第3話 ウサ公
前回のお話……(静 ゜Д゜)バキューン
「マスミ、そんなに怒るな」
「機嫌直して下さいよ、マスミさん」
「べっつにー、怒ってませんけどー」
水に濡れた身体をタオルで拭きながら、ぶっきら棒な返事をする。
髪の毛先から滴ってきた水滴がポタリと地面に落ちた。
川辺に転がっていた石を積んで組み上げた簡易的な竈。
そこで焚かれた火の熱がじんわりと伝わり、冷えた身体を温めてくれる。ぬくい。
何故、俺は全身びしょ濡れになっているのか。
これにはちゃんとした理由がある。
エアライフルによる射撃後、仕留めた逃走兎を確保するために俺は川を渡った。
橋なんて無いから自力で渡ってやったとも。
濡れてもいいように服を脱ぎ、パンツ一丁で臨んだ。
ちなみに俺はトランクス派だ。
流石に都合良く水着までは用意していない。
躊躇なく諸肌を晒す俺を見て……。
「ばっ、馬鹿者! おっ、おぉぉおお乙女の前でッ、そんな突然……脱ぎ出す奴があるか!」
ミシェルが顔を真っ赤にしながら怒鳴ってきた。
ちょっと意外だなぁとは思ったものの、ちゃんと十代の乙女らしい一面があって何よりである。
面白がってポーズを決めただけで石を投げられるとは思わなかったけど……。
「あらら」
逆にローリエの方はケロッとしていた。
別に俺だって好きで脱いだ訳ではない。
単に服を濡らしたくなかっただけだ。
露出趣味の持ち合わせなど俺にはない。
脱いだ服も畳んで準備が出来たので、仕留めた獲物の確保へと向かう。
どりゃあと無駄に気合を入れながら川の中へ―――入る前に胸元を水で濡らしておくのも忘れない―――足を踏み入れる。
少し冷たいが、流れは穏やかなので足を取られるような心配はなさそうだ。
深さは膝上くらい。
思っていたよりは深いものの、この程度なら大丈夫だろう。
そんな感じでえっちらおっちらと川の中を進んで行った。
途中までは何の問題もなかったのだ。
対岸まで残り5メートル。頑張れ俺。
このまま一気に川を渡り切ってしまおうと大股で進んでいたその時……。
―――ズボッ。
「のおおぉ!?」
突如として身体が沈んだ。
あとになって知ったのだが、どうもこの川は所々に落とし穴のような深い箇所があるらしい。
注意深く水面を覗き込みながら歩いていれば気付けたのかもしれないけど、生憎そこまで気を回していなかった
「うおおッ!? めっちゃ深ぇ!」
結果、何も知らなかった俺はその落とし穴―――というより深み?―――に嵌まってしまった訳だが、これがマジで深かったのだ。
爪先が底まで届かん。
「痛ッ、何か引っ掛かった!?」
別に俺はカナヅチではない。
人並みに泳ぐくらいは出来るのだが、予想だにしなかった事態に直面した所為で完全に気が動転していたのだ。
普段であれば簡単に抜け出せただろうに、我ながら実に情けない。
言い訳が許されるのなら、こんな落とし穴紛いのものが川の中にあるだなんて誰が想像出来よう。
知っていれば、もっと注意深く歩いていたのに。
ちなみにそんな無様な姿を晒している俺を見て、女性陣がどんな反応をしたかといえば……。
「「ぶふぅッ」」
物凄い笑っていた。
二人揃って噴き出していた。
……初めてかもしれない。
異世界に来てから本気で誰かに殺意を覚えたのは。
さてはこいつら川の中に落とし穴があることを知っていたな。
知っていながら、敢えて俺に教えなかったな。
俺が落とし穴に嵌まるかどうか、嵌まったらどんな反応をするのか。
それを見物して楽しんでいたのだな。
見事に嵌まっちまったぞドチクショウが。
本気で性格悪くなってきたなぁ、この野郎!
「どっせぃ!」
そこからはもう自棄だった。
両腕に力を籠め、胴体を引っこ抜くように落とし穴から脱出し、逃走兎までの残る距離を一気に走破する。
横たわる逃走兎の後ろ足をむんずと掴み、再び深みに嵌まる危険など省みずに水を掻き分けながら駆け戻った俺は……。
「どぅりゃぁぁあああッ!」
未だにケラケラと笑っているミシェルとローリエ目掛けて、手にした逃走兎をブン投げてやった。
「うわぁッ!?」
「ちょッ、マスミさん!?」
「うるせぇうるせぇうるせぇぇぇ!」
心の底からの叫びと共に両手を必死に駆使し、バシャバシャと川の水をぶっ掛けてやる。
お前らも俺と同じようにびしょ濡れになってしまえ!
そう思って何度何度もバシャバシャしてやったのだが、二人は実に軽やかな動きで水を回避してみせた。
衣服の袖を濡らすことすら叶わない。
チクショウ避けるな!
