第25話 噂
ミストの旧友に出会ってからしばらくの間、ミストの機嫌は最悪であった。
こちらから声をかけても、無視をするか適当な相槌を打つだけであった。旧友と出会ったことが原因なのか、俺が余計なことを言ったのが原因なのかわからないが、おそらく両方だろう。
どうしたものかと少しだけ悩んだが、ミストのことだから夕飯を食べて、一晩ぐっすりと眠ればいつもどおりに戻ると判断し、特に何もせずに放置した。
夕食の量がいつもよりも少なければ、事態は深刻だと判断し心配もしたかもしれないが、それについてはいつもどおりであった。
しかし、フィリカは微妙な雰囲気が我慢ならなかったようで、就寝前にフィリカから何があったのか問いただされた。魔王の関係者であること以外は特に隠すようなことでもないため、素直に回答した。
街で他人に俺とミストの関係を聞かれたため、冗談のつもりで恋人であるということを話した。
「冗談でも言っちゃだめですよ」
ため息をつきながら、わかっていないと言いたげな声でフィリカは言った。フィリカが怒るというのは珍しい。自分やったことはそんなにまずいことなのか。
「ミストさんだって女の子ですから、冗談でも言って良いことと悪いことがあります」
「そんな事を気にするような奴じゃないと思うけど……」
「サツキさん!」
強めの口調でフィリカは俺の名前を呼んだ。それから床を指差す。座れと言う事らしい。反論したことがフィリカの癇に障ったのだろう。これ以上怒られないために、黙って正座した。
「そもそも、サツキさんはミストさんことを誤解しています。確かにわたしたちは冒険者という立場にありますが……」
その説教は思っていた以上に続き、終わった時には両足の感覚が無くなるほど長かった。
「なるほど、それはお前が悪い」
朝方だというのに組合の受付ロビーで珍しくアウレリオに会ったため昨日の出来事を話す。アウレリオたちのパーティーは討伐ではなく以来の仕事を受けることが多いため、この時間は目的地へ出発していることが多い。
「女にはいろいろとあるからな。女性冒険者にとっては、ただでさえデリケートな話題だし」
アウレリオが周囲の様子を気にしながら言った。女性冒険者は婚期を逃す場合が多いのだ。冒険者になった時点で、結婚や恋愛といったものは興味がないと思われがちだが、実際はそんなことはない。
青春を謳歌する時代に、己の体を鍛練しつつ血と汗にまみれて、生きるために戦わなければならないため、女性らしさを磨く場が少ない。一般市民の女性と比べると魅力は大きく劣ってしまう。
冒険者同士であれば仕事を通じて仲を深めることが出来るため、女性らしさが足りないことがたいした問題にならないが、冒険者以外から探そうと思った場合は、女性的な魅力に欠ける女性冒険者は不利な立場となる。
それを大半の女性冒険者は理解しているため、恋愛に関することは禁句となっている。
「誰に聞かれるかもわからん。この話はこれで終わりにしよう」
アウレリオの言葉に黙って頷いた。
会話を終わりにしたことで、しばし沈黙が流れる。ミスト達の支度が完了するまではこの場を離れることが出来ず、アウレリオも同様であったため、微妙な雰囲気だったとしても、このまま待たなければならなかった。
「話は変わるが」
沈黙に耐えられなくなったアウレリオが話題を振った。
「最近ロンバーグ商会の仕事依頼が増えているのを知っているか」
「いや、知らないな。俺たちは討伐がメインで依頼の仕事なんかほとんど受けないから。最近は掲示板も見ていないし」
「冒険者なのだから、目は通すぐらいはしておけよ。依頼を受けることは報酬を得る以外にも実力を周囲に宣伝する意味もある。高難易度の依頼を受けて達成することで、冒険者の格と名声を上がる。名声が上がることで、さらに高難易度の仕事を依頼主からの指名されることができる。高難易度であれば報酬も大きい。冒険で金持ちになりたければ、依頼を受けることが一番の近道だ」
「わかった。見ておく」
短く返事をする。興味はあるが、依頼を受けたくても討伐に関係のない仕事はミストが許してくれない。金を儲けることよりも俺が強くなることのほうが優先されるため、討伐に関係のない仕事は受注できないのが現状である。
