第32話 準備-2
「あらあら~、そんなことがあったのですね~。ミストちゃんが誘拐ですか~。心配です~」
トゥーラの店で、お茶をカップに注ぎながらトゥーラが言った。心配だと言いながらもいつもののんびりとした調子は変わらないため、その言葉は本心から出たものなのかと疑ってしまう。
「誘拐犯に心当たりはないか。誰かに恨まれているとか、敵対している存在がいるとかあれば教えてほしい」
「心当たりですか~。ちょっと、難しいですね~」
トゥーラは考え込むような表情を浮かべながらお茶の注がれたカップをこちらに差し出した。寝不足に効果のある薬草を煎じたものらしく、深い緑色の液体だった。
口に含むと独特の渋みと舌がしびれるような刺激がある。ひどい味だが効果はありそうだ。
「心当たりになりそうな人たちがたくさんいますから~。この人だと断言するのは難しいですね~」
「……え?」
「わたしやミストちゃんみたいな近侍は関与していませんけど、一部の過激な人たちは、魔王様の死後に勝手に動く軍閥に対して、魔王城の防衛を理由に好き勝手やっていますから~。攻め寄せてきた軍閥の部隊を旅団規模で殲滅してみたり、報復と称して要人を暗殺してみたりね~。高名な将軍やその縁者も手にかけていたみたいだから、過激派と一緒くたにされて恨まれているのではないかしら~」
トゥーラの言葉に驚愕する。軍閥相手に戦っていたという話は聞いていたが、数百から千人程度の軍隊だと勝手に思っていた。この世界の軍隊編成単位や構成人員がどの程度か不明だが、自分の知識では数千人単位で構成される部隊だったはずである。それを一つの軍閥が持っているとすると、師団や軍団を保有する軍閥がいるとしてもおかしくないないだろう。
そんなものを相手にして戦っていかなければならないと思うと憂鬱な気持ちになる。
「しかし、そうであればまいったな。犯人の目星が多すぎて想定が出来ないとは思わなかった。トゥーラに相談すれば何かわかると思ったのに」
軍隊の話はとりあえず棚に上げてトゥーラに尋ねた。感情の変化を最低限に抑えようと努力したが、期待外れの結果に自然と不機嫌な口調になってしまう。トゥーラが悪いわけではないとわかっているのに。
「ごめんなさい~」
トゥーラが頭を下げて謝罪する。悪くないのに誤らせてしまった。あわててトゥーラのせいじゃないから気にしないでくれと言った。
こんな状況になってしまった原因は俺にあるのだ。昨晩の内に無理やりでも来客の情報を聞いておけばこんなことにはならなかったはずである。心のどこかでミストに対する無関心さというか薄情な部分があったため、こんなことになってしまったのだ。
「う~ん、サツキ様が心配しなくても大丈夫だと思いますけどね~」
トゥーラが明るい口調で言った。
「誘拐犯が復讐心を満たすための犯行であれば、ミストちゃんを誘拐するよりもサツキ様やフィリカちゃんを誘拐して人質にしたほうが効果あると思うわ~」
「どうして?」
「だって、本人を痛めつけたり殺したりするよりも、仲間を拷問にかけたほうが精神的にダメージを与えられるじゃないですか~」
トゥーラがさらりと怖いことを言った。確かに考えてみれば復讐のためだけであれば、本人を誘拐するよりもその場で殺害してしまえばいい。その犯行を仲間に教える必要などないのだ。
「本人を拷問したいから誘拐したという可能性はないのか」
「ないですね~」
トゥーラが首を横に振る。
「ミストちゃんは無詠唱で魔法を唱えられる優秀な魔法使いですから~。目や喉を潰して拷問しようとしても、意識を取り戻した途端に無差別に攻撃魔法を発動して周囲を吹き飛ばすことぐらいすると思います~。あの子の性格を知っている人物なら誘拐なんてやっぱりしませんよ~」
「そうなのか」
トゥーラの言葉に頷く。しかし、話を聞いているとますます誘拐犯の目的や狙いが分からなくなる。
寝不足のせいで頭が回らなくなっているせいだろうか。目の前に置かれているお茶は、薬効こそあるものの、ぼんやりとする脳の状態を劇的に改善するような薬ではない。
いっそのこと砂金拾いの時のように毒物を飲んで一度死んだほうが何もかもすっきりとするのではないかと思ってしまう。
「ここで悩むよりもミストちゃんの残した転移魔法陣を使用してみてはどうかしら~」
「うーん。しかしな。転移が罠という可能性はないのかな」
魔法陣が書かれた紙を指で叩きながら不安に思っていることを言う。ミストが創ったものであるという保証がないため、転移先が壁の中とか、空に投げ出されてしまうとかの罠ではないかと勘繰ってしまう。
しかし、俺の言葉にトゥーラは首を横に振った。
「その心配はありません~。その魔法陣から感じる魔力の波長はミストちゃんのものです~。転移先までは読み取れませんが、転移先が危険と言うことはないと思いますよ~」
「へぇ、わかるものなのか」
「そうよ~。ミストちゃんのことであれば大概のことはわかります~」
大概とはどんなことなのかと聞いてみたい気持ちになったが、非常事態に話が脱線しすぎるのもよくないと思い堪える。後日に改めて聞いてみることにしよう。
「助けに行くか。しかし相手の戦力もわからないのに無策に突撃するのは無謀じゃないか」
「あら~。戦闘になるとは限らないと思うけど~。誘拐犯だって意外と話の通じる相手かもしれませんし~。話せばわかりあえるかも~」
「話せばわかる……」
不吉な言葉だなと思う。その言葉を後世に残した昔の偉い人は、その言葉を言った直後に問答無用で射殺されていなかっただろうか。
しかし、悩んでいても仕方がない。トゥーラの言うとおりに言葉で説得できる可能性も確かにある。ただその可能性だけを信じて突入することはできない。戦闘になることも想定して準備をする必要がある。
出されたお茶を一息に飲みこむ。覚悟は決まった。ミストを助けに行こう。
「トゥーラ。君にお願いがある」
トゥーラの顔を見つめながら言う。俺の言葉に答えるかのようにトゥーラの緑色の瞳が俺を見つめ返す。先ほどからの笑顔とはうってかわって真面目な表情であった。
「戦闘になった時に傷ついた体や、無くなった魔力を一瞬で回復したい。即効性のある上等な薬を分けてくれないか」