第2話 燃え尽きて、諸先輩
前回のお話……真面目に訓練(※全敗)
(真 ゜Д゜)チックショー
燃え尽き症候群―――バーンアウト症候群とも呼ばれる心因性の鬱病の一種。
ある事柄に対して一生懸命努力したものの、期待していたような結果が得られず、強い徒労感や欲求不満を感じた末に意欲を失ってしまうことを指す。
あくまでも心因的、精神的な症状を指すのであって……。
「決して実際に燃える訳じゃない」
『なんのことじゃ?』
「いや、こっちの話」
胸ポケットにしまったスマホを抱きかかえながら、顔を出してくるニース。
今の彼女は俺のスマホを自らの依代としている身なので、そこからあまり離れて動くことが出来ない。
スマホ有る所にニース有りなのだ。
返事のついでに気にするなと軽く頭を振れば、微妙な焦げ臭さが鼻腔を刺激し、気持ちが沈んでしまう。
「あのぉ、マスミさん、大丈夫ですか?」
「フ、フフフ、さてどうだかな。なんせ二十八年生きて初めての体験だからね。もう自分でも訳分かんないくらいに感情グチャグチャだよ。どう見える? ねぇ、今の俺ってどう見える?」
「重症~」
心の整理が追い付きません。
おまけに訓練を張り切り過ぎた結果、全身の筋肉が悲鳴を上げている。
今だってエイルに肩を借りて、やっと歩けている状態だ。
明日以降に襲い来るであろう筋肉痛が今から怖くて仕方ない。
「お手間をお掛けします」
「気にしないで~」
「元気出して下さい、マスミさん。幸い毛先が幾らか焦げただけですし、宿に戻ったら目立たないようにわたしが整えますから」
「よろしくお願いします」
身も心もボロボロとなった俺を励まし、支えてくれるローリエとエイル。
ニースですら、その小さな手を伸ばし、よしよしと胸元をさすってくれている。
人の優しさが身に沁みる。
今にも涙腺が決壊してしまいそうだ。
それもこれも全部……。
「お前の所為だ」
「ちゃ、ちゃんと謝ったじゃないか。私だって悪かったとは思ってる」
前方を歩くミシェルに向けて恨み言を吐いてやった。
言われたミシェル自身もバツが悪そうにしている。
「でも模擬戦をしていた上で起きたことではないか。わざとやった訳でもないのに……」
なんで私だけと小声でブツブツと不満を漏らすミシェル。
こ、こいつは……。
「お~ま~え~は~、人様の髪を燃やしておきながら、よくもそんな言葉を吐きやがったなぁ」
さっきから漂っている焦げ臭さの正体。
それは若干チリチリになってしまった頭髪の一部が原因だった。
何故こんな目に遭ってしまったのか。
それは模擬戦の最中に起きた。
―――
――――――
「どうしたマスミッ、それで終わりか!」
「―――ッッ―――ぜっ、はぁ、クソがッ」
ヤケクソ気味に振り回したナイフはあっさりと防がれ、お返しとばかりに鋭い回し蹴りが放たれる。
防御は間に合わなかった。
「ゴアッ!?」
まともに反応することも出来ず、脇腹に直撃を食らった。
鈍い痛みに息が詰まり、膝から力が抜けて倒れそうになる。
無理矢理片足を一歩前に出すことで、辛うじて転倒を回避するも、安堵している暇もなくミシェルが追撃を仕掛けてきた。
横薙ぎに振られた木剣が首筋に迫る。
「ぐ、おおぉおおおああッッ!」
受け身のことなど一切考慮せずに地面を転がり、辛うじて回避が間に合った。
直前まで俺の首があった空間を木剣の剣身がブォンッと唸るような音を立てて通過した。
ある程度の距離まで転がった後、四つん這いの状態から立ち上がり、もつれそうになる両脚を懸命に動かして更に後退する。
ミシェルの方は、それ以上の追撃を仕掛けることもなく、開始の時と同じように正眼に木剣を構えていた。
「よく凌いだな。今の一撃で決まったと思ったぞ」
「っづぁ……ぜっ、ゼェッ、げほっ……うるせぇ馬鹿」
脇腹の痛みに耐えながら呼吸を整える。
上手く呼吸が出来ず、充分な酸素が脳に回らない。
四肢にも力が入らず、ナイフを持つ手が勝手に震えてしまう。
気を抜いたらぶっ倒れそうだ。
「悪態にもいつものキレがないな。流石に限界か?」
