第32話 準備-4
トゥーラとリベイクから救出作戦に必要なものを譲り受けたが、それだけでは準備は完全ではない。
殴り込みに行くとリベイクに言っていたが、戦闘行為はなるべく避けたいのだ。こっそり潜入してミストの居所を発見し、ミストを背負って逃げ出すことが目標である。
であるならば、なるべく目立つ格好というものは避けたいものだ。戦闘が想定されるからといって討伐に赴くときの装備をしてしまうと、防具の金属音や光沢、灰色に近い色の外套ではどうしても目立ってしまう。本来であれば冒険者であることを周囲に誇示するためにわかりやすい恰好というものは必要であるのだが、今回に限っては邪魔にしかならない。
そのため、宿に戻る帰り道で潜入用の装備を調達した。最初に思いついたのは野戦服のような迷彩が施された衣類だが、さすがにこの世界には存在しないものであるため近いもので代用する。幸いなことに枯れ草色や黒土色の染められた作業服が安価で売られていたためそれを上下セットで購入する。
防具についても金属の使われていない獣の革を膠で固めた胸当てなどを購入する。防御面に不安はあるが、金属のものよりも重量は軽いため動きやすい。
防御面に不安は残るが、当たらなければどうということはないという言葉もあることだし、自分の身体能力が向上しているため、攻撃をよけることを前提とした装備も悪く無いかもしれない。
これで自分の装備の準備は終わった。最後に丈夫な麻縄を購入して買い物を終える。
ミストが五体満足で魔法が使用できる状態であれば不要なものだが、ミストが転移魔法で帰ってこないことを考えると、何らかの事情で魔法が使用できない状況であることが予想される。その場合はミストを背負うか抱きかかえて逃げなければならない。両腕を使用できる状態にするには、ミストを離さないように体に括り付けておく必要がある。そのための紐であった。
買い物を終えて、フィリカが待つ宿に戻った時には昼前の時間となっていた。
宿に戻り自分の部屋の扉を控えめに叩く。自分が寝泊まりしている部屋だが今はフィリカが居るため、いきなり入るのはどうだろうと思って行った行動だった。
返事はない、まだ寝ているのだろうかと思い少しだけ強く扉を叩く。今度は気付いてくれたのか、どうぞと言う言葉が扉の先から聞こえた。
「起きていたのか。まだ寝ているかと思ったが」
扉を開けながら言った。ミストを救出準備のために出かけてから半日も経過していないため、てっきりまだ寝ているものだと思っていたが、ミストは起き上がり部屋に置かれている机で何かの作業を行っていた。
太陽は高いところまで昇っており部屋の中は明るい。安宿ではあるが部屋は南側に面しており日光は入りやすいため、その光で起きてしまったのだろうか。
「お帰りなさい。起きたらいなくなっていたので。心配しました」
作業を続けながらフィリカは言った。
「ごめんな。こんなに早く起きるとは思わなくて。一応、出かけてくると手紙は残しておいたけど」
「はい。手紙には気が付きましたけど……」
作業を止めてフィリカが振り返る。
「起きたときに誰もいないというのは、不安になります」
フィリカの声には怒りと不安が入り混じっていた。姉貴分の存在が目の前で攫われたのだ。そんな状況で俺まで姿を消してしまっては、どれだけ不安になることだろう。自分の配慮が欠けていたことに気づき、再び頭を下げた。
「ごめん。申し訳ない」
「いいですよ。無事に帰ってきてくれましたから」
そう言ってフィリカは微笑んだ。寝不足と不安からストレスで笑顔には疲労の色がにじんでいる。
そんな状態であれば寝ていればいいのにと思う。そんな状態なのに机に向かって何をしていたのだろうかと疑問が浮かぶ。
俺の疑問に気が付いたフィリカが机の上に置かれている球体を手に取って見せつける。
「ミストさんを助けに行くための道具の作成をしていました。討伐用の爆弾は在庫がいくらかありますが、戦闘ばかりではないと思いますし、逃げる手段として爆弾は使用できないと思いましたので、催眠や幻覚作用のある煙幕を展開する榴弾を作りました」
「ほう」
「他にも、檻や扉の錠前を破壊するための溶解液などを作成もしています。時間がないため作成できたのは極めて少量ですが……」
「いや、十分だよ。逃げる手段であれば少量でもあれば役に立つ。しかし、よく短時間でこんな多種多様なものを作れたな」
