第四40話 犬熊決着 ~魔爪~
前回のお話……ローリエ対ブルアン第2ラウンド
(ロ ゜Д゜)行くぞコラァ!
(ブ ゜Д゜)掛かってこいやコラァ!
―――side:ローリエ―――
五指の先に備わった太く鋭い獣の爪。
魔力の輝きを帯びたその爪が振るわれる度、中空には妖しき残光が線引かれ……血飛沫が舞う。
「ハァァアアアアッ!」
「ぬぉあッ!?」
ブルアンが咄嗟に左腕を掲げ、顔面に迫る攻撃を防ごうとしますが、今のわたしにそんな防御は意味を成しません。
光を纏った爪は、熊の如き獣腕の毛皮を容易く抉り、肉を削ぎ落す。
新たに刻まれた五条の爪痕からも真っ赤な血が噴き出し、ブルアンの体毛を更に色濃く染め上げていく。
自身の血に濡れた顔を怒りで歪め、ブルアンは「クソがぁ!」と無事な右腕を遮二無二振り回してきますが、そんな力任せの攻撃になんて当たりはしません。
回避と同時に今度は左の爪で彼の右太腿を裂き、地面を蹴って後退します。
ブルアンが追撃してくることはなく、荒い呼吸を繰り返しながら、離れた場所に立つわたしを睨んできました。
「このクソアマがぁ、ちょこまかと逃げ回りやがってぇ……!」
「すばしっこいのがわたしの長所ですから」
皮肉も込めてそのように返せば、ブルアンは苛立たしげに唸り声を上げ始めました。
先の左腕と右太腿以外にも右の肩と脇腹、左の上腕にも彼は手傷を負っています。
全てわたしの爪で引き裂いたものです。
本人の言を信じるのであれば〈獣化〉したブルアンの肉体は鉄の刃すら通さない。
無論、わたしの爪は下手な剣よりも鋭利で丈夫なのですが、それだけではこうも簡単に彼の肉体を傷付けることは出来なかったでしょう。
わたしは再び見せ付けるように右手を掲げ……。
「確かに貴方の身体は驚く程頑強ですが、決して完璧ではありません。現にわたしの爪は貴方の肉体をこうして何度も傷付けていますからね」
「その爪、どう見ても普通じゃねぇだろ。どんなイカサマを……ッ」
「イカサマとは失礼ですね。弛まぬ努力の成果です」
魔力を帯び、淡い輝きを見せる獣爪。
これこそがネーテを出立する前、わたしが鍛錬によって身に付けた新たな力。
マスミさんが習得された魔力による肉体の部分強化と魔力付与の応用技術。
自らの肉体の一部―――獣爪―――を武器に見立てて魔力を流し込み、強化を図ることは可能か否か。
その試みは結果的に成功しました。
勿論、簡単に習得とはいかず、幾度も失敗を繰り返しました。
流し込む魔力の量を誤り、爪が割れてしまったのも一度や二度ではありません。
その度にユフィ―さんの法術で治療はしてもらいましたけど、物凄く痛かったです。
泣きました。それはもう泣きました。
そして流した涙以上の成果をこうして手に入れたのです。
「一先ず〈魔爪〉とでも呼んでおきましょうか」
魔力によって強化された獣爪―――〈魔爪〉は通常時を大きく上回る強度と斬れ味を発揮してくれます。
試したことはありませんけど、おそらくミシェルの〈ロッソ・フラメール〉にも匹敵する筈。
ブルアンの肉体を引き裂く程度どうということもありません。
「どうします? まだやりますか?」
「テメェ……この程度で勝ったつもりか!?」
「勝ったつもりはありませんけど、負けるつもりもありません。如何に貴方が人並外れた体力を有していようとも、そのまま血を流し続ければ遠からず動けなくなりますよ」
お薬で血の巡りも良くなってるようですしと付け加えれば、ブルアンは「そこまで知ってやがったか」と更に表情を顰めました。
体力や耐久力に秀でた熊系獣人種だからというだけでは、到底説明がつかないブルアンの打たれ強さ。
その理由が薬……組織の資金源にもなっている違法薬物。
中毒性が強く、服用した者の精神を高揚させて多幸感を齎す。
また血流も早まり、服用者の運動能力を高めてくれる反面、副作用として五感が、特に味覚と痛覚が極端に鈍くなってしまう。
ブルアンはこの薬物を日常的に服用しているため、痛覚が半ば遮断されているのだと闇ギルドのコートニーさんが教えてくれました。
「身体が頑強な上に痛みを認識しないんですから、殴っても蹴っても止まらない訳ですよね」
「……」
「貴方のその異様な戦意。戦闘狂だとばかり思っていましたけど、もしかしたらそれも薬の影響で―――」
「それがどうしたぁ!」
わたしの台詞を遮るように激昂したブルアンが殴り掛かってきました。
技術も何もない、ただ力任せなだけの一撃。
今更そんな攻撃になど当たりはしませんが、それでも威力だけは絶大です。
標的を捉えられなかった獣腕が再び地面を砕きます。
「さっきからゴチャゴチャとうるせぇんだよ! 妙な技を使える程度で随分と調子に乗ってるみたいじゃねぇかよ、あぁ!?」
「その妙な技によって、今まさに追い込まれつつあるのは何処のどなたなんでしょうね?」
