第12話 彼は朝からマイペース
前回のお話……(ロ ゜Д゜)やべぇ寝過ぎた
椅子に腰掛け、よく冷えた果実水を味わいながら一息吐く。
「はぁーっ、スッキリさっぱり」
みんな、朝風呂は良いぞぉ。
はいどうも、念願の入浴が叶って身も心もスッキリさっぱりした深見真澄でございます。
髪を洗いました。身体も洗いました。髭も剃りました。お肌もツルツルになりました。嘘です。ちょっと盛りました。
でも風呂に入ってきたのは事実です。
俺は朝早くから既に仕事をされていた女将さんを捕まえ、公衆浴場について訊ねたのだ。
「朝風呂ってやってますかね?」
「やってるよ?」
懸念はあっさり解消された。
テンションの上がった俺は場所を教えてもらうと直ぐ様宿を飛び出し、浴場まで全力疾走したのだ。
途中、何人かの街の住民に変な目を向けられたが、そんなものは全く気にならない。気にしてなどいられなかった。
だってお風呂が俺を待っているから。
浴場に到着した俺は躊躇うことなく中に入り、番台のような所に座っていた受付のおばちゃんに料金―――大銅貨二枚―――を支払って利用する際の注意事項などを確認した。
注意事項といっても何も難しいことはない。
当たり前だが他の客に迷惑を掛けないこと。
荷物はロッカーに入れて自己管理をすること。
以上の二点だけ。
むしろ木製とはいえ、ちゃんと鍵の掛かるロッカーが設置されていたことに驚いた。
棚と脱衣籠くらいしか置いていないだろうなと勝手に想像していたもので……。
営業時間について確認したところ、基本的には毎日営業。
明確な営業時間が定められている訳ではなく、大体は朝の時間帯と夕方から深夜に掛けての二部制で営業しているらしい。
俺の感覚としては前半が早朝五時前から午前十時頃まで、後半が午後五時から日付が変わる頃までといったところかな。
「なんで早朝にもやってるんですか? いや、俺としては助かるんですけどね」
「そりゃあんた、夜の勤めを終えてきた連中は今の時間じゃないと入れないからさねぇ」
「ほほぅ?」
夜の勤めとな?
「それはアレですかな? 所謂ムフフなことをする感じのお仕事ですかな?」
「さぁて、どうだろうねぇ」
ヒッヒッヒッとなんともイヤらしい笑いを漏らすおばちゃん。
早朝から営業している理由なんて、早朝に利用したい客がいるからに決まってるわな。
実際、俺が今こうしておばちゃんと会話している間も夜の蝶と思しきお姉さん達が何人も女湯を出入りしていた。
恰好こそ普通の街娘っぽいが、醸し出される色香は全く誤魔化せていない。お勤めご苦労様です。
「あんたも興味あるのかい?」
「そりゃ俺も男なんで、無いと言ったら嘘になりますな」
「ヒッヒッヒッ、なんなら今夜はアタシが相手をしてあげようかい?」
「ハッハッハッ、心の底から御免蒙る」
冗談でも勘弁してくれババア。
そんなおばちゃんとの心温まるやり取りを終え、男湯の扉を潜った俺は早々に脱衣し、タオルと石鹸―――おばちゃんに半ば強制的に買わされた―――片手に浴場へと足を踏み入れた。
浴場内は思った以上に広々としていた。
銭湯等と同じように浴槽部分と洗い場に別れた構造となっている。シンプルで大変よろしい。
お湯の張られた大きな浴槽が二箇所とそれより一回り以上小さな水風呂が一箇所。
洗い場には固定されたシャワーが複数設置されており、弁の開閉でお湯を出す仕組みとなっている。
仕切りの設けられていないシャワーブースといったところか。
日本の銭湯や健康ランド並の設備など望める筈もないが、今の俺にはこれだけでも充分過ぎる程だった。
軽い感動すら覚えた。
早朝の男湯の利用客が少なかったのも尚良し。
「野郎の裸なんざ見ても何の得にもならんからな」
「あたしゃ得するよ」
黙れババア。覗くんじゃねぇ。
そこからはもう久し振りの入浴を心行くまで堪能させてもらった。
まずは洗い場でここ数日の汚れを落としまくる。
活躍したのは、おばちゃんから半強制的に買わされた乳白色の謎石鹸。
微かにミルクのような甘い香りがするこちらの石鹸だが、なんとこれ一つで洗髪・洗顔・洗体・洗濯の全てが可能という超優れ物。
泡立ちが良いのでシェービングクリームの代わりにもなる。
普通は用途に応じて洗髪剤や洗顔料やらと使い分けなければ、頭髪や皮膚にダメージを与えてしまうものだが、そこは流石の異世界のトンデモ商品。
いったいどのような製法を用いれば、こんな万能石鹸が出来上がるのか皆目見当もつかない。
原材料何かしら?
