ーエアリアルウィングの暗殺者Ⅲ―
「おつかれさま、レイちゃん。コレが今日の成功報酬よ」
マスターのデスクの上に差し出された封筒を受け取り、中身を確認する。だが、ふとある事に気が付く。俺の想像していた報酬額より、随分と分厚いのだ。ざっと見ただけでもその3倍はある。
「──財政困難の割には随分と色付いてませんか? いや、有り難いんですがね。逆に不安になって来るんですけど」
「ああ、安心して。リブール大使からの報酬とは別の報酬も込みの金額よ。……いつも巻き込んでごめんね、レイちゃん」
ああ、そういうことか。
「何を今更。巻き込まれただなんて自覚すらないですよ。どちらかって言うと、俺も首謀者の一人じゃないですか。いや、実際ルキフィスを殺ったのは俺達アサシンなんだから、それこそ実行犯の一人ですよ。あの作戦にも参加してたんですから」
封筒から札束を取り出し、枚数をばらばらっと数えてみる。
「これ、それにしたって多いんですけど? これグレンが知ったらまた喧嘩になるんですが」
「だから別々にしたんじゃない。その金額には、『あの人』からの特別報酬も含まれてるわ。本来秘匿されて然るべきアサシン部隊員の情報が流出してる。そのせいで、あなたがアヴェンジャーに狙われているじゃない。これは間違い無く、私達の落ち度よ」
「だから気にする事ないっていってるじゃないですか。そもそも、『隊長』が本気で防ごうとしてないですもん。むしろ、宿題でも出してる教師の気分でしょうよ。文句は是非ともあちらにどうぞって感じです。それにコレくらい、覚悟してましたよ。ロキウス王とあなたの婚約が公になり、あなたがレオニード軍指令官の席を外れてギルドを建ちあげた時。あなたを守る為に、俺がアサシンから派遣されてるんですから、当然『敵』はまず俺から潰そうとする。
かといって、できる事と言えば嫌がらせ。面倒なだけで別に何一つ危険ってレベルでもないんで、こんなに貰ってちょっと申し訳ないくらいですよ。つーわけで……。正当報酬はこんなもんでいいんで、残りは是非とも、リブール王国の恵まれない子供達に寄付をってね」
封筒から自分が正当だと思う金額だけを引き抜き、残りをすべてマスターへと返却する。その中身を見て、マスターはため息をつきながら、呆れた目で俺を見て来る。
「恵まれない子供達、ねぇ。あのレイちゃんが寄付だなんて、贔屓が過ぎるんじゃない? 『人間』の施設には1n(ニードと読む。レオニードでの通貨で日本円と同価値)すら寄付した事ないくせに」
「ま、俺は犬派なんでね。リブール王国はその大半が犬人族の国家だし、ちょっとくらい贔屓しても罰は当たらないでしょ。あ、間違ってもグレンの報酬に当てたりしないでくださいね。グレンは初代リブール王の胴像の頭を粉砕するなんて不敬働いてるんで、しっかり償わせてください」
俺は金を財布に入れて、執務室から退出し、入れ替わりにグレンが始末書を手に持ち、暗い面持ちで入出した。そしてすぐさま扉のむこうから「あなたという人は……」から始まるマスターのお説教マシンガンが火を吹いた。
「あーあ。ご愁傷さま」
俺は階段を降り、バーカウンターのお気に入りの席へと座った。厨房の奥からは、ピザ生地とチーズが、石釜の中で香ばしく焼かれ、なんともいえない芳しい香りを漂わせていた。
この香りがすると言う事は、もう間も無くあの石釜の中から、おやっさん特製の焼きたてピザが姿を現す。俺は期待に胸を膨らませながら、ギルドの冷蔵庫の中から『コーラ』を取り出し、グラスに氷を入れ、泡をグラスからこぼさないように慎重に注いでいく。
「やっぱピザにはコーラだよな」
「──24にもなって酒の良さもわからんとは、本当にお前は嘆かわしい。ほれ、オリーブ多めの生バジルトッピングだ」
「飲めないんだから仕方ないだろー?」
目の前に、あっつ熱の焼きたてピザが現れ、俺は思わず笑みをこぼす。
「さんきゅー、おやっさん。いただきますっとね!」
俺はピザを一切れ手づかみで持ち上げて、とろりと糸を引くチーズをこぼさないように、ピザを口へと運ぶ。
端的に言ってめちゃくちゃ美味い。トマトソースとチーズの旨味、そして野菜やサラミの旨味が相乗効果となって、舌の上で混ざり合い、幸福で口の中が満たされる。