「はっ、はっ……ぶはぁっ」
悔しいが、ミシェルの指摘は正しい。
いい加減身体は限界だ。
模擬戦を開始してから既に五分は経過している。
これまで全て三分以内に決着を迎えていたことを考えれば、相当善戦出来ているのかもしれないが、新記録樹立と喜ぶ気持ちにはなれなかった。
たった五分程度でここまで追い込まれたということだ。
ミシェルの方には、まだまだ余力がある。
連戦の影響か、軽く息を弾ませてはいるものの、疲弊した様子は一切見られず、ダメージも皆無。
俺はミシェルに対して有効打を一発も当てられず、一方的に打ちのめされている状況なのだ。
地力が違い過ぎる。
体力で、技量で、経験で俺はミシェルに大きく劣っているのだ。
魔力操作を覚えた程度で調子に乗ってなどいられない。
何の対策もなしに真正面から戦り合えば、俺など結局はこの程度。ちょっと凹む。
「ふむ……マスミよ、魔力を使え」
「なに?」
「もうそろそろ体力も底を尽きるだろう? ならばその前に最後の一戦くらいは、全力を尽くしてみようではないか」
但しと一拍間を置くと―――。
「私も全力を出させてもらうがな」
―――ミシェルの身体から魔力の光が溢れ出した。
全身を包む薄青い魔力の輝き。
俺の見間違えでなければ、以前よりもその光は強まっているように思えた。
模擬戦とはいえ、本気を出したミシェルと戦うなんて……。
「俺を殺す気か?」
「何故そうなる……」
呆れたように表情を歪めるミシェル。
手加減された状態でもまともな勝負にならないというのに、ここに来て全力を出すなんて、もう本気で俺の命を殺りに来てるとしか考えられない。
俺はそんなにも彼女の恨みを買っていたのか?
「どうしたら許してくれる?」
「いいからさっさと身体強化をしろ。そのまま打ち込まれたいのか?」
「止めて下さい死んでしまいます」
死にたくないので、可及的速やかに身体強化を発動します。
初めて成功させた時と同じように血管とその内を流れる血液をイメージし、魔力操作を実行する。
魔力が全身を循環し、程なく鋼色の光が体外に溢れ出した。
休んでいる間も魔力操作の訓練―――ニース監修―――だけは継続した成果が出たのか、最初の頃よりもスムーズに発動出来るようになった。
身体強化を施した俺の姿を見て、ミシェルも表情を引き締めると共に木剣を構え直した。
「……」
蓄積した疲労とダメージによって、限界が近付きつつあった肉体に活力が戻ってくるものの、これは一時的なもの過ぎない。
身体強化を切った瞬間に今度こそ限界を迎えるだろうし、そうでなくとも長時間この状態を維持することなんて出来やしない。
故に勝負はたったの一合。
「フッ!」
地面を全力で蹴り、低い姿勢で前へ突き進む。
呼応するようにミシェルも木剣を高く掲げ、迎撃の構えを見せた。
互いを隔てる数メートルの距離を強化された脚力で一気に走破する。
ミシェルがズンッと一歩前に踏み込むタイミングに合わせ、俺も自らの踵を地面に叩き付けた。
「―――ずぅぅッッ!」
ブーツの裏で地面を削りながらの減速。
トップギアからの無茶な制動に筋肉が悲鳴を上げるも、歯を食い縛って激痛に耐える。
馬鹿な真似をしているという自覚はあるし、他の誰が見てもきっと同じ感想を抱くことだろうが、その効果はあった。
「なにッ!?」
今まさに、自らの間合いに踏み込んできた俺を迎え撃とうとしていたミシェルの機先を制することに成功した。
タイミングを外され、木剣を中途半端に振り下ろし掛けた姿勢で固まるミシェル。
このチャンスを無駄にはしない。
「ずぅぁらああッッ!」
下半身が訴える痛みを無視し、叫び声を上げながら再び足を前に踏み出す。
木剣の間合いを潰し、ナイフが届く距離にまで接近する。
「シィィッ!」
右手に握ったナイフを一閃する。
がら空きの胴体にナイフの刃が届くと思われた時、ミシェルは驚くべき反応を見せた。
中途半端な前傾姿勢はそのままに、前に踏み込んだ片足だけで地面を蹴り、その反動で後ろに飛び下がってナイフの刃を躱したのだ。
「なあッ!?」
マジかよ!?
