ー託された希望Ⅰー
―リブール大使館占拠事件より四日前。隣国オーディア皇国―
レオニード王国の西側に隣接する歴史と伝統の国、オーディア皇国。
その首都であるテスカトール中央にそびえ立つ煌びやかで美しい宮殿、『バレンタイン宮殿』。この国を治める皇族、バレンタイン家の宮殿であるその一室で、ある密会が行われていた。
「ディムルット、お疲れ様です。報告をお願いできますか?」
「はい、奥方様」
機械文明などの流入もあり、フォーマルドレスなどが好まれるこの世界において、少々時代遅れとも取れる貴族のドレスに身を包んだ、オーディア皇国の皇后。アリシア=バレンタイン。そして立派な執事服に身を包んだ、壮年の執事長、ディムルットが、宮殿内のある一室にて、互いに神妙な面持ちで密会を行っていたのだ。
「クーデター軍は、着々と勢力を増し、皇居へと迫っております。やはり裏で糸を引いていたのは、アルデバランでした。彼らに武器や兵器、魔法道具だけでなく、軍資金や、傭兵なども斡旋している様子。正規軍にも、どうやらアルデバランからの間者が潜んでいますが、特定には至っておらず、そもそも人数も不明のままでございます。大変申し訳ございませぬ」
「……滅ぶのですね、この国は」
「──っ! 面目ございませぬ、奥方様」
ディムルットは、悔しさで歯を食いしばりながら、深々と頭を下げた。
「顔をお上げなさいディムルット。貴方のせいでは無いでしょう? それに、いずれこうなるとは思っていました。……あの人は、武人としては一流だったかも知れないけれど、王の器ではなかったもの。仕方ないわ。言ったって聞かない頑固者でしたしね。それにディムルット、あなたは知っているのでしょう? 私の病について」
「奥方様、それは──!」
「きっと、アルデバランは主人と私を亡き者とし、エリシアをこの国の支配者として即位させ、無理矢理婚姻を結ぶ事により、この国を手中に収める魂胆なのでしょう。本当に、おぞましい男ね。夜伽の相手には困らないほど、何人も妻を娶っているというのに、自分の子供と同じような年齢のエリシアまで手に入れようとするなんて」
皇后アリシアは、深くため息をつき、一枚の手紙を書き上げ、封を施す。
「もはや、この国の崩壊は免れないでしょう。けれど、見す見す私の愛娘を、あんなおぞましい男に渡してなるものですか! ディムルット、この手紙を持って、レオニード王国へと向かってください」
「レオニードですと? しかし、陛下は絶対にレオニードの支援など受けぬと断固拒絶され、レオニードもアルデバランとの衝突を避けるために、難民の受け入れのみの対応を取らざるをえないと表明されておりますが……」
アリシア皇后から差し出された手紙を受け取ったディムルットは、驚きと戸惑いの声を上げた。
「……ええ。ですから、この手紙の届け先は、レオニードの王宮ではありません。民間企業である、冒険者ギルドですわ」
「──! そうか! かの国の元賢者、セイラ=リーゼリット氏が設立した、あの……!」
ここで始めて、アリシア皇后は笑みを見せる。
「そういう事です。エリシアの救出は、彼らに託しましょう。頼みましたよ、ディムルット。必ずその手紙を、『エアリアルウィング』へと届けてください」
ディムルットはアリシア皇后の足元へ傅き、決意を口にした。
「……この命に、代えましても!」
―それから一週間後。エアリアルウィング―
『では次のニュースです。オーディア皇国で勃発したクーデターは、ついに首都テスカトールにある皇居宮殿にまで迫り、ラジール皇政権の崩壊は避けられないものと見られています』
俺はギルドのリビングで、リペアリングから戻ってきた武具の確認を行っていた。リビングに設置されたテレビには、隣国オーディア皇国の不穏なニュースが流れている。映し出される映像は、美しかった町並みが焼かれ、兵士達が衝突し、市民が逃げ惑う様子が映し出されていた。小さな国の同じ民族同士が、あんな風に殺し合っているんじゃ、あの国はもう終わりだろう。
ラジール=バレンタイン。この大陸の三大暴君の一人であり、軍略において奴の右に出る男は居なかった。
国も小さく、軍事力に圧倒的な差をつけられておきながら、前王ルキフィス引きいるレオニード軍と戦い続け、ついに決着がつかなかった相手であり、連合国軍最高司令官に任命されるほどの実力をもつ男だ。
