第31話 誘拐 後編
先ほどの態度は何だったのだろうと思うほどに、ミストは普段どおりであった。先日の討伐報酬で懐には余裕があり、食べたいものを制限なく注文できるため、むしろ上機嫌であると言ってもよい。
機嫌が悪くないのであれば、聞いても問題ないかなと思い、ミストに昼間の来客のことを尋ねる。しかし帰ってきた返事は古い知り合いがたまたまこの街に寄ったので、あいさつされただけであるとあたりさわりのないものであった。
フィリカがこの場にいるため詳細を語れないのかなとも思ったが、ずいぶんとあっさりした回答であったため、本当にたいしたことのない来客だったのかもしれない。
しかし、それであれば先ほどまでの態度を説明することはできないだろう。自分と関係ない事柄であるため話したくないという可能性もあるが。
食事が終わった後で、二人きりになったときに再度訊ねてみようかなと思う。
「どうしました?食べないのであれば……」
そう言って俺の皿からミストがおかずを奪い取る。
「私が食べて差し上げますが」
「……許可を出す前に持っていくのはやめなさい。まぁ、いいけど。トゥーラのところでお茶と菓子をもらったからそこまで空腹というわけではないし」
「また、あの人のところに行ったのですか」
ミストが露骨に嫌そうな表情を浮かべた。この前のことを思い出しているようだった。
「お花屋さんなのに、薬学と錬金術についても精通していて、いろいろと教えてもらいました。あんなにすごい人がこの街にいることに驚きました」
興奮気味にフィリカが言う。フィリカはミストとは違ってトゥーラのことを好意的に思っている。過剰なスキンシップはしないようにと言うことを事前に言い含めていたため、過剰なスキンシップは行われなかった。
そのため、ずっと三人で円卓を囲んで会話をしているだけだったのだが、植物に話題が移ると薬学や錬金術まで話が広がり、自分の理解できない専門的な用語が飛び出しはじめ、途中から会話に参加することが出来なくなってしまった。
会話に参加できなかったのには若干の寂しさを感じたが、自分の趣味を笑顔で語るフィリカを見ると連れて行った甲斐があったと思った。
「……フィリカさんをあんなところに連れて行ったのですか」
ミストの赤色の瞳がこちらに向けられる。その瞳には非難の感情が込められていた。
「あれに気に入られると粘着されますよ。最初のうちはいろいろな事柄を教えてくれるいい人だと思いましたが、今では鬱陶しくて仕方ないです」
「いいじゃないか。膝の上に乗せられるぐらい」
この前のことを思い出しながらミストに言った。ミストが首を横に振る。
「世話になった人だし、膝に乗せられるぐらいなら私だって我慢にしますよ。それだけでなく四六時中、所構わず抱きついてくるのが問題なのです。人前で幼子のようにかわいがられたせいで、わたしの威厳が……」
ミストがため息をついた。魔王軍の中でもそれなりの地位についていたことを思い出す。ただでさえ若く、幼い外見をしているミストにとって、威厳が低下する行為は避けたいものであろうことは予測できる。
「可愛がられるぐらいなら、わたしは問題ないですよ。それよりも錬金術のことをもっと教えてもらいたいです」
フィリカはトゥーラとの別れ際に、教えてほしいことがあったらまた来るようにと言われていた。
「時間の空いているときに行っておいで。本職は錬金術なのだから、そちらの勉強をすることは悪いことではないと思う。仕事や魔法の勉強に支障がなければ毎日通ってもいいと思う」
はいとフィリカが笑顔で頷く。その姿を見てあきらめた表情を浮かべたミストがため息をついた。
「フィリカさんがろくでもない目に遭ったら、ちゃんと責任を取ってくださいね」
いつもどおりのにぎやかな時間が終わった後に再び昼間の来客について問いただしたが、一から説明すると時間がかかるため明日の朝にしてくださいと断られてしまった。相手の氏素性と自分に関係のある人物なのかと言うことが聞きたいだけだったのだが、明日にしてくれと言われてしまったらそれ以上話を続けることが出来なかった。
仕方なく自分の部屋に戻り、ベッドの上でうつ伏せになる。リベイクから教わった型に沿った素振りをしたせいで、普段は動かさない筋肉を動かしたせいか、体の節々が悲鳴を上げている。
「明日の仕事に影響があると嫌だな」
ぽつりとつぶやく。冒険者になった当初の頃はまともな筋肉がなかったせいで、討伐の翌日はひどい筋肉痛に悩まされたものである。あまりに痛さに回復魔法をかけてくれないかとミストに依頼したが、回復魔法で筋肉の損傷を修復すると討伐で得られた成果が無くなるから駄目だと言われた。
魔法で修復すると筋肉は元の状態に戻ってしまい、超回復の発生が無くなることが原因らしいが、筋肉の仕組みや働きといった医学に関する知識などを持ち合わせていないため、そういうものなのだろうと漠然としか理解できなかったが。
発生するかどうかが分からないことで悩んでも仕方が無いだろう。疲労で重くなった体を起こして、部屋に置かれている机に向かって歩き出す。30cm四方の簡素で粗末なものだが、ちょっとした書き物程度には十分なものであった。
机の上には紐で綴られた紙束が置かれており、その中には日々の活動内容と日々の収支が書き込まれている。フィリカと出会ったぐらいの時から記入を続けているためすでに数十ページ程度の厚みがあった。
正直なところ日記の記入など鬱陶しくてたまらないのだが、脳を吹き飛ばされて死ぬと記憶に若干の欠落が発生することが判明したため、大切なことを忘れないように仕方なく行っている。
ペンを手に取り、今日の出来事を紙に書き始める。書いている文字はすべて日本語である。この世界に転生したときにこの国の言語は全てミストの魔法で習得したが、自分しか読まないものであれば、書きやすい使い慣れた文字を使用するのは当然だった。
日記を記入し始めてからどのぐらいの時間が経っただろうか。唐突に扉を叩く激しい音が部屋にひびいた。
こんな夜中に誰だろうかと思い、ペンを机の上に投げ出して扉に向かう。谷中に激しく扉を叩くと言った非常識なことをするのはミストぐらいしか思いつかないが。
「はいはい。開けますよ、っと」
鍵を開けると勢い良く扉が開いた。
「あれ?フィリカだったのか」
自分の予想に反した人物が扉を叩いていたのだと知って少し驚く。何かあったのかと問いかけるよりも早くフィリカが泣きそうな表情を浮かべて抱きついた。
「どうかしたのか?ミストに何かされたのか?」
「サツキさん……」
抱きついたまま、顔だけをこちらに向けてフィリカが言った。目からは大粒の涙があふれている。気丈なフィリカが泣き出すとは珍しいことでよほどのことがあったのだろう。
「どうした。珍しく喧嘩でもしたか」
その程度に考えてフィリカに言う。しかし、フィリカは首を大きく横に振って俺の言葉を否定した。
「ミストさんが……、ミストさんが……、誘拐されました!」