第21話 奴を犬とは認めたくない 〜黒妖犬〜
前回のお話……良い子は真似しちゃ駄目(※卵爆弾)
「取り敢えず住処に着いたら、残りの卵爆弾全部ブン投げましょう」
休憩中、俺はそのように提案した。
もっと渋られるかと思っていたのだが、思いの外あっさりと了承を得られた。
手持ちの卵爆弾は残り八個。
全員が一個ずつ投げることは出来るけど……。
「ローリエとヴィオネには別にやってもらいたいことがあるんで、今回はパスね?」
「了解しました」
「投げて、みたかった……」
素直に応じるローリエと残念そうにしているヴィオネ。
機会があれば投げさせて上げるから我慢しておくれ。
そして住処に突入した俺達は、こちらに襲い掛かろうとする複数の黒猟犬に卵爆弾を投擲した。
その結果、俺達の眼前には舞い上がる大量の赤黒い粉末とそれに苦しめられる黒猟犬共の姿があった。
これでしばらくは行動不能。
「んじゃ、あとよろしく」
後方で待機していた二人に合図を送る。
「『集え……炎よ……』」
「『集え……炎よ……』」
ローリエとヴィオネが魔術の詠唱を開始する。
以前に聞いた時も思ったが、知らない言語なのに何故か意味だけは理解出来た。
二人の前面に赤く発光する魔法陣―――ヴィオネの魔法陣の方が大きい―――が浮かび上がる。
「『矢を成し……敵を討て』―――〈炎矢〉!」
「『槍を持て……敵を貫け』―――〈炎槍〉!」
呪文の詠唱を終え、それぞれの魔術が発動する。
ローリエの方は、ホブ・ゴブリンとの戦闘でも使用していた〈炎矢〉。
魔方陣から三本の炎の矢が撃ち出される。
ヴィオネが使用した〈炎槍〉は〈炎矢〉の上位版。
長さ2メートル程の燃え盛る五本の槍が魔法陣から発射された。
空を切る勢いで飛翔する炎の矢と槍は、狙い過たず地面の上でもがき苦しんでいる黒猟犬の身体に突き刺さり、派手な爆発音と共に弾け飛んだ。
炎上し、肉と脂が焼ける臭いが辺りに充満する。
「〈炎矢〉の威力は知ってたけど、ヴィオネの〈炎槍〉もこれまた強烈だなぁ」
「……ぶい」
燃え盛る炎の明かりに照らされながら、無表情にピースをしてみせるヴィオネ。
ちょっとコメントに困る。
「さてと」
森の中で炎をぶっ放すなんて本来なら森林火災待ったなしの危険行為だが、幸いにもこの住処はかなり広い範囲で木々が倒されている。
これだけの空間があるのならばと思い切って実行に移した訳だが、果たして効果の程はどうだろう。
少なくとも黒猟犬は片付けられた自信があるけど……。
「マスミ」
思案している俺の傍にミシェルが寄って来る。
「やった、かな?」
「さて、犬どもは確実に片付いただろうけど、今の攻撃だけで親玉の方も倒せたって考えるのは……流石に都合が良すぎるよなぁ」
「そうだな」
俺の言葉に一つ頷いたミシェルが、長剣の切っ先を炎の奥に健在であろう敵に向ける。
他のみんなも油断なく身構えている。
「とは言ってもこれだけの熱気だ。炎の勢いも相当なもんだし、余波だけでもそれなりにダメージを―――」
―――ヴオオオオオオオオオオンンッッ!!
