第12話 こんばんは、ごめんなさい
前回のお話……悩む真澄くんとローリエ、そして誘われるトルム
(真 ゜Д゜)カモン
(ト ゜Д゜)??
既に日付も変わった深夜。
僅かな篝火の明かりだけを残し、暗闇に包まれた村の中を一台の馬車が進んでいく。
目立つことを嫌ってか、夜中にも関わらず、照明の類いを一切点けていない上に荷車を引く馬の歩みは、殊更ゆっくりとしたものだった。
これから村の外に出ようとするその馬車に向かって―――。
「こんばんは」
―――気軽に挨拶をしてみた。
はいどうも、夜中に突然こんばんは。深見真澄です。
ほとんどの方が、お前はいきなり誰に対して挨拶をしているんだと思われたことでしょう。
「こんな夜更けにお出掛けですか、ギジーロさん?」
「あ、貴方は昼間の……!」
俺が挨拶をしたお相手というのは誰であろう、自称行商人のギジーロ氏その人である。
まさかこんな夜更けに起きている人間がいるとは、ましてや声を掛けられるなんて思っても見なかったのだろう。
暗がりの中でもはっきりそうと分かる程にギジーロ氏は狼狽していた。
「驚かれました?」
「え、ええまぁ」
近付く俺を直視しようとはせず、眼球をあっちにこっちにと忙しなく動かし続けている。
声も随分と上擦っていた。
実に分かり易い動揺である。
「ギジーロさんはこれからお出掛けですか?」
「え、ええ、どうしても急ぎで届けなければならない品がありましてね」
「へー、こんな時間にですか。行商人も大変ですねぇ」
「いやはは、ははは、これで私も中々忙しい身でしてな」
俺と目を合わせず、わざとらしい笑い声を上げるギジーロ氏。
……んな訳ねぇだろ。
「それにしたってこんな時間に護衛も無しでってのは、流石に不用心過ぎませんかね?」
「あ、いやその、多分なんとかなるのではないかと思いましてね。これでも他人より運は良い方ですから」
「真っ昼間に襲われたばかりなのに? それでよくなんとかなるだなんて言えましたね」
「……」
「それに注意すべきは盗賊だけじゃない。夜は魔物の動きも活発になる。子供だって知ってるような常識を大人の貴方が知らない訳ありませんよね?」
「……」
顔を伏せ、黙り込んでしまったギジーロ氏に構わず続ける。
「どれだけ腕に自信が有ろうとも、無用な危険を犯そうとする奴なんて普通は居ない。余程の事情がない限りは、ね。差し支えなければ教えてもらえませんかね?」
「……貴方には関係のないことです」
「本来ならそうでしょうね。ただ偶然とはいえ、俺達は一度盗賊から貴方を助けてる訳ですよ。折角助けた人達の身に何かあったらって考えると、どうにも寝覚めが悪くてですねぇ」
今の彼がどんな表情を浮かべているのか、俺には分からない。
だが、手綱をきつく握り締めた両手は小刻みに震え、微かに歯軋りをするような音も聞こえてきた。
「何故それ程の危険を犯そうと思ったのか。何故なんとかなるだなんて言えたのか」
「……」
「もしかして……自分は襲われないって知ってたんじゃありません?」
「―――ニナ!」
ギジーロ氏が突然大声を上げた直後、馬車の中から何かが飛び出してきた。
篝火と月明かりに照らされて躍り出たのは、小柄な人影。
常人離れした跳躍力で空中に跳び上がった小さな襲撃者が、俺に向かって急降下してくる。
「―――ッッ!?」
咄嗟の反応で前方に飛び込むのと、直前まで俺が立っていた場所に襲撃者が着地するのは、ほぼ同時だった。
ドンッと腹の底まで響いてくるような衝撃音が背後から届く。
前回り受け身の要領で素早く起き上がり、襲撃者の正体を確かめるべく後ろを振り返った。
ギジーロ氏―――ギジーロに対して背を向ける形になってしまうが致し方ない。
僅かな時間でも、この襲撃者に背を向けていることの方が遥かに危険だ。
「……」
両膝を曲げて屈んでいた襲撃者が、ゆらりと立ち上がる。
やはり小柄だ。おそらく140センチにも届かないだろう。
華奢な体躯を包むのは、防具としての用途も兼ねてなのか、簡素で動き易そうな革の衣服。
短めに刈られた明るい茶髪と同色の大きな瞳。
幼くも端正なその顔立ちは……。
「女の子かよ」
襲撃者の正体は、年端も行かない少女だった。
