第1話 少しだけ前向きに
第四章開始します。
対峙する相手の手に握られた木剣が真っ直ぐ突き出され、切っ先が俺の額を穿たんと迫って来る。
咄嗟に首を傾け、強烈な一突きを辛うじて回避するも、代わりに数本の髪の毛が千切れ飛んだ。
ヒリヒリと側頭部から伝わってくる微かな痛みを我慢しつつ、相手の間合いに踏み込み、右手のナイフ―――訓練用に刃引きされたもの―――で斬り掛かる。
だが俺の反撃は、素早く引き戻された木剣によって、あっさりと防がれてしまった。
「チッ」
一度だけ小さく舌打ちをした後、深追いせずに後ろへ下がり、相手の間合いの外へ出る。
充分な距離を空けるまで後退し、詰めていた息を吐き出した。
今のは危なかった。
回避こそ間に合ったものの、タイミング的にはかなり際どかった。
果たしてどれ程の威力が籠められていたのか。
当たってないのに微妙に痛い。
幾ら木剣とはいえ、あんなものが直撃しては一貫の終わりだ。
もしも今の突きが直撃していた場合……。
「俺死んでたんじゃね?」
一筋の汗がツーっと頬を伝う。
頭蓋骨を打ち砕かれるか、額に穴が空く未来しか想像出来んのだが……。
微妙に腰も引けてきた。
こちらの得物がナイフである以上、間合いを詰めなければ勝負にならない。
またあの攻撃を掻い潜らなければいけないのか。
「頑張れ、俺」
小さく自らを鼓舞した後、地面を蹴って二度目の接近を試みる。
俺が間合いの内に踏み込むのと相手からの迎撃が放たれたのは、ほぼ同時だった。
大上段から振り下ろされる斬撃に真っ向から立ち向かうような真似はせず、低い姿勢から斜め右へ飛び込むことで回避する。
そのまま前転―――前回り受け身ですぐに起き上がり、相手の側面から仕掛けようとするも、その時には既に木剣は手元に引き戻されていた。
構うものかと振り被ったナイフで相手を攻撃すると見せ掛けて……。
「こっちだッ」
空いている左手を伸ばし、木剣の柄を掴んでやった。
流石に木剣を奪い取ることは叶わなかったものの、相手の行動を一手潰すことには成功した。
いきなり武器を掴まれるとは予想だにしなかっただろう。
突飛な行動に驚いた相手も身を固くしている。
「―――シィッ!」
今度こそ本命の一撃。
硬直して無防備に晒されている相手の首筋へ右手のナイフを疾らせる。
決まったと思った瞬間、左手で掴んでいた木剣が急に軽くなり、前屈みのようにガクッと体勢が崩れた。
見れば、木剣から手を離した相手が拳を握り締め、ボクサーよろしく構えている。
あ、これアカンやつだ。
そうは言えども勢いの乗ったナイフは止められない。
妙にスローモーションに見える中、俺のナイフを遥かに上回る速度で相手の右拳が繰り出される。
一筋の光が視界に瞬き―――。
「フン!」
「ぶごッ!?」
―――渾身のアッパーカットが俺の顎を捉えた。
タイミングも角度も申し分ない完璧なカウンター。
垂直跳び程度では決して届くことのない高さにまで打ち上げられる我が身。
地面の感触は失われ、手足からも力が抜けていく。
全身に広がる奇妙な脱力感と浮遊感。
視界の端に赤茶色の長い髪が映ったのを最後に、俺の意識は急速に遠退いていった。
……。
…………。
………………おはようございます。
冒頭から派手にブン殴られて意識が飛んでしまった深見真澄です。
数分間は気を失っていたようですが、幸い無事に目を覚ますことが出来ました。
既にお察しの方もいるとは思いますが、先程は一対一での模擬戦を行っておりました。
場所はギルドの訓練場。
倒れた際に打ち付けてしまったようで、後頭部が痛いです。
それ以上に顎がとっても痛いです。
「割れたらどうしてくれる」
ご飯を美味しく食べられなくなるではないか。
「躱せなかったマスミが悪い」
見事なカウンターで俺を沈めた張本人―――ミシェルからの返答は手厳しいものだった。
割られるのが嫌なら躱してみせろと彼女は言うけど、あの閃光の右を躱せる光景が想像出来なかった。
世界狙ってみるかい?
