―死神嬢・カトレア=ノアールⅠ―
どうやら、今日の天気はそんなに良くないらしい。鉛色の雲が空を覆い、太陽を遮っていた。
午前中に軽い仕事を一件終らせた俺とエリシアは、昼食をとりに、一度ギルドへと戻ってきていた。
だが、楽しく食事とは行かないようだった。なぜなら、帰ってきた時はすでに、新しいニュースがテレビに流れていて、その内容は決して、良いニュースではなかったからだ……。
『先日、ネブラ将軍が暗殺されたオーディア皇国は、実質、アルデバラン皇国が統治支配する形となりました。現在、オーディアには政権代表となる人材が存在しておらず、治安は更に悪化し、各地で暴動が起こっています。アルデバラン側によりますと、今回の統治支配は、オーディア再建のための仮の統治であると、アルデバラン皇国はしています。アルデバラン王は次のようにコメントしています』
画面が切り替わり、王冠で頭を隠したアルデバランの不細工な顔が写った。
『惜しい同志を亡くした。彼は残虐非道のラジール皇を見限り、国民の心の支えであるエリシア皇女こそ、次の女王に相応しいと常々言っていた。私も心からそう思っている。彼女ほど美しく、聡明で、心優しい女性は、今まで見たことが無い。しかし、残念ながら肝心のエリシア皇女が行方知れずだ。彼女が見つかるまで、オーディアの治安を私が守り、エリシア皇女が戻り次第、彼女に王位を任せようと思う。エリシア皇女よ、どこかでこの放送を見ているのなら、ぜひ帰って来て欲しい。何より、貴女の民のために』
『ブチン』
グレンがテレビのコンセントを抜いた。面倒なことをする奴だ、リモコンで消せば良い物を。
「全く何の放送事故だよ? 全画面にゴキブリを映し出した上にゴキブリがしゃべってたぜ? ギャハハハハハハハ」
よくよく見て見れば、グレンのこめかみには青筋が走っていて、リモコンはその手の中で木っ端微塵になっていた。
なるほど、アレじゃ使えない。
「……下種ね。国民を人質にとってエリシアを炙り出そうっていう魂胆ね。気にするな、なんて言っても無駄だろうし、ここは辛いところだけど、我慢よ、エリシア。大丈夫、マスターのカレシがなんとかしてくれるって信じましょ? ね? ほら、元気出す出す♪」
「うん、ありがと、オリビア」
エリシアの隣にオリビアが寄り添い、励ましの言葉をかけているようだ。
まぁフォローはオリビアがうまくやるだろうから、俺は特に気にせず、おやっさんの作ったハンバーグを食べ続ける事にする。
「おいレイ。エリシアのこと、慰めてやらなくていいのか?」
おやっさんが皿を磨きながら俺にそんな心配をしてくるが、俺は気にせずに食事を続けながら返した。
「オリビアが居るし大丈夫だろ? それにこうなることは、エリシアも覚悟してたはずだぜ? 王位継承権を捨てればどうにかなるってもんじゃないし」
それに、本人が王位継承権を破棄すると宣言しているだけなので、正式な書類を連合議会に提出しているわけじゃない。出せば必ずアルデバランは、その出所を探るだろう。そうなれば、エリシアの居場所が奴に割れることになる。
「しかし、アルデバランがあんなスピーチをするって事は、もしかしてあいつ、エリシアがこのギルドに居るってまだ気がついてないのか?」
「まーな。国内にあるエリシアについての情報を、すべて消せとのお達しが、アサシンにあったらしい。もちろん、ロキウス王からね。で、アサシンの女性メンバーをエリシアのそっくりさんに仕立て上げ、勘違いでしたって言う偽情報も流した。これでとりあえず、一般人にばら撒かれたであろうエリシアの目撃情報は、ある程度もみ消されたことになる」
そして最も強力なのは、エリシアにマスターが施した、ルーン魔法の力だ。ある条件を満たさない限り、エリシアは他人から見ると、全くの別人に見える。しかもその見え方は人それぞれで、例えば3人同時に絵師が似顔絵を書いたとしたら、何故か三人とも違う女性を書いてしまうという強力なジャミング魔法だ。これのおかげで、エリシアにかけられた指名手配は結局、確たる情報に繋がらずに終わっているのだ。
そしてもうひとつ。ロキウス王はアサシンを国中に派遣し、裏社会に出回ったエリシアの手がかりを根絶やしにした。それは同時に、いくつものマフィアを潰す結果となり、ロキウス王としては一石二鳥だろう。おかげで現在、アルデバランはエリシアが生きているのかすら判らないという状況になってしまったのだ。
