第43話
「話せば長くなるのだが」
ロミストフがようやく給仕されたお茶を一口飲んでから言った。今回の騒動の原因についてはミストとロミストフが親子だと知ってから気になっていることだった。普通の親子であれば連絡を取り合い会いたいということを通達すればいいだけの話である。もちろん立場や仕事があれば出会うことが出来ないときもあるだろうが、誘拐しなければならない事情があるとは思えない。
「あれは、四年、いや五年ほど前のことだったかな。魔王城の……」
数年単位で遡るらしく、少し驚く。本当に長い話になりそうだなと思ったところで、唐突にミストが口をはさむ。父親の長い話など聞きたくないという気持ちがわかる態度だった。
「要するに、何年も連絡をしない。連絡が来ても無視をしたために、無理やりなったというだけの話です。まったく、たかだか数年顔を見せないぐらいで、こんな凶行におよぶなんて、馬鹿な人ですよ。まったく」
「え?……理由はそれだけしかないの?」
長くなりそうな話が百文字にきれいにようやくできてしまったことに驚きつつも、くだらない理由にさらに驚く。そんな理由で必死になっていた俺が馬鹿みたいじゃないか。
「まあ、要約すればそれだけだけど、呼んだ理由は……」
「それだけですよ。本当に。時間は有限ですから、余計なことは言わないように」
ミストは父親を黙らせるために、菓子をロミストフの口の中に放り込む。力任せに詰め込んでいるため、口の周りがひどいことになっているが、愛娘に食べさせてもらっている形になるため、満更でもなさそうだった。
先ほどから、ミストに対して異様に甘いと思っていたが、ここまで来ると気持ち悪いという感情しか湧かな い。
その感情を必死に押し殺しながら、絶対に本当の理由があるはずだと思いあれこれと聞いてみる。拠点を一つ使用するという大がかりなことを行っているのだ。そんな理由だけで行われるはずがない。
しかし、ミストからの返事はどれもほとんど変わらず、父親の心配性が極限まで高まったために、無理やり里帰りを強制させられたという回答しか返ってこなかった。
「ただの親子喧嘩か」
「有体に言えばそうなりますね」
納得はできないが、それ以上の言葉が返ってこないため、仕方なくそれで納得する。確かに他人の家庭の事情なのだ。巻き込まれたとはいえ、必要以上に介入するべきではないのかもしれない。
「喧嘩と言うほどでもないと思うがね。というよりも喧嘩という単語は仲が悪いと思われるから使わないでほしいな」
ロミストフがひどいことになっている口の周りを、ハンカチで拭きながら言った。
「そうであれば戦争にしておきましょうか」
「さらに酷いな。もう少しだけ穏やかな言葉で表現したいのだが」
「無理ですね」
ミストが父親の提案を瞬時に否定する。ミストはひどく不快そうな顔をしていた。
こんなにギスギスした親子の会話など聞きたくなかったが、下手に首を突っ込んでミストの怒りがこちらに向くことが怖い。黙ってみていることにした。
最初と比べてコミュニケーションが取れているだけマシなのだと、勝手に納得することにした。
しばらく二人の口論のようなドタバタとした会話続いていたが、何を言っても変わらない父親の態度にあきらめを感じたらしく、舌打ちをしてミストがようやく自分の席に戻っていった。
怒りはまだ納まらないようだったが、俺のカップが空になっていることには気が付いていたらしく、席に戻る前にお茶のお代わりを注いでくれた。
ミストが席に着くのを見てロミストフは口を開いた。
「サツキ君。敗者である私が君に対してこんなことを言うのはおかしい話かもしれないが、やはり私に庇護下に入る気はないかね」
恥ずかしそうな、気まずそうな表情をロミストフは浮かべている。それはそうだろうなと思った。断ったことによって命のやり取りにまで発展した話を、再び未練がましく持ち出してきているのだから恥ずかしいと思うのは当然だ。
その気持ちを押し殺して提案するということは、よほどの理由があるのだろうと思う。しかし、一度は断ったことなのだ。すぐに気持ちが変わるわけがない。
再び断りの返事をしようと口を開きかけるが、先ほどとは違い今はミストがいる。自分だけで決めるべきではないと思い直し、そちらのほうに視線を向けた。ミストも何かを言いたそうにしていたが、先に話を聞くつもりのようだ。ロミストフもそれに気づいたらしくコホンと咳払いをして言葉を続ける。
「先ほども言った通り、君の進むべき道は前途多難だ。君には経験も力ない。砂上の楼閣のような権威があるだけだ。私も君の進むべき道を邪魔するつもりはない」
「あなたの下で力をつけてから、魔王になるということですか」
「そうだ。悪い話ではあるないだろう。確実に実力をつけて、実力が十分についたところでわが軍を率いて軍閥と戦う。少数の軍を率いたところで、強大な戦力を持つ奴らに戦って勝てるという保証はできないが……、それでも二人だけで闇雲に突き進むよりかは現実的だと思う」
「確かにそうですね。しかし、それでは貴方はどうするのです?」
「状況が許してくれれば君にすべてをまかして引退しようと思う。軍だけではなく自分の領地も財産も含めてだ。君がすべてを継いでくれるのであればそれも悪くはない。ああ、もちろん、今すぐにと言う話ではないよ。君が自他ともに一人前だと認められてからの話だ。無責任に全てを放り出すというわけではない」
ロミストフの提案を聞きながらどうするべきかと思案する。ミストはどう考えているのだろうかと思いちらりと横目で見るが、魔王様に任せますという態度をとっており、一言もしゃべるつもりはないようだ。
確かに、ロミストフの提案であれば魔王になるには一番の近道だろう。しかし、それはミストが本当に望んでいることなのだろうか、俺が思うに彼女が欲しかったものは新しい魔王ではないのではないか。
「申し訳ありません」
せっかくの提案ではあったが、先ほどと同じ言葉を口にした。自分の考えに従った結果の返事だった。
ロミストフはそうかとだけつぶやくと残念そうな表情を浮かべた。それからカップに残ったお茶を飲み干す。
ミストを改めて見てみる。表情は変わらないが、なんとなく満足しているような気がした。
「さて、帰りましょうか。魔王様」
ミストが言った。それに対して頷いて返事をする。ここでやるべきことは全て終わった。そろそろ街に戻るべきだ。もう一人の仲間のことを思い出す。早いところ宿に戻ってフィリカを安心させてやりたい。
席を立とうと思った瞬間に、ロミストフが再び口を開いた。
「もう一つ提案があるのだが、聞いてもらえるかな?」
「提案?」
話は全て終わったと思っていたため、ロミストフの突然の言葉は不意打ちのように感じた。
「聞くだけであれば。承諾できるかは内容次第ですが」
「うん、ありがとう」
ロミストフは満足そうに頷く。それから席から立ち上ってテーブルの上に二、三回叩いた。ぼんやりとした光がテーブルの上に浮かび上がったと思うと、何の模様もなかった無機質なテーブルに複雑な模様が書き込まれたいた。複雑な曲線に、文字や記号といったものがぎっしりと書き込まれている。
おそらく地図だろう。地図の端にドラッジオ市をはじめとする人間の都市の名前が書き込まれていることに気が付く。そこから考えると砦周辺だけではなく広範囲の地形が書き込まれているものようだ。その地図の中心にある印を指で叩きながらロミストフは言った。
「君たちに魔王城の制圧をお願いしたい」




