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Aerial Wing -ある暗殺者の物語-  作者: ちゃーりー
ヴァンパイア事件
51/119

―二人だけの夜―

 食事が終わり、オリビアは『ごちそうさま』以外一言も喋らず、疲れきった様子でフラフラと部屋へもどっていってしまった。俺はキッチンで皿を洗いながら、オリビアが自分の部屋に入り、扉を閉めたのを確認した。


「……で、お前はメシ食ったのかよ。グレン?」

「……なんかそんな気分でもねーよ。りんごで十分だ」


 俺の横で、キッチンの床にヤンキー座りしながら、グレンはリンゴをがりがりとかじっている。なんとこの男、俺達が帰ってきてからずっと、こうしてキッチンの影に隠れていたのだ。


「大体、なんでこんなところ隠れてんだよ」

「あー……。そのなんだ、あれだよ。アイツの泣いてるところなんてのは、俺が見るべきじゃねーなと思ってな……」


 俺は少しきょとんとしてしまい、グレンの顔を一瞬ガン見してから皿洗いを続けた。まぁ確かに、オリビアにとっては、グレンなんぞに泣き顔を見られて堪るかと、泣くに泣けなかったかもしれない。


「……グレンってさ、顔に似合わずそんなセンチなこと考えるんだな」


 俺は思わず、そんな感想を口に出してしまうが、グレンは殆ど気にも留めてない様子で答えた。


「るせーよ。……なぁレイ、やっぱ俺は行かなくて正解だったわ。画面越しに、お前の見た地獄を見た。俺には、あんな幼い子供たちを、……感染してもう助からないからって、殺すことなんて俺にはできそーにないわ。……甘いよな。実際あんなことになったら、俺はどうするんだろうな?」


 今日はトコトン、グレンはセンチメンタルなセリフを口にしてくる。思わずゾワッと来そうだ。


「な、なんだよ。お前らしくもねぇ」


 こんな弱気なグレンは初めて見る。が、無理もないのかもしれない。間違いなくアレは、いつも馬鹿みたいに陽気なコイツですら言葉を失ってしまうほど、凄惨な地獄だった。


「へへ、俺らしくも無い……か。すまん、忘れてくれや。わりっ、今日はもう帰るわ、俺。お前もさっさと帰って休めよ? んじゃーな」

「おう、お疲れー……」


 この任務にかかわった全員が、任務は無事完了したというのに表情は暗かった。ニコス村の感染者の『焼却』が完了したと同時に、いっちゃんは俺たちと入れ違いに村へ到着し、負傷者の手当てに当たっているらしい。恐らく、マスターたちと深夜か明け方ごろに戻って来るだろう。俺はいったん家にもどり、シャワーを浴びることにした。


 ギルドの門をくぐり、すぐ隣の我が家の門を通り、玄関の鍵を開けて家に入る。そして家に入るなり、俺はリビングのソファーへと荷物を放り、使えなくなった剣を粗大ゴミの木箱へと放り投げる。

 ガシャンと大きな音を立て、ガラクタになってしまった剣の山に、再びガラクタとなった剣が追加された。そのうちこのガラクタの山を鍛冶屋へと持って行き、引き取ってもらうべきだろう。


 そして俺は風呂場へと向かい、コンバットスーツを脱ぎ捨て、インナーや服を脱ぎながら、洗濯機へと放り込み、洗剤を適当に入れて、スタートボタンを押す。洗濯機が動き出したのを確認したら、そのまま浴室へと進み、蛇口を捻り熱いシャワーを全身に浴びる。


「痛~っ……体中傷だらけだな。こりゃアバラ骨2本は折れてるな」


 体を洗うだけで痛みが襲ってくる。まぁ我慢できないほどではないので、適当に体を清め、シャンプーで頭をガシガシと洗う。すると、シャンプーが、頭に出来ていた傷口に染みて、疼く様な痛みを覚えた。だがそんな事は日常茶飯事。俺は気にも留めずに、頭から再びシャワーを被る。すると、シャワーから流れるお湯が、うっすらと赤く血で染まっていた。気付かないうちに、俺は頭部に裂傷が出来ていたのだろう。まぁ失血してしまうほどの量でもないし、傷口もそんなに大きいわけではないのだろう。俺はバスルームを出て体を拭く。