「しかしこのままじゃ、悪政をオーディアに強要して、市民をいたぶり、エリシアを追い込むって事をしかねないんじゃないか?」
「まさにそれだよ。今、アルデバランは、クーデター軍だろうが政府軍だろうが、反抗勢力を徹底的に潰しに掛かってる。治安維持を大義名分にしてな。まぁ、ロキウス王が周辺諸国に協力を要請してるし、そのうちどうにか落ち着くとは思うけどさ」
俺はコップにトマトジュースを注ぎ、一気に飲み干す。
「ま、俺ならほっとくけどね。……自分の家族を死に追い遣ったその他大勢のために、よくもまぁ胸なんて痛められるもんだ。頭が下がるよ、全く」
「……なるほど、一理あるわな。だがなぁレイ。あの子がそこまで、人を憎める人間じゃないことくらい、お前ならわかるんじゃないか?」
「まーな。正直、呆れるくらいお人好しでビックリするぜ」
おやっさんは、俺の言葉を聞いて、皿を磨きながら、呆れたようにため息をついた。
「なんだ、今日は随分と不機嫌じゃないか。低気圧で機嫌が悪くなるなんて、老人かガキんちょみたいだぞ?」
「ほっとけ」
多分低気圧のせいじゃないだろう。事実として、俺はエリシアに疑問を抱いている。
クーデターなんてものが起されなかったら、少なくともエリシアはこんな状況にはならなかったはずなんだ。バカみたいにアルデバランの甘言に惑わされた連中が多すぎたせいで、エリシアの平穏は奪われたようなもんだ。そんな連中が苦しんだところで、俺ならば鼻で笑うだろう……。
「レイ、確かに俺から見ても、エリシアは優しすぎる子だ。優しすぎて、他人が傷ついてるのを見て、自分も傷ついちまう繊細な娘だ。きっと今も、あの子は罪悪感に囚われ、自分はここに居ていいのか、自分さえ犠牲になれば多くを救えるんじゃないか、だなんて考えてるはずだぞ? 助けてやれ。お前の冷徹なまでの現実主義が、あの子の救いになるかもしれん」
俺は頬杖をつきながら、ため息をつき、空になったグラスを眺めた。
俺がいくら気にするなって言ったところで、あいつ聞きやしないと思うんだけどな……。
「あの、パパさま。何か手伝うことありませんか?」
エリシアはびみょーな笑顔のまま、おやっさんに手伝いを申し出た。
「ん? ああ。仕込みもバッチリだし、今のところは大丈夫だ。それよりお前さん、大丈夫か? あんなニュース見たら、ここの男連中みたく、心臓に毛でも生えてない限り、ショックを受けるだろうに。なんなら、今日の仕事はそれくらいにして、このアホをつれて、気分転換に買い物でも行ってきたらどうだ?」
「おい、アホとはなんだアホとは」
指を指された俺は、おやっさんに抗議する。
「ハハハ……。でも、遠慮しておきます。私は早く一人前になって、せめて皆さんの役に立たないと、皆さんにも申し訳なくて……。特にバディについてくれたレイなんて、行こうと思えばSランクの高額クエストにも行けるのに、わざわざランクを落として受注してもらっちゃってるんで、本当に申し訳なくて……」
「まったぐへっ!?」
エリシアの言葉を肯定しそうになった俺を、おやっさんは頭を鷲掴みにして、テーブルに押し付けながら、あたまをワシワシと撫ぜてくる。痛い。非常に痛い。
「ガッハッハッハッハ! 聞いたかレイぃ! この子ほんっとうに余計な心配ばかりしてるぞ? ちょっとお前の図太い神経分けてやったらどーだ? んー? がっはっはっはっは!」
「いだっ! ちょ、いってーよおやっさん! やめれ! 縮む! 痛いって!!!」
大笑いしていたおやっさんだが、外が先ほどより暗くなってきているのに気が付き、俺からぱっと手を離した。
「エリシア。天気が悪くなってきた。多分一雨来るんじゃないか? 確か今日は、仮眠室のシーツと、シャワー室のタオルを洗ってたな。そろそろ乾いてるだろうし、洗濯物を取り込んどいたほうがいい。レイ、手伝ってやれ」
「ててて、しゃーねぇなぁ」
「わかりました。お願いね、レイ」
首をゴキゴキと鳴らしながら、俺たちは屋上への階段を上り、洗濯物が干してある屋上へとやってきた。
もうすでに暗雲が空に立ち込め、ゴロゴロと雷の鳴る音も聞こえてきている。