遺跡調査の依頼を終え、ネーテの街に帰還してから早数日。
査定と報酬の支払いを待ちつつ、何日かの休息を挟んだ。
そして本日、報酬の受け取りついでに戦闘訓練を行っている次第である。
報酬は遺跡調査とその再調査―――という名目で実態はゴロツキ共の身柄確保―――による二件分の達成報酬。
砦内部で発見した物品の買取。
ついでに骸骨軍団の討伐報酬その他諸々を含め、総額は金貨四枚と銀貨二十六枚にもなった。大儲けじゃー。
「何故だ?」
「何がだ?」
ミシェルは木剣を片手だけでヒュンヒュンと軽妙に振りながら、顔も向けずに訊ね返してきた。
その姿から疲労は欠片も感じられず、訓練とはいえ一戦やり合った後とは思えなかった。
「何故勝てない」
「いや、何故と言われても……」
困惑気味な声を上げながらも素振りを続けるミシェル。
徐々に速度は上がっていき、耳に届く風切り音もより鋭いものへと変化する。
「何故俺はミシェルに勝てない。そして何故にお前ばかりが勝つ。ズルいぞ、代われ」
「ズルいと言われても困るのだが……」
最後に一度、横一文字に木剣を大きく振り抜いたところで、ミシェルは素振りを終了した。
こちらを振り返った彼女は逡巡するように口元を歪めた後、実に言い辛そうに切り出した。
「あまりこのようなことを口にしたくはないのだが……そのぅ、アレだ。マスミの力量が私と比べて、えっと……よわっ、じゃなくて、劣っているからではないのか?」
「奥歯に物が挟まったような言い方しやがって。はっきり弱いと言ったらどうだ」
「マスミが私よりも弱いからだと思う」
「あっさり言い直しやがったな、この野郎」
もっと歯に衣着せろ。
「はっきり言えと言ったのはマスミではないか」
「うるせぇうるせぇ。もっとオジサンに気を遣え。もっと優しくしろ」
私にこれ以上どうしろというのだと困ったように眉で八の字を作るミシェル。
ミシェルをイジったことで多少は溜飲も下がった。
実際そこまで怒ってもいないのだが、戦績が五戦して全敗―――しかも全て三分以内に決着―――では、文句の一つも言いたくなるというもの。
一回り近くも歳下の少女に大人げないって?
十五歳以上は成人です。(※異世界基準)
「激戦を乗り越えてレベルアップしたと思っていたのに……」
全然強くなった気がしない。
「実際、強くなったとは思いますよ?」
「魔力操作も覚えたし~」
横からそんな励ましの言葉を掛けてくれたのは、別々の方法でストレッチを行っているローリエとエイル。
ローリエは立ったまま行う体前屈。
膝を一切曲げずに両手を地面につけている。柔らかい。
エイルは笑顔で百八十度の開脚をしていた。柔らかい。
一応、彼女らとも模擬戦やった。
どちらとも三戦ずつやって、戦績は……察してほしい。
「君らに言われてもなぁ」
ボロ負けだったんですけど。
「そうは言っても、確実に実力は上がっていますよ? 以前のマスミさんならミシェルの攻撃を回避出来なかった筈です」
「そうだな。木剣を掴まれた時は流石に驚いた。以前のように秒殺するのは難しくなってきた」
秒殺て……殺すなし。
「でもぉ、魔力操作はぁ、マスミくんの方が上手~」
そう、模擬戦ではボロ負け続きの俺だが、今エイルが言ってくれたように魔力操作に関してだけはミシェルよりも俺の方が上らしい。
曰く、ミシェルの魔力操作は大雑把なのだとか。
「ミシェルって〈魔力付与〉出来なかったんだ」
「逆にマスミは何故最初から出来たのだ?」
……才能?
『魔力の制御に関して言えば、元々マスミの筋は悪くなかったからのう。切っ掛けさえあれば、すぐ扱えるようになるであろうとは思っておったぞ』
ローリエ達のすぐ傍に置かれた荷物。
その上にある俺のスマホにどっかりと座り、得意気な顔を浮かべているのは可憐な少女の姿をした精霊ニース。
今のセリフは、この掌サイズの自称守り神が発したものだ。
ネーテに帰還するまでの道程で、女性陣ともすっかり打ち解けている。
『我の指導の賜物だの』
「はいはい、ありがとさん」
えっへんと無い胸を張っているニースに対して、おざなりな返事をしながら立ち上がり、付着した土埃を叩いて落とす。
すぐ近くに転がっていた訓練用のナイフを拾い上げ、逆手に握って構える。
「よし、もっぺん勝負だミシェル。今度こそ一本取っちゃる」
「それは構わんが、随分とやる気だな。何かあったのか?」
「まぁ、俺なりに思うところがあってね」
これまでも生命の危機は何度もあったが、前回の骸骨軍団との戦いは極め付けだった。
一歩間違えれば全滅していたかもしれない。
弱い弱いと言い訳を繰り返して、いつまでも女性陣に甘えている訳にもいかない。
俺も今以上に強くならねばと、そう考えを改めただけだ。
「おんぶに抱っこじゃ恥ずかしいからな」
「おんぶ? 抱っこ?」
「気にしなさんな。よっしゃ、行くぞ!」
「よかろう。まだまだマスミには負けん!」
鋭く呼気を吐き、低い姿勢で前方に駆け出す。
正眼に木剣を構えたミシェルに今度こそ一撃を当てるべく、俺は右手のナイフを振り被った。
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