プロローグ 転生
「ようこそ、新しい魔王様。いままでどんな人生を送ってきたかわかりませんが、ろくな人生を送ってこなかったのでしょう。でも大丈夫、これからの人生は少しだけましになるでしょうから。多分」
ぼんやりとした意識の中で最初に聞こえてきたのは、唐突な罵声だった。
かすんだような鈍さを取り払おうと瞬きを二、三度繰り返えし、今の自分の現状を把握しようと周囲を見渡したがあたりには何もない。
ないどころか真っ暗な暗闇のなかだ。
いったい何がどうなっているのか、せめて周囲に明りでもあれば居場所ぐらい把握できるのに。目を細めて少しでも状況を見渡せるように目に力をいれる。ぼんやりと人影が見えたような気がしたと同時に、自分の願いが通じたのか、自分の頭上に人魂を思わせるような青白い炎が浮かびあがった。
「どうです、明るくなったでしょう」
青白い光に照らされて、自分の目の前にいた気配が少女であることに気が付いた。赤色の瞳に銀色の髪、透き通る白い肌はアルビノの白人を思い起こさせる風貌である。残念なことに白人のイメージである出るとこが出たボディではなくまな板を思い起こさせるなりではあるが。
明りをつけたのは彼女であろうが、なぜそんなことでどや顔浮かべているのだと、思ったが目の前の少女のことよりもなぜ自分がこんな状況に陥っているのか考えてみる。
俺の名前は速水皐月。誕生月から安易に命名しましたということがわかる明快な名前でだが、少しばかり女っぽい名前がコンプレックスだったりする27歳だ。
今から3年ほど前までとある企業で働いていたが、直属の上司がとにかくひどい人物で一人では終わりきれない寮の仕事を押し付ける、業務時間のほとんどが説教、残業は支持するが、残業してできた書類に不備があれば何時間働いても残業代をもらえない。今朝指示した命令が昼には変わっており、夕方にはさらに変わっている。自分は仕事をせずに席で煎餅ばかりかじっていると、自分の中の理想の上司像を見事に180度反転させた人物であった。
そんな上司になっても最初のうちは自分の力で何とかしてやろうと意気込んだが、毎日ひたすら職場の中で罵倒されていくうちに心は壊れ、東京にある会社に出勤しているはずが、気が付いたら北海道で湖を見つめていたという経験をし、自分の心がすっかりと壊れてしまったことで職場を辞し、その後は貯金を食いつぶしながら精神科に通い、失業保険を受け取りながら働かないニート生活をしていたはずだった。
それがなんでこんな辺鄙な暗闇で美少女と一緒にいるのだと、一番直近の記憶を呼び覚まそうと額に指を当てながら考える。
……ああ、そうだ。思い出した。
鬱屈と毎日生きてきたのだがある日から急に気分が高揚し、なんとなく上司に復讐してやろうと考え付いたのだ。
最初は、普通に包丁やら角パイプやらネイルハンマーなどで撲殺を考えていたが、次第に葉で行こうと考えて、火薬を自作して爆殺してやろうと思ったことを思い出した。
その計画はインターネットの力で順調に遂行されて開発に成功したのだが、そこで俺の記憶は途切れていた。
……「自爆した?」
自分の記憶と状況から結論を導き出し、答えを呟く。
目の前の少女が笑顔で頷き、死因は爆死のはず、と笑顔で俺の考えを肯定してくれた。
「最悪だ……。自分で爆薬作って自爆するなんて笑えん……。笑えんぞ、これ……」
「まぁ、そう言う人生も悪くないのでは?誰かの笑顔のために死ねることは立派なことです。その笑顔は嘲笑ですがね。……しかし、そんな愉快な死に方のせいで第二の人生を送れるのです。第二の人生は魔王さまですよ。なんとすばらしい」
ぱちぱちと手を叩きながら少女は言った。ん?今、変わったフレーズの言葉が聞こえたぞ。魔王って。
「誰が、魔王?」
「アナタガ、魔王。」
なぜか片言風に言葉を返した少女は、魔王といって俺を指さし、部下と言って自分を指さした。
「魔王ってゲームとかアニメとかでよく見かける、悪魔とか魔物の王様で悪の親玉の代名詞みたいなやつのことだよな」
「前者の意味は分かりませんが、後者の意味でだいたいあっていますよ。といっても人間にとっての敵であるだけで、魔界を統治する唯一の王の呼称なのですが」
「へえ、そうなのか。で?何かの冗談だろ?俺が死んだことは現実だとしても、なんでそれだけで魔王なんかやらなきゃいけないんだ?」
自分が魔王なんてばかばかしい、確かに人間が嫌いということはなくもないが、殺意まで持ったのはあくまで一部の人間に対してだけである。それなのに魔王扱いされるのは納得がいかない。
「そんな魔王なんて急に押し付けられても困る。さっさと元の世界に戻してくれ。また現世に戻って赤ん坊からやり直すとかできないのか」
赤ん坊からもう一度人生やり直せるのではあれば、記憶やら知識やらを持ち越して生まれたい。そうすればチート人生を送れるはずだし、まかり間違ってブラック企業なんかはいることもないだろう。
「魔王様。残念ながらあなたはすでに魔王なのです。すでに魔王として転生していますから、魔王様のご希望である元の世界で死後を迎えることはできません。残念でしたね」