「いい加減に……しろ!」
「ピョン!」
ミシェルに投げ返された逃走兎が俺の額を直撃する。
思わぬ反撃を喰らった俺は勢い良く背中から倒れ込み、そのまま川の中に沈んだ。無念。
……以上が事の顛末である。
全身ずぶ濡れとなった俺は、冷えた身体を温めるべく焚き火を始めたという訳である。
ついでにパンツも乾かすために。
「なぁマスミ、そろそろ許してくれないか? 何度も謝ったではないか」
「ツーン」
「マスミだって私やローリエのことを何度も揶揄ったではないか」
「俺は人を揶揄うのは好きだが、自分がやられるのは大嫌いなのだ」
「……理不尽だぞ」
知っているともさ。
「マスミさん、仕留めたのはいいんですけど、これをどうするんですか?」
ローリエが俺の隣に横たわっている逃走兎の死骸を指差す。
俺と共に水中に沈んでそのまま流され掛けていたのだが、なんとか無事に確保することが出来た。
こいつをどうするかといえば……。
「無論食うともさ」
何のためにエアライフルを使ってまで仕留めたと思っているのだ。
「……食べるのか?」
「食べます」
「……此処でですか?」
「此処で食べます」
何のために竈まで準備したと思っているのだ。
美味しくいただくために決まっているじゃないか。
「ミシェルが言ったんじゃないか。肉が美味いって」
「確かに言ったが、そもそも捌けるのか?」
「やり方は知ってる」
とは言ったものの、兎の解体なんて初めての挑戦だから慎重に行うべきだろう。
鶏だったら解体したことあるんだけどなぁ。
〈顕能〉を発動し、空間から鍋と鉄板とナイフを取り出す。
まずは鍋の中に川の水を入れ、竈の火にかける。
あまり多いと沸騰するまで時間が掛かるので、水の量は程々に。
鉄板はまだ使わないので後回し。
次に革製の鞘からナイフを抜いて刃を見分する。
俺が普段腰に差しているサバイバルナイフとは別物の仕留めた獲物の血抜きや解体を行う際に使う狩猟用ナイフだ。
所謂、ハンティングナイフと呼ばれるもので、ステンレス鋼を使用した刃は耐食性や耐摩耗性に優れた丈夫な作りとなっている。
よし、刃こぼれも歪みも無し。
鍋の中も煮立ってすっかりお湯になっている。
刀身を軽くお湯に浸して消毒も完了。
善は急げだ。早速始めよう。
「まずは血抜きと内蔵の摘出か」
出来るだけ大きくて平べったい石―――作業台代わり―――の上に逃走兎を置く。
本当は吊るした方がやり易いのだが、屋外なので仕方ない。
見れば見るほど普通の兎だな。
俺の知っている中ではアナウサギに一番似ている気もするけど、一応こいつも魔物なんだよな。
出来れば外見だけでなく、中身の構造も普通の兎と変わりませんようにと願いながら首にナイフの刃を突き刺し、血管を切って血抜きを行う。
……よかった、赤い血だ。
本来なら心臓が止まり切る前に血抜きもやってしまいたかった。
「今更言ってもしょうがなし。次だ次」
下腹部に刃の切っ先を当てて押し込めば、然したる抵抗もなく刀身が埋まった。
内臓を傷付けないように注意しながら、喉の辺りまで切り上げていく。
切り開かれた腹の中から胃袋や腸といった内臓類を―――ついでに魔石も―――取り出し、今度は肛門付近まで切っていく。
この際、股の部分から臭腺を切り取ると同時に内部の動脈部分にも切れ込みを入れ、更に血抜きを行う。
次の工程へ移る前に川の水で開いた腹の中や毛皮を洗浄する。
少々勿体ないとは思ったものの、内臓は全て穴を掘って埋めることにした。
作業台代わりの石に付着した血もお湯で洗い落とし、ナイフも再消毒する。
「ふぃーっ、一先ずこれで良し」
振り返るとミシェルとローリエはきょとんとしていた。
ちょっと可愛いじゃねぇか。
「えっと、なに?」
「いや、見事な手並みだと思ってな」
「ありがと。ただこれ結構時間経ってから血抜きしたんで、肉に臭みがついてないか心配なんだよね」
「大丈夫だと思いますよ。魔物の場合、普通の動物ほど血抜きを徹底しなくてもお肉の味に変化はありませんから」
「マジか。やるなウサ公」
なんて素敵な魔物肉。
ここまできたら一気にやってしまおう。
「しかし、兎は捌けるのに何故ゴブリンは駄目なのだ?」
「あんな子鬼と一緒にすんな」
そもそもゴブリンは食用じゃないし、仮に食えたとしてもあんな臭い肉はいらん。
後ろ足首を一周するように切れ込みを入れ、そこから開かれた腹の方まで皮だけを切るように刃を入れる。
吊るしていないので背中側にも切れ込みを入れておく。
