―沈む太陽―
えー、大変な失敗をしていました。―王に愛されし者たち―というエピソードを転載する際に、確認画面で掲載したつもりになってしまっていたようです。結果として、一話まるまるすっ飛ばすというミスを犯してしまいました。わざわざ自分の作品を読んでくださってる皆様、急に話が飛んで困惑されたかと思います。大変失礼しましたorz
ヴァンパイアとして覚醒したジャンの爪がズズズと音を立てるように伸び、そして鋭く、鋭利な刃物のようになり、まるで試し切りのように、彼の近くに設置してあった鉄で出来ているであろうスタンド式の蜀台を切り落として見せた。
「死ね。カビ臭い暗殺者め!」
奴はおおよそ知能派である魔術師とは思えないスピードで俺に突進してくる。
「神速!」
俺も神速を発動し、奴の攻撃に対応する。どういう理屈でそうなるのかは判らないが、奴が伸ばした爪はそれこそ鋼鉄に匹敵する強度を誇っている。超高速で交差する刃と爪。何度も何度もぶつかり合い、切り付け合い、火花だけが散っていく。そして奴の突き出した突撃を紙一重で躱し、その顔面へと鋭く蹴りを放つ。だが、奴も覚醒したヴァンパイアだ。俺の蹴りはギリギリで回避されてしまったが、奴もたまらず後方へと飛びのいた。
「ふぅん? 肉体強化系の魔術みたいだけど、君の体に内包された魔力はそんなに高くないよね。まぁ並みの魔術師以上ではあるけど。そんな調子じゃ、持って10秒無いんじゃないの?」
俺は奴の言葉を無視して、一気に距離をつめて切りつける。左右交互の剣撃を絶え間なく浴びせ、相手に反撃の隙を与えない。だが、これだけの剣撃を浴びせても、奴の体に掠りもしない。これ以上は奴の言うとおり、魔力を無駄に消費する。しかし神速を解除して敵の攻撃を防ぎきれるか? いや、やるしかない。
「チッ」
やっぱりどうにも体が本調子じゃない。攻撃してる最中、決定的な隙が何度もあったが、叩き込む前に防がれてしまう。これは参った。
「へぇ。今の術、解いて僕の攻撃をやり過ごせるとでも?」
神経を研ぎ澄ませ、奴の動きにはまだまだ違和感が残ってる。いくら身体能力のスペックが高くとも、こいつ自身の戦闘経験はほぼ無いと見ていい。先ほどの俺の攻撃を防いでたのは、半分本能がそうさせたところがあると見た。攻撃に転じてみれば、武術のたしなみが無いことは明白。攻撃に隙が多い。初動から攻撃の実行に至るまでの隙、そして次の攻撃へと移行する瞬間の大きな隙。体のスペックに脳が反応し切れていない。攻撃は十分にかわせる。
「くっそ! この! ちょこまかと!」
大振りな攻撃を紙一重で躱していく。右手、左手と繰り出される突きを、弾き、逸らし、躱し、すり抜ける。
「チィ! 邪魔臭いんだよぉ!」
魔力の衝撃波が俺を弾き飛ばし、俺は木のベンチを何枚か貫通し、大理石の支柱に叩きつけられる前に身を翻し、両足をバネのようにして跳躍し、再び距離をつめる。
「このイノシシが! 消えてなくなれ!!!」
激昂した奴の掌から、なんの術式も組まれて無いであろう魔力の放出が、まるで火龍のブレスのようにまっすぐ放射された。
「マジかよ! めちゃくちゃな奴だ!」
俺は剣を十字に構え、魔力を剣に注ぎ、魔力放射を耐え凌ぐ。銀製の剣がギリギリと不快な音を立てる。このままでは剣が折れてしまうかも知れないと思った。
「んんんん!」
その時だった。俺はある違和感を覚えた。奴とは別の、巨大な魔力を感じ取ったのだ。この感じはなんだ? 町を丸ごと包み込むような、膨大な魔力が急に降って沸いたように……。
その疑問に集中力を欠いてしまったのが間違いだった。次の瞬間、爆発音とともに俺の剣は砕かれ、反動で俺は壁まで吹き飛び叩きつけられた。
「ぐはっ!」
肺の中の空気が一瞬で空になる。痛みで頭がくらくらする。
『レイ!』