まだそんなことを言うのか。年上のおっさんを魔王にするよりも、不慮の事故で死んだ若者とかファンタジーなゲームやアニメが好きな奴にでもやらせればいいのに。
せっかく見た目は美少女ではあるのに俺の言葉を聞いてくれない。ドッジボールのような会話は気が疲れる。
ため息をつきながら無意識のうちに頭を掻こうとした右手が、こつんと固いものに触れた。
「なんだ?」
自分の頭に妙に硬くて大きいものが付いていることに気が付く。左右に一つずつあり、冷たくつるつるとしている。それは自分の頭蓋骨から出ているようで末端には皮膚の一部が付いており、感覚があった。
「それ、自分の角ですよ。ああ、鏡を見てみます。平凡な顔に不相応なものがついていると思いますけど」
どこから取り出したのか、少女は頭よりも一回りほど大きい手鏡を俺に向けた。そこの映っていたのは確かに見慣れた俺の顔であったが、頭からはヤギのような角を生やしている。自分の着ている服もよく見れば真黒なローブであり、人生の中で一度も着たことのない珍妙な格好をしていることに気が付いた。
「あ?なななぁ、なんだよ、この姿!?この角!?なんでこんなトンチキな格好に?」
「……最初からそういっているじゃないですか。親切に教えてあげてというのに、言葉も理解できないんですか?とんでもない馬鹿が来ちゃいましたかね」
さっきから言葉にちょいちょいとげがあるような……。毒舌家なのかな。それとも自分より年上だから多少の暴言はいいと思っているのか。しかし、せいぜい中学生程度の貧相な体だから年下にしか見えないが。
「さて、魔王であるということは理解していただけたようなので、さっそくお話を……と、その前に自己紹介から始めましょうか。元魔王軍近衛大隊大隊長ミスト・コロンパス。現在は何の役職にもついていないので、気軽にミストと呼んでください。これからよろしくおねがいします」
「これはご丁寧に。俺は速水皐月……、いや悠長にあいさつしている場合じゃないでしょ。魔王ってマジかよ……」
落ち着け……心を平静にして考えるんだ……こんな時どうするか……ああ、そういえば課長に頼まれた見積書の作成が出来ていないな……。課長が来る前に朝一番でやらなくては……。いや、俺仕事辞めたんだっけ。
現実逃避をしながら額に手を当てるとひんやりとした角の感触がそんなことをしている場合ではないと思い出させてくれる。
「現実なのかなぁ……」
自分にそう言い聞かせるように呟く。
手に伝わる感触のおかげか余裕が少し生まれたような気がする。とりあえずミストから状況を聞いて判断しよう。幸いに彼女の挨拶は至極まっとうだった。外見はおとなしそうで知的な雰囲気を感じられるから、優しく教えてくれるだろう。
「ああ、魔王様は魔王様なので、生前の名前はどうでもいいです。むしろそのよくわからない名前は聞く人によっては混乱するので、捨ててください」
前言撤回、優しさのかけらもないな。人の名前をどうでもいいと言いやがりますか。
「まず、魔王についてご説明します。あなたは元の世界でろくでもないような理由で死亡し、別世界に魔王として転生いたしました。魔王という存在については先ほど説明したとおり、魔界の統治者という役職です。またこの世界に満ちているマナの管理者という役割も担っております」
「前者の役割はなんとなくわかるけど、マナの管理者ってなんだ」
「この世界には魔法が存在します。その力は様々な概念を用いて発動させますが、発動を行うにはマナが必要となります。マナは空気中に無限に近く存在しており、空気の動きがなく滞留してしまうとマナ同士が密集・増幅してしまう習性があります。マナの密度が限界を超えてしまうと暴走状態になり周囲に悪影響を及ぼしてしまうため、その密度が集中しないように密度の濃いマナ地点の浄化が魔王様の役目となります」
「なんだか、原子炉の制御棒みたいな役割だね。増えすぎた中性子を取り込む役割と増えすぎると暴走するのは似ているかな」
何となく心に思ったことを口に出したが原子炉なんて言葉が伝わるのだろうか。お互いの常識のすり合わせとか大変そうだな。
しかし、世界が違うと言っている割には、お互いに日本語をしゃべっているのはどういう仕組みなのか。日本語でしゃべりあっているため異世界感があまりないのだが。
そんな疑問を抱いている俺を見て、ミストは頷いた。
「考え方は近いかもしれませんね。……しかし、魔王様のもといた世界については、魔力が存在しない代わりに、この世界にはない技術がいろいろとあるようですね。特にその原子力発電というものは面白くあります。使い方次第で何万人もの人間を生かし、何百万人もの人間を死に追いやる力。それを平然と使える胆力はこの世界には特にないものですね。……おや、不思議ですか?不思議ですよね。私が魔王様の世界を知っているのか」
確かに不思議だ。異世界なのに言葉は伝わるし、知識はなぜか知られているし。まるでこちらの頭の中をすべて知られているような……。あ、なんだかいやな予感がする。
