第44話
ロミストフに別れを告げて帰路につく。来た時と同様に転移魔法で移動するのかと思ったが、今後の方針について相談したいということなので、魔法ではなく物理的な手段で帰ることとなった。
徒歩で帰るのだろうかと思ったが、この場所と俺たちの拠点であるドラッジオ市までは遠く離れており、歩いて移動などすれば数日は要してしまう。そんなことを考えている俺にミストは空を指さしながら言った。
「空を飛んで帰りましょう。お父様の配下には人を乗せて空を飛ぶことのできる魔物がいたはずですので、それを借用しようと思います」
「空を飛ぶ魔物?そんなものに乗って安全なのか?」
「幼いうちからよく調教すれば、魔物とて主の命令を聞くようになります。むしろ普通の生物よりも知能が高い分、人間の持つ馬や牛などの家畜よりも操作は容易です」
ミストの言葉が言い終わるのと同時に、上空から大きな羽音を立てて鳥のような生き物が俺たちの目の前に着陸した。この魔物がミストのいうロミストフが手配してくれた移動手段のようだ。
最初は大型の鳥かと思ったが、見てみると鳥とは思えない中途半端な姿形をしていることに気が付く。羽は存在するものの、その体に羽毛は無く、代わりに銀色の鱗で覆われている。頭部は鳥とは大きくかけ離れた形状をしており、強いているなら馬に似ていると思った。体躯も空を飛ぶ生物にしてはかなり巨大で、元の世界にいた象を一回り大きい。その背中には座席として二人用の鐙が乗せられていたが、数を増やせばさらに多くの荷物が積めそうだった。
不気味な生き物は俺とミストを見ると、大きな鼻息を吹き出し、背中を顎で指した。さっさと乗りなさいと言っているらしい。
「……これに乗るのか?」
「そうですよ。巨大な外見ですけど、素直でかわいいですよ」
「……かわいい?」
「はい。よく見ると瞳がつぶらでしょう?そこがチャームポイントです」
そう言ってミストが不気味な生物の背中によじ登る。鱗がささくれ立っているため、つるつるした外見の割には簡単に騎乗できるようだ。
しかし、この生物にあまり触れたくない。ミストが可愛いと言った瞳だが、そこが一番怖くてキモイと思うのだが。なんでこの外見で異様に瞳だけキラキラと輝いているのだろうか。そしてこれを良いと褒めるミストの美的感覚がよく分からない。
少しだけ触れることに躊躇ったが、これで帰るとミストが決めたのだからと、諦めて怪鳥の背中に上る。恒温動物らしく程よい温もりが肌から伝わる。
「それでは出発します」
ミストの言葉と同時にふわりと怪鳥は飛んだ。俺たちを背中に乗せているために、優しく丁寧に飛ぶように心がけてくれているようだ。本当に知能が高いということに少しだけこの生物のことを見直す。
夜の帳が降りた空を飛ぶ。何処までも広がる満天の星空を飛んでいるせいで、宇宙に出たような気分にさせてくれる。元の世界に居たときも飛行機の小さな小窓から星空を見たことはあるが、直に風を感じながら360度すべてを眺めることが出来るのは違うものだと感心する。
「そう言えば、こいつに名前はあるのかな?」
見直しついでに、ミストに質問した。あれとかそれではなく、名前があるのであればそれで呼んであげたい気持ちからの質問だった。
「名前ですか?わかりません。種族名であればシャンタク鳥といいますが、固有の名称までは把握していません」
「シャンタク鳥か……。やっぱりこの魔物は鳥なのか」
俺の知っている鳥の姿とは大きくかけ離れているが、それでいいかと考えるのをあきらめる。異世界なのだからいろんな姿の生き物がいてもいいのだ。
「から揚げ、いや、フライドチキン……。ああ、照り焼きでもいいな」
ミストがブツブツと何か物騒なことを言っていることに気が付く。おそらくシャンタク鳥の名前が無いことを気にして、名付をしようとしているのだろうが、選んでいる言葉のチョイスが何かおかしいな。
そんなミストを無視して空を見上げる。
異世界の空といえども、その星空は地球で見たものとはほとんど変わらない。むしろ、ほとんど灯のない夜空の世界では、田舎の山で見た時よりもずっときれいだと思った。手を伸ばせば捕まえることができるような気がする。
空に向かって手を伸ばす。
「どうかしましたか?」
「いや、何となく星がつかめないかと思って、……変な目で見ないでくれ。俺自身に合わないことをしていると思っている」
「そうですか?どちらかといえば魔王様は夢想家の類だと思っていましたが」
ミストが微笑みを浮かべて言った。
「それを馬鹿にするつもりはありません。その気持ちはわたしも理解できます。わたしも幼少の頃には、この星空に憧れましたから」
「そうなのか?」
ミストの言葉は意外だと思った。ミストは現実主義寄りの考えだと思っていた。
「美しいものを美しいと言うことに恥じるものなどありません。けれども……」
ミストが言葉を止める。それから視線を俺の持つ手綱に移す。
「手を放すと危ないですよ」
