第35話 王威を示せ
前回のお話……ジェイムキレる
(ジ ゜Д゜)我慢出来ぬ!
(真 ゜Д゜)何喚ぶの?
これまで幾度も目にしてきた〈転移〉の魔述巻物。
ジェイム=ラーフの手に握られた魔述巻物が光と共に起動し、記された術式の効果が現実となる。
余裕の現れか、エルビラが妨害をしてくる様子はなかった。
俺達にとっては好都合だ。
「いったいどんな魔物を―――」
喚び出すつもりなんだという台詞は、ズシンッと響いてきた重苦しい音と地面の揺れによって遮られた。
光が収まった先に現れたのは、当然ながら魔物だった。
姿は牛……バイソンと呼ばれるウシ科動物が最も近いかもしれない。
筋肉の塊と言っても差し支えない程に太く、逞しい四肢に支えられた強靭な胴体。
大きく隆起した肩。
首周りや頭部は黒い体毛に覆われ、その体毛を掻き分けるように二本の太い角が生えていた。
全体的に体色は焦茶色だが、顔面の一部―――眉間から鼻の上に掛けての部分だけが金属的な鈍色になっている。
そしてこのバイソンモドキの魔物。
やはりと言うべきなのか……デカかった。
地球のバイソンでも体長3メートル超えや体重が1トンを上回る個体は珍しくないけど、この魔物のサイズはそんな次元ではない。
単純な大きさや重量だけなら、ネーテの森で出会った猪の霊獣サングリエに匹敵、あるいは上回るやもしれん。
「ジュブル・ボナザスかよ!」
魔物の姿を見たアウィル=ラーフが何やら驚いているようだが、ゼフィル教団で飼っている魔物を目にして何を驚く必要があるのだろう?
「いきなり喚び出してすみませんね、ジュブル・ボナザス。貴方の力を貸して下さい」
ジェイム=ラーフが支柱の如き脚を気軽な感じでポンポンと叩けば、バイソンモドキ改めジュブル・ボナザスはブフーッと熱い鼻息を漏らした。
「敵はあの女です。存分に轢き潰してやって下さい」
呼び出したばかりの魔物に物騒な頼みを平然と口にするジェイム=ラーフ。
肝心の頼み事をされたジュブル・ボナザスは……。
『モ"ォオオオオオ"ッオオオ―――ッッ!!』
実に牛っぽい鳴き声―――というか雄叫び―――で応えた。
大岩すら簡単に踏み砕けそうな蹄でガシガシと地面を削った後、頭を下げて二本の角が前を向くように構え、闘牛よろしく飛び出した。
『モォォオ"オ"オオアアアッォオオ"オ―――ッッ!!』
大気を震わせる猛々しい雄叫びを上げながら走るジュブル・ボナザスは、真っ直ぐ標的―――エルビラ目掛けて突き進んでいく。
「あらあら」
当のエルビラには全く焦りが見られなかった。
自分よりも遥かに大きく、戦車の如き超重量生物が迫っているというのに軽く首を傾けた以外に反応らしい反応を示すことなく、無防備に突っ立っているだけだった。
無論、標的が無防備だからといってジュブル・ボナザスが躊躇うことなどある筈もなく、むしろ更に加速して頭からエルビラに突っ込んでいった。
激突する巨体。
誰もがエルビラが吹き飛ばされる光景を想像していたことだろう。
だが現実は、俺達の想像とはかけ離れており……。
「山がぶつかってきたのかと思いましたわ」
エルビラは吹き飛ばされるどころか、重量差など物ともせずにジュブル・ボナザスの突進を真正面から受け止めてみせたのだ。
流石に一歩も動かずとはいかなかったものの、押されて後退したのは精々3メートル程度。
そこからはジュブル・ボナザスがどれだけ力を籠めようとも、まるで地中に根を張っているかのようにエルビラの身体はビクともせず、二本の角を掴まれている所為で、振り払うことも叶わなかった。
悪魔化しても尚細いままの女の手によって、ジュブル・ボナザスの動きは完全に封じられていた。
「物理法則ガン無視かよ……!」
何処まで化け物なんだと吐き捨てる俺の元に「マスミさん!」とジェイム=ラーフが駆け寄ってきた。
その声には隠し様のない焦燥感が含まれていた。
「ご自慢の牛さんでも駄目みたいだな」
「残念ながらそのようです。見ての通りジュブル・ボナザスの最大の武器は、その巨体と重量を活かした突進ですが、それすらも防がれてしまった以上、最早勝ち目は無いでしょう」
「随分あっさり認めるんだな」
「悔しいですが、事実ですので。とはいえ単純な戦闘能力ならマスミさん達が戦ったフェルデランスやネフィラ・クラバタよりも上です。少しは持ち堪えてくれるでしょう。その間に―――」
逃げましょうと言って、ジェイム=ラーフは懐から新たな魔述巻物を取り出した。
態々広げなくとも、そこに記されている魔術が逃走用の〈転移〉であることは容易に想像出来た。
成程。確かに〈転移〉で一気に離れた場所まで移動出来れば、あの化物から逃げられるかもしれない。
だが……。
「ジュブル・ボナザスはいいのか?」
