第34話 交渉 前編
石造りの塔の中を、指揮官ゴーレムに案内されるがままに進んでいく。無口な性格をしているのか、右に曲がってください、左に曲がってください、そこの階段を上りますといった誘導以外の言葉を聞くことはできなかった。
1階層目と比べて2階層以上の階層についてはところどころに窓があり、歩くには十分な明るさであった。明るいことで内装をじっくりとみることが出来た。壁や床などの構造材は石造りであるが、窓には戸締り用の建具が備え付けられており、華美ではないが、模様が掘られている。現代日本のように工場で機械を用いて作られたものではないだろうから、おそらく一枚一枚が職人の手によるものだろう。また、素材もベニヤ板のようなペラペラなものではなく、重厚さを感じさせるものである。採光や換気だけではなく、外敵を監視するための物見用の窓も兼ねていることから、ある程度の丈夫さも必要なのだろう。
1か所当たりの値段は結構いい金額になのではないか。そして窓はそれなりに数があるため相応数の木製建具があると考えると、意外と豪華な造りをしているのかもしれない。そんなことをぼんやりと考えながら廊下を歩く。
しかし、敵がいないというのはありがたいことだと思う。先ほどまでと違いそんなどうでもよいことを考えることができるという余裕があるのだから。
「5層へ上る階段の先が目的地です」
指揮官ゴーレムが階段を指し示しながら言った。ゴーレムが立ち止まっているところを見ると彼の案内はここで終わりのようだ。意味があるのかはわからないが、一言礼を述べて、一人で階段を上る。
緊張感と集中力を取り戻すため、ゆったりとした呼吸を意識しながら階段を上る。
階段を上った先には、窓の建具と同様の装飾が施された観音開きの扉があった。扉の前には文字が書かれた室名札が貼り付けられている。見たことのない言語ではあるが読むことはできた。
「会議室」
室名札に書かれていた言葉を呟く。それから部屋に入ろうとしたが、いきなり扉を開けるのもどうだろうと思い躊躇する、中に自分を持っている人がいるのであれば、ノックくらいはするべきではないか。その考えに従って、扉を叩く。どうぞと言う声が室内からあった。
「よく来てくれた……、と言うのもおかしいかな」
入室すると同時に部屋の主が声を発した。穏やかな口調ではあるがその中には、はっきりした力強さがある。大勢の部下を持ち、指示を出し続けてきた軍人らしい声だと思った。また、発音に至ってはこの世界に来てから誰よりも丁寧であり、貴族のような典雅さも感じられる。
その言葉につられて、こちらも自然と丁寧な言葉遣いになる。
「お招きにより参りました。サツキと申します」
「元魔王軍第二軍団長、ロミストフ・ユーリィ・フェン・クラウンです。大層な肩書を述べたため恐縮されているかもしれないが、今は階級などない無役の軍人なので気にしないように。肩ひじなど張らずに、貴君の話やすいようにしていただきたい」
部屋の主は俺のあいさつに対して、立ち上って出迎えてくれた。悪意や敵意と言った感情など一切感じられない言葉だった。言葉と同時に発せられた微笑みからは、むしろ好意のほうが感じることが出来た。それに対する返答として、深く頭を下げて礼を行う。
しかし、型どおりの挨拶をしているだけなのかもしれないが、ここまでの好意を向けられると逆に相手の意図がますますわからなくなる。目の前にいる男はミストを誘拐し、侵入者である自分に対してゴーレムの大群による攻撃を仕掛けた張本人であるはずだ。
「戸惑っているのかね?」
「ええ、少しは。扱いがこれだけ変われば、戸惑うなと言う方が難しいでしょう」
塔に入るまでは侵入者として全力でおもてなしされていたことを思い出しながら答える。
それもそうかとロミストフは苦笑交じりに呟いた。
「君に対して行った行為を考えれば当然の感情だな。しかし、ここは要塞であり、我々はこの地を守る軍隊だ。攻め手がたった一人しかいなくとも、侵攻を受ければ全力で抵抗しなければならない」
「それは、まぁ、当然だと思いますが」
迎撃するのは守り手が持つ当然の権利だと言える。こちらとしては誘拐された仲間を助けに来たという大義名分のもとに行った行為だが、相手にとってみればそんなことは関係なく、目的を邪魔する障害でしかないのだ。お互いに正当な意見を掲げて戦った以上どちらが悪いというつもりはない。
「事情……、というよりも私の考えが変わったのだよ。軍隊というものは暴力を振るうことが仕事であるが、それだけしか仕事がないわけではない」
ロミストフがちらりと視線を横に移す。
「時には交渉によって戦闘を終わらせることもある」
