第1話 猪突猛進ってこういう意味じゃなかった気がする
第三章開始します。
―――ドドドドドドッ。
走る。
―――ドドドドドドドドッ!
とにかく走る。
―――ドドドドドドドドドドッッ!!
ひたすら走る。
何故人は走るのか。
……死にたくないからだよ!
後ろから物凄い勢いで追い掛けてくる恐怖―――猪の如き魔物から全力で逃走する。
なんで俺はこんな目に遭っているのだろう。
どうも皆さん、異世界の生活にもそろそろ慣れてきた深見真澄です。
現在、俺は拠点としている辺境都市ネーテの南方に位置する小さな山々が連なった山間部。その麓に広がる森林地帯に来ております。
距離的には馬車で二日程。人生で初めて馬車に乗りました。
冒険者ギルドからレンタルした馬車なのだが、そこまで立派な造りではなく、荷馬車に雨除けの幌を取り付けた程度のものだった。
それでも徒歩で行くよりは遥かに楽だろうと喜んでいたのだが、俺の考えが甘かった。
これがまた揺れる揺れる。
振動がダイレクトに尻に伝わって痛いのなんのって、もう堪らんわ。
ジッとしていることも出来ず、何度も立ったり座ったりとを繰り返していた。
交代で御者を担当していたミシェルとローリエ―――俺に御者など出来る筈もない―――曰く、高級な箱馬車ならともかく、俺達がレンタルした最低ランクの馬車はどれも似たり寄ったりなのだとか。プリーズサスペンション。
座席に敷くためのクッションを用意しようと心に決めた瞬間だった。
尻の痛みに耐えながらの馬車移動を終え、目的地に到着した俺達は一晩の野営を挟み、翌日の早朝から仕事に取り掛かった。
今回請けたのは納品依頼。
納品対象は『牛角猪の生肉』。
猪の魔物―――牛角猪から取れる肉は少々クセはあるものの、大層美味いと評判だそうで、特に塩と胡椒だけでシンプルに味付けをしたステーキは絶品であるとか。
取り扱いたいと希望する料理店が多数存在するため、納品する量が多ければ多い程、依頼成功時の報酬金額も増額されていく。
空間収納という無敵の運搬手段を有する俺にとっては打って付けの依頼なのだ。
成獣よりも子供の牛角猪の方が美味いとも聞いたので、個人的にはそちらもゲットしたい。
諸々の準備を終え、散策を開始してから約二時間。
予想外にあっさりと牛角猪の住処を発見した。
小さな水場の近くに生えた太い幹を有する木立の根本。
そこで眠る二匹の魔物―――牛角猪の幼体だ。
大きさは小型犬程度。胴体に沿って白と茶の縞模様の体毛が縦に生えている。
外見だけなら猪の子供たるウリ坊とほとんど変わらず、実に可愛らしかった。
ただ一点、魔物である証拠として頭部からは小さな角が生えていた。
「今後、お前達のことはブリ坊と呼ぶことにしよう」
周囲に他の魔物や成獣の牛角猪の姿は見えなかったので、これ幸いとばかりに俺は二匹のブリ坊を持って帰ることにした。
慎重に抱き上げて……起きない。よし。
さっさと野営地に戻ろうと足を踏み出した瞬間、背後からブルルルッという荒い鼻息と獣臭さが漂ってきた。
嫌な予感を覚えつつも振り返ってみれば、そこにはとても立派な猪の姿があった。
全身茶褐色の剛毛。短い四肢と寸胴な身体。下顎から生えた半月型の鋭い牙。体高は130センチ前後で全長は2メートルを越えている。
体重に至っては300キロはあるかもしれない。
そして頭部からは、バイソンを思わせる短くも逞しい一対の角が生えている。
言うまでもないが、成獣の牛角猪だ。
その数は二匹。
どちらも鼻息荒く、ガッガッガッガッと蹄で地面を削っている。
明らかに怒っている様子。
―――おうコラ我ぇ、ウチの子に何するつもりじゃゴラァ!
多分こんな感じのことを言いたいのではなかろうか。
「ご両親ですか? どうもお邪魔してます」
取り敢えず挨拶をしてみた。
果たしてご両親(?)の反応は……。
『ブルルヒィィィィイィィィッッ!!』
激おこだった。ですよねー。
そして冒頭に戻る。
―――ドドドドドドドドドドドドッッ!!
現在も絶賛逃走中の俺。
小脇にはプヒプヒと鼻を鳴らしている二匹のブリ坊。
俺の抱え方が気に入らないのか、さっきからモゾモゾと動いている。
落としちまうから動くな!
最初はブリ坊の親と思しき二匹だけだった筈が、何故か途中からその数を増し、気付いた頃には七匹もの牛角猪に追われていた。
鈍重そうな寸胴体型とは裏腹に、実は猪は優れた運動能力を有している。
個体差はあれども、時速約45キロもの速度で走ることが可能なのだ。
魔物である牛角猪は、もっと速く走れるに違いない。
俺が未だ追い付かれずに逃げ回れているのは、偏に直線での逃走を避け、右に左にと何度も曲がったり、時には岩や倒木といった障害物を飛び越えながら逃げているからに過ぎない。
そうでなければとっくに追い付かれて、今頃はあのぶっとい牙と角の餌食になっていたことだろう。
ここが開けた平地だったらと思うとゾッとする。
チラリと後ろを見やれば……。
―――待たんかいゴラァ! いてまうぞ我ぇ!!