一個につき、お値段は驚きの大銅貨十枚。
入浴料の五倍の値段だ。結構高い。
便利なのだが、その金額の高さから購入する庶民は少ないとか。
嵌めやがったなババア。でも便利なのは事実なので、もう何個か纏めて購入しておく。
頭から爪先まで全身を洗い終えた俺は待望の風呂―――お湯が並々と張られた浴槽に殊更ゆっくりと浸かっていく。
意識しないと今にも飛び込んでしまいそうだからだ。
肩までお湯に浸かり、浴槽の床に腰を下ろした段階で……。
「っぁぁぁぁぁ……」
自然とこんな声が漏れた。
血流の巡りが良くなり、全身のコリが解されていくようだった。たまらんばい。
あとは朝の営業時間終了ギリギリまで浸からせてもらった。
全身の皮膚がふやけ切ってしまうのではないかと心配になる程浸かってやったともさ。
そして朝風呂を終えて宿へと戻って来た俺は、冷たい果実水と共に女将さんが用意してくれた朝食を一人いただいているという訳である。
本日の朝食メニューは野菜たっぷりのシチーと黒パン。
念のためにもう一度言うが、シチューではなくシチーだ。
シチューは皆さんご存知の通り、肉や野菜や魚介類などを出汁やソースで煮込んで作った煮込み料理の総称。
シチーはキャベツをベースとした野菜スープで、ロシア料理の一種でもある。
肉を入れることもあるけど、基本は生のキャベツを中心に複数の野菜を入れて作る。
昨夜いただいたザワークラウトを入れて作る場合もあるらしい。
実際、今目の前にあるシチーの具にも使われているようだ。
「他の具材はっと……」
キャベツ改め生のキャベジとザワークラウトを除けば、トマト、ニンジン、ジャガイモ、タマネギ、ほうれん草っぽい葉野菜、細かく刻んだ干し肉、他にも名称不明な野菜が幾つか入っている。
上に散らされているのはパセリだろうか?
スプーンで掬い、一口啜ってみる。
「これも美味いなぁ」
柔らかくなるまで煮込まれた何種類もの野菜。
そこから得られた旨味と栄養たっぷりの出汁。
炒めることで引き出された野菜独特の甘味。
ザワークラウトの酸味と干し肉に使われている塩気。
バラバラなようでいて、しっかり調和の取れた濃厚な味わい。
クドさは全く感じられず、後味そのものは非常にあっさりとしている。
それ故すぐに次を欲してしまう。手が止まらない。
女将さんはスープ作りが得意なのかね?
それとも野菜を使った料理が得意なのかね?
「昨夜の野菜スープも絶品だったけど、こりゃまた格別だなぁ」
あっという間に皿の中が空になってしまった。満足である。
これだけ美味い食事を味わえるのだから、ミシェル達が水鳥亭を常宿として利用する気持ちも分かろうというもの。
美人で料理上手だなんて、女将さん超優良物件などと食後の果実水を飲みながら、実に失礼なことを考えてしまった。
余談だが、今飲んでいるこの果実水は朝食のメニューではなく俺が自分で用意したものだ。
というかまたしても浴場のおばちゃんに買わされたものだ。
あのおばちゃん、風呂上がりの俺に突然……。
「なんか冷たいもんでも飲むかい?」
なんて言ってきたのだ。
その際に出されたのが、この果実水。
気が利くではないかとその時は思い、特に躊躇すること口にしたのだが……。
「はい、銅貨二枚ね」
「ふざけんなよババア」
凄まじくイラッとした。大人って汚い。
ムカついたのでお代わりを要求し、お土産用にと追加で数杯分購入して自前の水筒に入れて持ち帰ってきた。
ババアはホクホク顔だった。チクショウ。
よく冷えた果実水は―――果物の搾り汁を水で割り、なんらかのシロップを加えたもの―――果物特有のすっきりとした清涼感のある甘味が感じられ、中々に美味かった。
柑橘系の風味を感じるのだが、いったい何の果物を使っているのだろう。
あっ、そうだ。
「女将さん、よかったらこれ使って下さい」
女将さんを呼び止め、麻製の巾着みたいな袋を手渡す。
中身は公衆浴場で買った万能石鹸だ。
「どうかしたのかい?」
「お裾分けです。朝風呂行った時に便利な石鹸が売ってたんで」
「石鹸?」
袋の口を開け、中を見た女将さんの表情が固まる。
どうかしました?
