第30話 夕暮れ
最近は日が落ちるのが早いと思う。
リベイクから剣の握り方を教わり、3ケタには届かない程度の素振りをしていただけなのに、西の空は茜色に染まり夕闇が周囲に広がりつつあった。昼に比べれば気温も落ちているため、建物と建物の間から吹き付ける風が冷たく感じる。
この街は四方を山に囲まれているため、冬の間は山から吹き付ける風で嫌にあるほど寒い日は珍しくないそうだ。寒いのは苦手であるため、これからのことを考えるとため息が出そうになる。
唯一の救いというべきは、降雪量はそれほどでもないということだった。年に数回程度積雪があるが、徒歩で歩くことが出来る程度の高さしか積もることはなく、融けた雪で街道や平原が泥土になるということはない。
要するに、適当な気温とちょっとした雪という、日本の首都周辺の冬と同じようなもののようなものなのだ。それであれば冒険者家業の支障になるようなものではない。
しかし、支障にならないとはいうものの、寒さによって動きが鈍くなることが考えられる。その対策として防寒装備が必要になってくるため、寒さを防ぐ外套や暖を取るための道具、飲食物が凍らないように保温しておける容器などをそろえるべきだろう。
幸いなことに先日の討伐依頼で得られた報酬は、ミストとフィリカに自由に使ってもよい資金として振り分けた金額以外は手を付けていないため、パーティーの共通の財布には十分に資金があった。宿に戻ったら仲間たちに相談してみようか。
早くけろうと足早に大通りを進んだところで、半ばに差し掛かったところで見慣れた人影があることに気付く。
「サツキさん!」
相手もこちらに気が付いたようで、手を大きく振って俺の名前を呼んだ。宿にいるはずのフィリカであった。
人ごみの中にいるため、一瞬低身長の彼女の姿は人波に埋もれてしまい、わずかに発生した一瞬の隙間でしか視界に入れることが出来ない。そのため、彼女は右手を高く上げ左右にいることで、ここにいることを精いっぱいアピールしている。
ちょこちょことした動きが何とも面白く、少しだけ笑顔になった。
「今日は一日中宿にいて、ミストに魔法を習うと言っていなかったかな」
雑踏をよけて大通りの片隅でフィリカに尋ねた。
「はい。途中までは魔法を習っていたのですが。ミストさんにお客様が来て中止になりました」
「お客さん?冒険者組合の人かな」
ミストに客と聞いて珍しいこともあるものだと思う。ミストは俺と違い特定の冒険者と仲良くしたりはしていないはずである。本人曰く人見知りであるため他人と仲良くなることは苦手だと言っていたが、人に平気で毒舌を吐くような奴が人見知りなわけがない。人付き合いを面倒くさがっているだけだと思う。
そのため、ミストを訪ねてくる人間は組合の職員以外はほとんどないと言ってもいい。
「いえ、組合の人ではないと思います。冒険者の方……でもないと思います。この街では見かけたことがない人たちでした。面識はあるようでしたが……」
「ふむ、古い知り合いか」
以前もこの大通りでミストの知り合いに出会ったことを思いだす。確かアデリーヌと言う名前だったかな。彼女のように何らかの事情でこの街を訪れた魔族があいさつに来たのかもしれない。
だとすれば特に気にする必要もないだろう。こちらに関係する話があればミストのほうから報告が来るはずである。
「せっかくの講義なのに途中で中断とは残念だったね」
「仕方ないですよ。こちらも無理を言って教わっていますから。急なお客様であればそちらを優先していただくのは当然です」
フィリカが苦笑いを浮かべながら言った。休日を使って魔法の勉強をしたいとフィリカがミストに言っていたことを思い出す。
しかし、それでも外に追い出されたのはかわいそうである。慰めるつもりで頭を撫でた。
フィリカに拒否はされなかったものの、恥ずかしかったようで頬を赤らめながら、ついと目線をそらす。
「そういえば、サツキさんは何処に行っていたのですか。昼ぐらいから、居なくなっていたようでしたが」
フィリカが尋ねた。頭を撫でていた手を引っ込めて回答する。
「これから冬になるからな。防寒装備でいいものはないかと商店街で探していた」
もちろん嘘である。強くなるために特訓をしていましたとは言えなかった。ミストだけではなくフィリカにも内緒にして驚かせたい。それに特訓のことを素直に話せばリベイクのことを説明しなければならなくなる。
「なるほど。確かに最近寒くなってきましたね。……そんな事情であればわたし達にも声をかけてくれればよかったのに」
「すまんな。相談する前に下見をしておこうと思って。買いに行くときは一緒にいこうか」
俺の言葉にフィリカは笑顔で頷いてくれた。俺の行先について上手くごまかすことが出来たようだった。興味がそれほどなかったため追及されなかったのかもしれないが、フィリカもミストも勘は鋭いほうではある。いや、女性全般の能力かもしれないが。何かを疑っているときの女の勘というものは馬鹿にできないと思う。特に情愛だの恋愛だのが絡むと特にそれが強くなるような気がする。
「こんな場所で談笑していても体が冷えるだけだろうから、そろそろ宿に戻らないか」
帰宅途中であったことを思い出し、フィリカに提案する。しかし、フィリカは困ったような表情を浮かべると、首を横に振った。
「お客様の用事が終わるまでは戻ってこないでほしいとお願いされていまして……。夕食の時間ぐらいまでは外にいてほしいと」
「夕食の時間か、もう少し先だな」
横目でちらりと大通りにある大時計を見た。日が沈みかけているためそれぐらいの時間になっているのではと思ったが、俺たちが夕食の時間と決めている時刻まで、しばらくの間があった。
魔族の話をフィリカに聞かせるわけにはいかないため、少しばかりの時間をどこかで潰す必要があるが、暖の取れるようなところに居たい。
どこかにないだろうかあたりを見渡した時に、知り合いの花屋が近くにあったことを思い出した。
「フィリカは植物とか花って好きか?」
「お花ですか。好きですよ」
唐突な質問にきょとんとした表情でフィリカが答えた。
「知り合いの花屋がこの大通りの端っこにある。少し変わった店主だが、面倒見がよく、暇なときに遊びに行って相手をしてもらっている。そこなら時間がつぶせると思うのだけどどうだろうか」
トゥーラなら事情を話せば歓迎してくれるだろうし、魔族というのを隠しながら相手をしてくれるだろう。連れて行くことに特に問題はないはずだ。
「はい。サツキさんが連れて行ってくれるところなら何処でも付いていきますよ」
フィリカが了承してくれたため、俺たちは宿と反対側の方向へと並んで歩き出した。