 そして自室に戻り、タンスの中から長袖のTシャツ、そして黒いパーカー。スエットパンツという適当にラフな格好に着替えて、再びギルドに戻った。


「うー、さみーさみー暖炉暖炉~っと……」


 俺は消えかかっている暖炉に、薪木を足して火力を上げる。揺らぐ炎から伝わる暖気が、とても心地いい。俺は暖炉の前にあるソファーを少し暖炉の前に寄せ、ソファーに腰掛けて、足した薪をパチパチと燃やす炎を眺めていた。


「あれ? レイ帰ったんじゃなかったの?」


 ふと、上方から声がしてそちらを向くと、二階の廊下からエリシアがこちらを見下ろしていた。


「ん? ああ、一応な。グレンとおやっさんは帰っちまったし、マスターも居ないしオリビアはダウン。何かあったらまずいからな。今日は俺はここで寝るよ」


 エリシアは俺の話を聞きながら、ゆっくりと階段を下り、俺の傍までやってくる。


「ふ~ん。そうなんだ。なんかごめんね? 私としてはレイこそゆっくり休んで欲しいんだけど……。あ、いっけない! 忘れるところだった! ねぇレイ。あなた治療してないでしょ? 私がしてあげるよ」

「え。お前が?……大丈夫?」


 俺は思わず訝しげに、エリシアの顔を覗き込んでしまった。よくよく考えてみれば、エリシアも治療魔法を拾得しているのは知っているが、実際してもらったことはなかった。若干の不安を覚える。


「失礼な。私もマスターの弟子よ? ちゃんと回復魔法には合格もらってます! それに、レイがいない間、ずっとマスターと練習してたんだから!」

「そうだな、んじゃあお願いしようかな。どうやらアバラをやっちまったらしいんだ」


 俺が患部を指差すと、エリシアはマジマジと俺の体を見回してくる。


「うーん、なんかそれだけじゃなさそう。とりあえず、まずはうつ伏せで寝てくれる?」

「了解」


 俺は言われるがまま、ソファーにうつ伏せになった。エリシアは腰掛を持って来て隣に座り、俺の背中に手を当てた。


「光よ。聖なる母の力よ。その慈愛で包み、癒したまえ。『ライトヒーリング』」


 エリシアの掌から伝わってくる温かい魔力が、俺の体を包み、本当に少しずつではあるが、傷が回復していくのがわかった。


「いっちゃんの魔法とは、なんか違う魔法だな」

「うん、この魔法はね、傷や怪我の治りは若干遅いんだけど、肉体の疲労を取り除くことも出来るの。水系の回復呪文であるヒーリングは、確かに即効性はあるけど、肉体疲労のほうはイマイチ取り除けないって言ってた。それにこの魔法ね、対象者のストレスも和らげるみたいよ? 今のレイにはぴったりかなーって」


 なるほど。確かにいっちゃんの回復魔法、ヒーリングは、生命力を活性化させ、治癒力を強制的に引き上げ、傷の回復を計る魔法だった。いっちゃんがたまにやらかす失敗と言うのは、治癒力を引き上げすぎて、対象者が体力を異常に消耗してしまい、昏倒してしまうという失敗なのだ。対象者の体力と治癒力のバランスを美味く取りつつ回復するには、熟練の技術が必要となってくる。故に、魔法薬が今も重宝されるのだ。


 それに対し、このライトヒーリングは、確かにヒーリングより心地がいい。この俺が安らぎを覚える程に、全身が優しい魔力に包まれていくのが判る。……ただ、即効性が無いところを見ると、緊急時などには向いていない魔法なのだろう。一刻を争う場面ではヒーリングに頼るべきだな。ただ、任務後のケアなどには間違いなく最適だろう。