という幻聴が聞こえそうなくらい怒りに燃えた眼で猛進してくる七匹の牛角猪。
障害物があろうとお構いなしに突進し、ぶっ飛ばしながら俺を追って来るのだ。
……あんな突進を喰らったら一発で死ねる。
「いやこれマジでどうしよう……!」
一応、野営地の周辺に幾つかの仕掛けを施してはいるのだが、まさかこんな大量に釣れるとは思いもしなかった。
果たしてこれだけの数を引き連れたまま、野営地へ戻っても大丈夫なのだろうか?
そもそも俺は今何処を走っているのだろう?
あっちに逃げたり、こっちに逃げたりしている内に現在地が分からなくなってしまった。
息も結構上がってきた。
あっ、脇腹痛くなってきた。
太腿やふくらはぎもパンパン。
本格的にヤバいかも……!
「マスミさん!」
「ローリエ!?」
木立の間を駆け抜けながら、こちらに近付いて来るローリエの姿が見えた。
俺なんぞよりも遥かに軽快な走りだ。
あっという間に追い付き、そのまま並走してくるローリエに向けて―――。
「パス!」
「えぇぇぇッ!?」
―――ブリ坊の一匹を投げ渡した。
多少慌てながらも、抱き締めるようにして見事キャッチするローリエ。
そして心なしか、背後から迫るプレッシャー……というか怒りも増したような気がする。
「ちょっとマスミさんッ、危ないじゃないですか!?」
「重かったんだよ! 両親親戚一同に追い回されて辛かったんだよ! 文句あんのかゴラァ!」
「え、えぇぇぇ……」
抗議するローリエに対して逆ギレする俺。
我ながら最低だという自覚はあるものの、それだけ今の俺には余裕がないのだ。
あとで謝るから許してほしい。
「ミシェルは!?」
「先に戻って待機してます。わたし達もこのまま向かいましょう!」
「よし分かった。道案内よろしく!」
ローリエに先導してもらう形で野営地を目指す。
牛角猪共もかなり迫って来ているが、もう少しの辛抱だと自分に言い聞かせながら懸命に脚を動かした。
そんな状態でどれだけ走り続けただろうか。
前方に目を凝らせば、目的地である野営地と先に戻っていたミシェルの姿が見えてきた。
こちらに向けてブンブンと大きく手を振っている。
「マスミさん、もう少しです。頑張って下さい!」
「ゼェッ、ハッ……お、おぅ」
いい加減限界も近く、完全に顎が上がっている。
ローリエも結構な量の汗をかいてはいるものの、俺と違ってそこまで疲労しているには見えなかった。
大の男が体力面で女の子に負けるなんて情けないことこの上ない。
しかし、今は嘆いている場合ではないのだ。
最後の一踏ん張りと重くなった両脚に力を籠める。
足元に注意しながら走り、ある地点に来た所で走り幅跳びの要領で前方へジャンプする。
着地は……失敗。不様にゴロゴロと地面を転がる羽目になった。
「どぅおおおおぉぉおおおッ!?」
回転する勢いを止められず、何処まで転がって行くのかと思いきや、突然背中に衝撃が走り、回転がピタリと止まった。
ついでに呼吸も一瞬止まった。
どうやらミシェルが止めてくれたらしいのだが……。
「何も、蹴らなくたって……ッ」
「止めてやっただけ有り難いと思え」
返す言葉もございません。
無様な姿こそ晒したものの、なんとか野営地には辿り着いた。
寝返りを打つようにコロンと横を向けば、硬い地面を削り、障害物をぶっ壊しながら突き進んで来る七匹の牛角猪。
このまま横たわり続けていれば、轢き殺されること請け合い。
だが先頭を走る牛角猪がある地点―――先程俺がジャンプして回避した場所―――に到達した瞬間、まるで底が抜けるように足元の地面が崩れた。
崩れた地面の底―――落とし穴の中に先頭の二匹が沈んでいく。
落ちた同胞には構わず、残る五匹は短い四肢で驚くべき跳躍力を発揮し、落とし穴を回避してみせた。
回避されることなど想定済みよ。
「仕掛けが落とし穴だけの訳ねぇだろうが」
跳躍した牛角猪共が着地するタイミングに合わせ、地面の上に置かれていたロープの端をローリエが思いっ切り引っ張る。
すると土を被せて偽装していた残りのロープがピンッと張られ、牛角猪共の脚を引っ掻けることに成功した。
自らの体重も相まってドスンドスンと地響きのような音を伴って転倒していく牛角猪。
転倒した際に目でも回したのか、更に二匹が横たわったまま動かなくなった。
行動不能にまでは至らなかった残りの三匹がヨロヨロと起き上がろうとしたものの、それよりもミシェルが宙に垂れている数本のロープの端を纏めて掴み、背負い投げのように全力で引っ張る方が早かった。
今度は輪の形で地面―――土を被せて偽装―――に設置しておいたロープが絞まり、残る三匹の脚を見事に捉えて上下逆さまに吊し上げた。
所謂くくり罠と呼ばれるものだ。
吊るされたままブヒィブヒィとうるさく鳴いている牛角猪。
フハハハッ、何も出来まい。
「また見事にマスミの作戦が嵌まったな」
「流石と言うべきなんでしょうか?」
何故か釈然としない表情を浮かべているミシェルとローリエ。
無傷で勝利したというのに、いったい何が気に食わないのだ。
上体を起こし、二人にジト目を向けるとサッと顔を逸らされた。
こいつら……。
ともかくこれで成獣の牛角猪が七匹。
あと状況を理解出来ていないのだろう。
未だにプヒプヒと鼻を鳴らしているブリ坊二匹の生け捕りに成功した。
「牛角猪ゲットだぜ」
両手で持ち上げたブリ坊のつぶらな瞳を見詰めながら、なんとなくそう口にしてみた。
……可愛いなぁ、ブリ坊。
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