「それで、その何とか商会がどうかしたのか?商人が冒険者組合に依頼するなんて普通のことじゃないか。依頼が増えることは悪い話じゃない。冒険者の需要が高まれば俺たちへの報酬も増えることになる」
需要が高まり供給とのバランスが崩れれば、値上がりするのは当然のことである。
「いい話であることは間違いない」
アウレリオが答える。奥歯のもの挟まるような言い方だった。仕事が増えることが問題ではないとすれば、おそらく内容が問題なのだろう。依頼内容の難易度が厳しいのか、または犯罪に近い行為なのか。
「俺たちみたいな冒険者に依頼を行う意図が不明なんだ」
「意図が不明?」
俺の言葉にアウレリオが頷き、わずかに渋い表情を浮かべた。周囲を見渡し自分たちの会話聞かれていないことを確認する。
「ある程度の大きさを持つ商会であれば専属の冒険者を抱え込む。護衛や採取といった普通の仕事以外にも冒険者組合が取り扱わない仕事を秘密裏に行うためだ」
「組合が取り扱わない仕事なんてあるのか」
「要人の暗殺、窃盗、放火。国家間の紛争への介入等々」
うんざりした声でアウレリオは回答する。アウレリオの言う冒険者が取り扱わない仕事とは国の法令に反することであった。もちろん法に反することばかりではなく、隊商の護衛や素材の採取といった冒険者組合でも取り扱っている仕事も当然ある。
「ロンバーグ商会はこの国でも10本指に入る大きな商会だ。当然、腕の立つ専属の冒険者を抱え込んでいる。俺たちみたいな場末の冒険者に依頼する必要などないはずだ」
「全滅したから代わりを探しているとか」
「それはないはずだ。組合に所属にしている冒険者が引抜かれれば、かならず噂は立つ」
組合に所属している冒険者の脱退に関する規約はないため、商会に移籍することは自由である。しかし冒険者からは金のために生きる拝金主義者と蔑まれる存在になる。
冒険者組合がやっているような任務に必要な調査や雑務などは、全て自分たちでやらなければならなくなるため、組合所属の冒険者の時よりも活動は派手になってしまう。悪評と合わせると周囲に悟られずに活動することは不可能であった。
「ただ、腕の立つ冒険者を判別しているのは間違いないと思う」
確証はないが、とアウレリオは言った。
「何のためにそんなことを」
疑問を口にしたが、アウレリオは首を横に振った。
「わからんよ。俺にとっては係わりたくない案件だからな。しかし……」
組合の受付カウンターの先にある扉の先からにぎやかな声が聞こえたため、俺とアウレリオはそちらのほうに視線を眺める。声の主が誰かを理解したようで、待合用の椅子から立ち上がった。
「ベテランから若手まで誰彼かまわず依頼をしているようなのでお前の所にも来るかもしれない。受ける際にはよく考えることだな」
去り際にアウレリオはそう忠告した。厄介ごとに巻き込まれないようにするための親切心からの言葉だった。ちょっとした善意に心の中で感謝する。砂金堀の時から甘えてばかりだ。いつかは恩を返したいと思う。
手を振ってアウレリオのパーティーが出ていくのを見送った。パーティーの紅一点であるパトラは、俺の存在に気が付いたらしく、手を振って挨拶を返してくれた。
しかし、こちらの仲間はまだ来ないのだろうか。支度に時間がかかるのはいつものことだが、今日は特に時間がかかっているような気がする。
気を紛らわすために。立ち上がって周囲を見渡した。受付カウンターのほうを見ると、受付のお姉さんと目が合った。冒険者になってから毎日のように顔を突き合わせているため、見知った顔である。特別仲の良い存在ではないが、討伐の受託手続きを申し込む際に雑談する程度の仲ではある。待つ時間が続くのであれば、今度は彼女と話をして時間を潰そうかなと思い、受付に足を進めた。
「ちょうどよかった。実はサツキさんに依頼が来ていまして」
こちらから話しかけるよりも早くお姉さんが俺に向かって言った。
何のことだろうと思ったが、先ほどまでアウレリオとしていた会話を思い出す。その考えは正しかった。お姉さんから手渡された組合が発行している依頼書には、依頼主の欄にロンバーグ商会の名前が記入されていた。