「ストレス……か。そうだな。……今日は、すっごく疲れた。例の後遺症の件もあるしな。しばらく休息が必要だ。悪い、エリシア。しばらく俺仕事できねーや」

「うん。わかってるよ。もし、レイが行きたいっていっても、私が許可しないもん。今度こそ、絶対安静してもらうからね?」

「わぁーってるって」


 瞼を閉じると、あの地獄が脳裏に浮かんだ。そして最も俺の目に焼きついていたのは、最後に葬った、あの少女だった。


「……本当に、大変な任務だったね」

「お前は大丈夫か?……怖くなかったか?」


 俺の問いかけに、エリシアは素直に答えた。


「うん、怖かった。でも私は大丈夫だよ? だって、本当に一番辛いのは貴方だから。……何となくね、本当に何となく、レイがいつもより悲しそうに見えるの。貴方はいつだって、無表情って程でもないけど、感情をあまり表に出す人じゃないから、ちょっと悲しそうにしてるだけでも違和感を感じちゃうんだよね」


 エリシアの指摘に、俺は若干困惑してしまった。


「そうなのか? 悲しいっていうか、疲れてるだけだろ、多分」


 顔に血液が集まってしまったのがわかった。俺をしっかりと見てくれている。いつも見守ってくれているという事実が、なんだか嬉しいようで、恥ずかしくもあったのだ。


「クスッ。レイはホントに意地っ張りね。……ねぇ、レイ。依頼書のこと、覚えてる?」

「お前が握って離さなかったくせに、マスターがビリビリに破いたあれか?」

「そーじゃなくてさ、……セントラルステーションでのアレ」

「ああ。あれか。アレって言うと、ああ……。宝石世界か」


 そうだ、連れて行くと言って置いて、未だに連れて行ってやれて居なかった。


「あ、覚えてた。いつ連れて行ってくれるのかなー?」

「あー、いつにしようか。今月は、まだまだ落ち着きそうに無いな」


 俺はカレンダーを見ながら今月の残された日数を数えた。


「ねね、マスターから聞いたんだけど、聖夜祭のスペシャルディナーがあるんだって♪」

「ああ、ロキがマスターを口説いた……って、無理だぞお前。そりゃいくらなんでも今から予約なんて出来ないし、あのディナーめちゃめちゃゼロが並ぶんだぞ」

「えー? 元アサシンと王様のお友達っていう特権利用して何とかしてよぉ」

「無~理~。ってかロキの時は大変だったぞ。アサシン部隊がボーイに何人か混ざる羽目になったし、ホテルの中は超厳戒態勢。マスターはメロメロになって気がついてなかったが、物々し過ぎてムードもへったくれも無かったんだぜ?」

「クスクス、それやだなぁ。じゃあしょうがない、来月中どこかで予約取れたら、その日でいいよ」

「了解、司令官殿」

「よろしい。ふふふ、たのしみだなぁ。さて、背中はこんなものかな? 今度は仰向けになって?」

「あいよ」


 俺は仰向けになると、再びエリシアが、俺に触れる。そして掌から優しいエリシアの魔力が流れ込んでくる。暖炉の淡い明かりに照らされるエリシアの顔が、妙に色っぽくて、気恥ずかしさのあまり、暖炉の火を見つめ、エリシアと視線を交さないようにする。


「ねぇ、私の国は……どうだった?」

「……あの任務については聞きたくなかったんじゃないのか?」


 その話題を口にして、エリシア自身後悔したのか、表情はすこし曇っていた。


「そう……なんだけどね。やっぱり気になっちゃって」

「ニュースで見たとおり酷い有様だった。お前の父親には会えたけど、俺にお前も知らないであろう、お前に関しての情報を話して、……自害したよ。すまん、止められなかった」


 エリシアの回復魔法が、一瞬止まった。そして、エリシアは再びゆっくりと回復魔法をかけ始めた。


「……そう。馬鹿な人。生きてさえ居れば何とかなるのに。あの人はなんて?」


 俺は少しため息を吐き出して、エリシアにしっかりと向き合った。


「お前にとって、ちょっとショッキングな話だけど良い?」

「……うん」


 俺は上半身を起し、本当に話していいのか一度考慮し、意を決して、エリシアの出生と隠された力について語る事にした。


「結論から言うとな、お前の父親はラジール皇じゃなくて、前皇ラルフ皇である可能性がある。そして、お前は精霊の巫女っていう特別な存在らしいんだ。その精霊の巫女が何なのか、俺にはよく理解できてないから、お前に説明できない。だからそれについてはマスターに相談してみようと思うんだ」


 が、どういうわけか、俺の言葉が終っても、エリシアは表情一つ変えなかった。あまりの事に驚いているのだろうか?


