第16話 変貌 ~かつて西村竹人と呼ばれた者~
前回のお話……西村竹人暴走
(王子 ゜Д゜)勇者違う
(西村 ゜Д゜)ムギャー
人が発するものとは思えないような絶叫を上げる西村竹人の全身から漆黒の魔力が噴き出した。
異変はそれだけでは終わらず、西村竹人の身体が突如として巨大化し始めたのだ。
『ォォ、オボゥアアアアアアアア』
蠕動するように全身の筋肉が蠢きながら肥大し、手足までもが急速に伸びていく。
内側からの圧力に耐え切れなくなった衣服がビリビリと破けていくも、膨張の如き現象は止まらない。
身長170センチにも満たない小柄で弱々しかった体躯はあっという間に2メートルを越え、巨大化が収まった時には身長3メートルに届かんばかりの筋骨粒々な巨体と化していた。
更には巨大化している間も噴き出し続けていた魔力が、まるで生き物のように全身の至るところへ絡み付き、ズブズブと沈み込んでいく。
生白かった肌は魔力と同化した先から黒く染まり、何処か金属的な光沢や質感を思わせるものへと変化した。
頭髪は全て抜け落ち、目は瞳孔も虹彩も関係なく、血を直接塗りたくったかのような赤一色に。
剥き出しの陰部は埋もれるように股間の中へと収納されて見えなくなり、反対に臀部からは先端の尖った尻尾が飛び出した。
人間の身体など容易に引き裂いてしまうだろう太く鋭い鉤爪。口元から覗く肉食獣の如き牙。
最後に額がパックリと縦に裂け、裂け目の中から金色の瞳を有する眼球のようなモノが現れた。
『ゥォ、ァォォ……ォォォオオアアア゛アアアア』
まるで合成された音声のような鳴き声を上げる怪物―――西村竹人と呼ばれた少年の成れの果て。
変わり果てた今の姿に、人間らしい面影は残されていなかった。
「意識が残ってんのかどうかも疑わしいけどな」
思わず漏れてしまった軽口に応じてくれる声はなかったが、胸元でニースが『……悪魔』と呟く声が微かに聞こえた。
悪魔。成程、確かに目の前に聳える怪物の姿は、悪魔と呼んで差し支えないものだろう。
これで蝙蝠のような翼でも生えていれば、完璧にファンタジーの定番悪魔だな。だからどうしたという話だが……。
物理的な重圧すらも感じてしまいそうな程に重苦しい緊張感の中、誰かがゴクリッと唾を飲み下す音が異常に大きく響いた。
『ァァァァァ……』
真っ赤に染まり切った目で俺達を見下ろす無翼の悪魔。
殊更ゆっくりと首を巡らせながら眺めてくるその様は、この場に居合わせた者達を数えているようにも見えた。
そうして端から端まで眺め終えた後、悪魔は―――。
『ァァァアアッア゛アアアアアア゛ア―――!!』
―――天に向かって吼えた。
同時にそれが開戦の合図となった。
「フレット! ロアナ! 殿下をお守りするのだ!」
悪魔が右腕を頭上に掲げた瞬間、それまでエリオルム王子を庇うように立っていたゼル爺が前に出た。
入れ替わるように、何処に控えていたのか密偵メイド―――ロアナが現れ、フレットと一緒に王子を避難させようとした。
ゼル爺は最初から誰が標的にされるかを読んでいたのだろう。
力強い踏み込みと同時に鞘走った剣が、王子目掛けて振り下ろされた悪魔の怪腕―――大鎌の如き鉤爪を備えた五指を迎え撃つ。
「ぬぁぁあああッ!」
『ィアアア゛ア゛アアッ!』
ゼル爺の剣と悪魔の鉤爪が正面からぶつかる。
金属同士を思いっ切り叩き付けたような硬質な激突音が響き渡り、両者の間で火花が散った。
鉤爪よりも遥かに強度で劣りそうなゼル爺の剣であったが、折れるどころか罅一つ入ることなく、悪魔の一撃を見事受け切ってみせた。