机に上に置かれた大小の道具を見つめながら言う。机の上にあるのは煙幕を発生する榴弾が7つ、溶解剤の入った小瓶が2本ある。
「いえ、起きてから作成したのは半分くらいです。残りの半数はサツキさん達からもらっていた研究費用で試作していたものです」
フィリカには錬金術の研究費用として討伐の成功報酬から必要経費を除いた金額の三割を渡していた。
大した金額でもないが、パーティーの利益から三割も好きに使ってよいと言われたことでフィリカは驚き、もっと減額してもかまわないと俺たちに言った。
それに対して俺は先行投資だから気にすることはないと答えた。フィリカの才能を育てることでより良い道具を作成できるようになれば、パーティーの戦力増強につながるからだった。ミストにも是非を確認したが、食費に支障がない程度であれば問題ないとの見解だった。
それでも三割は多すぎるとフィリカは言った。討伐の報酬でも錬金術の研究費としては十分であるらしい。
「フィリカは、ミストもだけど女の子だから、男の俺と違って、身嗜みに気を使わないといけないだろう。冒険者だからといってそれを疎かにしてはいけないと思う。二人ともせっかく美人だし、美人でいてくれると俺もうれしいから」
そこまで言ってようやくフィリカは顔を赤らめながら、お金を受け取ってくれた。
受け取ってくれたことでほっと胸をなでおろすが、ミストの名前を出してしまったのは失敗だった。自分の報酬の半分がミストの懐に移動するという事態になってしまったのだ。
「先行投資が生きたな」
フィリカに向かって言う。
「一番戦力が必要な時に、準備が出来ているなんて幸先がいい」
はいとフィリカが答える。それと同時にかわいらしく欠伸をした。
「これから、ミストのところに行く」
ミストの残した置手紙を開く。転移の魔法陣に指を伸ばすと、魔法が起動し青白く発光した。
「俺一人で行く。留守番を頼むよ」
「嫌です。わたしも行きます」
フィリカは強い口調で言った。
「駄目だ」
しかし、俺は首を横に振る。
「何があるかわからない場所にフィリカを連れてはいけない。俺はミストと違って未熟だ。敵が一人だけであれば何とかなるかもしれないが、複数と対峙しなければならない状況になれば自分の身を守ることで手一杯になってしまう。フィリカを守れる保証はない。情けない話だがね」
本当に情けない話だ。小さな女の子すら守る力が無いのだから。
「もし俺が帰ってこないとか、何かあった場合はトゥーラを頼ってくれ。あいつには事情をすべて話してある。俺たちが返ってくるまでの間面倒を見てくれるそうだ。そこで魔法の勉強でもしながら待っていてほしい」
「嫌です。嫌です。……待っているだけは嫌です」
幼児のような駄々をこねながら、フィリカが悔しそうな表情を浮かべた。俺から足手まといとして扱われていることを感じ取ってのものだった。しかし、彼女にあるのは実戦には不向きな錬金術と未熟な魔法だけである。これでは何の戦力にもならない。
そのあたりはフィリカ自身もよく理解している。だからこそ嫌だと駄々をこねることしかできないのだ。
「わたしだって自分が足手まといになることぐらい理解しています。それでも……」
言葉を遮るために、フィリカの頭に手を当ててポンポンと軽く叩く。
「絶対にミストと一緒に帰ってくる。約束する」
フィリカの二つの瞳がじっと俺を見つめた。目の端には水滴が浮かんでいる。
「約束」
「ああ、約束する。明日にはいつもどおりの日常だ。三人で飯を食べて、討伐に行って、いつもどおり。いや、いつもどおりではないな。今日でお金を使い過ぎた。しばらく食事は贅沢できないな。その点はいつもどおりではないかもしれない」
「なら明日は張り切らないといけませんね。明日に備えて新しい爆弾の作成をしなくちゃ」
微笑みを浮かべながらフィリカは言った。
「約束、絶対に守ってください」
フィリカの言葉に大きく頷いて答える。
作成したばかりの榴弾などを受け取り、回復薬などの薬物を入れている背嚢とは別の背嚢にしまう。腰にはリベイクから借りた剣を装着する。通常の討伐よりも荷物の量は多いが、金属製の鎧を装着していないため、重量はそれほど感じない
準備が完了したことを確認し、魔方陣に手を触れる。魔法陣の光と浮遊感が俺の全身を包みこむように広がった。