしの頼みを聞いておくれ、クリス!」


 教皇は俺に涙を流しながら懺悔し、自分以外の人間に手を出さないで欲しいと懇願していた。


 教皇が流した涙で、本当にこの人が自分の罪を後悔し、そして今まで苦しんできた事がわかってしまったんだ。そして同じようにこの人も、神を信じなければならない立場でありながら、誰よりも神を恨んでいた。それを察してしまったんだ。


 その時、殺意とは全く別の感情が俺に生まれた。



「……貴方は、祈るばかりで真実を見る目を持たなかったんだ。最初から最後まで、ありもしない幻に取り付かれてたんだよ。

 冷酷無慈悲な魔女なんて居なかった。薔薇は呪いなんかじゃなかった。そして、神なんてやっぱり居やしないよ。貴方はずっと神を信じて、誰よりも祈りを捧げて来たんだろ? だから教皇だなんて席に座らされた。その最後がこれじゃ、あまりにも救われない。全ての運命を決定付ける神が、本当に居るとしたならば、神ってのは碌なやつじゃないよ。そんな神は捨てちまえ。……俺も、もっと違う形で会いたかったよ、じーちゃん」

「……ふふふ、そう言うところは、君のお父さんそっくりだなぁ。乱暴で粗暴に見えて、本当に優しい青年だった。……ああ、やっと、やっと安らかな気分で眠れるよ。ありがとう、レイ」

「いいよ、もう。俺が処刑されたら、今度は向こうでちゃんと仲良くやろう。スキラや、本当の父さんと母さんと、みんなで……」

「ああ……。それもいい。とても魅力的だ。だが、君はまだまだ若い。なに、おじいちゃんに任せなさい。手は打ってあるんだ。君は、生きなさい。一生懸命生きなさい。君にとって本当につらいのはこれからだ。この先も君を絶望させる出来事がきっとある。だが、希望もちゃんとあるはずだ。なぜなら、こんな私でさえ、最後は君にじーちゃんと呼んで貰えて、救われたのだから……」


 最後に教皇は俺に優しく微笑み、俺は彼の静脈に針を刺した。



「……おやすみ、じーちゃん。せめて貴方の眠りが安らかであらんことを」


 苦しむ様子もなく、ゆっくりと、たった一人残された肉親は、眠るように息を引き取った。


 

 こうして、俺の復讐は終わりを告げた……。

 

 自分と血の繋がった、たった一人の祖父の命と引き換えに……。

 

 俺の心を満たしたのは、安堵や達成感ではなく、後悔と、人一人を殺してしまったという、事の重大さへの恐怖だった。


「終ったよ、スキラ……。ゴメン……。じーちゃん、ゴメン……。スキラ、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……。苦しい、苦しいよスキラ。胸が苦しいよ! 助けて、助けてよスキラぁ! うぁぁぁっ! うわあああああああん! スキラどこ? 何処に居るのスキラぁ! 怖い、怖いよぉスキラァァァァァ!!! 傍に居てくれるって言ったのに! 見守っていてくれるって言ったのに! 助けてよ! 助けてスキラぁ!!!」


 何かが、壊れた。ダムが決壊したように、涙が一気に溢れ出して、感情の制御が利かなくなった。頭では、スキラは何処にも居ないってわかってるのに、彼女の名前を呼ばずにはいられなかった。

 

 床にうずくまり、ガタガタと震えながら、悲鳴のような泣き声を上げ続けた。



「今でも後悔してるんだ。あの時の俺が、じーさんを許すことさえ出来たなら、今でも二人で紅茶を飲んだりできたのかなってさ」

「レイ……」

「はは。どうかしてるよな。ほんと、とんだクソジジイだよ。じーさんがゼクス隊長に依頼していたことは、俺がじーさんを殺したという事実の隠蔽。最初から殺されること前提で俺を招いていたんだ」

「他に、貴方を救う方法を見つけられなかったのね。それでも、貴方をどうしても助けたかったのよ。だから……」

「俺もそう思うよ。俺がじーさんの立場だったら、多分同じ事をしたかもしれない。でな? 俺はパニックを起して、どうして良いのか判らず、ただただ泣き叫ぶことしか出来ない。そんな時だ……」







「トーマス! あんな遺書みたいな手紙をよこしてどういうつもり!? トーマス!!!」


「っ?!」



 大きな扉が勢いよく開けられたと思ったら、少し年を取ったエルフが、ドレスのスカートの裾を掴んで小走りに入ってきて、眠りについたじーさんと俺を見て、息を飲んだ。


 それがマスターの実の祖母、この国で最強の魔力を持ち、あらゆる知識を備えた、この国の賢者達を統べる大賢者。フローラばーさんとの出会いだった。


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