エリシアの一声で我に返り、すぐその場から飛びのいた。俺のいた場所には、奴が壁を砕くほどの突進で爪をつき立てていた。俺は立ち上がり、口に流れてきた血反吐を吐き捨てた。
「くっそー。やっぱ銀製なんかじゃ剣の耐久性に問題があるか……」
「負け惜しみかい? 無様だねぇ。剣も無しにどう戦う? アサシン君?」
「……御託はいい。来いよ、バケモノ」
俺は壊れた剣を投げ捨て、アサシンの戦法の一つである拳法の一種の構えを取る。グレンの前で一度試したことがあるが、これが全く相手にならなかった。だが、相手が素人であれば、話は別だ。
「剣を持たないアサシンに脅威なんて感じないよ」
奴は魔力のバリアで身を包み、呪文の詠唱を始める。俺は距離をつめ、魔力を右手に集中し、バリア目掛けて鋭いストレートをかます。だがバリアにはひび一つ入らない。
「……ま、そうだろうとは思ったけどな」
「くっくっく、串刺しとなれ! ランスストーム!」
頭上にいくつもの魔力の塊が、まるでシャボン玉のように広がり、閃光と同時に雨のように魔力の槍が降り注ぐ。
「神速!」
攻撃を何とかやり過ごすも、無傷とは行かなかった。
『レイ! 細かいことは説明してる場合じゃないからよく聞いて! あと3分! あと3分だけなんとかしのいで!』
「……3分ねぇ。了解だ、相棒!」
『死なないで、レイ!』
ったく、俺一人だったら正面突破なんてまずやらねーのに。俺の当初のプランはあの魔法陣を無効化しつつ、あの吸血鬼ヤローの隙をついて暗殺ってのがプランだった。変な連中がついてきたばっかりに、どんどん予定が狂っちまった。しかも相手は想像以上に強敵。他の連中も、雑魚相手に手間取ってやがる。なんてグダグダな闘いだ。
「ったく! しょうがねぇ……。後はほんとに任せるぞ?」
なんとなく、なんとなくだ。今から3分後に起こるであろう事を理解した。
「チッ。なんなんだ! なんなんだよ! なんなんだよ、その顔はぁ!!!」
奴の攻撃をかわし、ステップを踏み、攻撃魔法をかわし続ける。どうやら、俺は顔に出ちまっていたらしい。奴へ哀れみのようなモノを抱いてしまったのだ。
「いや、お前をさ……。俺、勘違いしてたみたいなんだわ。お前の事さ、オリビアに振り回された男の一人だと思ってたんだよね」
「ああ?」
「よく考えたらさ、あいつが振り回した男の事を一々覚えてるはず無いんだ。だからお前は別に振り回された人間でもないし、まぁだからといって、オリビアがお前に惚れてたわけでもないと思うけどさ」
「五月蝿い! だからなんだ! 馬鹿にしやがって!!!」
先ほどとは違い、自分の周りに魔力の玉を作り出した奴は、俺へ目掛けて光の槍を飛ばしてくる。俺はそれを跳躍してかわし、シャンデリアへと飛び移る。
「オリビアはお前を評価してたよ。認めてた。だからあんな、悲しそうな顔してたんだな」
俺は天井へ爆薬のついた残りのナイフをすべて投げつけ爆破し、天井を崩す。瓦礫がやつに降り注いだ。
「この程度の攻撃で、僕がどうにかなると思ってるのかよ! ふざけやがって!」
奴は焦りを感じている。それもそうだろう。なぜならば、体に魔力を持つものなら感じずにはいられないんだ。この莫大な魔力を。街一つを包み込むような、悲しみを孕んだ絶大な力を。
「何だ……。何だあれは!」
瓦礫ごと全ての天井を貫き、空を仰いだ奴は絶句する。空を多い尽くす巨大な天空魔法陣。マスターの描いたであろう魔法陣に、彼女が全力で魔力を注いだのだろう。しかし、俺の感じていた魔力の発生源は別のところにある。その魔力の塊は、周囲を凍て付かせるほどの冷気を振りまき、まるで吹雪を纏ったような彼女が、ゆっくりとロビーから歩いてきた。
「……何もたついてるのよ、情けない。それでもあんたアサシン? 腕を信じろって言ってなかった? この役立たず」
マスターの懐刀。エアリアルウィングでマスターに次いで強力な 魔術師ウィザード。
