第28話 素直に
誰か声が聞こえる。
脳が上手く働かないため、どんな言葉を言っているのかはわからないが、同じ単語を繰り返しているようなので、おそらく自分のことを呼んでいるのだろう。
声に集中する。最初は小さくか細い声だったが、自分の意識が戻るにつれて大きく、クリアに聞こえるようになっていった。それと同時に自分のきいていた呼びかけが聞きなれた声であることに気が付く。
「ミスト」
意識を取り戻したことを伝えるため、傍らにいるであろう存在の名前を呟いた。
安心させるため、自分が大丈夫だということを伝えようと思ったが、目覚めたばかりのぼんやりとした思考では台詞が思いつかず、名前を呼ぶことしかできなかった。
何も言わないことがミストには不満だったらしく、呼びかけをやめ、俺の左右の頬に平手打ちを行う行動に移行した。全力ではないものの、的確に頬の中心を狙って叩いているため回を重ねるごとに痛みは増していく。
「魔王様。早く起きてください」
痛みに耐えられなくなったところで、薄目を開ける。ぼんやりとした視界の中に見知った顔が映る。二つの瞳が俺のことをみつめていた。お互いの吐息が分かるぐらいの距離であったため思わずどきりとする。
「ようやく目覚めましたか。怪我はすでに魔法で治療しておりますので、早く起きてください」
ミストの顔が少しだけ自分から離れた。その動きで自分の頭が、ミストの膝の上に乗っているということに気が付く。人肌の暖かさと柔らかさが心地よい。
先ほどのミストの言葉を思い出し、腕を少しだけ動かす。痛みは完全に引いており通常時と変わらない動きが出来そうだ。
目の前にある顔に向かって手を伸ばし、自分がされていたように頬を軽くなでる。暖かさは膝と同じ程度であるが、頬のほうが柔らかいような気がした。
「どのぐらい寝ていた?」
「そんなに長くはありませんよ。魔法による治療時間を含めても5分程度です」
「そうか」
重傷と呼べるレベルの怪我が短時間で治るということに驚く。自分の体がどうしようもない損傷を受けた際は死ぬことで回復してきたため、魔法で治療を受けたのは初めての体験であった。大けがを容易に治すことが出来るのであれば、これからは積極的に治療してほしいと思う。
そう思った瞬間、自分の手がミストの頬に触れていることに気が付いた。あわてて手を引っ込めようとしたが、ミストが頬にあてたままの俺の腕を逃がすまいとおさえこむ。
突然の行動に驚く。どう反応してよいかわからないため、黙ってミストを見つめた。何か言いたいことでもあるのだろうと思い沈黙する。
「本当に、申し訳ありません」
少しばかりの沈黙の後、ミストの口から出た言葉は謝罪だった。まったく予想していない言葉であったため、何を言っているのか理解できなかった。
「射線から外すために少しだけ浮かすつもりだったのですが、つい悪戯心が芽生えてしまって……。こんな目に合わせてしまい、申し訳ありません。」
謝罪という予想外の言葉であったため、一瞬だけ頭が混乱する。自分の記憶の中では、ミストのはた迷惑な行動に対して謝罪をされたことはなかったからだ。何かの冗談か、ごまかしたい別の何かがあるのだろうと疑い、ミストの顔を覗き込む。
しかし、真剣な表情からそういった意図は読み取ることはできなかった。
「あの……、魔王様?」
顔を赤らめて恥ずかしそうにミストが言った。
その言葉で、自分たちが至近距離で見詰め合っている状態になっていることに気が付く。そんな態度を取られるとこちらも恥ずかしくなってくる。視線をずらすために、あわてて上半身を起こす。
「今更のことだし気にしていない」
ミストの謝罪に対して、気にしなくてもいいと回答する。ミストが珍しく素直でいるため、こちらも本音で話すべきだと判断し言葉を続ける。
「確かにミストには何度も殺されているし、散々な目に遭わされているが、恨んではいないよ。殺されることに文句がないわけではないが、強くなるために必要なことだったと思えば我慢もできる」
「しかし」
ミストが何か言いかけたが、その言葉を遮った。
「お前がどう思っているのかはわからないけど、この世界に呼んでくれたことに対して俺は感謝している。割とこの世界と状況を俺は気に入っている。ろくでもない労働環境で生きているのか死んでいるのかよく分からない生活よりも、魔物相手に戦っているほうが生きていることを実感できるし」
そこまで言ってちらりとミストの表情を見る。先ほどの神妙な表情とは変わって微笑んでいた。上手く言葉として述べることはできなかったが、気持ちは伝わったようだ。
「今回のように死なない程度で助けてくれるなら、多少の無茶は受け入れてもいい。もちろん避けられるならば、避けたいが」
「はい、前向きに善処します」
「……政治家の回答みたいだな」
ミストに殺されなくなったとしても、本格的に魔王として活動するようになれば、殺されるような局面は多く発生するだろう。そうであれば今の段階で、ミストに殺されながら鍛えられたほうが、将来的には良いのではないかと思う。
「む、信じてないですね。これからはちゃんとやりますよ。魔王様の生死の境界を判断してギリギリを攻めたいと思います」
「無理をしてギリギリなんか求めなくてもいい。程々で」
ミストが笑顔で頷く。
信用できない笑顔であったが、何か言うのはやめた、拷問に近い訓練があったとしても死ぬよりはましだろう。
「フィリカはどうしているのか」
もう一人の仲間がいないことに気が付いてミストに尋ねる。臭おいを見渡してみてもそれらしい姿は見つけられない。
先ほどと同様に魔法で隠れているのかと思ったが、ミストや俺が近くにいて安全な状況なのだから隠れる意味はない。
「すでに街に帰還して、宿で待ってもらっています」
ミストが答えた。二人で捜索すると、フィリカが逸れて二重遭難になってしまう可能性があるため転移魔法で街に帰したとのことだった。
「なら、早く俺たちも帰らないと」
フィリカも大切な仲間である。心配をかけたことに対して早く謝りたかった。
「っ!」
立ち上がろうとしたが、ずっと横になっていたことと、体力は回復まで十分にしていなかったため、立ちくらみを起こす。魔法による治療は万能ではないらしい。体に痛みはなく、けがは完全に回復したはずなのに、体力は戻らないのは意外だった。
「まだ、無茶はしないほうが……。肩を貸しますよ」
ミストがそう言いながら俺の腕をつかんで、体を押し付ける。
普段であれば虚勢を張って無理やりにでも離れたが、気力の低下と早く帰りたいという気持ちが合わさった結果、ミストに素直に甘えることにした。優しくされているためなのか、ミストの体温が高いのかわからないかったが、腕から伝わってくる温かさが心に染みて行くような気がした。