「うん、ギリギリ乾いてる。よかったー、朝から干しておいて。部屋干しだと臭くなっちゃうんだよね」
不安を隠すためだろうか。エリシアはいつもより早口だ。シーツの裏に居るから、その表情までは見て取れないが、きっと右の口角が釣り上がってるに違いない。
俺はタオルを取り込みながら、先ほどのおやっさんの言葉を思い出しながら、エリシアにかけてやるべき言葉を模索する。
「なぁエリシア。その、なんだ。あんまり心配するなよ。ロキウス王も動き出してる。アルデバランも大きく出られないって」
「……でも、やっぱり不安だよ。ねぇレイ。私が、……アルデバランの妻になれば、戦争は起きないで済むよね? 今オーディアに居る人たちは、苦しまずに済むよね?」
それは、確かにありえるかも知れないが、多分アルデバランはそれで満足しないだろう。
「さーな。確証は無い。つーか大前提としてだな、お前はあんな鳥の巣みたいな頭した暴君に嫁ぎたいか? あいつの妻になりたいか? あんな奴の子を生みたいか? それが嫌なら鉄の意志で突っぱねろ」
「嫌だよ! 絶対嫌だよ! でも、私のせいで大勢の人が犠牲になるなんて……耐えられない」
エリシアの小さな手が、干してあるシーツをぎゅっと握り締めた。
シーツの裏に居るエリシアが、泣き出しそうになるのがわかった。
その言葉を聞いて、俺は苛立ち、語気が強くなってしまう。
「エリシア。何の慰めにもならない話なんだが、アルデバランの凶行は、お前を手に入れたら止まるって話じゃない。お前だってわかるだろ? あいつはこの大陸全土を手に入れ、海を渡り、全ての世界を支配するまで、多分止まらない。女だって、目に映る美女全てを手に入れるまで止まらない。本当に酷い例えなんだが、エリシアを欲しがるのも、子供が玩具を欲しがるレベルでしかないんだ。わかるよな? その玩具の為に何千何万という犠牲が出たところで、あいつはきっと気にも留めない。そうなる未来が予想できる以上、お前が犠牲者代表になる必要ないってわかるよな?」
エリシアは黙っているが、シーツの向こう側の影がコクリと頷いた。
「言っとくけどな! 俺はそんな奴に、お前を渡さない。勿論、鬼夜叉丸にも渡さない。それでもお前が行くというのなら、俺はお前を止めない。どーぞどーぞ、好きにするがいいさ。だがな、お前がそうする前に、俺はアルデバランも鬼夜叉丸も地獄へ叩き落す! 俺はそれくらいの覚悟してるぜ? なんせ、お前を守ると、あの二人に誓ったからだ! 以上! 終わり! この話はこれで終幕! ほら、さっさと洗濯物取り込むぞ? 午後は普通に仕事するんだろ? 仕事終ったら、……ピラフでも作ってやるよ」
「レイ……。あり…がと……」
俺はエリシアの握っていたシーツを、ゆっくりと奪い、洗濯籠に放り込んだ。
「……何泣いてるんだよ、バーカ!」
俺は苦笑いしながら、エリシアの頭を乱暴に撫でてやった。
「ぐすっ。……泣いてないもん。雨だもん」
なんて、エリシアはまだ降り出しても居ない雨のせいにした途端だった。
頭頂部に、冷たい水滴が落ちてきたのを感じ、俺の背筋がびくっと震えた。
そして、ふと天を見上げると、空から一気に大粒の雨が降り注ぎ、辺りを音を立てながら水浸しにしていく。
「「ちょ!?」」
俺たちは慌てふためき始める。
「バカ! お前が変なこと言うから、降り始めちまったじゃんか!」
「きゃー! レイ早く中に入って! 洗濯物びしょびしょになっちゃう! ああ!タオル落ちてるタオル落ちてる! きゃーつめたっ! 風邪引いちゃうよー!」
俺たちは雨に濡れながら、そして何故か笑いながら、ギルドの中へと駆け込んだ。
「ったく、ひでぇ目にあった。 結局洗ったばっかりのシャワー室のタオル使うハメになるのな」
「はぁはぁ、もー、服までびちょびちょだよぉ」
俺たちはゆっくりと洗濯物を持ちながら階段を下る。
そして2階から1階へと降りる階段に差し掛かったところで、俺はあることを思い出した。
「あ、エリシア。靴濡れてると、ここの階段滑るぞ」
気をつけろよと言おうとした刹那。
「きゃ」
後ろから降りてきていたエリシアが、短く悲鳴を上げ、派手に洗濯物をぶちまけ、こちらに降って来た。
「うっそ!?」
俺は反射的にエリシアを抱きとめる。が、俺の靴も濡れていた為、バランスを崩しそのまま俺も……。