ここまでやればあとは簡単。
手で皮を引っ張るとペリペリ剥けていく。
まるで服を脱がせるように皮が剥がれていくのには、自分でやってて少し驚いた。
引っ掛かるところだけにナイフを入れ、肉と皮を切り離していく。
前足に手こずりながらも、首まで剥いだら頭部は切り落とす。
頭部と毛皮を失い、肉と骨だけになったそれをもう一度川の水で洗う。
皮剥ぎ完了。あとは解体するのみなのだが、ここからはちょっと適当になった。
俺がちゃんと覚えているのは皮剥ぎまでだ。
その皮剥ぎだって頭部を切り落とさない方法もあった筈なんだけど、残念ながら俺には分からない。
本職の猟師さんではないので、そこは勘弁してほしい。
「……終わった」
食べ易いサイズに切り分けられた逃走兎の肉が石の上に積み上げられている。
自分の汗と魔物の血に塗れながらも、俺の胸中は達成感で満たされていた。
間違っても何か猟奇的な趣味がある訳ではない。
まあ、パンイチで動物の解体に勤しんでる時点で、端から見れば充分猟奇的なのだが……。
「お疲れ様。本当に器用だなお前は」
「お疲れ様です。マスミさん」
二人からの労いを言葉を聞いて、此処が異世界で良かったと思った。
これが元の世界だったら可哀想だの気持ち悪いだのと言って、きっと俺の行いを非難する者が居たことだろう。
そんな奴らは猟師さんや畜産農家の方々に今すぐ土下座して謝ってこい。
所詮、人間なんぞ他の生き物を食わなければ生きられないのだ。
糧になってくれた動物達に対して感謝の念も抱かず、勘違いで憐れんでいる方が余程失礼だ。
むしろ俺が仕留めたのだから、俺が食ってやるのがせめてもの礼儀だろう。
……いかんいかん。一人で勝手にヒートアップしてしまった。
服も着ていなくて正解だったな。
汚れも落とし易い。
「ではでは、さっそく実食といこうか」
竈の上には鍋の代わりに鉄板がセットされている。
屋外なのでシンプルに焼き肉といこう。
先に脂身を落とし、鉄板に油を馴染ませる。
普通の兎肉はある程度の熟成が必要と聞くが、こいつは魔物肉だから気にせず食ってみる。
そのお味や如何に……。
「いざ」
まずは言い出しっぺの俺から食うべきだろう。
空間収納から取り出した割り箸で肉を一切れ摘まみ、熱された鉄板の上に投じる。
ジュージューと肉が焼ける小気味良い音が響く。
大して厚みもないので十秒くらいで返す。充分な焼き色だ。
見た目も実に美味そうだ。
誰かがゴクッと生唾を呑み込む。
もう片面もしっかり焼き上げたところで……。
「いただきます」
味付けのために塩コショウも用意していたのだが、まずはこのままいただくことにする。
割り箸で肉を摘まみ上げ、口の中に放り込む。
兎の焼き肉。味付けもしていない肉の一切れを噛んだ直後、野趣溢れる風味が口の中いっぱいに広がり、その後に融けた脂の旨味と独特な甘みを感じた。
なんとなく鴨肉を食べた時の甘みに似ている気がするけど、それよりも主張の強い味わいだ。
噛めば噛むほど、その甘みが増していく。
「……美味い」
無茶苦茶美味い。
気付けば、次の肉を焼いていた。
両面がしっかり焼けるのを確認したら、すぐに頬張る。
美味い。味付けなんて必要ないくらいだ。
兎肉を口にするのは、数年前にジビエ料理の店で出された燻製を食って以来だが、目の前で焼かれている肉の美味さは記憶にある兎肉などとは比べ物にならなかった。
いやまぁ、そもそもこれは魔物の肉なので本来なら比べるのもおかしな話なのだが……って美味くて身体に害もないなら別に何でもいいか。
次々と鉄板の上に肉を投じ、焼けた端から食っていく。
駄目だ。箸が止まらない。
「おっ、おいマスミ。自分だけズルいぞ。私にも食べさせてくれ!」
「わっ、わたしも食べたいです!」
人が変わったように肉を食い続ける俺の様子に焦るミシェルとローリエ。
食いたければ自分で焼け!
俺のように箸を扱えない二人はトングで肉を掴む。
焼けた肉にはフォークを突き刺し、口に運んでいく。
「「―――!?」」
あまりの美味しさに声もなく驚愕する二人。
さっきの俺もこんな風になっていたのか。
そこからはお互い競い合うように、ひたすら肉を焼いては食い続けた。
結果、丸ごと一羽分あった筈の兎肉は、あっという間に俺達の胃の中へと消えてしまった。
「ごちそうさまでした」
「馳走になった」
「美味しかったです」
―――ウサ公、美味かったぜ。
街に着いていないだと……




