―絶望を喰らう者Ⅲ―
それから4年後。私はラジール王の忘れ形見である娘を出産した。悲しい恋の果てに生まれたこの子を、私は何があっても失ってはならないと決意する。この子は私の宝だ。カトレアちゃんには私の全てを与えようと思っていた。それからしばらくして、子育てに追われながらも、全てが満たされた私に、神様はさらなる贈り物を届けてくれた。
カトレアちゃんが生まれてからも忘れる事ができなかった存在。スキラ=ブレイズがついに捕らえられたのだ。
―ノワルゲフェナ村役場・地下牢―
「こちらです、賢者様。今の所、暴れるなどといった様子は見受けられませんが、念のため強力な結界を張っています。が、ご注意ください」
強力な結界? この拙い結界の何処が? 私から見ればこんな物は結界と呼べる代物じゃない。紙のように脆いただの壁に過ぎない。それは、あの女も同じはず。この程度の結界、何百枚と並べたところで、あの女を封じる事なんて出来る筈がない。私は見張りの兵士達を退出させ、牢の中で床に座る彼女を見下ろす。
あの女に敗北してから約5年間。この女の影に苛まれ続けた。研ぎ澄まされた剣のような美しい銀色の長い髪。どんな動物の毛皮より美しく、羽毛のように柔らかいであろうその尻尾。息を呑むほどの美しいその顔。この女を思い出すたびに、私の右腕はあの灼熱と痛みに疼く。今も脳裏に浮かぶのは、灼熱の門と巨大な顎門。地獄の光景。
「──うぐっ!」
私は疼く右腕を押さえつける。全身から油汗が湧き出てくる。やはり、私はまだこの女を恐れているのだ。賢者の座を手に入れたと言うのに。あの頃の私とは魔力量が遥かに違う。目の前のこの女にも引けを取らないはずだと言うのに!
「──私を覚えてる? スキラ=ブレイズ! 私はこの5年間。一度もあなたを忘れる事が出来なかった。右腕を見るたびに、あなたのその憎たらしい顔を思い出し続けてきたわ!」
金色の瞳が、私を真っ直ぐ捉えた。まるで氷の矢で射抜かれたような錯覚を覚えるほど、冷たく鋭いその視線に、心臓がドクンと大きく脈打つのがわかる。
「──ええ、覚えてるわよ。その体に染み付いた不快な臭いは、一度嗅いだら忘れられないもの。どうせ私が処刑されると知って、冷やかしに来たのでしょう? どう? 気は済んだかしら。他に用がないなら帰ってくれる? あなたの臭い、冗談抜きで私にはキツ過ぎるの。目にも染みるし、頭が痛くなって来るわ」
スキラは、鼻と口にハンカチを押し当て、本当に不快そうにこちらを睨む。私はそのあまりにも失礼な態度に触発され、怒りで魔力が溢れ出す。
「言わせておけばこの雌犬っ! 今すぐ私の手で殺されたいわけ?」
「随分な自信ね。あなた、あれから一体何人の人を殺したの? あなたからは、怨霊と同じ腐ったような臭いが以前にも増して強くなっている。あなたには理性も良心も欠けているのね。一目見た時からなんとなくわかっていたけれど、今日で確信に至ったわ。殺したいのなら、やって見ればいいじゃない。できるなら、だけどね」
私の魔力が膨張し、建物にひびを入れてゆく。普通の人間だったら恐怖に慄く魔力量を前にしても、この女は顔色一つ変えず、さもつまらなそうにため息をつく。
「──一体何を考えてるの? お前ほどの魔術師が、こんな形でなぜ囚われたのよ! なぜ戦おうとしなかったの? お前が戦えば、聖騎士団程度の戦力はあっというまに殲滅できるはず! なぜ戦わないの?」
スキラは、どこか呆れたような表情でため息をつき、語り出す。
「ならその先は? 次はもっと圧倒的なレオニードの戦力が投入されるわよね? それに呼応するように、きっとレオニードを恨む他種族が一斉蜂起するでしょうね。私がそれを望んで居なくてもね。一体何人死ぬの? 一体何人の子供が、親を失うの? 一体何人の親が、子を失うの? 人間ってそういう事考えないの? 他民族他種族だからそんなの当たり前? 戦争だから当たり前? って、ダメよね。あなたにこんな事を問いただしても、碌な答えは返って来ないわよね。だって、それが楽しくて、ネクロマンスなんていう外道魔術を身に着けているのよね」
スキラは私を憐れむような、実に屈辱的な視線を向けてくる。だというのに、この女を殺せない。この女とまともにやり合って、勝利するヴィジョンが何一つ浮かんでこない。4年前とは比べ物にならないくらい魔力を高めた筈なのに、なぜ? なぜ私の体はこうも硬直しているの?