「…………え、それだけ?」

「え? うん。えと、そう、それだけ。え? リアクション薄くね?」

「……え? だって、お父様のことは何となく知ってたし、私が精霊の巫女だってことはお母様から教えてもらったわ。レイに出会う2時間前に」

「え………………」


 つまりあれか? 俺がわざわざあんな危険なところへ出向いて、鬼夜叉丸と斬った張ったの修羅場を広繰り広げ、命辛々手に入れた情報は、実の所、エリシアに問いただせば出てくるような情報であったと? いやいや待て待て、俺は情報の隠蔽も兼ねていたわけだから、他のアサシンが到着する前に。いや待て、カトレアが情報をゼクス隊長にリークしないとどうして言い切れる? やばい、やばいんじゃないか? マジで。


「……もぅ、そんな情報のために、レイは、あんなに大変な目に逢ったの? ……約一ヶ月も帰ってこないで、散々私を心配させておいて。本当に呆れちゃうわ……」

「うぐ。エリシア、どうかそれ以上俺に追い討ちをかけないでくれ」


 ああそうだ、カトレアにお願いしていた件があったのだった。


「それよりエリシア。その、ラジール皇の遺体が、そろそろレオニードに搬送されてくるはずなんだ。連絡入り次第、アリシア様の隣に埋葬してやろうって思うんだが」

「そうね。お父様はああ見えて、お母様にゾッコンだったから。すっごく無愛想で、いつも仏頂面で、まさに亭主関白を絵に描いたような人だったから、全然素直じゃなくてね。で、お母様が構ってあげないとすぐ機嫌を悪くして、お母様を困らせてたなぁ。ああ、そっか……」


 何かに気がつき、エリシアはクスクスと笑ったり、俺の顔を見るなりフフフと微笑んだりしている。全く持って意味がわからない。


「? 何一人で納得してニヤけてんだよ」

「ううん、お母様も、多分お父様のことをちゃんと愛していたと思うの。でも色々苦労したんだろうなと思ってね。無愛想な人を好きになると、苦労と心配ばっかり絶えなさそうだから……」

「はぁ? そんな男の何処を好きになるって言うんだよ。苦労と心配ばかりさせる男って、女の子からしてどーなのさ。しかも無愛想で仏頂面の亭主関白だろ? 俺から見てもありえないくらい致命的じゃないか。普通そんな相手好きにならないだろ。ホントに事故物件みたいな奴じゃんか」


 俺が意見を述べ終ると、エリシアは目を丸くしたように驚いたかと思えば、更に肩を震わせて笑い始める。


「ぷっ……! クスクスクスクス……そうだね、致命的だね。もう本当に最悪よね。……ふっふふふ……クスクス」

「な、なんだよ。人の顔じろじろ見て笑いやがって……」

「あはっ、レイってあんまり鏡見ないんだなーって思ったの」


 鏡? 確かに俺はそんなに鏡を見るほうではないが……ん? シャワー浴びたし、寝癖とかないだろうし、良くは見ていなかったが、浴槽の鏡に映る俺の顔などにも、変なものはついていたり、書かれたりしていないはずだ。一体何の話をしてるんだ?


「はいはい、治療を続けるから横になってね」

「うーん……。釈然としない」


 釈然としないながらも、俺は横になり、エリシアの治療を受けること数分。エリシアの手の平から伝わってくる優しい魔力が、少しずつ弱まり、焚き火が静かに鎮火する様に消えていった。どうやら治療が終ったようだ。


「はい、治療完了。どう? 動かしてみて?」


 俺は言われるがまま体を動かしてみる。ん、良い感じだ。何処にも痛みを感じない。倦怠感や左腕の痺れも、今のでしっかりと回復したようだ。


「サンキュー。助かったよ」

「どーいたしまして♪……ふぅ、今日は本当に、大変な一日だったね」


 エリシアは腰掛をどけると、ソファーに座った俺の左隣にちょっと強引に、割って入るように腰掛けた。それも、なんというか、わりと密着気味に。俺の体にぐっともたれかかり、エリシアの体温がゆっくりと伝わってくる。