ミストがにっこりとほほ笑んでいる。でも不思議と目は笑っていなかった。
「召喚されてからしばらくの間、この世界の知識をすり合わせるために召喚者と意識の共用化を行っています。簡単に言うと魔王様の心の中で考えていることがわかる状態ですね。その結果、言葉が通じないはずの二人が、会話をすることができるわけですが。」
テレパシー的なもので会話。なるほど、だから会話ができたのか。そして自分の考えはダダ洩れだったのか。それって……。
「魔王様。貧乳やら口が悪いだの、散々罵倒してくれましたね」
知識の共有化が完了するまでの間、石板を膝の上に置かれて正座をさせられた。説明用に地図を広げるとのことでちょうどいい机がほしかったらしいが、俺はこの状態を石抱きとよばれる拷問であること知っていた。
拷問、もとい説明が終わるまでこの状態でひたすら苦痛に耐えていたので話の節々が飛んでいるが、ミストの説明を要約すると次のようになる。
この世界には魔界と人間界と呼ばれる二つの世界があるらしい。二つの世界と言っても何か境目があるわけではなく、単純に魔族と人間種の居住境界というだけである。基本的に二つの世界は争うことなく不可侵であるが、魔王が管理を怠けたりして人間界がマナ暴走や不足を起こすと戦争になるとのことだが、ここ数百年は平和だった。
しかし、平和であるということは同時に退屈でもあるということで、退屈な期間が長すぎて一部の魔族からは不平不満が噴出した。特に血気盛んな若い魔族連中は、ある日不満を爆発させ、前任の魔王に対して反乱を起こした。紆余曲折を経て魔王は敗れ、討死となったわけだが、自分の役職を反乱した魔族に譲ることを嫌がり、最後まで近衛として身近にいた残ったミストに託した。
ミストは魔王の遺志を継ぎ魔界の再統一と、世界の安定を求めて立ち上がろうとしている。
「前魔王様に恩がありますので、再統一に向けた努力は惜しまないつもりです。しかし魔王として生きるのは嫌ですので、魔王様の代替えになる人物をこの世界に召喚しました」
それが俺らしい。
しかし、どんな基準で選んでいるだろう。魔王というからには強くなければいけないだろう。俺は肉体的にも強くないし、知識があるわけでもない。まぁ殺人計画を立案していたために、悪人であるとはいえるかもしれないが、実行はしていないのでそこまで悪人ではないはずだ。
ならば、もっともらしい理由があるのだろう。たとえば、自分を呼ぶことで自分しか使えない魔法があるとか、自分限定の強い武器が存在するとか。
「せっかく呼ぶのですから、面白い人でなければいけません。死ぬつもりがない自殺者でなるべく派手に死んでくれて、元の世界で未練がない人を基準に選んだら、貴方になりました。面白い以外に意義はないので、変に期待しなくても結構ですよ」
ろくでもない理由だった。人の死にざまを面白いとかいうな。
「で、前魔王様の後継者を召喚し、その補佐をすることで、遺言を遂行しようと考えたわけです。目的は反乱を起こした勢力の駆逐と魔界の再統一。そのために、魔界の最高位の実力者であり、地方領主であった悪魔を倒す必要がありますが、私よりもはるかに上位の存在であるため、倒すのは魔王様の仕事になります。下位の存在である私が、逃げもせずに上位の存在に立ち向かっていくことは、我ながら見上げた忠誠心だと褒めてあげたいくらいですね。」
面倒くさそうな話だ。しかし状況的に無理とは言えないのである。
それは先ほどから石につぶされそうになっている下半身が断るという言葉を言ってくれないのだ。だから早くどけてください。
「あー、やらなきゃいけないことはわかったけど。倒す必要はなくないか?新しい魔王が即位したのであれば交渉して、配下に納まってもらえばいい。人間界への侵攻が要求であれば定期的にガス抜き程度に行えるようにすればいいし」
「うーん。平和ボケした回答ですね。小市民だから仕方ないのかしら。……いいですか、人間界へ侵攻を仕掛けるだけならば前魔王様を殺す必要まではないでしょう。それなのに殺したってことは、自分たちが魔王になりたいからに決まっています。譲位以外での魔王の継承方法は魔王を滅ぼすことですから、前魔王様を攻めた時点で、魔王に成り代わってやろうという野心丸出しですよ」
「物騒な継承方法だな。あと平和ボケは日本人の共通事項だからな。別に小市民っていうわけじゃないぞ」
しかし、これでこの世界でやらなければいけないことは大体分かった。相手がどのくらい強いのかというのはいまいちわからないが、国を統一するという誰かの野望が渦巻くゲームは学生の好きではあったので、リアルに行うとなると若干テンションが上がってくる。
「さっそくだが、自分の持っている戦力はどのくらいなんだ?ミストは近衛大隊長なんだから、その部隊が保有戦力なのか」
「いや、魔王様と私ぐらいしかいませんけど」
「え?」
「いませんけど。二人だけですけど」
いきなり前途多難だった。