だが悪魔はそれがどうしたと言わんばかりに右腕一本でゼル爺を押し込み始めた。
巨体と怪力に物を言わせた力任せの戦法だが、鍔迫り合い染みた今の状況では下手に受け流す―――エリオルム王子に危険が及ぶ―――ことも出来ず、ゼル爺は鉤爪を受け止めた体勢のまま、徐々に後ろへと下がっていった。
「ぬぅぅぅ……かぁッ!」
自らに喝を入れるためか、あるいは眼前の悪魔を恐れさせんがためか。
獅子吼が如き一声と共にゼル爺の身体から魔力の光が迸る。
強化された身体能力を以ってしても、悪魔の腕を押し返すことは叶わなかったものの、それ以上後退することはなくなった。
剣と鉤爪が鬩ぎ合い、互いの力が拮抗する。
攻め切れないことに業を煮やしたのか、悪魔は苛立たしげな唸り声と共に今度は左腕を振り被り、もう一方の鉤爪を動けないゼル爺に喰らわせようとした。
右腕を受け止めるだけで手一杯のゼル爺に防御する術はなく、このままでは無防備に引き裂かれるのを待つばかりだったが、「させません!」と両者の間に割り込んだローリエがこれ阻んだ。
彼女が悪魔の掌へ体当たりをするように攻撃を受け止めたことで、鉤爪がゼル爺の身体に届くことはなかった。
否。それどころか……。
「ぅぅぅぁああああああッ!」
ローリエは悪魔の腕を押し返し始めた。
身体強化を施したゼル爺ですら出来なかったことを彼女はやって見せたのだ。
悪魔は焦ったように更なる力を籠めてローリエを押し潰さんとするも、彼女が力負けをすることはなかった。
〈獣化〉によって変化した四肢―――獣脚の爪が深く地面に食い込み、二本の獣腕が悪魔の腕を完全に封殺する。
ゼル爺とローリエによって動きを止められた悪魔の横合いからミシェルが斬り掛かった。
「はぁぁぁあッ!」
身体強化の光を残像のように引き連れたミシェルが地面を蹴って跳躍し、ローリエが抑えている左腕を両断せんと〈ロッソ・フラメール〉を振り下ろすも、ほんの数センチばかり食い込んだところで刃は停止してしまった。
悪魔の腕を傷付けることには成功したものの、両断には程遠く、それ以上深く斬ることは出来なかった。
予想外の手応え―――肉体の強度に驚きつつも、ミシェルは〈ロッソ・フラメール〉を素早く引き抜き、悪魔の腕を蹴って後ろに跳んだ。
傷は浅くとも多少の痛痒は感じたようで、悪魔の方も両腕を抑えているローリエとゼル爺を無理矢理振り払った後、巨体に似合わぬ身軽さで距離を取った。
「これならどうだ!」
「え~い」
距離を取った悪魔に対して俺とエイルがそれぞれ牽制の銃弾と矢を放つも、悪魔は煩わしそうにしているだけで、全くダメージを受けた様子はなかった。
この間にミシェルとローリエ、そしてゼル爺がこちらまで下がってくる。
「一応、礼を言っておこう」
「いらねぇよ」
弾丸の再装填を行いながら、ゼル爺に素っ気なく返す。
分かっちゃいたけど、やっぱり全然効かなかったな。
「すまん。腕の一本でも落とせていれば……」
「わたしも抑え切ることが出来ませんでした」
「いや、仕方ないさ。まさかミシェルの剣でも斬れないくらい硬いとはな」
「硬いと言うより重いと言った方が正しいやもしれん。急に刃が進まなくなってしまったのだ」
「〈魔力付与〉でも厳しそう?」
「斬れる……とは思う。だが一撃で落とすのは難しいかもしれん」
「マジかい」
黒鉻蜘蛛の外殻や巨大な蛇の魔物―――フェルデランスの蛇体すらも難無く斬り裂いてきた〈ロッソ・フラメール〉の灼熱の刃。
それを以ってしても一撃で断ち斬ることは難しいとミシェルは言う。