「言い訳はしないさ。わりぃな、オリビア」
新たな敵を確認した感染者達は、その新たな敵の脅威をすぐに察知し、リオン達との交戦をやめ、すぐさまオリビアへと飛び掛っていく。が、彼女に近寄る感染者は、そのあふれ出る膨大な氷の魔力の前に、瞬時に凍結して行き、オリビアに触れることも出来ずに氷のオブジェと化し、オリビアが杖で軽く叩いただけで、ガラガラと崩れ落ちた。
「もういいわ。レイ、そこの使えなさそうなおじさんたち、さっさと避難させてくれる? 私今とっても機嫌が悪いの。力加減なんて絶対出来ないわ」
「了解。今度埋め合わせするわ」
俺の言葉にも表情を殆ど変えずに、オリビアは答える。
「いいわよ、別に。あんた、エリシアにも約束してるんでしょ?」
「う……」
「それにどーせ、あんたの体からカトレアとかいう子の魔術の痕跡が見れるあたり、あの子にもなんか借りがあるんでしょ?」
「げ。あの、オリビア、ちょっとそれはシーでお願いできる?」
『…………』
「あんまり女の子舐めない事ね。破滅という自己破産を招くわよ」
「キヲツケマス」
フンと俺を鼻を鳴らし、オリビアはヴァンパイアへと向き直った。
「……何年ぶりかな。久しぶりね、ジャン」
「お、オリビア……!」
オリビアはゆっくりとジャンに歩み寄り、足元に広がる魔法陣を杖の底で一突きした。すると、ガラスにひびが入るようなピキピキという音がして、最後にパリンという音とともに、魔法陣は一瞬にして霧散しまった。
「相変わらず、細かいところまで術式を組むのね。でもこれ、発動してから適当なところを一つでも消しちゃうと、こんな風に簡単に消えちゃうって知ってた? 私ならもっとスマートに、そしてプロテクトもしっかりかけるけど。ま、実戦形式じゃない魔方陣だし、仕方ないけどね。でも、サクリファイスと天候操作魔方陣の二重魔方陣なんて、斬新でいいんじゃない? 最高に悪趣味だけど。太古の魔術師モドキが、乙女を生贄に雨乞いをしていたものを、再現して見ましたって所かしら? ホント、虫唾が走る思いよ……」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「オリビア!」
ジャンが爪を尖らせ、オリビアに飛び掛るも、オリビアはジャンの魔障壁を上回る分厚い障壁を作り出し、簡単に弾き飛ばした。そして瞬時に無数の氷の刃を作り出したオリビアは、その刃を全てジャンへと飛ばし、ジャンは堪らず全力で魔障壁を作り出したが、それをいとも簡単に突き破り、氷の刃がいくつもジャンを貫き、凍て付かせ、その場に磔にした。
「ぐはぁ! くっそぉ、オリビアぁぁぁぁぁぁ!!!」
氷で貼り付けにされ、痛みにのた打ち回る事も許されないジャンは、怨嗟を吐き出しながら、オリビアを睨みつける。
「ねぇジャン? あなた言ってたわよね。『僕は干ばつで困っている地域に雨を降らせ、人々を救いたい』って。……アレ、ちょっと羨ましかったんだ。私の氷魔法じゃ、美しさで人を感動させることは出来るかもしれないけれど、殆どは傷つけるために使うしかない。丁度、私が貴方にやって見せたようにね。でも、そんなあなたが、こんな醜い魔法を使うなんて、こんな悲しい事ないわよ? ……もう、終わりにしましょう? こんな悲しい事。私が、貴方を逝かせてあげる……」
俺はオリビアがやろうとしてることを察し、血の気が引いた。
「おいおい、お前……冗談だよな?」
オリビアは天を仰ぎ、杖を掲げた。
「別に冗談じゃないわよ? 簡単なことよ。アレを氷にかえる事くらい、大したことないわ。色々不純物は混ざってるけど、基本的に水なんだから。収束し、凍結させるだけよ」
「アレだぞ……アレ」
「止せ……止せぇ!」
アレ、つまり俺の見上げる先のもの。空を多い尽くす暗雲全てを、オリビアは氷に変えようとしているのだ。
「……全魔力開放。 絶対零度!」