「ダメージ……無さそうだね」
明らかに元気いっぱいな雄叫びが返ってきた。
そして何故か全員が咎めるような眼差しを俺を向けてきた。
いや待て、俺の責任じゃないぞ。
ズシャッ、ズシャッと地面を踏み締めながら、ゆっくりと炎の壁を割って親玉がその姿を現す。
「ハッハハハ、これはちょっと……」
自然と頬が引き攣り、乾いた笑いが漏れた。
姿形そのものは、この場に辿り着くまでの間に何度も目にした灰猟犬や黒猟犬によく似ている。
似ているけど……。
「マジかよオイ……!?」
「ん、むっ……」
「しゃ、洒落になんないっすよ!」
「流石に、予想外」
先輩パーティのみんなも表情が強張っている。
「本当に、洒落にはならんな」
「ここまでの大物だなんて……!」
ミシェルとローリエの声も震えている。
いや、震えているのは声だけではなかった。
見ればどちらも剣の柄を握っている右手が痙攣しているかのように震え、切っ先が全く定まっていない。
……その震えが武者震いであると信じたい。
「あっ、あぅ、ひぐっい―――ぅッッ」
コレットに限っては最早歯の根すら噛み合っていなかった。
「……ヘルハウンド」
誰がその名を口にしたのか。
この時の俺には、それを気に掛けている余裕すらもなかった。
ヘルハウンド―――別名黒妖犬とも呼ばれる犬や狼に似た姿の魔物。
一応、灰猟犬や黒猟犬と同じ系譜の魔物らしいのだが、果たしてこいつを犬と呼んでいいものかどうか。
全身漆黒の毛並みと血のように赤い瞳。
体高だけで2メートル以上有り、尻尾を含めた全長は4メートルを優に超えるだろう。
体重に至っては、この場に居る八人全員の体重を合計した数値よりも重そうだ。
その巨体を支える四肢は、俺の胴体と同じかそれ以上に太く、足先に備えた凶悪な鉤爪―――特に前肢の爪は撫でられただけでも、身体が真っ二つにされてしまうことだろう。
そんな鉤爪に負けず劣らず、口からは鋭利で図太い立派な牙が覗いており、一噛みされただけで人生が終わること間違い無しだった。
「アレを犬とは呼びたくないなぁ」
「冗談を言っている場合か!」
額を緊張の汗で濡らしたミシェルから叱責された。
冗談でもなんでも口にせんとやってられんのだよ。
というかぶっちゃけ怖ぇんだよ!
虎やライオンよりもデカい犬なんて聞いたこともないわ!
『グルルルルッ』
俺達よりも高い視点で、唸りながらこちらを睥睨してくるヘルハウンド。
もうこれだけで生きた心地がしなかった。
「ミシェルさん、ローリエさん。目の前のヘルハウンドとゴブリンの大群。戦うならどっち―――」
「ヘルハウンドと戦うくらいなら、百匹だろうと二百匹だろうとゴブリンの相手をしている方がマシだ」
「同じくです」
食い気味に答えるミシェルと便乗するローリエ。そこまでか。
そして目の前に佇むヘルハウンドは単独でゴブリン数百匹分以上の戦力を有していると。
「やっぱ一旦ギルドに報告して、戦力募った方が良かった気が……」
「今更んな言ってんじゃねぇよ。男だったら腹ぁ括れ」
軽口を叩くトルムをローグさんが叱り付ける。
鋼鉄級のローグさんとディーンさんですら、余裕が欠片もないのだ。
「やるぞ。ヴィオネは後方で魔術を撃つのに専念しろ。コレット嬢ちゃんも出てくるなよ。トルムは遊撃で奴の気を散らせ。マスミはヴィオネと嬢ちゃんの護衛。あと可能なら援護頼む。残りは全員前衛だ。とにかく囲んで的を絞らせんな」
ローグさんから出た指示に全員が頷く。
こちらの準備が整うのを待っていたかのように『―――オオオオオオオオンッッ!』と動く気配を見せなかったヘルハウンドが再び吠えた。
それが戦闘開始の合図となった。
「行くぞォォッ!」
ヘルハウンドに負けじとローグさんが叫びながら駆け出す。
彼の後を追ってディーンさんが、そしてミシェルとローリエも前に出た。
『グルゥアアアッ!』