だが、どうやら治世に関しては、ルキフィス同様苦手項目だったらしい。20年ほど前にラルフ皇がレオニードの手の者に暗殺され、ラジール皇が王位についてからと言うもの、軍事路線に大きく舵を切り、そのしわ寄せが国民に向かったため、ついにクーデターが起きた。
さらに、バレンタイン皇家は致命的な問題を抱えている。それは、長く続いた戦乱の世と、過去の血みどろのお家騒動が重なり、バレンタイン皇家は分家を全て失った。そして現在、王位継承権があるのは、彼の一人娘である『エリシア=バレンタイン皇女』一人であると言うことだ。
しかし、本来こんな物は問題になり得ないはずだった。皇女がラジールに似た醜女であったなら絶望的だっただろうが、エリシア皇女は、それはそれは大変美しい美少女で、性格はとても優しく清らかで、まさにプリンセス・オブ・プリンセス。おとぎ話から出てきましたと言わんばかりの、歴史上類を見ないお姫さまなのだそうだ。
──いや、実際綺麗な女の子だった。もう4年も昔のことだから、俺が20歳で、彼女は16歳だったはずだ。バレンタイン皇家主催のダンスパーティに、ロキウス王の護衛で同行したときに、一度だけ実際に会っていたな。会話もしてないし、もちろん踊ったりもしていないが、うん……。とにかく綺麗な人だった。
そんな彼女に心を奪われた各国の王子達は、競い合うように一斉に彼女に求婚した。彼女の為ならばバレンタイン皇家の婿養子になってもいいと言う王子達の中には、兄弟同士でガチの殺し合いをはじめる馬鹿が居たとか何とか。
なんにせよ、俺には全く無縁の話だ。俺のような人間が、おいそれと近づいていい相手じゃない。──まぁ、身分の差を理由にしたら、ロキウス王やマスターにどの口で物を言うのだと盛大にツッコまれてしまうだろうな。
「んぁ? おいレイ。その真っ黒い双剣はなんだ?」
グレンがテーブルに並べられた俺の装備に、珍しく興味を持った。
「ああ、これか? 潜入用の双剣だ。さっきリペアリングから戻ってきたんだ。普通の刀剣よりちょっと短めだけど、狭い場所とか室内では、遮蔽物に剣が取られやすいからな。これくらいが丁度いいし、この黒い刃が闇に紛れて不意打ちに最適なんだ。そして何よりこの剣は、軽い。そして切れ味は抜群。特殊な金属故に、玉鋼のような強靭さはないが、無茶な使い方しない限り問題はない。いい剣だろ?」
俺は剣を両手に握り、空を斬る。ひゅんひゅんと甲高い音を立てながら空を滑る刃は、さながら漆黒の閃光のように俺の周りを飛び回り、最後には腰の鞘へと納刀された。
「──っぶねぇなぁ! そんな『いい剣』を室内でびゅんびゅん振り回すなよ!」
「これくらい余裕だっての。使い慣れた武具は、自分の手の延長みたいなもんだろ? 当てるようなヘマしないから大丈夫だよ」
やはり二本あると落ち着く。何を隠そう、俺の本来の戦闘スタイルは『二刀流』なのだ。ただ、このスタイルは雑魚に使うなとマスターから強く念を押されている。以前、ある犯罪者と交戦した所、半殺しにしてしまい、過剰攻撃であると判断されてしまった事がある。特に、俺の刀剣コレクションの中には、精霊剣と呼ばれるSSSランクの特別な剣が二本もある。あれを両手に装備して使おうものなら、相手がよっぽどの達人でないと、剣や鎧だけでなく、魔法による障壁ごと両断、いや、微塵切りにした挙句、消し炭にしてしまうので、マスターから滅多に持ち出すなと言われてしまっているのだ。
まぁ、潜入任務にはまず不向きな武器なので、滅多に使うこともないのが原状だ。
『クーデター軍の背景には、アルデバラン帝国の支援があるとみられ、ロキウス王はこの件につき、大国同士の衝突を出来るだけ避けるため、難民の受け入れのみで対応するとしております。では次のニュースです』
テレビから流れるニュースが国内のニュースへと切り変わり、子供達がボランティアで地域の公園に花の種を撒いただの、今年は作物が豊作だのと、国境を一つ越えただけでこうもちがうのかと違和感を覚えてしまうが、それが国と言う奴であり、それこそ、俺達が日夜守り続けている『治安』という奴なのだろう。俺は深いため息をついてテレビを消し、午後は特に仕事も入ってないので、買物にでも行こうとギルドの扉を開けようとした時だった。