驚異的な反応と体幹に目を剥く。
本当に出鱈目な身体能力をしてやがる。
そして呑気に驚いていられるだけの余裕もなかった。
飛び下がったのとほぼ同時にミシェルが構えていた木剣を振り下ろしてきたからだ。
「ッッぁぁぁああ!」
腕力のみで振られたとは思えない速度の斬撃。
大気を引き裂きながら迫る木製の刃を俺は辛うじて回避した。
木剣が顔の横スレスレを通過し、耳の奥が痛くなる。
強烈な剣圧にバランスを崩し、その場で横倒れになってしまった。
「チクショウ……!」
体力、集中力共に限界を迎えた俺は、身体強化を維持することが出来なくなった。
魔力の光が消失するのに合わせて虚脱感が全身に広がり、意識が飛び掛ける。
霞む視界。不快な耳鳴り。鼻を突く異臭……異臭?
『あっ』
異口同音で重なる女性陣の声。何、どしたの?
なんだか焦げ臭いし、ちょっと煙い。
あと頭が熱いのだが、これはいったい……。
『マスミ、燃えておるぞ?』
ニースからの指摘でようやく気付くことが出来た。
自分の頭―――側頭部の髪の一部が燃えていることに。
「ッッあぢゃああぁぁッあぁあァアアああ―――ッッ!?」
――――――
―――
物体が動くとエネルギーが、即ち熱が生じる。
木剣を振り下ろした際も同様で、運動によって木剣本体と周囲の空気が加熱される。
当然、速度が上がれば上がる程、比例して生じるエネルギーも大きくなり、温度もより上昇する。
音を置き去りにするような速度で放たれた斬撃。
それによって発生したエネルギーは、果たして如何程のものか。
その答えは、焦げ付いてチリチリになった我が頭髪が物語っている。
空力加熱だか大気摩擦だかは知らんが、兎にも角にも堪ったものではない。
「異世界生活早二ヶ月。これ程ショッキングな出来事は初めてだ」
「だから何度も謝ったではないか。いい加減しつこいぞ。器の小さい男だ」
「あっ? なんだとこの野郎」
「なんだ、やるのか?」
ローリエとエイルがまぁまぁと宥める声も聞かず、ミシェルと二人で「あっ? おっ?」とお互いにメンチを切り合いながら歩き続けた。
そうこうしている内にギルドのロビーに到着。
相変わらず賑わっている。
「ひと月近くもネーテを空けてましたからね。今出てる依頼のチェックだけでもしておきましょう」
「情報収集はぁ、とっても大事~」
異論はないので頷いておく。ミシェルも同じように首を縦に振った。
その間もお互いを睨め付けるのは止めない。
『飽きずによくやるのう』
呆れたようなニースの声が聞こえる。
こら、ポケットから顔を出すな。誰かに見られたら面倒だろうが。
「フカミさーん」
掲示板に向かう途中、受付から聞き覚えのある声が飛んできた。
声の方に目を向ければ、やはりというかなんというか、ギルドの受付を担当しているメリーがこちらに手を振っているのが見えた。
はて何かしらんとは思いつつも、手を振り返しながらメリーの元に向かう。
「あれ?」
その途中、メリーの受付カウンター前に数人の冒険者達が立っていることに気付いた。
男三人と女一人の四人組パーティ。
リーダーらしき体格の良い男の戦士が俺達に向けて手を上げる。
「よぉ、久し振りだなぁマスミ。待ってたぜ」
厳つい顔付きに太い笑みを浮かべたその男は、俺の見知った人物だった。
「ローグさん?」
受付カウンターの前で俺達のことを待っていたのは、かつて協力してヘルハウンドを討伐した冒険者達―――鋼鉄級冒険者たるローグさんがリーダーを務める先輩パーティだった。
お読みいただきありがとうございます。




