ー託された希望Ⅱー
「おじいさん、もうちょっとだからね? ……はぁ……はぁ! がんばって! 諦めちゃだめだよ! 私も……頑張るから!」
いっちゃんは汗でびっしょりになり、肩で息をしながら、必死に回復魔法をかけ続ける。
「……いっちゃん、後は私にまかせて。あなたは休みなさい。大丈夫よ、後は私がなんとかしてみせるから」
「嫌です! 私諦めません! こればかりは、いくらマスターの命令でも聞けません!」
「でもこれ以上は、あなたの命だって危ないわ! いっちゃん、後は私に任せて!」
マスターもみんなも理解していた。そしてきっと、いっちゃんも理解しているのだろう。──彼は、助けられない。
「嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ! 絶対絶対助けるの! 私は誰かの助けになりたくてプリーストになったんだ! 死なせないもん! 絶対っ! 絶対っ!!!」
その時だった、老人の細いぼろぼろの手が、魔力を放出し続けるいっちゃんの小さな手をぎゅっと握った。
「もう……良いのです、お嬢さん。あなたはとてもお優しい。そして、とっても優秀だ。だからこそ、もうお止めください。こうなる事は最初から覚悟しておりました。ごほっ!
この老躯、最後に姫さまのお役に立てただけで、ありがたき幸せ。もうこの様な死に体のために、大切な貴方の命を削る真似をしてはなりませぬ。こんな所で倒れては、この先あなたの助けが必要になる方々はどうしたらいいのですか?
ハァハァ。セイラ様。どうか、どうか姫さまをお助けくださいませ! どうか! どうか! もう、我々に残された希望は、貴女方のみなのです。何卒……! お願い申し上げます! 何卒、何卒!」
爺さんは血にまみれ、くしゃくしゃになった手紙を差し出した。その手紙は、オーディア皇国、バレンタイン家の紋章の入った印で封じられていた。
「確かに受け取りましたわ、ディムルット様。必ずや我々エアリアルウィングが──」
その時、老人はマスターに向かって一瞬だけ微笑み、瞳から光が消え、その心臓は鼓動を止めた。
「おじいさん? おじいさん! だめ! がんばって! まだ私魔力残ってるの! すぐに! すぐに治してあげるから! 諦めちゃだめ! お姫様に生きて会わなきゃ! こんなの嘘だよ! ねぇ! おじいさん!!!」
いっちゃんが、もう尽きかけている魔力を全力で注ぎ始める。これ以上はいっちゃんの命が危険だ。
「もういい、いっちゃん! やめるんだ! おい、やめろって!」
「……嫌だ! こんなの絶対嫌だもん!」
俺の静止を振り払い、いっちゃんは汗と涙でその顔を歪めながら、回復魔法をかけ続けた。
「イリーナ!!!」
「嫌だっ!!!」
俺はいっちゃんの本名を、声を荒げて叫ぶ。だが、いっちゃんもまた、初めて聞くような大きな声量で、初めて皆に逆らった。
『パンッ!』
乾いた音が、ギルドに響いた。一瞬、いっちゃんも、そして俺達も何が起こったのか理解出来なかった。グレンが、いっちゃんの頬を叩いていた。
「──もうやめな。いっちゃん。お前、じーさんの話きいてなかったんか。最後の命の灯で、お前に一番大切な事を教えてくれたんだぞ。ありがてぇじゃねぇか。悔しかったら噛み締めろ。じーさんの言葉、よーく噛み締めろ。それはお前の糧だ。身にして骨にしろ。お前は『託された』んだ。理解しろ。腹括れ。覚悟しろ。お前はこの先、プリーストである以上、何度も同じ事が繰り返される。お前の選んだ道はそういう道なんだ。──叩いて悪かったな。そうでもしなきゃ、いっちゃんが危ないって思ったんだ。許してくれ。超手加減したから、怪我とか無いと思うけどよ、ちょっと厨房から氷とってくるわ」
途端に、いっちゃんは全身の力がふっと抜け、その場にうずくまり、悲痛な泣き声を上げてしまった。
俺は、老人の手を取り胸の前で組ませ、虚ろに開く目蓋を閉じてやった。
「──せめて貴方の眠りが、安らかであらん事を」
俺はこの忠義の騎士の冥福を、心から祈った。だが、今は悲しんでる暇はない。そう、俺達は託されたのだから。
「マスター」
「ええ、わかってるわ。手紙の差出人は、アリシア皇后様からね。ラジール皇の奥方様よ」
マスターは封筒を開封し、手紙を読み上げた。
―アリシア皇后からの手紙―
お久しぶりです、セイラ様。急にこんなお手紙をお渡しして困惑されるかもしれません。
今、我が国の情勢は知ってのとおり、非常に危険なものとなっています。
しかし、クーデター軍の背景にはアルデバランがついており、ロキウス王も平和的解決に尽力していただくも、このような結果になってしまい、非常に申し訳なく思っております。
貴女様は現在賢者の席を離れ、冒険者ギルドを設立したと耳にしました。
そんな貴女様にお願いしたい事がございます。私の娘エリシアを、どうか救って頂けないでしょうか。
