―エリシアの契約書―
結局あれから、エリシアは夕食にすら降りてこなかった。仕方なく、おやっさんが部屋の前に食事を置いておいたらしい。0時になって俺がエリシアの部屋の前に来て見ると、置かれていたはずの食事がなくなっていた。きっとこっそり食べたのだろう。
俺は、エリシアの扉にもたれかかり、そのまま胡坐をかく。
「エリシア、俺だ。起きてるか?」
「…………」
そのまま、扉の向こうにいるであろうエリシアに声をかけた。エリシアの返事は無い。ただ、部屋の中に居るエリシアの気配が、すぐ傍まで来たのが感じて取れた。
「ちょっとだけ、話を聞いてくれないか? 別に何も答えなくても良いからさ」
「…………」
ほんの少しだけ、背中の扉に重みを感じた。エリシアの気配が扉越しに伝わってくる。
今、エリシアは俺と同じように、扉を背に座って居るようだ。
「さんきゅ、エリシア」
「…………」
俺は真っ暗になったギルドの中、天井を眺めながら少しため息をついた。
さて、何から話そうか。最悪、これがエリシアとかわす最後の会話になったりするのかな。
勿論生きて帰るつもりではいる。ただ、あんな所で100%生存できるとは思わない。
もし、鬼夜叉丸と出くわしてしまったら。そう考えただけで正直恐ろしい。昔の俺なら、そんな事一切思わなかったかもしれない。大切だって思えるものなんて、アサシンとしての誇り、そしてロキとマスターだけだった。二人の目指す国の為ならば、こんな石ころみたいな命なんて、いつでも捨てられると思っていた。
けど、何故だろう。今は、扉越しに伝わるこの気配が、俺に死ぬという事に恐れを感じさせる。俺は、いつから臆病者になってしまったんだろう。
「さっきはごめんな。お前の気持ちとか、一切考えて無かった。隊長にさ、アサシンに戻らないかって言われて、浮かれちまったんだと思う。実はさ、俺アサシン部隊に居たころは、特に目立った能力も無い、ちょっと皆より速いだけの凡庸アサシンとか言われてバカにされてたんだ。上位の連中には、いつもボロ雑巾みたいになるまで、稽古付けられたり、面倒な任務を押し付けられたりしてさ。かっこわりぃだろ?」
そう、俺は弱かった。カトレアにも勝てず、他のアサシンたちにも勝てなくて、いつだって痛みが伴って、その痛みを恐れていたら、いつの間にか、上位アサシンに匹敵するほど速くなっていた。唯それだけの存在だった。俺の速さは、俺の弱さの証と、みんなに指を指されて笑われた事だってあった。
「ここにさ、ロキウス王の指名と、マスターの指名でやってきたけど、俺、すっげー不満だった。アサシンの皆は言うんだぜ?『ああ、ついに外された。ただ速いだけの取り得の無いアサシンなんて、ああやって外されるんだ。レイは下の連中の見せしめに、あんなどうでも良いギルドに回されたんだ』ってさ。でもさ、ここに来てよかったって、最近思ったんだ。俺は良い仲間に恵まれた。バカな連中だし、しょっちゅう喧嘩ばっかで生傷も絶えないけどさ、アサシンの仲間なんかより、ずっと信頼してる。もちろん、エリシアを含めてな」
「…………」
エリシアは何も答えないけれど、背中に伝わってくる扉の重みが、その答えの代わりに思えた。
「エリシアにとって、隠された真実は辛い事実かもしれない。けどその真実がもし、他の人間の手によって明るみに出てしまったら、この先、エリシアにはもっと敵が増える。最悪、世界を敵に回す事だってありえるかもしれない。大袈裟かもしれないけどな。何となく、そんな気がするんだ」
『ラジールを必要とあらば殺しても良い』
ゼクス隊長の言葉はつまり、エリシアに隠された秘密は国家を左右する秘密であり、これ以上の流出を防がなくてはならないかもしれない。そのためだったら、ラジール王を永遠に黙らせる必要だってあるってことだ。
「エリシアの親父さんも、助けられるようだったら助けるよ。ただ、あんまり期待はするなよ? お前の言ったとおり、もしかしたらホント、帰って来れないかもしれないからさ。もし俺が帰ってこなかったら、えっと……。あーやっぱ今の無し。帰ってくるよ、絶対。何があっても」
ちがう、こんな事が言いたいんじゃない。そもそも、俺はエリシアに何が言いたいんだ? もっと、もっと大切な何かを伝えなきゃいけない気がするのに。なんだ、何を伝えれば良い?