ヘルハウンドが助走もなしにその場で跳び上がり、先頭を走るローグさんの頭部に鉤爪を備えた前肢を振り下ろす。
ローグさんは飛び込み前転のように右斜め方向に身を躍らせることで、その攻撃を回避した。
標的を失った前肢が地面を踏み砕き、多量の石と土砂が舞った。
あんなものに潰されたら挽き肉確定だな。
「ふ、んッ!」
ローグさんのすぐ後ろを走っていたディーンさんが捻りを加えた刺突を繰り出す。
回転を伴った穂先がヘルハウンドの喉元に迫るが、その一撃は巨体に似合わぬ敏捷性によって躱されてしまった。
ヘルハウンドが後方に跳び下がっている間にミシェルとローリエはディーンさんの左右から展開する。
正面をディーンさん、背後にローグさん、左右をミシェルとローリエが押さえることでヘルハウンドの包囲が完了した。
「まずは足を狙え! 動きが鈍くなりゃこっちのもんだ。前に出過ぎんなよ!」
「ああッ!」
「はいッ!」
応えると同時にミシェルとローリエが斬り掛かる。
それぞれ狙いは左前肢と右後肢。
二人の攻撃をステップを刻むように軽やかな動作で躱したヘルハウンドは、お返しとばかりに右前肢を横薙ぎに振り回そうとするも、ディーンさんの突き出した槍によって鉤爪を押さえられ、反撃をすることが出来なかった。
中途半端に前肢を振り上げた状態で動きを止められたヘルハウンドは標的をディーンさんに変更し、噛み付きによる攻撃を仕掛けた。
牙が届くよりも早くディーンさんは槍を引いて後ろに後退。
魔犬の顎が彼を捉えることはなかった。
「オォラアァァッ!」
噛み付きを躱されて隙が出来たヘルハウンドの後方から今度はローグさんが接近し、構えた両手剣を一閃させる。
振り下ろされた刃は、魔犬の脚を一文字に斬り付けたものの、その傷は浅かった。
それでも僅かながらダメージはあったのだろう。
攻撃を嫌がったヘルハウンドが、まるで馬がそうするように両の後肢を揃えて、ローグさんを蹴り飛ばそうとしたが、彼は小型の盾を活用して後ろ蹴りをいなしてみせた。
蹴りを無効化されたヘルハウンドは素早く身体を捻り、ローグさんの方へ頭を向けて追撃を仕掛けとするも、今度はその頭部目掛けて小型の投げナイフが飛んできた。
ヘルハウンドが鉤爪を振るってナイフを弾いている内にローグさんは後退して距離を取った。
あのナイフは、追撃をさせまいとトルムが投擲したのだろう。
前後が入れ替わった以外、状況に大きな変化はない。
ヘルハウンドの攻撃を受けた者はいないものの、こちらも有効打と言える程のダメージを与えていない。
「チッ、硬ぇ毛皮だぜ。仕切り直しだ」
そこからは先程と同じような光景が幾度か繰り返された。
相手の攻撃を避けつつ、着実にダメージを蓄積させていく堅実な……根比べのような戦い。
剣でも槍でも、前衛陣の攻撃は満足に通らないというのに、ヘルハウンドの攻撃は一撃でも喰らったら致命傷確実。
ヴィオネが援護のために〈炎槍〉を放つが、ヘルハウンドは前衛陣を相手取りながらも難無く迫る炎の槍を回避してみせた。
戦闘は拮抗しているように見えるものの、実際のところは俺達の方が圧倒的に不利だった。
「くそったれがぁッ」
「はぁ、はぁっ、出鱈目だな」
「余裕、綽々ですね……ッ」
「ぬ、う……」
このままではヘルハウンドを仕留めるよりも先にみんなの体力が尽きてしまう。
考えろ。何か手はないのか。
この危機を打破するための何か……。
「……ヴィオネ、〈炎槍〉より足の速い炎系の魔術ってある?」
「ある……けど、相手がヘルハウンドじゃ、あまり効果は、期待、出来ない」
「威力は気にしなくていい。あとは……」
そんな俺の思考を遮るかのように、膠着しつつあった状況に変化が起きた。
「ぅああッ!?」
「ローリエ!?」
横薙ぎに振るわれた前肢の攻撃を回避し損ねたローリエが弾き飛ばされた。
幸いにも鉤爪に引き裂かれたりはしなかったものの、あの図太い脚に殴られるだけでも相当なダメージの筈だ。