生地の焼き具合も実に最高だ。こんなピザを手ごろな価格でギルド食堂で食えるだなんて、最高の環境だ。この高級レストランで出されるようなピザを頬張りながら、炭酸の利いたキンキンに冷えたコーラで流し込む。しゅわしゅわっと喉で弾ける炭酸が、実に心地がいい。
「──くぅ! うまい!」
「……飲み方だけはいっちょ前に酒飲みなんだよなぁ」
この男、アラン=マクレガー。グレンより一回り大きな筋骨隆々の大男。グレンがスマートなマッチョだとしたら、この男はヘビィ級のマッチョだ。かつてはバトルアックスを片手に傭兵として数々の戦場を生き抜いてきた歴戦の勇士だったが、ある日を境に彼は愛用していた戦斧を手放し、突如、コックとして包丁を握り、大陸中を巡る旅を始めたのだ。元々持っていた才能が開花したのか、はたまた、隠れた趣味が功を奏したのか。彼の腕前は、大陸中を回り終えた時、一流のコックのソレとなっていた。そして今はというと、エアリアルウィングのメンバーの胃袋を支える、父親的存在だ。
俺はそんなおやっさんが焼いてくれた最高のピザを食べ続ける。
「いっちゃん! ピザあがったぞ! セイラちゃんに持ってってやりな。くれぐれも落したりしないでくれよな」
「はい! 任せてくださいおとーさん!」
いっちゃんはおやっさんからピザを受け取ると、慎重に階段を登っていく。彼女はおやっさんをおとーさんと呼ぶが、もちろん実際の親子関係は存在しない。だが、誰が言いはじめたのかも定かではないが、メンバーそれぞれが、彼を、父親という親しみを篭めた呼び方をする。まぁ俺も、あの見事なバーコードはげを見て、思わず『おやっさん』と呼びはじめた一人ではあるのだが……。
「おう、そうだレイ。お前が昼間に作ったパスタだが、なかなか美味かったぞ。しかし、ちょっと乾き過ぎだな。茹で汁をほんの少し垂らしてからソースと和えてみろ。ほんの少しだぞ? そしたらもっとよくなる」
「ああ、なるほど。おやっさんのパスタに比べてなんか足りないなって思ってたのはそれかー。料理ってのは奥が深いな」
「そうだろうそうだろう! お前にはセンスがある。いい舌をもってるし、いい鼻をしている。酒が飲めないのは大きなハンデだが、その腕前は第一線で戦えるコックになれるぞ。ナイフに関しちゃ俺より扱いに長けてるしな!」
ふむ、コックか。冒険者とかアサシンを引退した後の仕事しては悪くないかもしれない。
「で、またアヴェンジャー共が出たって? お前も苦労するなぁ。聞けば、お前の情報を流したのは、セイラちゃんとロキウス王の結婚を快く思わない貴族の連中だって言うじゃないか。セイラちゃんがハーフエルフだからという理由だけで、あれだけレオニードに貢献して来たあの子を司令官の座から引きずり下ろした挙句、結婚を反対し続けるだなんてな。なんとも嘆かわしい」
この国には、差別が蔓延っている。古来より、人間と他の種族は限られた土地を巡り、争いを繰り返してきた。特にレオニードの人間は、自分達は創生神が自分を模して生み出したものであり、その他種族は、悪魔が悪戯に人と交わり生み出したものだと、つい300年ほど前までは本気で信じていた。
しかし実際は、その土地、国ごとに違ってくる魔力の質に適応した結果の差異であり、基本的に人間とその他の種族が交わる事は可能だ。その証拠に、レオニードから離れた国では、当たり前のように昔からヒトと他種族が交わっているのだ。
では、なぜレオニードは差別が蔓延る事となったのか。
答えは簡単。他民族の土地を侵略する理由として都合がいいからだ。『自分達こそ選ばれた存在であり、それを妬んだ悪魔達が、自分達の土地を奪いに来る。奴らは居てはいけない存在。だから何をしてもいい。奪われる前に奪い、蹂躙し、支配する。レオニードこそが、この世界の正当な主である』。と、これがレオニード至上主義であり、この国の醜悪な思想だった。
だが、レオニード至上主義を掲げてきた貴族達にとって、予想だにしない出来事が起こる。今から17年ほど前の事。正当王位継承者であるはずのロキウス=レオニード王子が見初めた女の子は、ハーフエルフだったのだ。それからというもの、『いつか必ず自分がこの国から他民族への差別を根絶して見せるから、自分と結婚して欲しい』と、ずっとロキウス王子は彼女にアプローチし続け、ついにロキウス王は、彼女のハートを射止めるに至ったのだと言う。