「明後日、というかもう0時回ったから明日か。明日出発の予定だったんだけどさ、正直、カトレアと現地入りするまでがサバイバルしそうだし、切符が取れたから、アイツに内緒で一足先に現地入りすることにしたんだ。だからその、……今日の夜20時の列車で出発する事にした」
「……っ!」
エリシアが何を思ったかは判らない。だけど、伝わってくるエリシアの気配が揺らいだのだけが判った。
「ほんとごめんな? 色々急で。カトレアの事もびっくりしたろ? いきなり襲うんだもんな、アイツ。心の底から苦手なんだよなー。あははは……」
「…………」
俺の乾いた苦笑いだけが響く。それでもエリシアは何も言わず、扉一枚挟んで背中合わせ。
扉一枚向こうのエリシアは、怒ってるのかな。泣いてるのかな。どちらにせよ、また俺は、エリシアを追い詰めてることになる。ああ、やっぱり行かないって言ってやれたら、俺だって楽になれるのになぁ。
「まぁその、なんだ。ちょっと、行ってくるな? ……判子、ありがとな」
「……っ」
俺は立ち上がり、少し背伸びをする。背骨が少しコキコキっと音を鳴らした。
「流石にもう11月になると寒いな。エリシア、暖かくして寝ろよ? 風邪なんて引くなよ。それじゃ、おやすみ」
俺は二階からフロアへ降り立ち、ギルドの扉をくぐり、戸締りをした。そして、自分の家の玄関の鍵を開け、そのまま風呂場へと向かう。
風呂場でシャワーを浴びながら、ふと思う。
「これでよかったのかなぁ」
まぁ、なるようにしかならないんだ。今更悩んでもしょうがない。出発時間が早まったという事は、やはり準備を急ピッチで進めなくてはならない。風呂から上がると、とりあえず自分の家の地下室に下りる。
普通の家なら、ここに食糧の備蓄などを蓄えるらしいのだが、俺の場合は……。
「ふふふ、こういう時に、毎日の手入れが生かされるんだよなぁ」
地下室を埋め尽くす武器、武器、武器。そう、武器屋もびっくりするほどの武器の数々。
「んー、投げナイフは20本いるかな? サバイバルナイフは一本で十分だろ? 閃光手榴弾、煙幕、炸裂弾は確実に必要。ほかにはえーっと」
そんな事をしている間に夜は更け、朝日が上り始める。
「よし、とりあえずこんなもんだろ。あとはこれを輸送部隊に届けてもらえばOKだな」
荷物の確認をし終わり、俺は玄関へと装具を運んだ。
「朝から精が出るな、レイ」
「あれ、ジーク? 今日は随分早いな」
玄関にはジークが立っていた。その表情は険しいものだった。
「予定変わってさ、今夜発つことになった。カトレアと一緒は命と貞操が危ない。なんてな」
「男が貞操とか気にするなよ馬鹿馬鹿しい。世の男にアホだと罵られるぞ」
「そう言うけど、お前も俺と同じ立場だったら同じことするだろ?」
「まぁな」
俺は荷物をどかっと床に置き、壁に腕を組んでもたれかかる。
「で? 朝からなんだよ」
「お前、エリシアちゃんと仲直りできたのか?」
「怒りっぱなしだったよ、つい6時間ほど前までね」
こんなところで話すのもなんなので、ジークをリビングへ招き入れる事にした。
「あいにく客に出せるのはこれだけだ」
俺は冷蔵庫からコーラを取り出し、ジークに放る。
「朝からコーラかよ……」
ジークはぼやきながらもコーラをキャッチし、ぷしゅっと良い音を立てて缶を開けた。
「なぁレイ。どうしても行かないといけないのか? やっぱさ、エリシアちゃんの言うとおり、お前が行く必要なんてあるのか? 止めてやれよ。これ以上あの子を追い詰めるなや」
ジークの言い分は最もだが、俺にだって思うところはある。俺はコーラを一口流し込み、その理由を語る事にした。
「少なくとも、俺はあると思ってるよ。どんな秘密かはわからないけど、もしそれが国を滅ぼすような秘密だとしたら、キーマンであるエリシアは、アサシンに消される可能性だって出てくる」
「消される!? エリシアちゃんが!?」
「可能性の話だけどな。隊長が『必要とあらばラジールを殺せ』って言った理由って、多分そこだ。そして隊長は俺に、『必ず報告しろ』という単語を発しなかった。ミッションに関して、細かい指図をするのがゼクス隊長だ。それをあの人がしなかったという事は、俺の中で仕舞って置いても構わないって事だ。じゃなきゃさ、俺をわざわざ、呼び出す理由が無いんだよ。つまりこの依頼の真の目的は、『アサシンの誰よりも早くその情報を手に入れ、その情報が必要とあらば隠蔽していいよ』ってことなんだ」