目の前の少女が見せた先程の跳躍。
俺の目の錯覚でなければ、地上から5メートルは離れていたと思う。
あの小さな身体の何処にそれだけの身体能力が秘められているのか。
出鱈目だ。常人離れどころか、人間離れし過ぎている。
しかし、それも当然なのかもしれない。
何故なら少女の身体は、人間ならば絶対に有り得ない特徴を備えていたからだ。
頭の上にぴょこんと立っている三角の形をした何か。
頭髪と同じ、明るい茶色の体毛を生やしたそれは一対の獣の耳だった。
更には少女の臀部から生え、微かにゆらゆらと揺れている細長い尻尾。こちらも体毛の色は頭髪と同じ。
どちらも普通の人間には絶対に存在しないもの。
目の前の少女が人間ではないという証。
人の姿をしながらも、その身に獣の特徴を備えた種族―――獣人と呼ばれる者達。
「見た目通りじゃないって訳か」
この少女が人間を大きく上回る身体能力と鋭敏な感覚を兼ね備えた獣人だというのであれば、あれ程の大跳躍を難なくやってのけたことにも納得がいく。
ネコ科の動物を思わせるケモ耳と尻尾も伊達ではないということだろう。
外見に惑わされて侮っては、間違いなく痛い目を……というかあんな急降下ストンピングの直撃を喰らったら普通に死ねる。
「恩人に対して随分な仕打ちじゃねぇか。ええ、ギジーロさんよ」
無言で佇む少女から目を離さず、背後のギジーロへ向けて皮肉を飛ばす。
「黙れッ、何が恩人だ。冒険者風情が余計な真似をしやがって。どうせコソコソとオレの周りを嗅ぎ回ってたんだろうが……クソッ!」
「冒険者風情って……」
盗賊風情に言われたくねぇぞ。
コソコソと嗅ぎ回ってたのは事実だけど。
昼間に見せていた人の良さそうな態度をかなぐり捨てて悪態を吐くギジーロ。
見えないけど、さぞかし憎々しげな目で俺の背中を睨み付けているのだろう。
「本性現しやがったな、この野郎」
「ちっ、まぁいい。ここでお前を消しちまえばどうにでもなる」
「おいおい、んなこと大声で言っちゃっていいのか?」
村の住民が起きてきても知らんぞ。
「その前に片付ければいいだけのことだ。ニナッ、そいつを始末しろ!」
「ニナねぇ。自分の娘に人を襲わせるなんて、酷い親もいたもんだ」
「ふんっ、そんなケダモノが娘であってたまるか」
「お前マジで最低だな」
種族が違うというだけで、人を平気でケダモノと罵るこの男の感性が信じられない。
ただの人種差別ではないか。
当の本人―――ニナは自らに吐かれた侮蔑の言葉に対して、何の反応も見せなかった。
こっちはこっちで何を考えているのか、全く分からんな。
「君がニナちゃんか」
「……」
「昼間は顔見れなかったもんな。なんかようやく会えたって気がするよ」
気軽に声を掛けてみるも、彼女からの応答はなかった。
無言のまま、感情を窺わせない目でこちらを見詰め続けている。
「どんな理由があって、君みたいな子があの男に協力してるのかは知らないし、俺が口出しするようなこっちゃないのかもしれんけど、分かってるのか? 君は盗賊を手助けしてるんだぞ」
「……」
「もし捕まれば、盗賊の一味として君も処分される。それでもいいのか?」
やはり応答はない。
だがニナは無言のまま目を下に向け、俺から目を逸らした。
この反応、やはり何かあるのかもしれない。
もしもこの少女が根っからの悪人であれば、開き直って堂々とした態度を取る筈だ。
この様子なら説得するのも不可能ではなさそうだ。
「ニナ―――」
「下らんお喋りはそこまでにしろ! ニナッ、とっととそいつを殺せぇ!」
突然響いたギジーロの叫び声が俺の発言を遮った。
テメェあとで覚えてろよ!
伏せていた目を上げ、再びこちらを見据えるニナ。
その小さな唇が僅かに動き、音もなく言葉を紡ぐ。
生憎、読唇術の心得などない俺だが、勘違いでなければ彼女は今―――。
「……ごめんなさい?」
―――と口にしたように見えた。
いったい何に対しての謝罪なのか。
思わず確かめようと一歩踏み出した瞬間、ニナの身体が再びに空中に跳び上がった。
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