「えっ? ちょ、おいエリシア?」

「少しだけ、こうしてていい?」

「べ、べつにいいけど。どうした?」


 エリシアの予想外の行動に、俺の心音は耳に響くほど高鳴り、平静を保ってられずに、呂律が空回りしてしまう。


「オリビアはずるいなーと思って。私も疲れたから、少しくらいもたれ掛らせてよ……」


 むすっと拗ねたような表情をエリシアは見せる。その表情が少しだけ愛おしいと思ってしまった。


「……まぁ、いいけどさ」


 エリシアのふっくらとした柔らかい肌の感触。ゆっくりと伝わってくる彼女の温もり。そして、仄かに香る花の香り。香水ではなく、恐らくエリシアのシャンプーの香りだろう。少し目を閉じて冷静になり、ゆっくりと目を開いて、俺は暖炉の炎を見つめ、エリシアの事を意識しないよう心がけた。


 が、無意識になったのがいけなかったのだろうか? いや、すでに俺はエリシアの全てに酔っていたとしか言い様がない。ハッとした瞬間には、なぜか俺の左手はエリシアの肩に周り、頭を優しく撫でていた。


 な、何やってんだ俺! 今俺メチャメチャやらかしてないか!? この間後ろからハグしてやっちまったって反省したばっかりじゃんか! ああもう! どう言い訳したらいいんだよ!


「あ……。えと、レイ?」

「えと……ほら、よくやったなーと。あんな酷い状況だったのに、ちゃんとナビゲートできてたし、治療魔法もバッチリ効いたし、えらいぞーみたいな? あはは……」


 俺はぽんぽんとエリシアの頭をかるーく叩いて、何とかごまかそうとする。だが、苦しい! 我ながら苦しすぎる言い訳だ! 


「も、もう! 子ども扱いして! もし、もしよ? もしも、ご褒美で何かしてくれるなら…………アレ! アレして欲し……ぃ」

「アレ?」


 アレとは一体何のことだ? 飯を作れというのはまずないだろう。買い物に付き合えとかそう言う話だろうか?


「ほ、ほら! レイが帰ってきた時にその、えっと……」


 エリシアが耳まで真っ赤にしながら、俺にぼそぼそとなにか歯切れが悪く訴えて、ゆっくりと背を向ける。そしてエリシアのアレが何を指しているのかを理解し、俺は焦る。


「あ、アレ……ですか。じゃ、じゃあその……いくぞ?」

「ん……」


 改めてやろうとすると、顔面に血液が集まっていくのが判る。なんて恥ずかしいことをしたんだ俺は。穴があったら入りたいくらいだ。


「……こう、か?」

「……っ!」


 エリシアの小さくて柔らかい体を、後ろからやさしく抱きしめる。エリシアの体温、香り、存在を、これ以上にないってくらい、俺の腕の中に感じ、心臓が大きく鼓動するのがわかった。興奮なのか緊張なのかわからないけど、頭がくらくらしてきた。


「―――――――っ」


 俺の腕の中で強張っていたエリシアだったが、今度はまるで、意を決して飛び込んだかのように、俺の体へともたれ掛り、俺に体を預けてくる。だが、エリシアの体は、小さく震えているのがわかった。……多分、俺も同じように震えてしまってるだろう。