「──ところで、もしかしてあなた、母親になったの? それも、私とは違って自分のお腹を痛めて生んだのよね。あなたからは、母乳の匂いが微かに漂ってくるわ。母親になって、命の尊さを再認識したりしなかったの? 自分のやってきたことがどれだけ愚かな事なのか理解できなかったの? 自分の子供にも、そんなおぞましい魔術を学ばせるの?」
私の脳裏に、愛おしい我が子の顔が思い浮かぶ。その刹那、動かなかった体が嘘のように軽くなり、スキラを魔力の本流で壁へと叩きつけた。
「おぞましい? おぞましいですって? ええそうでしょうね。そのくだらない倫理だとか良心を持ち合わせた一般常識人にはきっと理解されないでしょうね。でも私に言わせれば、誰かが誰かを殺したいと願うこの世界で、こんなに効率のいい魔術はそうそう無いわよ。どうせ剣で切っても魔法で焼いても結果は一緒。相手が死ぬと言う結末は変わらないし、その死体は土や灰に返る。それを私は魔法として利用しているだけ。どうせなら、効率よく楽しく私は力を手に入れてやる! ちゃんと魔力として命を有効利用してるのだから、ただ虐殺するより割とマシだと思わない? スキラ=ブレイズ!」
「ええ、全然思わないわ」
スキラは私の魔力の奔流をいとも容易く跳ね除け、服についた砂埃を払いながらため息をついて見せた。
「あの頃とは確かに魔力の絶対量が上がったのは認めてあげる。でもそれって、あなたくらいの才能の持ち主なら、ただ魔力を高める修行に費やすだけで得られたはずの魔力量よ。それに、ネクロマンス以外の魔術を習得すれば、戦術にも幅を持たせる事も出来るわ。私なら、もっと有意義な時間を過ごしたでしょうね。5年間。あなたは、ただひたすら、人々の命を弄び、その魂を汚し取り込み続けてきたのね。ハッキリ言って、馬鹿馬鹿しいわ。そんな遊び半分で手に入れた力で、私と対等になれたと思っているのなら、本当に哀れな人ね。その程度じゃ、この私には到底敵わないわよ?」
私は更に強い魔力を向けるが、スキラはそれすらも、涼しい顔で跳ね除けて見せた。膨張し続ける魔力が、建物に更なるひびを刻んでゆく。
「いい加減にしてくれないかしら。ここにはレイも連れて来られてるの。あの子に怪我をさせたくないのだけれど」
レイ? レイってまさか、あの子供? クリス=エンデヴァーの事? あの森で生き続けていたというの?
「あの子供、クリスが生きている? あの邪悪な森で、今まで生き抜いてきたと言うの?」
「何を不思議そうな顔をしているの? あなたでしょ? あの子を私に差し向けたのは。あなたの臭いがしっかりと移ってたわよ。あの子の本当の両親の経緯も、私は知っている。今も後悔してるわ。あなたをあの時、ちゃんと殺してあげるべきだった。そうすれば、きっとレイは今頃、本当の両親に愛され、同世代の子供と仲良く遊ぶ未来を歩んでいた筈。あんな鬱蒼とした森で暮らす事も無かった。あの森で生きる為に、私はあの子が本来学ぶ必要のない事を教えざるを得なかった……。私は、あの子の人生を私のエゴで捻じ曲げてしまった。自分の寂しさをあの子に押し付けてしまった。そんなあの子が少しでも自分の人生を取り戻してくれるなら、こんな命……。いくらでも差し出すわ」
スキラは、私に微笑んで見せた。しかしそれは、私に向けられたモノではない。この女の見つめる先には、きっとあの子供がいる。この女は、あの子供を本気で愛して居たのだ。他人の子供を。自分の一族を苦しめてきた人間の子供を、我が子として!