「マジかよ。あの薄っぺらい依頼書の裏にそんな意味が……」
「めんどくせーだろ? ウチの隊長。ゼクス=アルビオンはそういう人間なんだよ。カトレアの事もあるけど、そういう任務だ。おちおち寝ても居られないってね。今夜の20時の列車が取れた。それでちょっと行って来るよ」
俺はコーラを飲み干し、ゴミ箱に放る。
「ってちょっとまて!? じゃあ何か? この依頼ってアサシンのバックアップなんて!」
「ああ。あるようでない。利用できなくないけど、ぶっちゃけアサシンはある意味、敵って事になる。殆ど単独潜入任務だな。ハハ。泣けてくるぜ」
「無茶だ! お前本気でそんな事やろうってのか!?」
「それは、鬼夜叉丸と交戦した場合な。よっぽどじゃない限りやらねーよ。それを抜けば、ちょっとしんどい任務と変わりないさ。それに、『自分が判を押したせいで、レイは死んだ』なんて思い込み、アイツにはさせられねーだろ?」
ジークは大きくため息をつき、呆れたんだか諦めたんだか、俺を見据えていった。
「……それだけ分かってりゃ十分だ。死ぬんじゃねーぞ、レイ」
「おう。年内には帰ってくるつもりではいるから、その間エリシアの事、よろしくたのむぜ?」
「当然だ」
それだけ言って、ジークは帰っていった。その後適当に仮眠を取り、レオニード軍の輸送部隊の隊員が俺の物資を取りに来たので、荷物を持って行ってもらった。後は何をするわけでもなく、適当に食事を取り、再び仮眠を取った。静かに時間は過ぎていく。
そして、18時くらいになったころ、俺はギルドへと顔を出した。あと2時間で出発する事を伝えると、やっぱりマスターには怒られた。だが、事情はジークから説明されていたらしく、説得する必要はなかった。
「必ず、生きて帰ってきてね、レイちゃん。何より、エリシアちゃんの為に! あなたに何かあったらエリシアちゃんがどうなっちゃうかもう心配で心配で、ハラハラしっ放しよぅ!」
「そう思うなら、アイツにこんな重大任務の判なんて任せないでください」
「だ、だって押さないって思ってたのよぅ! もっと二人で話し合って、押しに弱いレイちゃんのほうから折れるって思ってたのよぅ! あんな風に簡単に押すなんて、私のシナリオには無かったのよぉ!」
マスターが涙目になって弁解する。いや、俺だってアレは驚いたよ。
「エリシア、アレから一切出てきてないわよ? 行ってあげなくて良いわけ?」
オリビアがエリシアの部屋を指差す。
「あー、実は昨日のうちにそれなりの挨拶はして置いたんだ。このまま行くわ」
「あらそう?『そうなんだ。いってらっしゃい』程度で終わらせられたりしなかった? きゃははははは」
「うるせーなほんと」
実際は、エリシア一言も喋ってないんだよなぁ。口が裂けてもそんな事言えない。
「まぁ、そういう訳なんで、行って来るわ。みんな、あいつを頼むよ」
「御武運を! あなたに精霊の加護があらんことを!」
マスターが最後まで、心配そうに、そして大げさに見送ってくれた。
俺はギルドの扉をくぐり、すっかり冬の空気になってしまった夜の街の空気を胸いっぱいに吸い込む。
「よし、行くか!」
気合を入れなおし、路面電車に乗り、王都のセントラルステーションへと向かった。
―王都・セントラルステーション―
『大陸循環鉄道外回りー、特急イグニス号、20:00発ー。ご乗車のお客様は、客室の清掃が終り次第、ご乗車ください。』
列車がゆっくりとホームに入ってきて、中から乗客が降りていく。1stクラスの車内清掃が終わったら、この列車は出発する。あと10分といったところだろうか。
俺は一応カトレアの姿がない事を確認し、車掌に切符を掲示していた。
「あの! レイ……レイ=ブレイズさんですよね?」
「え?」
後ろから突然声を掛けられ、振り向いた。その声は、声色を変えてはいたが、とても聞き慣れた声だった。
そこには、ピンク色のキャスケットと呼ばれる帽子を深く被り、この時間には通常では考えられないサングラスをかけた女性が立っていた。俺はその姿に思わず噴出しそうになるが、全力で耐える。
何してんだろ、こいつ……。
「そ、そうですけど?」
「えっとその、エアリアルウィングのある女性から、あなたにこれを渡すように依頼されました」