マスターが酔っ払った時に俺だけに溢した本音は、本当は最初からすごく嬉しかったのだけれど、気恥ずかしさからつっけんどんにしてしまった。そして大人になるにつれ、自分がハーフエルフである事で、ロキウス王子に迷惑が掛ってしまうからと、身を引くつもりでいたのに、ロキウス王子が諦めずに彼女に愛を叫び続けてくれた。その時、ついに観念したと。もうこの人には自分しか居ないし、自分もこの人以外考えられないと思ってしまったらしい。
と、甘い果実を砂糖漬けにした挙句、蜂蜜の中に落しこんで食べるような甘ったるい惚気話(聞かされなくても一緒に見て来たから全部知ってるエピソード)を1時間。それを毎度毎度聞かされる俺の身になってほしい。
「──グレン、なかなか出てこないな。コッテリ絞られてるんだろうなぁ」
「そりゃー、リブール国民の心の寄り所である初代リブール王の像の頭を砕いちまったからな。めちゃくちゃ罰当たりじゃん」
マスターのお説教は長い。とにかく長い。更に言ってしまえば、最悪魔法による拷問やら暴力まで入る。さながらブラック企業ならぬブラックギルドだ。ま、されてもおかしくないような損害をもたらしてるのが、グレン(時々俺も)だから仕方ない。
「あれ、そういや今日はギルド静かだな。ジークもアーチャーもオリビアも居ないじゃん」
「ジークは山岳救助隊のヘルプ。アーチャーは実家の方で婚約者のお嬢さんと会食。オリビアは同盟国の魔術の講習会で特別講師としてお呼ばれされたんだとさ」
「へぇ、みんな忙しいんだな。あ、いや、アーチャーだけデートか。うらやましいこった」
「ほっほぉぉぉぉ?」
思わず口にした嫌味に、おやっさんは下世話な顔をして俺の顔を覗きこんできやがる。
「んまぁそろそろお前さんも恋人の一人くらい作ってもいい年頃、いや、遅いくらいだなぁ。早い奴はもう身を固めてておかしくないからなぁ? で、気になる女でもできたか? ん? 言うてみ? ほれ。父ちゃんに言うてみぃて。ん?」
「チッ。ただの軽口に決まってるだろ。別に興味ないよ、恋愛なんて」
大体、こんな俺に惚れる奴と言えば……いや! やめよう! 思い出したくもない!
俺はある人物の影を思い出し、背筋にぞくぞくとした嫌な悪寒を覚え、残ったピザを平らげると、コーラで流し込んだ。
「ごちそーさん」
「おう、おそまつさん。なんだ、今日はもう帰るのか」
「ああ、服が埃でべたべただからな。さっさと風呂に入りたい」
席をたった時に、食器を下げに来たいっちゃんが、俺のマントを勝手に広げて、顔をしかめた。
「……レイさん。よくよく見たら、埃だけじゃなくて蜘蛛の巣とか返り血べったりじゃないですか。よくそのままお食事しようと思いましたね。こんなんじゃ絶対女の子にモテないと思います。もう少し気をつけたほうがいいと思いますけど」
ええい、この子はいつだって一言多い。
「はっはっは。いっちゃんこそ、身長その他もろもろ大きくしないとモテないし、いつまでもお酒買う時に年齢確認されちゃったりするぞ。あと3年でちゃんと大きくなれるといいな、身長その他もろもろ」
「やめろよ、未成年の女の子に向かって……。大人げねぇなぁ。いっちゃんも、こいつと相性悪いんだから絡んでやるな。こいつはギルドで一番口が悪いんだから」
俺の嫌味が心にぐさりと刺さったのか、涙ぐんだ目で悔しそうに俺を睨んで、「うぅ~」だなんて野良猫みたいな唸り声をあげるいっちゃん。言い返そうと思慮を巡らせているのだろうが、勝ち逃げは俺の信条。さっさと撤収するに限る。どうせいっちゃんの次の一手は、マスターに言いつけるという結論に至るのだろうから、さっさと逃げるに限る。俺は勝ち誇った顔を最後にいっちゃんにチラリと見せてから、ギルドの扉を潜った。
そしてすぐ隣の一軒家である俺の家の門をくぐり、玄関の鍵を開けて我が家へと帰ってきた。
「レイさんのいじわるー! もしも怪我しても治してあげないですからねー!」
扉の外で誰かさんの負け惜しみの叫び声が聞こえたが、無視しておこう。こうして、今日も一日。特に変わり映えのしない一日が終わりを告げたのだった。