きぃぃぃっと、いつもより重苦しい音を立ててゆっくりと扉が開き、頭から足元まですっぽりとぼろぼろのローブを被り、杖にすがりつくような体勢で、老人がギルドへと足を踏み入れた。その異様な光景に、俺は思わず息を呑んだ。そして漂う血の香りと、老人の顔に浮かぶ死相。そして微かな毒の気配に、背筋にぞわりと嫌な電流のようなものが走るのを覚えた。
「ハァハァ……。失礼、ここはエアリアルウィングで間違いないでしょうか……ゲッホゲホ! ゼェゼェ……」
「お、おうよ。確かにここはエアリアルウィングだぜ? おいじーさん。大丈夫かよ、めっちゃ具合悪そうだぞ?」
「ああ。よかった──。奥方さま。姫さま……。どうか、どうか!」
その刹那、老人は糸が切れてしまった操り人形のようにがくんと脱力し、俺は慌てて彼を抱きとめた。
「マスター! いっちゃん! すぐに来て下さい! 緊急事態です! グレン、今すぐ救急車の手配しろ! おやっさん! テーブルの上にシーツ敷いてくれ!」
ぐしゅりと両手に生ぬるい液体の感触が広がり、それが彼の血なのだと認識するのに時間は必要なかった。すぐさま、おやっさんがテーブルにシーツを敷いて、簡易的な診察台を用意してくれたので、俺は老人を担ぎ、診察台へと乗せた。
「しっかりしろ、じいさん! ローブ切るぞ! おい、しっかりしろ! わかるか!? 聞こえるか!? 聞こえてるなら返事しろ! 意識レベル低下……! マジでやばいぞこれ!」
俺は持っていたナイフで老人のローブと服を切り、その顔を確認し驚愕する。
「なっ……。なんであんたが、このレオニードに?」
ディムルット=ペントラゴン。元オーディア騎士団長にして、現オーディア皇室執事長が、何故、ウチのギルドに!? いや、そんな事より、この姿は一体何だ!? 複雑な形状の刃で切られた事によるひどい裂傷とその傷による壊死。刺さったままの矢傷。そして中毒症状。とても老人が生きていられる傷じゃない。ここまで来れたのが奇跡に等しい。どうして、こんなことに!?
「レイちゃん何事!? ──嘘でしょう!? なんて事なの! ディムルット様! 大変! いっちゃん、すぐに治療に取り掛かるわよ! 急いで!」
「は、はい!」
「レイちゃん、あなたも手伝って! すぐに毒を分析して、血清を用意して! 救急隊に連絡は!? ここにある薬品と設備じゃ心元ないわ!」
「畜生ダメだマスター! いつもの渋滞に事故が重なって救急車の到着が遅れちまうって! くっそ、こんな時にジークとティアマトが居てくれたら!」
「──くっ! 嘆いてる暇はないわ。今はベストを尽くして彼を助けます! いい、いっちゃん。集中して! まずは傷の縫合からよ。傷口に対して魔力を集中させて治療を行います。焦らず、確実にね。行くわよ……!」
「──イエス、マイ・ロード!」
「「ハイヒーリング!!!」」
ハイヒーリング。ヒーリングの上位魔法であり、重症者の治療に有効な、強力な治癒魔法。高度な魔術ゆえに術者の消耗も激しく、技術も必要とされる為、あの魔術を習得することが一流への第一歩とされる。そんな魔術を習得したいっちゃんの成長を褒めてやりたい所だが、今はそれ所じゃない。
俺はディムルットじいさんの血液を採取し、解毒キットの試薬すべてに一滴ずつ入れていく。こうして、血液の中に含まれる毒素から、注入された毒を割りだし、それに対する血清を投与するのだ。──だが、あの様子じゃ、もう!
そして俺は、その判定結果に奥歯を噛み締める。
「──クソが! コレをやった奴は、どうしようもねぇ人間のクズだ! なんて惨いことしやがる!」
結果は、『蛇種系幻覚毒』。人を即死させるような致命的な毒ではなく、ゆっくりとジワジワと生命力を蝕む、毒としては弱い部類のものだ。
健康な成人であれば、高熱や幻覚に苛まれるが、自然治癒する事も可能だ。だが、この毒は生命力を奪い続けるし、傷は化膿して回復魔法の効果を鈍らせる。マスターといっちゃんが二人がかりでかけているハイヒーリングの効果が薄いのはそれが原因だろう。そして、今から血清を投与したところで、その効果があるかと言えば……。
「──血清、投与します」
老人の手に触れた時、脈を殆ど感じられず、既に手遅れなのだと、理解しつつも、俺は彼の細い血管に針を通した。