「俺が行くから、ミシェルはそのまま相手してくれ! すまん。ちょっと離れる」
「だいじょう、ぶ」
行ってあげてというヴィオネの言葉に背中を押され、ローリエの元に向かおうとした時、誰かに服を引っ張られた。
振り向けば、不安に表情を歪めたコレットが俺の服の裾を握っていた。
「あ、そ、その……」
今にも泣き出してしまいそうな彼女に何か励ましの言葉の一つでも掛けてやりたいところだが、今は時間が惜しい。
裾を握っていた手を出来るだけ優しく剥がし、その手に残りの卵爆弾を握らせる。
「最悪の場合はお前だけでも逃げろ。いいな?」
「フ、フカミさん。あたし―――」
コレットの言葉を最後まで聞くことなく、俺は急ぎローリエの元へと向かった。
「ローリエ!」
「うっ、ぐぅぅ……マスミ、さん」
ローリエは腹部を押さえながら横たわっている。
傍に駆け寄った俺は直ぐ様〈顕能〉を発動し、液体の入った細長い容器―――治癒用の水薬を取り出した。
「薬だ。飲めるか?」
「あ、ありが……」
「無理に喋んなくていいから」
容器の栓を抜き、ローリエの口元に持って行く。
少しずつだが、水薬を飲んでくれる姿に安堵する。
自力で飲むことすら出来ないような状態だったらどうしようかと思った。
水薬を飲み終えたローリエを抱え、近くの切り株の所まで運び、そこに彼女の上体を預ける。
切り株というには断面が滑らかではないことから、おそらくヘルハウンドが力任せにへし折ったのだろう。
「すみません」
「気にすんな。とにかく今は回復に努めろ」
念のため、水薬をもう一本取り出して渡しておく。
振り返って戦況を確認すると状況は明らかな劣勢となっていた。
当然だ。四人掛かりで包囲し、辛うじて戦況を維持出来ていたというのに一人欠けてしまったのだ。
致命傷こそないものの、ミシェル達三人は小さな傷を全身のあちこちに負っている。
遊撃に回っていた筈のトルムですら姿を潜ませるのを止め、息を弾ませながら近くでサポートをしている。
ヘルハウンドも幾らか傷は負っているものの、前衛陣に比べればまだまだ余裕がありそうだ。
「クソがッ」
知らず奥歯を噛み締める。
もう悩んでいる場合ではない。
全然打ち合わせとか出来ていないけど……。
「野となれ山となれだってんだ。トルム!」
空間収納から革袋を取り出し、トルムの名を叫ぶ。
突然呼ばれたトルムが驚いたようにこちらを振り向いた。
俺はそのまま革袋を大きく振り被って……。
「当てろォォォッ!」
ヘルハウンドの頭上にぶん投げた。
果たしてトルムは、俺の望み通りに動いてくれた。
投げナイフを取り出すと、放物線を描く革袋目掛けて投擲。
ナイフの刃が革袋に突き刺さり、中に入っていた液体が真下にいたヘルハウンドに降り掛かった。
毛皮を濡らされたことが気に食わないのか、不快そうに唸るヘルハウンド。
「なんだこりゃ?」
「むっ?」
「この臭い……ッッ、二人とも離れろ!」
漂う臭気から液体の正体を察したのだろう。
ミシェルがローグさん達に警告を発し、自身も素早くその場を離脱する。
彼女なら気付いてくれると信じていた。
「ヴィオネ!」
「『疾れ……赤き稲妻』―――〈雷火〉!」
ヴィオネの眼前に展開された赤い魔方陣から、火の粉と共に真っ赤に輝く稲妻が幾筋も迸った。
バリバリと派手な音を立てて絡み合いながら宙を疾る稲妻の速度は、〈炎槍〉の比ではない。
だがヘルハウンドはここでも恐るべき反応速度を発揮し、斜め後ろに大きく飛び退いて稲妻の直撃を避けたのだ。
ヴィオネが放った渾身の〈雷火〉は、奴の胴体を掠めることしか出来なかったが……それだけで充分だった。
「燃えちまいな」
―――直後、ヘルハンドの巨体が炎に包まれた。
お読みいただきありがとうございます。
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