「ハッ、それがどうしたよ。くたばる前にテメェに一発当てりゃそれで済む話だろうがよぉ!」
鬼気迫る表情で吠えるブルアンは、傷口から血が噴き出すのも構わず、わたしに攻撃を仕掛けてきました。
我武者羅に振り回される左右の獣腕を回避しつつ、時折反撃の〈魔爪〉を繰り出しては、ブルアンにダメージを蓄積させていきます。
数秒ごとに傷が増え、比例するように出血量も増しているというのにブルアンの猛攻は止まる様子がない。
「―――ッ、死ぬつもりですか!?」
「上等じゃねぇか! オレを本気で殺してぇんだったらよぉ……チマチマやってねぇで思いっ切りこいやぁ!」
自身の血に濡れた顔に凄絶な笑みを浮かべたブルアンは攻撃の手を休めず、やってみろと言わんばかりにわたしを挑発してきます。
既に相当量の血を失っている筈ですが、痛覚がまともに機能していないブルアンは、自分の身体がどれだけ危険な状態にあるのかを認識することが出来ません。
完全に意識を刈り取らなければ、彼を止めることは出来ない。
「……死んでも恨まないで下さいよ!」
わたしも覚悟を決めました。
揃えて伸ばした左手の五指。
その先端の爪に改めて魔力を集中させ、鋭い呼気と共に突き出します。
放たれた貫手はブルアンのお腹の中心を穿ち、抵抗らしい抵抗もないままに彼の身体を貫きました。
肉を傷付ける生々しくも不快な感触。
お腹を貫かれたブルアンが「ガァッ!?」と血の塊を吐き出し、ガクッと膝を落とし掛けましたが、なんとかその場に踏み止まり……震えながら口の端を吊り上げました。
「カハッ、ハハ、ハ……久し振りだぜ、こんなに痛ぇのはよぉ。薬が無けりゃっ、耐えられなかったかもしれねぇ、なぁ……」
「……何が可笑しいんですか?」
「決まってんだろぉ。オレの勝ちだからだよ」
「いったい何を―――」
と言い掛けた途中、ある違和感に気付きました。
左手が動かない。
先程から引き抜こうとしているのですが、どれだけ力を籠めても動くことがない。
まるで何かに固定されているかのよう……まさか!?
「ッッ、こ、これが狙いだったんですね……!」
「ハハハ、一か八かだったがよぉ、上手くいったぜ」
左手が動かない理由は単純。
ブルアンが自らの筋肉……腹筋に力を籠め、わたしの左手を締め付けているから。
わたしの動きを止めるため、彼は敢えて防御の姿勢も取らず、貫手の直撃を喰らったのです。
自らを囮にした命懸けの作戦。
普通に考えれば無謀もいいところですが、彼にはその無謀を成し遂げるだけの肉体と胆力が備わっていた。
だとしても……。
「滅茶苦茶です! 早く治療を施さなければ本当に死にますよ!?」
「それがどうしたっつってんだろうが! オレはなぁ、無様に負けるくらいだったら死んだ方がマシなんだよ! 但し……テメェも道連れだぁ!」
組み合わせた両手を高々と頭上に掲げるブルアン。
ビキビキと無数の血管が浮き上がり、二本の獣腕に残る力の全てが籠められていくのが分かります。
「くたばりやがれぇぇええええッッ!!」
渾身の力を振り絞った最後の一撃。
防御など無意味。直撃すれば原形を留めることは不可能。
人間など容易く叩き潰してしまう暴力の鉄槌がわたしの頭上に迫り―――。
「貴方と心中なんて御免ですよ」
―――鼻先を通過していきました。
二本の獣腕は足元の地面を容赦なく粉砕。
バキバキと音を立てながら放射線状に地割れが広がっていきます。
本当に凄まじい威力です。
直撃すれば大型の魔物ですら一撃で仕留めてしまうやもしれません。
両腕を振り下ろした姿勢のまま、ブルアンが「はっ?」と間の抜けた声を上げます。
何故攻撃が当たらなかったのか。
彼が外した訳ではなく、わたしが自力で躱したのです。
「期待外れで申し訳ありませんね」
そう言って、わたしは先程まで拘束されていた左手をよく見えるように前に出しました。
〈獣化〉を解き、人のものへと戻った左手を。
「流石に改めて筋肉を締め直しているだけの余裕はなかったみたいですね。〈獣化〉を解いたら簡単に引き抜けました」
「んな、馬鹿な……」
状況を理解出来ていないのか、呆然とした表情で膝を突くブルアン。
わたしの声すらも届いた様子はありませんが、構わず続けます。
「今の貴方は怪力に物を言わせて暴れていただけです。どれだけ力が強くとも当たらなければ何の意味もありません。はっきり言っておきますが、数日前に手合わせをした時の方が余程手強かったですよ」
わたしは未だ〈獣化〉したままの右手の〈魔爪〉を解除し、代わりに拳を硬く握り締めました。
「歯を食い縛りなさい。そして猛省しなさい。これまでの自らの行いを」
―――夢の中で!
わたしは呆然としたままのブルアンの顔面に全力の獣拳を、今度こそ決着の一撃を叩き込みました。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は5/15(土)頃を予定しております。