私はどうなっても構いません。エリシアさえ生き延びてくれれば、私はもう何も思い残す事はありません。あの子の未来だけが、私の唯一の望みです。どうか娘の未来を案じる一人の母親の思いを汲み取っては貰えないでしょうか。
報酬は、今私の持てる全ての財をもってお支払いします。勝手なお願いとは重々承知しておりますが、どうか何卒、よろしくお願い申し上げます。
10月9日 アリシア=バレンタイン
「10月9日。もう一週間も経ってるな。さっきのニュースじゃ、もう皇居はクーデター軍に包囲され始めてる。事態は一刻を争いますよ、マスター」
「──そうね。皆の帰りを待ってる時間はないわね。まったくもう、ぶっつけ本番の出たとこ勝負じゃない。いいわ、やってやろうじゃありませんか!」
マスターは執務室の隣に存在する、『作戦司令室』へと入室し、システムを起動した。
「エアリアルウィング、全メンバー、聞こえますか? セイラです。応答を!」
マスターの声が、ギルドカードに描かれている魔法陣の効果により、通信魔法が発動した。
「ジークです。全メンバーに通信だなんてただ事じゃないですよね。トラブルですか、マスター」
「オリビアよ。何かあったの? マスター。大丈夫?」
「こちらアーチャー。折角休暇貰ってるのに呼び出すだなんて、よっぽど切羽詰ってるみたいだね。レイやグレンだけじゃ手に負えない案件なんて、早々無い筈なんだけど、どうしたんだい? マイ、マスター」
「事情は追い追い説明します。まずは、今からあなた達には、オーディア皇国へ潜入し、アリシア皇后様とエリシア皇女様を救出してもらいます。今は一刻の猶予もありません。合流地点の細かい場所は後で指示します。今はとにかく、各自テスカトールを目指して動いてください。もちろん準備は怠らずに! 経費その他もろもろ全部出してあげるから、全力で頼むわよ、皆!」
「──おやおや、何かと思えば、すごい任務だね。僕は前前からあのお二方だけでもとは思っていたから、反対はしないけれども。たった7人で滅び行く国からお姫さまとお后さまを救い出すとはね。まるでおとぎ話の勇者達じゃないか。──ははは、気に入った! お任せを、マスター!」
「笑い事じゃないぞアーチャー。この任務、最悪クーデター軍も正規軍も敵に回すじゃないか。7対いくつよ?10万? 20万?」
「ちょっとジーク。あんたどこまで馬鹿なの? いっちゃんを数えてどうするのよ。あの子は支援魔法ならまだしも、戦闘力なんて皆無よ皆無。あの子を前線に出すわけないじゃない。数字も数えられない脳内が筋肉で出来てるあんた達は、肉の壁となって私達か弱い女性を守ってればいいのよ。エリシア皇女様たちは私達で救い出すわ。精々役に立ちなさいよね」
「こちらレイ。オリビア、こっちは今、お前の高飛車なジョークに付き合ってられる気分じゃないんだ。この任務の依頼人は、命掛けでこの仕事を依頼し、マスターはソレを引き受けた。依頼人は、残念だが助けられなかった。今はとにかく動け。以上だ」
「な、なによ! そういう大事な事はもっと早く言ってよ! とにかく、私はもう仕度終わったから、いつでもいけるわよ! ジーク、こっちからじゃ国境封鎖されちゃってるから、オーディアには入れないの。回収してくれる?」
「あ、ジーク。僕も頼むよ。そのほうが絶対早い。ティアマトより速い飛竜は見た事ないからね」
「まったく、ティアマトと俺はタクシーじゃないんだぞ。って言いたい所だけど、緊急事態だからな。なるべくオーディアに近くて拾いやすい所に居てくれ」
今からオーディアに向かったとして、テスカトールの宮殿に辿りつくのは明日の夜中。ジーク達の到着もぎりぎりと言った所か? アーチャーとオリビアの位置が最悪に悪い。レオニードの東西に綺麗に別れている。確かにティアマトに回収してもらうのが一番早いが、ティアマトだってもちろん消耗する。休憩は必要だ。……本当に、一刻の猶予すらない。
「マスター、やはりこの人数でテスカトールに潜入するのは無謀ではないですか? ゼクス隊長に、アサシンのメンバーを数名派遣してもらったほうがいいのではないでしょうか」
「──アサシンの正規メンバーはおいそれと動かせる人材ではないし、何より、あのゼクスさんは正直誰よりも胡散臭いから頼りたくないわね。 借りを作ったら後々利子のほうが高くつく返済を迫られるに決まってるわ! 大丈夫、あなた達は私が認めた一騎当千の冒険者よ。それに、こっちにだってアサシンはいるからね。今回は人一倍働いてもらうわよ、レイちゃん。頼りにしてるからね!」
「──イエス、マイ・ロード」
こうして俺たちエアリアルウィングは、エリシア皇女を助け出すべく、戦火に燃えるオーディアへと出発することになった。
この時俺は、後にこの作戦が、俺の運命を大きく変えてしまうだなんて、思っても見なかった……。