ーオーディア脱出Ⅱー
「──エリシア皇女、酷な事を申し上げます。クーデター軍が迫っています。今は逃げましょう。もちろん、皇后様もお連れ致します。一刻の猶予もありません。どうか──!」
「──もう、いいです。このままここで、母と死なせてください。報酬は、母がお支払いするはずだった額をすべて差し上げます。貴方達はこのままお逃げください……」
エリシア皇女の気持ちは、痛いほどわかる。だが──。俺は引き受けてしまった。この先も彼女を守り続けると。
「エリシア皇女、──ご容赦を」
俺は彼女の首筋に眠り薬の塗った針を、薄く刺す。抗う素振りも見せぬまま、彼女は意識を手放し、オリビアが彼女を抱きとめた。
「──ごめんな、それはできないよ。契約違反になっちまう」
オリビアが眠る彼女を座席に座らせ、グレンはバンの後方の荷台スペースに皇后様のご遺体を寝かせた。そしてマスターが、暗い面持ちのまま、全員に告げた。
「──帰りましょう。エアリアルウィングへ」
「「「「「「イエス、マイ・ロード」」」」」」
俺が立ち上がろうとすると、腹部に激痛が走り、膝から崩れ落ちる。どうやら麻酔がもうきれてしまったようだ。
「──毒が効かない体ってのも難儀なもんだな。麻酔の作用も長くは持たないなんて。ほら、掴まりな、レイ」
眼前に、鋼鉄のガントレットを装着した手が差し伸べられる。俺がその手を掴むと、ジークは俺に肩を貸してくれた。
「──これを、任務成功って言えるのか?」
「……なぁレイ。竜騎士団時代に、同じ事を、同じ人数でやれって言われたら。俺は多分そんなの不可能だって突っぱねてたよ。このメンバーだからできたことだし、お前だからこそ、お二方をあの宮殿からここまで連れてこれたんだと俺は思うよ。流石はアサシンの一人だな。グレン、アーチャー、お前らはティアマトの背に乗れ! 怪我人と女性が車内だ!」
俺はジークに促され、車へと乗り込みシートベルトを締めた。
「いくぞ、ティア! 全速力でこの国を脱出する!」
ジークが手綱を弾くと、ティアマトは一気に遙か上空へと飛び上がる。
「マスター! 仕込んでたアレ、発動しちゃってください!」
「了解よ。──風の精霊よ、謳いたまえ。我は悪戯の調を奏でる者なり」
マスターの詠唱と同時に、眼下に広がる街の道が薄緑に輝き、テスカトールに張り巡らされた街道が、瞬く間に魔法陣へと姿を変えた。
「見事ね、マスター。都市を丸ごと包みこむジャミング魔法を一人で展開するなんて、流石としか言いようがないわ」
「ありがとう、オリちゃん。とりあえず、今から30分は、地上からこちらに対して攻撃魔法を唱えられないし、正確な位置を認識出来なくなったわ。あとは全力で逃げ切るだけよ」
しかし、どうやらそうも行かないらしい。アーチャーの鷹の目は、遥か先から高速で迫る敵影を視認していた。
「ジーク、5時の方向敵影あり! アルデバランの飛竜隊だ!」
「──ま。来ると思ってたよ。マスター、ティアにブースト魔法を! ごり押しで振り切ります!」
マスターはティアマトに向かって杖をかざし、疲労回復魔法と身体機能向上の魔法を重ねがけする。マスターの加護を獲たティアマトは、大きく翼を羽ばたかせ、グンっとスピードを上げて、雲の中を突進する。
「我が盾よ! 我が呼び声に応え、その力を示せ! イージス!!!」
ジークが左手につけた腕輪に魔力を送り込むと、強力な魔力の障壁が、ティアマトを包み込んだ。その障壁は、分厚い雲の中を漂う氷の塊りや、雷といった障害から俺達を守ってくれる。如何に飛竜が強靭であっても、それに乗る人間はそうは行かない。高高度による酸素の欠乏、氷点下の気温。おおよそ人類が生存出来ない環境がそこに広がっていて、雲の中ともなれば尚更だった。ジークの持つ、世界最硬の結界アイテム、『イージスの腕輪』がなければ、不可能な強行突破。
だが、一度展開してしまえば何人たりとも、どんな劣悪な環境だったとしても、ティアマトの行く手を阻む事は出来ない。……ジークの魔力が持つ限りは。
「きっつぅぅぅぅ! いつもより展開範囲広いから消費激しいんだけど!!!」
「頑張れジーク! 国境越えるまでだ! あと20分頑張れ!!!」
グレンがジークのプレートをバンバンと叩き励ますが、ジークの泣き言は治まる気配が無い。
「無理無理無理無理!!! これあと20分とか魔力持たないって!!! あと5分が関の山だってば!」
「ま、そうだよね。君の魔力量並みの魔術師程度だしね。ジーク、そろそろ山間部に近づくから、川に沿って国境を越えよう。このルートなら敵に発見されにくいはずだ。レオニードからはちょっと遠回りにはなるけど、このまま雲の中を抜けるよりはマシだろう。どこかでティアマトが休憩できるポイントがあれば、尚更いい」
アーチャーの的確な指示を受け、ジークは手綱を弾いた。
「了解! 降下するよ!」
雲の隙間からティアマトは少し高度を落し、山脈の上空を飛ぶ。眼下には、先ほどの地獄が嘘だったかのような、長閑な田園風景が広がっていた。まだここはオーディア領ではあるが、ここまで来ればひと安心といった所だろうか。
いっちゃんが俺の腹部に回復魔法をかけはじめた所で、俺は緊張の糸が切れ、同時に目蓋が重くなる。
「大丈夫です、レイさん。眠ってください。そのほうが怪我の治りも早いですから」
「ああ、そうだな……」
狭くなって行く視界が捕らえたのは、目の周りが赤くなり、未だにその睫毛に涙を貯めたまま眠るエリシア皇女の姿だった。居た堪れないその表情に、胸が締め付けられる。俺がもっとしっかりしていたならば、皇后様を守れたかもしれない。そんな後悔をしておきながら、我ながら本当に不謹慎で最低だとは思うが、どうしても思ってしまった。魅入ってしまった。
黄金の朝日に包まれ、眠るその姿は、やはり美しいと感じてしまったんだ。