ロミストフはそう言うと、部屋の隅に置いてある背の高い椅子と机を指差した。そちらに掛けて話をしようと言う事らしい。頷いて同意を示し、部屋の入り口から椅子まで歩く。机と椅子は高級品のようで重厚な装飾が施されていることに気が付いた。扉の装飾とよく似ている。この塔の内装はロミストフの趣味なのかもしれない。
「立ってないで掛けなさい。私の着席は待たなくてもよい。先ほども言ったが、気を遣わなくてもよい。主人と客と言う立場はあるがそれ以上のものはない」
困った表情を浮かべながらロミストフは言った。その表情を見て先ほどの言葉は型どおりのやり取りではなかったということに気が付く。
わかりましたと頷いてから着席する。口調も少し砕けた感じで話すようにしよう。
「さて、君はいける口かな」
いくつか大小の瓶を机に置きながら、ロミストフが訪ねる。
「蒸留酒のストックは多いが、醸造酒は少ない。今年はブドウが不足だったせいで、市場に出回った数自体が少なくてね。ああ、私の私室であればとっておきが何本かあるのだが、この場所で用意できるのはこれぐらいだね」
「これだけあれば、十分だと思います。葡萄酒に良いものが無いのであれば、醸造酒をお願いします」
「ほう、強いものでものいけるのかね」
「程度によります」
ウイスキーぐらいの度数であれば馬鹿みたいに飲まなければ簡単につぶれることはない。しかし、魔界で飲むのは初めてなので、どの程度の度数を持つ酒が出てくるのが想像できなかった。一般的に醸造酒のほうが度数は低めになることが多いので、そちらを頼めばよかったかもしれない。
ロミストフは少しの間、瓶を眺めて思案するとおもむろに一本の瓶を取り出す。
「黄金麦と呼ばれる新種の麦をもとに創り出した酒だが、どうだろうか」
「黄金麦?」
「秋口に大粒の種子が生る麦によく似た植物だ。池沼や河川のそばで自生していることが多い。まともに食べようとするとひどい味だが、酒の材料として使用できることが最近の研究で判明してね。少しずつだが流通し始めている」
特徴的にはイネ科の植物だろうかと考える。日本の稲とは違って野生稲のため味は全然違うだろうが、米がこの世界に存在していることに少しだけ驚く。そしてそれをもとに作った酒と言うことは焼酎の類ではないだろうか。
「それで、お願いします」
久しぶりに焼酎が飲めるかもしれないと思い、期待を込めて頷く。
「ふむ。わかった」
ロミストフが手を叩く。すると先ほどまで自分を案内してくれたゴーレムが扉から入ってきた。
「グラスを二つ持ってきてくれ」
ゴーレムがグラスを持ってくるとロミストフは瓶から無色の液体を二つのグラスに注ぐ。焼酎に似た独特の香りが周囲に広まる。 焼酎であればロックかお湯で割ったものが好きなのだが、それは贅沢だろう。二人で同時にグラスを掲げ、一口で飲み干す。
想像していたよりもアルコール度数が高いらしく、強烈な刺激あった。米焼酎よりも大雑把な味で多少の甘味があるがすっきりとしている。
「どうかな?そこまで良い味だとは思わないが、まろやかにして口当たりを改良すれば飲みやすくなると思うのだが」
「そうですね。是非とも改良してもらいたい」
ロミストフは満足そうに頷いた。空になったグラスに再び酒を注ぐ。
「君が慣れていているようでよかった。私はこう見えて人見知りでね。初めて出会う相手とは、酒が入らないと上手く会話することもできない。軍人を長く続けすぎた弊害かな。気を抜くとすぐに兵隊言葉になってしまって、会話を楽しむような余裕がなくなる」
「そうなのですか?」
「挨拶など型どおりのやり取りだよ。それぐらいなら特に問題はないのだ。型から外れて想定していないところに話が進んでいくと対応できなくなる」
「ならば、私は優秀な客なのでしょうね。貴方の思いどおりに動いたのですから」
「ああ、まったく」
ロミストフは静かに笑った。部屋も隅に控えているゴーレムをちらりと見る。ゴーレムは新しい酒瓶と焼き菓子を机の上に置いた。酒だけだと酔いが回りやすいからと摘まめるものがあったほうが良いだろうということだった。
ありがたくそれ受け取り口の中に放り込む。俺は酒飲みだが甘いものが苦手というわけではないので、菓子をツマミにして酒を飲むことに抵抗はない。
しばらくの間、お互いの身の上話など他愛のない雑談をする。警戒心が完全に払拭されたわけではないが、ロミストフの気軽なもてなしのおかげで、緊張や恐怖と言った感情は薄まっている。
「さて、場も温まってきたことだし、私の真意を聞いてもらおうかな」
酒を口に含みながらロミストフは言った。
「単刀直入に言おう。君をこの場に招いたのは降伏してもらいたいからだ」