「レイ、わたし……あの、あのね?」

「……ぁ」


 急に振り返ったエリシアと、お互いの目線が重なり合い、揺らぐ暖炉の炎に照らされたエリシアの潤んだ瞳が、俺に金縛りをかけた。



 目を逸らせない。逸らす気すら起こらない。逸らしたくない。



 そして理解してしまう。



 エリシアがその美しい瞳を閉じてしまったら、今の俺には抗うことが叶わない魔法がかかってしまう事に。




「…………っ」




 顔を火照らせたエリシアが、ゆっくりと瞳を閉じてしまう。ああ、もう逃げられない。




 俺は吸い込まれるように、エリシアの顔に自分の顔を近づけ




 そしてその小さな唇に……。




 自分の唇を……。




「……エリシア」

「……レイ」






『バッサ! バッサ! バッサ! バッサ!』


「「!?」」


 突然の強風と、大きな羽音に、お互いハッと我に返った。


「お疲れ、ティアマト。よくがんばったな!」

「いっちゃん、ギルドについたよ?……やれやれ、完全に眠り姫だね。仕方ない、僕はお姫様を部屋までエスコートするよ」

「うん、お願いねアーチャー君。ジーク君もお疲れ様、ふー。私もクタクタよ。本当に大変な任務でした。みんなに心から感謝をするわ。アーチャー君の的確な射撃と、ジーク君の援護がなかったら私もあの天空魔法陣は描けなかったわ」

「グルルゥゥン」

「うんうん♪ ティアちゃんもよくがんばったわよ。えらいえらい! ティアちゃんはうちのギルドの誇りよ? よしよし♪」

「ギュゥゥゥン」

「ははは、よかったなぁティアマト。おまえマスター大好きだもんなー?」

「あら、ギルドの中に明かりが。まだ誰か起きてるのかしら?」

「あー、たぶんレイだよ。彼は意外と律儀なところがあるから、エリシアさんの護衛もかねて泊り込みでもしてるんじゃないかなぁ」

「そこはグレンじゃないの? あいつ今日一番仕事してないじゃん! レイを休ませてやれよ、全く。ただいまー。ってやっぱりレイかよ」

「お、おう! なんだ、割と早かったな」


 俺とエリシアは、皆が帰ってきたと理解したらパッと離れ、エリシアはイソイソと置きっぱなしにしてあった腰掛を片付ける。だが恐らく、こんな暗がりでも、互いの顔が赤面してたことはバレてしまっただろう。っていうか冷静に考えて、こんな暗がりで男女が二人っきりって、どう考えても普通、ありえない……。


「……あー。ジーク、いっちゃん寝かせてあげたら帰ろうか」

「そ、そーだな。うん。なんか、ごめんねエリシアちゃん」

「あはは……。あはははは……」


 顔が真っ赤のエリシアにアーチャーもジークも何かを悟り、同じく何かを悟ったマスターは『まいったなー』なんて苦笑いを浮かべるしかなかったみたいだ。俺も同じような顔をきっと浮かべているんだと思う。


「れ、レイ。治療もちゃんと終ったしもう大丈夫だよね! 私もう寝るね、皆さんおやすみなさい!」

「お、おう。さんきゅーな。お疲れーエリシア」


 エリシアは小走りで自分の部屋へともどっていって、それを俺たちは見守るしかなかった。その直後、それ見よがしに、マスターが二マーっと不愉快な笑みを浮かべ、こちらへ駆け寄り、バシバシと肩を叩き始める。


「やだもーレイちゃんってばぁ! なーにしてたのよぅ! このこの~!」

「はいはい、あの奥手キングことレイの大いなる一歩を茶化さないのー。マスターは今すぐ結界張って寝ましょうね~……。ジーク、子供じみた事レイにするんじゃないぞ?」

「やーん! やだやだぁ! 私レイちゃんに事情聴取するのぉ! アーチャーくぅん!」


 子供のように駄々をこねるマスターを、アーチャーはぐいぐいと押して執務室へと連れて行った。


「……すまん、アーチャー。無理☆ で? レイ。お前、どこまで? なぁなぁどこまで? ちょっとお兄ちゃんにいうてみぃ? なぁなぁ?」


 何処までもクソもあるか。いや、寧ろ台無し。ん? いや、救われたのか? ああもうどっちでもいい。考えるのも思い出すのも辛い。……よし、逃げよう。


「……オツカレー」

「ちょ待てよぉ、レイってばぁ? なぁ!」


 俺はジークの制止を振りきり、家へ逃げ帰り、ベッドにそのまま倒れこむ。そして先ほどの、永遠のような長い刹那を思い出し、太陽が昇っても眠りにつくことは出来なかった。



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