オリビアの魔力が開放されると同時に、目に映るすべてのものが凍りに覆われていく。俺は残った魔力を全開にして自分の体を守った。空を覆っていた雲が竜巻のようにオリビアの杖に吸収され、杖をオリビアが振るうたびに、世界はさらに凍てついていった。
「ジャン、死に行く貴方に見せてあげたい物があるの」
「おいオリビア! なんか足元が盛り上がっていくんだけど!?」
「五月蝿いレイ。あんたも凍る? ジャン、貴方言ってたわよね。雨の後の夕日は、とってもきれいだよって。悔しいけど、同感だわ」
俺は絶句する。今まで俺たちのいた庁舎は、床だけを残し、後は全て氷の結晶となり砕け散り、業風と共に雪のように霧散していく。そして俺たちは今、オリビアの作り出した高くそびえる、氷の塔の上に立っていた。オリビアはあれだけの暗雲と、庁舎を形成していた物質を全て氷へと変換し、この巨大な氷の塔へと変えてしまったのだ。
オリビアはかつて、ある国の最終兵器と謳われる魔道士だった。人は、彼女を『氷の女帝』と恐れた。マスターは、俺たちにも話せない暗い過去を、オリビアは背負っていると言っていた。その結果がこの桁外れの魔力だとしたら、よっぽど壮絶な過去だったに違いない。
「うがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
雲が晴れたことにより、真っ赤な夕日が、村を照らし、その夕日がジャンの肌を真っ黒に焦がしていく。オリビアは、ジャンに背を向け、沈む夕日を眺めた。
「……ほら、見て。きれいな夕日よ……」
「オリビア!!! オリビアぁぁぁぁ!!!」
体中から噴出した炎に包まれ、這い蹲り、手をオリビアと夕日に伸ばし、ジャンは灰へと変わった。
「さようなら。貴方のこと、嫌いじゃなかったわよ」
ジャンの灰が、風に乗って流されていく。オリビアはただ、沈む夕日を眺めていた。足元を見下ろせば、同じように感染者たちが灰へと変わっていくのが見えた。オリビアが築き上げた氷の塔が、夕日の光を反射させ、辺り一面を真っ赤に染め上げていった。足元で地獄のような光景が広がる中、皮肉にも、夕日だけが美しく輝いていた。
「オリビア、……泣いてるのか?」
「……そんな訳、無いでしょ。馬鹿ね。そんな事言ってるとモテないわよ」
「…………そうだよな。悪ぃ」
夕日は沈み、辺りは暗闇へと包まれ、荒廃した街に、人々の嗚咽が木霊していた。家族や友人を失った人々が、声を枯らし泣き叫んでいた。マスターは一人ひとりに声をかけて回っていた。
「ご苦労なことね。あんな真似私には出来ないわ……。流石マスターよ」
「お前それ褒めてるの? 呆れてるの?」
「どっちもよ。この様子じゃジークとアーチャーも残るんでしょ? ほら、レイ。私帰りたいからあんたのバイクで帰るわよ」
「ええ? お前どうやって来たんだよ。来た方法で帰ればいいだろ」
「アッシーで使った奴が村についた瞬間逃げちゃったんだもん。仕方ないじゃない。ほらほら、帰るわよ、アッシー二号」
そんな事をのたまいながら、オリビアは勝手にフェンリアへと跨った。
『ええ!? あの、あのオリビア!』
「はいはい大丈夫よ。あんたの王子様にちょっかいなんて出さないから安心なさい? 友達を少しは信用しなさいよ。はい、通信終了ー。おつかれさまでしたー」
『わー! ちょっとオリ……!』
オリビアはカメラを鷲掴みにしてスイッチを切ってしまった。
「お前、滅茶苦茶だな……」
「五月蝿いへッポコアサシン。私もう魔力空っぽで体がだるいの。ほら、埋め合わせがなんとかいってたんだし、足になるくらい役に立ちなさいよ。いいからさっさと出しなさい」
「ったく。しょうがねぇなぁ」
ため息をつきながら、フェンリアに跨り、エンジンを始動した直後、オリビアの体が、俺に密着し、背中にオリビアの体温と、重みを感じた。