「私だって捨て駒にするような真似は本意ではありませんけど、誰かがエルビラを抑えなければ全滅確定です。我々ではまともに相手をすることも出来ないのですから、ジュブル・ボナザスに託す他ありません」
「お前の魔述巻物で全員を逃がせるのか?」
「……アウィルが持っている分を使っても全員は無理でしょうね。マスミさん達を逃がすのが精一杯だと思います」
「そんな……!」
残された者達はどうなるんだと感情的になり掛けた時、獣の悲痛な鳴き声が響いた。
見れば二本ある角の片方を半ばからへし折られたジュブル・ボナザスが脚を引き摺るようにして、後ろに下がっていた。
引き摺っている左の前肢には、折られた角が深々と突き刺さっており、流れ落ちた血液が水溜まりのように地面の上に広がっていた。
おそらく組み合っている最中、エルビラが力任せに角をへし折り、そのままジュブル・ボナザスの前肢に突き刺したのだろう。
あの脚では、もうまともな戦闘は期待出来ない。
今まさに角を刺した張本人は、「逃げる算段はつきましたの?」とこちらを振り向いてきた。
「バレてら」
「まさかジュブル・ボナザスがこうも簡単に……!」
頼みの綱であるジュブル・ボナザスが足止めにもならず、本格的に敗戦が濃厚になってきた。
「くっ、舐めるなよ!」
「まだ終わりじゃありません!」
ミシェルとローリエが飛び出そうしたその時、先んじて前に出たアーリィが「ボクが行くよ」と両手を広げ、二人を止めた。
「アーリィ……勝算はあるのか?」
「無いね。仮にボクが十人居たとしてもあいつには勝てない。けどまぁ、マスミ達が逃げる時間くらいは稼いでみせるよ」
気負った様子もなく言ってのけるアーリィ。
俺達を逃がすために自ら死地に赴こうとする彼女を止めることが出来なかった。
分かっている。
今のエルビラを相手に時間稼ぎが出来るとすれば、アーリィを置いて他に居ないことなど。
だからって彼女一人を残して逃げるだなんて……!
「万が一にも有り得ないとは思うけど、もし生き残れたらお酒奢ってね?」
「……ああ、好きなだけ呑ませてやるよ」
「わぁお、太っ腹」
この程度のことしか言えない無力な自分が情けなかった。
そんな俺達を見て何を思ったのか、「その勇気、称賛に値しますわ」とエルビラが笑みを深めた。
「うっさい。あんたに褒められたって嬉しくないよ」
「まあ、嘘偽りのない気持ちですのに」
「言ってなよ。精々ボクの悪足掻きに付き合ってもらうから」
そう言って、僅かに身を沈めたアーリィが地面を蹴って駆け出そうとした瞬間―――。
「その必要はありません」
―――涼やかな美声が彼女の足を止めた。
慌てて声の聞こえてきた方を振り向けば、この場に居てはならない人物の姿があった。
「おまっ……何戻って来てんだよ!?」
一足先に宮殿へ向かった筈のエリオルム王子がロアナを伴って戦場に戻って来たのだ。
他の面子もギョッとしている。
泰然とした態度と足取りは結構なことだが、俺からすれば状況の見えていない馬鹿がやって来たとしか思えなかった。
案の定、気が気じゃなくなったゼル爺やフレットなどは、「殿下ッ、なりません!」「お逃げ下さい!」と泡を食っていた。
そんな侍従達の心情を知ってか知らずか、歩みを止めずに戻って来てしまう王子とメイド。
嗚呼、終わった…。
「こちらから出向くつもりでしたのに、御自ら足を運んでいただけるなんて……」
わたくし感激ですわと今の状況を唯一歓迎しているエルビラが心底から嬉しそうに微笑んだ。
何の皮肉だこの野郎と言い返す気力も湧いてこない。
エリオルム王子は悪魔化によって姿の変わったエルビラを見ても、特に驚くことも恐れを抱いた様子も無く、「お気になさらず」と返した。
「誰であれ、おもてなしを疎かには出来ませんから」
……おかしい。
ロアナにケツを叩いてもらわなければ立ち上がれなかった筈のヘタレが、エルビラのプレッシャーを物ともせずに何故こうも堂々と対話が出来ているのか。
宮殿の中でいったい何があったんだ?
「殿下自らのおもてなしだなんて、畏れ多いことですわ」
「遠慮しないで下さい。但し……貴方は招かれざるお客様ですので、それに見合ったおもてなしとなりますが」
瞳に冷厳な光を宿したエリオルム王子が「我が王威を示す」と厳かに告げた後、彼の頭上に色鮮やかな極光の印―――光り輝く紋章が出現した。
人間大サイズの巨大な盾を思わせる紋章。
その出現と呼応するように存在感と覇気の増したエリオルム王子が口を開いた。
「跪きなさい」
直後、まるで押し潰されたかのようにエルビラの身体が地面に倒れた。
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次回更新は11/28(月)頃を予定しております。