「こ、これって〈ダヴナの乳石鹸〉じゃないの」
「あ、それが名前なんですね」
勝手に万能石鹸って呼んでた。
「これ高かったでしょ? 幾らなんでも悪いよ」
「いえいえ、朝風呂のことを教えてもらって助かりましたし、昨夜は迷惑も掛けちゃったんで」
主に迷惑を掛けたのは、俺ではなく女性陣だが。
「でもねぇ……」
「まぁまぁ、俺が今後も気持ち良く水鳥亭を利用するためなんで。人助けだと思って受け取って下さいな」
ちなみに俺が公衆浴場で支払った総額は大銅貨六十四枚になる。プライスレス。
「……意外と口が上手いねぇ、あんた」
苦笑を浮かべながらも、女将さんは俺が渡した袋の口を閉じた。
「そこまで言うなら遠慮なくいただくとするよ。ありがとね、娘達も喜ぶよ」
勿論あたしもねという台詞と共にウインクをした女将さんは、空いた皿を手早く片付けるとカウンターの奥へと引っ込んで行った。
アダルティなのに何処か可愛らしい仕草。
小娘にはない色気がある。
関係ないが、女将さんはメリハリのある素敵なボディーラインの持ち主だ。
微かな名残惜しさを感じつつ、果実水を一口呷り、ニヒルな―――自分ではそのつもり―――笑みを浮かべて一言。
「良い宿だ」
「何を一人でブツブツと言っているのだ」
名残惜しさに浸っている俺に水を差すのは誰だと思ったらミシェルだった。
ようやく起きてきたのか。
現在の時刻は午前十時四十五分也。
「おはよう。ようやく起きたか」
「おはよう。何故部屋の中に居ない。折角起こしに行ったのに無駄足になったではないか」
「知らんがな」
逆によくまだ寝てると思ったな。
「ローリエは?」
「まだ寝ている。マスミよ、お前に一言……ってなんだか小綺麗になっていないか?」
まるで今までの俺が小汚なかったかのような発言は控えていただきたい。
ここ数日は満足に身なりを整えられる状況ではなかったのだから。
「朝風呂に入ってきただけだよ」
「朝風呂? 公衆浴場に行ってきたのか?」
「女将さんに場所を教えてもらってね。そして今は食後の果実水を楽しんでいる」
「……何故起こさない」
「ノックはしたし、声も掛けたぞ? 起きてこないお前さんらが悪い」
そう。公衆浴場から戻ってきた後、俺は爆睡中のミシェル達を起こそうとしたのだ。
何度も扉をノックして呼び掛けたにも関わらず、二人からは何の反応も返ってこなかった。
無断で女性の寝室に入る訳にもいかないし、そもそも鍵も掛かっている。
それ以上はどうすることも出来なかったので、俺は一階に降りて大人しく待つことにしたのだ。
「ずっと待ってた俺に気を利かせて、女将さんが朝食を用意してくれたんだよ。そんな俺に対して何か言うことはないのかね?」
「ごめんなさい」
「分かればよろしい」
今後、深酒には気を付けたまえよ。
コップをもう一つ用意してもらい、果実水を注いでやる。
「まあ飲みんしゃい。ローリエはまだまだ起きそうにないの?」
「声を掛けても揺すっても全然起きなくてな。流石に諦めたよ。これ美味しいな。よく冷えてるし」
「朝風呂ついでに買ってきた」
果実水の甘さと冷たさに驚くミシェル。
メイドインジャパンの水筒は保温・保冷共に文句無しの性能である。
「こんな時間だし、取り敢えずミシェルもメシ食っちまったらどうだ? ローリエ待ってたら食いっぱぐれちまうぞ?」
「そうしよう。女将、私にも食事をいただけるだろうか」
「女将さん、俺にも追加で軽くつまむものいただけます?」
あいよという返事で応じてくれる女将さん。
ミシェルは俺が先程いただいたのと同じメニューを、俺は昨夜の食事にも出された煎られた木の実の盛り合わせをつまみながら、ローリエが起きてくるのを待つことにした。
「おはようございます寝坊しましたごめんなさいィィ!!」
そんなローリエが凄まじい勢いで階段を駆け降りて来たのは、ミシェルが食事を終えてしばらく経ってからだった。
埃が立つから止めなさい
現在の時刻は午前十一時五十六分也。
「おはよう。もう昼だがな」
「おはよう。まぁ飲みんしゃい」
ローリエを席に着かせ、新しいコップに果実水を注いで差し出す。
「あ、ありがとうございます。あ、冷たくて美味しい」
メイドインジャパン以下略。
「あの、マスミさん? 昨夜はご迷惑をお掛けしてすみません。と言っても、わたしよく覚えてないんですけど、何かやらかしたりとかは……」
「むっ、それは私も気になっていたところだ。昨夜は深酒をしてしまったからな」
「大丈夫。何の問題もなかった。二人とも酔ってそのまま寝ちゃっただけだから気にしなさんな」
昨夜の痴態を二人に伝えてしまうのは流石に気が引けたので、事前に女将さん達にも口止めをしておいた。
あとは俺が胸の内に留めておけば済む話。
「むしろ俺の方こそありがとう」
「なんのことですか?」
―――あの幸せな感触は俺だけが知っていればいい。
そう心に決めた俺は、果実水が注がれたコップを静かに傾けた……空だ。
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本当にありがとうございますm(_ _)m
まだまだ頑張れそうです(笑)




