幕間 季節外れの雨と魔法講義
外は朝から雨が降っている。
窓の外を見ながらこの街に来てから初めての雨であることに気が付く。雨が降ること自体は珍しくもないが、この地域では秋口に雨が降ることは珍しいらしい。
この世界にも四季は存在する。ただ、日本の四季とは違い、夏と呼べる時期が短く、秋と冬が長い。春が雨期、秋が乾季とされており、今は秋であるため乾季に該当する。
季節外れの雨に、いつもであれば討伐に行く冒険者達で溢れ返っている組合のロビーも、閑古鳥が鳴いている状態である。
命の危険を伴う仕事であるため、視界不良や体温の低下が予想される悪天候時に討伐を行う冒険者はほとんどいない。雨の日の冒険者の稼働率は著しく下がるものなのだと、受付のお姉さんが言っていた。
けれども、雨だから中止というわけにはいかない依頼は存在するので、働く冒険者も少数だがいるようだ。依頼を受けたらしい冒険者が、ガチャガチャと鎧を鳴らしながら外へ出ていく。
しかし、そんな状況が悪い時こそ、報酬の良い仕事があると思ったのだけど……。
ミストに無駄だから止めておけと散々言われながらも、雨の日だからこそ何か面白い仕事があるのではないかと啖呵を切って、組合のロビーまで来たのである。
何もないため帰るしかないが、言ったとおりだったでしょうとミストに小言を言われると思うと、少しばかり憂鬱な気持ちになった。
濡れた左肩をタオルで拭きながら宿の内階段を上がる。宿には備え付けの傘が置かれているが小さい安物しかなく、左右どちらかの肩をあきらめるしかなかった。
扉をノックして開けるとベッドの上からお帰りなさいとミストが声をかけてくれた。ベッドの上で本を読んでいたらしい。わずかに頭をあげてこちらの様子をうかがっていたようだが、特に面白い話はないと察したらしく、興味をなくして読書に戻った。
「私の言ったとおりの結果でしたね」
「そうだった。いつもと状況が違えば何かあると思ったが、そんなことはなかった」
「反省してください。魔王様の浅知恵などよりもわたしを信用してください」
「はいはい」と返事をし、椅子に腰を下ろす。
「魔王様が居た世界には『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』という言葉があったようですが、わたしたちの状況はその言葉どおりですね」
右手に持った本をひらひらと見せながらミストが言った。俺が愚者で、ミストが賢者だと言いたいらしい。ミストが言った言葉はドイツの最少の名言だったかな。しかし、元の世界の言葉を引用して諭されると無性に腹が立つ。本来は愚者をバカにする言葉ではなく、自分の誤りを避けるために、他人の経験から学ぶことの大事さを説いた言葉だったような。
「じゃあ、俺もミスト様を見習って勉強でもしますか。先生、何かこの世界のことを教えてくださいよ」
「えー」嫌そうな表情を浮かべながらミストが言った。しかし、すぐに何かを思いついたのか、思案する表情になった。
「そういえば魔王様に魔法体系の話はしていませんでしたね」
「魔法体系?」聞いたことのない単語に思わず聞き返す。
「この世界に存在する魔法は体系化されているものといないものがあります。体系化されている魔法とは、発動方法が確立し、定型の詠唱を行い、適正なマナを消費することで発動する魔法のことです。教本魔法とも言われますね。大分類で攻撃魔法、防御魔法、回復魔法に分かれています」
ミストが黒板を取出し、図を書きながら説明する。道具を取出す魔法を使用したようだが、相変わらず便利な魔法だと思う。
「決められた詠唱と効果……。ゲームとかでよくある呪文を唱えて発動する魔法?」
「それに近いと思います」ミストが頷く「本来、魔法とは自由なものです。決められた術式はなく、同じ規模の炎を出現させるにも、術者によってマナも詠唱も違いました。」
「不便だな」
「ええ、不便ですね。個人の感覚は千差万別ですから、優れた師匠に師事したとしても感性が近くなければ、教えられた魔法を使用することが出来ません」
人に教えるときは、論理立てて説明しないと伝わらない。『ビューッと来て、バシンと打つ』のような感覚理論を述べられても、一部の天才しか理解できないということだろう。
「それでは、自分たちの後任を育てることはできないと古の賢者たちも思ったようです。同じ考えを持った賢者たちは組合を創り、自分たちの知識を共有化しました。その結果、魔法は体系化され、誰にでもわかりやすく、使いやすいものになりました」