ミストの言葉に合わせるようにして、突風が吹いた。いつのまにか高度何千mの位置まで上昇していたらしい。
シャンタク鳥の飛行能力が優れているとはいえ、突風を受けて何もないというわけにはいかない。突風を受け流すためにシャンタク鳥は体の向きを変えて、水平に飛行していた体を傾ける。
「うわっと!」
シャンタク鳥の動きに合わせて俺の体も傾き投げ出されそうになる。落ちないように、手綱につかまろうとするが風に流されてつかむことが出来ない。咄嗟にミストの体に抱き着いてバランスをとる。
「あっ、ごめん!すぐに離れる!!」
あわてて、抱きついたことに対する。謝罪の言葉を口にした。しかし、突風はまだ吹き続けており、シャンタク鳥の飛行が安定しないため、手を離すことが出来ない。
いきなり抱きつくと言った行為はミストを怒らせるには十分だろう。こんな場所でミストを怒らしてしまえば、けり落とされるかもしれない。
しかし、ミストから帰ってきたものは怒声でもなければ罵声でもなかった。
「……いいですよ。安定するまでこのままでいてください」
想定外の言葉に返事を返すことが出来なかった。しかし風の影響で安定しないため、手を離すわけにもいかず、ミストの体から手を放すこともできない。抱きしめたまま沈黙しあうという状況のせいで妙な空気が場に流れる。
「へっ!変な、意味はないです!落ちても拾いに行くのが面倒だからです!」
その空気を振り払うために、ミストが叫ぶように言った。
「ああ、なるほど。それは確かにそうかもしれない」
ミストの言葉に勝手に納得する。確かに転落死をした経験は俺にはないため、どういった形で復活するのはわからないが、落ちたところに戻ってくるということはないだろう。だとすれば落ちた地点の周辺で復活ということになるが、数千mもあると風邪などの影響でどこに落ちるか予想などできない。ミストなら魔法でうまいこと見つけてくれるだろうがそれまでの間に見知らぬ土地で一人さまよう行為はしたくないと思う。
ミストの言葉に甘え、振り落とされないように少しだけ力を込めて抱きしめる。高度が高いことによる気温の低さもあって、人肌の体温が心地よい温かさであった。
「それからしばらくの間、俺たちは何もしゃべらなかった。シャンタクの羽音だけが夜空に響く。
何か話題を出すべきかと思ったが、居心地が悪いわけではない。こういった沈黙も悪くはない。
「魔王様、今日はありがとうございました」
不意にその沈黙を破って、ミストが言った。親子喧嘩に巻き込んでしまったことを反省しているのか。
「気にするな。大切な人が攫われれば、命を懸けて助けに行くのは当然だ。それにミストはこんなに弱い俺を見捨てずにずっと助けてくれていたし、俺に対して期待をしてくれていた。その期待には少しでも応えたい。だからミストが窮地に陥れば、どんなに困難でああっても助けに行く。お前が俺を見捨てない限り」
そこまで言って、恥ずかしいセリフを言っていることに気が付く。あとでまた茶化されたりしないだろうか、フィリカには知られたくないなと思う。
「魔王様、やっぱり離れていただけませんか?」
唐突にミストが言った。
「不快だったか?」
「いえ、あの、不快というわけではなくて……、その、なんといえば変な気分になるというか、心臓の音が聞こえてしまうのではないかとか……」
「何が?」
ミストにしては珍しい歯切れの悪い返事だった。抱き着いていいのかダメなのかよくわからないが、本人が離れてほしいと思っているのであれば手を放すべきだろう。幸いなことに風はすでに止んでおり、静かな夜空に戻っている。
「ああ、もう!」
しかし、少しばかり判断がおそかったようだ。ミストがシャンタクの手綱を引っ張る。それにこたえてシャンタク鳥が一気に加速する。急な動きであったことと、ミストに言われて抱きつく手を緩めていたため、突然の動きに反応できなかった。
視界の上下が反転し、浮遊感が全身を包む。
「ひいいいい!! ……って、あれ?」
浮遊感は一瞬で収まった。シャンタク鳥が足でがっちりとはさんでいた。
「しばらくはそこで反省してください」
ミストが言った。運ばれる途中のエサみたいだと思ったが、落ちない程度の加減した強さで締め付けてくれるので思ったよりも不快感はない。むしろ空中で吊り下げられているような格好のため、空を飛ぶ疾走感を直に感じることが出来て少し楽しい。
鱗のように固い皮で覆われた背中よりもこちらのほうが過ごしやすいのではと思うが、下を見ると無限に広がる闇に吸い込まれそうになる。しばらくは上を見て空を飛ぶ気分を満喫するとしよう。
「ああ、そうだ」
ふいに暗闇の中からミストの声がした。そちらのほうに首を向けたが、シャンタクの胴体が視界を遮っておりミストの姿は見えない。
「何かあったのか?」
「一応、部下としては把握しておきたいので」
ミストが忘れていたことを思い出したというような口調で言った。
「魔王様、今日は何回死にました?」