「……ねぇ、あんまり飛ばさないでね」
必要以上に背中に感じるオリビアの重み。オリビアは震えているようにも感じた。俺の体にしがみつくオリビアの力は、悲しいくらい強かった。
「……帰ろう。おやっさんの飯がまってる」
去り際にマスターと目線が合い、マスターは俺に微笑んでいた。
「お疲れ様、ふたりとも。ゆっくり休んでね」
「イエス、マイ・ロード」
俺はマスターに挨拶を交わしたところで、出発しようとしたが……。
「まってください、レイさん」
リンさんの声に引き止められた。
「あのさ、悪かった! 足引っ張っちまって! 俺たち覚悟が全然足りてなかったし、実力も全然足りてないって痛感したんだ! 今度、今度会った時はもっと成長してみせる! 本当にすまなかった!」
あのリオンが頭を下げたことに、俺はすこしキョトンとしてしまった。
「……気にしてねーよ。それより仲間しっかり弔ってやってくれ。俺も偉そうな事言っちまったけどさ、多分俺も辛いと思うから。辛いと思うから、俺が真っ先に動いたに過ぎないんだ。お前は正しいよリオン、甘っちょろいけどな。じゃ、またどこかで。ゴルドさんにもよろしくな」
俺はフェンリアのアクセルを捻り、コルトへと向かった。俺たちはただ、無言で走り続けた。
―コルトタウン―
混乱直後で、交通規制や検問が張られていたせいか、行き交う車もなく、ただひたすらに真っ暗な道を走り続け、俺達はコルトタウンに到着した。
「お、帰ってきた帰ってきた」
おやっさんはギルドの前に立っていて、こちらに手を振っていた。
「お疲れさん! そろそろ帰ってくる頃だと思ってな。飯が出来てるぞ! 今晩は一段と冷えるからな、唐辛子がたっぷり効いたトムヤムクンにしたぞ! ほれ、メシにするぞ! さぁ入った入った!」
おやっさんは半ば無理やり俺たちを席につかせ、いつものように明るく振る舞い、俺たちの前に大きな具材が入ったトムヤムクンを並べていく。
「まったくもー酷いよオリビアー。あんな切り方しちゃうなんてー」
エリシアもいつも通りの笑顔で、俺達の前にサラダなどを並べていく。
「ハハハ。ゴメンネ、エリシア。……パパ、ありがとね」
「大変だったなぁ。辛かったろうに。がんばったな、オリビア……」
オリビアの隣に座ったおやっさんは、俯くオリビアの頭を撫でてやった。
「おいおやっさん。俺もかなり大変だったんだぞ」
「んー? どうしたレイ。パパのご褒美のちゅーでもしてほしいか? ん?」
「飯を不味くするようなこと言うなよ」
少しでも、いつも通りの雰囲気を出そうと、俺もなるべく明るく振舞う。
「あははは……。それにしても、これすっごく辛いよぉ唇ひりひりするぅ」
エリシアは口元を押さえながらも、美味そうにスープを飲む。
「そうね。でも、すごくおいしい……。すごく辛いけど」
おやっさんのスープは、これまでに無いくらい辛かったが、体の芯から温まっていくのを感じた。
「ぐす……。もう、パパ辛すぎだよ。目に染みるじゃないの……クスン」
「…………」
俺は、言葉が出てこなかった。何時だって妖艶に振舞っていたオリビアが、少女のように嗚咽を堪えながら涙していたのだ……。
「も、もうパパ様ったらぁ! だからあの時『レッドペッパー多すぎませんか?』って聞いたじゃないですかぁ!」
「……ははは、弘法も筆の誤りってやつだ! ちょっとベースのスープ足せば辛味はすこし薄くなるぞ?」
「いい。おいしいから……。とってもおいしいよ、パパ……クスン」
誰も、オリビアの涙を咎める事も、止めることもできないのだ。だからせめて、オリビアのついた小さな嘘を、そのまま受け入れてやる。
「……辛ぇな、ホント」
その夜のスープは、飲み干すにはちょっと、辛さが強すぎたようだった。そしてその真っ赤な色は、血の様に赤く燃えるあの夕日を、思い出さずにはいられなかった。