黒板の体系化魔法と書かれた部分を教鞭で叩く。黒板といい、なぜそんなものを持っているのか。
「体系化された魔法は三種類の大分類の中に、十数種類の小分類があります。すべてを説明するのは時間が足りないため割愛しますが、攻撃魔法の小分類は土、水、気、火等の属性が小分類の系統になります」
「しかし、それだけ分類分けされていると何種類の魔法がある?覚えるのは苦手だから、種類が多いのは困るな。」
100とか200ぐらいであれば覚えることは難しくない。しかし分類数だけで3×20とし、10の魔法がそれぞれにあるとすれば600の魔法が存在することになる。実際はそんなに数はないだろうと思うが。
「2000ぐらいはあると思いますよ」
予想をはるかに超えた数であった。なんでそんなにあるのか。
「魔法使いは自己顕示欲の塊ですからね。コンパクトな体系化を行うために、自ら開発した魔法を削除するということが出来なかったのだと思います。参加した賢者が何人だったのかはわかりませんが、ほぼ参加者すべての意見を取り入れたと伝承にありました」
会議は白熱し、殴り合いにまで発展したためにそう言った処置がとられたのだとミストが言った。賢者という割にはやけに頭の悪いエピソードである。
「コホン、話がわき道にそれました。……体系化されて縦割りに分類化がされました。縦があればもちろん横もあります」
黒板に横線を引きながらミストが言った。ふと、ミストから魔法を教えてもらった時のことを思い出す。確か魔法には位階というものが存在していたはずである。
「武器召喚が第4位階だっけ?位階が横のことなのか」
「おや、よく気づきましたね。正解です。クイズではないので、ミストちゃん人形は差し上げませんが」
いらない。3体集めれば何かくれるのだろうか。
「位階とは魔法の難易度を示す単位のようなものになります。第1位階が最上位の魔法であり、第8位階が最下位の魔法となります。数字が小さいほど必要なマナが増加し、詠唱に必要な節が長くなります」
「数字で言われても違いが分からないな。第1位階を唱えるのはどのぐらい難しいというのか?」
「そうですね。平均的な第1位階の詠唱文字数は5000字ぐらいですね。それを唱える間、一定のマナを体の一部に留める必要があります。例えるなら一般人が指一本で逆立ちしながら、発音を間違えずに読経を行うようなものですね」
「無理だろ」
そんなこと誰が出来るというのか。
「はい、そのまま行うことは難しいですね。そのため、詠唱の高速化・簡略化と呼ばれる技術があります。気付いていると思いますが、私が瞬時に魔法を発動できるのは無詠唱化の技術を習得しているからです」
ミストが何気なく使っているように見える無詠唱魔法は技術の塊であるとミストに説明された。高速化はともかく、イメージで発動させる無詠唱化はセンスが重要であり習得できない人間はいつまでも習得できないそうだ。
ミストが黒板に、自分が無詠唱化できる範囲は、第8から第3位階までだと丸で囲む。第2位階までの魔法をミストは使うことが出来るらしいので、自身最高位の手前までは瞬間的に発動が出来と自慢された。
「しかし、俺も無詠唱で武器召喚を発動できるぞ」
「それは私の知識を転送したからできることです。魔王様の実力ではないですよ。勘違いしないでください」
自慢に対抗して言ってみるが、バッサリと切られた。それもそうである。魔法の勉強や修行といった努力をしていないのだ。
「しかし、体系化されると個性がなくなるような気がする。決められた効果しか発動できない魔法なんて魔法らしくない。」
ゲームのように決められた魔法を唱えたほうが戦闘はしやすいと思うのだけれど、やっぱり魔法は何でもありのほうが好きだ。
「魔王様の意見は理解できます。実際に体系化された魔法は、魔法ではなく魔法の技術、魔術と呼称する人もいます。いわゆる昔ながらの体系化されていない魔法を使う人たちのことですね」
「古い技術を使う魔法使いもいるのか」
「いますよ。そちらの解説も行いたいですが……」
ミストがちらりと外を見た。いつのまにか外は明るくなっており、雨雲に隠れていた太陽が空高く上がっていた。ミストの講義を聞いているうちに、雨が上がったようだ。
「ちょうどお昼ご飯の時間なので、ここで講義をいったん終了しましょう」
そう言ってミストがベッドから立ち上がる。一度に話を聞いても覚えきれないし、切りもよいところだったのでミストに同意する。
「お日様が気持ちいいので、外で食べ歩きでもしましょうか。もちろん魔王様のおごりで」
空に浮かぶ太陽に負けないぐらい眩しい笑顔で、ミストは言った。