「ちょ!? うわっ!」
俺はとっさにエリシアを強く抱きしめ、エリシアの頭を保護する。まぁ、俺は多分、こぶ位で済むだろう……。俺は歯を食いしばった。
「ふぇ!?」
腕の中で、エリシアが変な悲鳴をあげたのと同時に、俺とエリシアは洗濯物と一緒にそのまま滑り落ち、俺はフロアの床に頭をぶつけた。
「ちょっとレイ! エリシア! 大丈夫?」
オリビアの心配する声が響く。
「いてててて、なんとか」
視界は真っ白。どうやらシーツを頭から被ってるらしい。そして、水で濡れた服を隔てて伝わる、温かくて、柔らかい感触。顔の至近距離に、顔を真っ赤にしたエリシアの顔があって、俺はエリシアをぎゅっと抱きしめていた。
「あ…………」
「――――――っ!」
自分でこの状況を作り上げてしまったはずなのに、頭は混乱し、何故こうなったかがわからない。ただ判るのは、自分の心音と、エリシアから伝わってくる心音が重なり、大きく早く、自分たちの鼓動が聞こえてきていた。相手の呼吸、鼓動、体温、全てをこんな近くで感じた女性が、今まで居ただろうか? 答えは否だった。そしてそれ以上に、なぜ自分達がこうも硬直し、互いに言葉を発せられずにいるのかが、全くわからない。
「……何してるのかしら? 『レイレイ』?」
「へ!?」
全身に、反射的に戦慄が走る。まるで雷に打たれたかのように、俺の頭は正気を取り戻した。
なぜなら、頭上から到底エアリアルウィングでは聞く事のない女性の声が響いたからだ。
そして、その女性により、俺たちを覆っていたシーツが取り払われた。黒いローブマントを頭からすっぽり被った上、照明の逆光に照らされて、顔は見えないが、俺を『レイレイ』だなんて呼び方をする人間は、俺の知る限り一人しか居ない。
「……何、してるの? レイレイの……レイレイのばかぁぁぁぁぁ!!!」
刹那、彼女が背負っていた死神が持っているような大きな鎌が閃き、真っ直ぐ振り下ろされた。
「ちょ!? 待てこら!!!」
「きゃあ!?」
俺はエリシアを抱きしめたまま刃を避け、フロアの中央へと跳躍する。
俺が今まで居た場所はバックリと亀裂が入り、階段が、その背筋も凍るような斬撃により、全て両断された。
「おい! 誰だアイツ中に入れたの!?」
俺は突然の来訪者、いや、襲撃者にダガーを構える。
「いや、なんかアサシン部隊のエンブレム見せられたし、レイの仲間だって言うから通したんだけど。 つかレイレイって何? 間違いなく深い知り合いだよね」
そう言ったジークも背中のロングソードを構えていた。
「いや、確かにアイツがアサシンだということは間違っちゃ居ないんだが……」
俺は言葉につまる。確かに、アイツはアサシンで、俺の良く知る人物なのだが、見てのとおり、超危険人物なんだ。
「ちょっと。貴女、ギルドの階段になんてことするのよ! レイはともかく、階段とエリシアに手を出したら許さないわよ!」
オリビアが意味のわからない怒り方をして杖を構え、魔力を高める。
「はぁ? レイ? 何で私のレイレイを呼び捨てにするの? あんた何様ぁ? 殺すよ?」
ゆらりとした動作でターゲットを、俺からオリビアに変えた彼女は、再び自分の身丈以上の大鎌を構えた。その瞬間に悟る。彼女が本気でオリビアと戦おうとしていることに!
オリビアがやばい!!!
「神速!」
俺はオリビアへと一気に距離を詰める。
「神速」
同じように、死神の鎌をもった女も、オリビアへと距離を詰める。
そしてその直後に、金属と金属がぶつかり合う音がして、オリビアは俺の背後で意味がわからず混乱していた。
俺は彼女の前に立ち塞がり、オリビアを両断しようとした凶刃を二本のダガーで挟み込み、なんとか受け止めていた。
「ちょっとぉ、あんまりだよレイレイ。どうして? あれから一度も私に逢いに来てくれないし、私から逢いに来たらあんなブスと抱き合ってるし、そんな乳牛女庇っちゃうしさぁ。レイレイが私のこと愛してくれてるのはわかってるし、私もレイレイのこと大好きよ? 世界で一番愛してるっ! でも私ね、浮気は許さないよ? 知ってるよねぇ? ねぇねぇ?」
「いつ俺がお前を愛しているだなんて言った!? それよりテメェ。今本気でオリビアを殺そうとしたな? ふざけるのも大概にしろ! カトレア!!!」