つまりあの悪魔の肉体は、素でフェルデランスを上回る程の防御力を有していることになる。
それだけでも厄介だというのに……。
「傷……治ってるよな?」
「治ってるな」
「治ってますね」
「治ってる~」
「法術は使っておりませんよ?」
んなこたぁ分かっとるユフィーにツッコミを入れつつ、未だ動く様子を見せない悪魔を注視する。
ミシェルによって付けられた左腕の傷。
その傷口が既に塞がりつつあるのだ。
如何なる原理によるものか、どうやらこの悪魔は再生能力まで有しているらしい。
「多少の傷程度じゃ、立ち所に再生されて終わりか」
「鎧とかじゃないからぁ、〈爆裂式魔鋳矢〉もぉ、効果ないかも~?」
「どの程度まで再生可能なのかが気になるところですけど、何れにしても長期戦はこちらが不利ですね」
「だな。あいつが耐えられない程の強烈な一撃か、あるいは再生が追い付かない程の連続攻撃……クソッ、本当に厄介だな」
打開策が思い浮かばず、悪態を漏らす俺にこれまで黙っていたジェイム=ラーフが「マスミさん」と傍に寄ってきた。
いつも何処か余裕を感じさせていたこの男にしては珍しい緊張を孕んだ声に幾分驚きつつも、視線は悪魔から逸らさないままに「なんだ?」と返した。
「私とアウィルであの化け物の動きを止めます。その隙に皆さんはありったけの攻撃を叩き込んで下さい」
「……どういうつもりだ?」
「他意はありませんよ。アレを野放しにして、これ以上力を付けられても面倒なので、この場で片付けておきたいだけです」
「お前、アレが何なのかを知ってるのか?」
「まあ、今回の目的みたいなものですからねぇ。それで、どうされます?」
フード越しにジェイム=ラーフの視線を感じる。
奴らがテッサルタ王国を訪れた目的と西村竹人が変貌した悪魔にどのような関係があるというのか。
今すぐにでも問い質してやりたいところだが、それも目の前の驚異を退けてからだ。
「あとで説明してもらうからな」
「構いませんよ。元々そのつもりでしたし。という訳でやりますよ、アウィル」
「本気かよ? さっきも使ったばっかりなんだぞ。ただでさえ〈転移〉の魔述巻物は貴重だってのに……」
「どの道、使わなければこの場を切り抜けられませんよ。勿体無いからって使うのを躊躇った結果、死ぬのは貴方も嫌でしょう?」
「チッ、分かったよ」
二人の宣教官が懐から丸められた魔述巻物を取り出し、同時にぱらりと広げれば、そこに刻まれた魔方陣が明滅を始める。
今度はどんな魔物を喚び出すつもりなのやら。
「みんな聞いての通りだ。化け物を抑えるのはあいつらに任せて、俺達は攻撃に―――」
専念するぞと言い掛けた時、これまで動く様子を見せなかった悪魔がおもむろに右腕を空に伸ばし、『ィィィィ……■■◆◆■■■◆▲▲■』という謎の言語を発した。
言葉の意味は全く理解出来なかったものの、何処か魔術の詠唱にも似たその響きに俺の中の何かが警鐘を鳴らした。
そしてその鐘の音は正しかったのだと、すぐに思い知らされた。
「―――!?」
悪魔の身体から噴き出す黒い光―――西村竹人を人ならざる姿へと変貌させた漆黒の魔力が悪魔の右手に集まり、同色の魔法陣を形成したのだ。
魔法陣の中からほぅと生み出される小さな火の玉。
吹けば簡単に消えてしまいそうな程に弱々しく、それでいて鬼火の如き妖しさを秘めた火の玉は、魔法陣から魔力を吸い上げながら急速に成長していくのだった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は10/25(月)頃を予定しております。