そう言って、彼女は大きな封筒を差し出す。
「……はぁ。拝見します」
「はい……」
封筒の中身は、特別依頼原本を正式な物にした『特別依頼書』だった。しかし、俺の知っている依頼には無かった、受注に当たっての追加条件項目がいくつかある。
1 受注者(以降:甲)は常に生存を最優先し、ターゲットの深追いをしてはならない。
2 甲は情報をエリシア=バレンタイン(以降:乙)に話してはならない。
3 甲がターゲットと遭遇しても、乙はそのターゲットの処遇に対して感知しない。
4 甲はできる限り、殺傷行為を行わない事。
5 甲は出来る限り、オーディア国民の救助を行う事。
6 甲は必ず生還し、乙との約束事を守らなくてはならない。
7 以上の事を甲が了承し、署名をしない限り、この依頼は破棄される。
やれやれ、こんな言われなくても判りきった事をつらつらと連ねおってからに。なんて不器用な奴なんだ。変装だってへったくそでさ……。これで俺を騙せるとでも思ってるのか? 幾らなんでも俺を馬鹿にしすぎだろう。仕方の無いやつ、何の茶番なんだよこれは。
「ありがとうございます。ではこれを依頼者へお渡しください」
俺は自分の名前を記入し、契約印を押し、下手くそな変装をした謎の女に書類を手渡した。
「確かに受け取りました。どうか、どうか御武運を!」
女は封筒を胸の前に抱きしめ、すぐに踵を返し、足早に去ってしまう。
「あー、そうだ。依頼者に、俺からも一つ伝言をお願いしたいんですが」
「なんでしょうか」
彼女は振り向かずに、足を止めた。
「『帰ってきたら、必ず『宝石世界』へ連れて行くっていう約束は守るけど、その前に、お前が作った料理を食べてみたい』って、伝えてくれますか?」
「っ!」
一瞬だけ、彼女は息を呑み、変わらない声色で続けた。
「私が彼女なら言うでしょうね。『そういう事は、生きて帰ってきてから言ってください』って。伝言は必ずお伝えします。どうか御無事で」
チャイムが鳴り響き、駅員が笛を鳴らす。出発の時刻になった。
「それでは、もう列車が出ますので。どうもご苦労様でした」
「いえ……」
俺は列車に乗り、列車の扉が締まる。
そして列車がゆっくりと動き出し、俺は指定された座席へと向かう。
「レイ!!!」
「ん?」
窓の外を覗くと、サングラスを投げ捨てた彼女が、髪を乱し、帽子を押さえながら走っていた。俺は呆れながら、窓を開けて彼女に声をかける。
「おいおい、今時ホームを全力でダッシュして列車を追いかけるなんてベタな真似するなよ。お前ってほんとにド天然だよな、エリシア!」
彼女の顔は、また涙でぐしゃぐしゃになっている。
「ごめんなさいレイ! 私、やっぱり間違ってた! 行っちゃダメ! お願い、行かないで!」
「今更それかよ。大丈夫、絶対帰ってくるから。そういう契約したろ? 滅茶苦茶な契約書だったけど、ちゃんとサインしたぜ? 信用して待ってろよ。お前、俺が信じられないのか?」
徐々に離れていくエリシア。当然だ。エリシアの足は早くない。
「絶対だよ!? 絶対帰ってきて!」
「わかったから、良い子にして待ってろよ? いい加減危ないぜー?」
「何よ! 人の気持ちも知らないで! 子ども扱いして! レイなんて、レイなんてっ!」
エリシアが何かを放って投げ、俺はそれを右手でキャッチした。
「ハァハァ……」
エリシアは最後に、大きく息を吸って、駅に響き渡るような大きな声で、力いっぱい叫んだ。
「大っ嫌い!!!」
おかしな話だ。こんなにも大音量で罵声を食らってるというのに、不思議と不快感を感じるどころか、心地よさまで感じてしまう。
「うるせーよ、ド天然。じゃ、行ってくるなー!」
俺はエリシアに向かって大きく手を振ってやる。
息を切らせ、顔を真っ赤に染め、髪を乱したエリシアはさらに大きく叫んだ。
「レイのばーーーーーーーーか!!!」
エリシアがゆっくり小さくなっていく。見えなくなるまで、ずっとこちらを見詰めていた。
エリシアが放って寄越したのは、どうやらエリシアの故郷のお守りだろう。エリシアの魔力が込められているのがわかる。これは手作りか?
「うーわ。へったくそぉ」
本当にしょうがないお姫様だ。
「ありがとな、行ってくるよ」
そんな事を呟き、俺はお守りを胸ポケットへ仕舞いこんだ。
列車はぐんぐんとスピードを上げ、俺は戦地へと赴くのだった。