「で、どうするの? 私と戦う? 私は別にどちらでも構わないわ。それに、あなたはレイの両親の仇でもあるから、今後のレイの人生を鑑みるのなら、ここで私がきっちりあなたを殺して置くのが最善策なのよね。あなたがレイに何の危害も加えないなんて、絶対にあり得ないもの」
「……ハッ。何を言い出すかと思えば。あなた、自分の置かれた状況わかってるのかしら? ねぇ、あなた明日処刑されるのよ? その血の繋がらない愛しの我が子の前で、民衆の好奇と憎悪の目に晒されながら、首を刎ねられるの。あなたが死んだあとに、たっぷりあんたの息子とやらを嬲殺しにしてやればいいだけでしょう?」
「できるの? だってあの子、アギトル教の教皇の孫なのでしょう?」
私は彼女の言葉に、不都合な真実を思い出す。そうだ、あの子供はただの子供じゃない。現アギトル教の教皇、トーマス=アンダーソンの孫に当たる存在。あの子供が生きている事は、おそらくトーマスの耳に届くのは時間の問題。トーマスを敵に回す事、それは、彼と親交のあるフローラのババアと真正面から対立する事になる。
「私も取調べを受けてる時、審問官に聞かされたわ。流石に驚いたけどね。だからね、私は彼らと、ある取引をしたの。『どんな形でもいい。あの子を守ってくれるなら、私は魔女として処刑されてあげる』ってね。実に好都合だったわ」
「くっ……」
これでこの女が処刑されたとしても、あの子供はアギトル教によって庇護されてしまう。アギトル教の手の内に居る以上は、私も簡単には手出し出来なくなる。
「もう少し喜んだら? あなたの望みは私の死でしょう? どうしてそんな悔しそうな顔をするの? そんなに気が晴れないなら、死刑執行をあなたがやったら? 私は別に構わないわよ」
ちがう、違う違う違う! これじゃない! そうじゃないのよ! こんなもの、私のシナリオに無かった! そんな表情は私のシナリオには不必要だ!!! なぜ恐れない。なぜ悔しがらない。なぜ笑って居られる! 命乞いしろ! 私に許しを乞いながら死ぬべきだというのに! この女は何故笑う!!!
「──笑うな。あなたが笑うとイライラするのよ。何でそんなにあっさり受け入れるの? もがいて見せなさいよ! そう、子供。子供よ! あなたのその大切なレイが、あなたを失って壊れてしまうかもしれないわよ!? 自分自身でその命を絶つ事になるかもとか考えないの!?」
私の言葉に、スキラは初めて悲しそうな笑みを浮かべた。その優しさと悲しみが入り混じった表情に、私は思わず息を呑んだ。
「ええ、もちろん考えたわよ。きっと、私を失い、レイはすごく苦しむでしょうね。あの子に辛い思いをさせるのが、私は本当に辛いし、とても悔しいわ。けれど、私は信じる事にしたの。レイは私を救ってくれたわ。だからきっと、生きてさえ居てくれれば、レイはまた誰かを救う事が出来る。そしてその人がきっと、レイを救ってくれるって、私は信じてる」
「何故……そんな事が言いきれるの? 未来を見通す魔法なんて、占いなんて迷信だって、現代の魔術を知る者なら嘘っぱちだって常識じゃない!」
「ええ、もちろん確証はないわ。けれど、私はあの子の未来を信じる。そう思わせてくれる子よ、レイ=ブレイズという男の子は」
──虚勢だ。ハッタリに決まってるわ。どんなプライドの高い人間も、死を目前に恐れない人間なんていなかった。この女にとって、最も大切な存在は、あの子供。クリスに他ならない。あの子の為に死ねると言うのなら、あの子の為に生きたいとも思うはず。
「──口ではいくらでも言えるわよね。クリスの目の前で殺されるその瞬間も同じ態度で居れるか見物ね。あなたは絶対命欲しさに、人間達を全員焼き殺し、クリスを連れて逃げるに決まってるわ。そこを私が追いかけて殺してあげる。あなたは住民を呪い、処刑を逃れるために殺戮を繰り返した魔女として人々の記憶に残り、私に退治されるの。精々一人でも多く殺してよね、あなたの悪名が高ければ高いほど、私の功績は称えられるのだから」
もうこれ以上この女と言葉を交す必要もないだろう。そもそも何を私は腹を立てているのよ。この女はどう転んだって死ぬのよ? 私の勝利は確定してるのよ? あとはどれだけこの女に苦痛を与えるかを考えればいいだけ。そう、例えばあの女があの子供を連れて逃げようとしたところで、あの子供を殺してやるとか、ね♡
「──一応忠告しておいてあげるわ。あなたは絶対碌な事をしない。下手な事はしないことね。火傷じゃ済まなくなるわよ。子供がいるなら余計に、その体を大切にしなさいね、リリィ」
脳裏に思い出される、あの地獄の光景に、再び右腕が幻痛に疼く。
「余計なお世話よ。雌犬」
私は地下牢をあとにする。そして庁舎の廊下を歩く私は、本当にどうでもいい事に気が付いてしまう。
「……名前、呼ばれた」




