第4話 小洒落ぬ酒場で
前回のお話……試験への協力要請
(ロ ゜Д゜)頼む
(デ ゜Д゜)……(ペコリ)
「いやぁ、いきなりあんなこと言われたら困っちゃうよね。ビックリしたでしょ?」
「まあ、多少ね」
隣に座ったトルムがケラケラと笑いながら酒を口にする。
呑んでいるのはブランデー。
果実酒を元にして作られる蒸留酒だ。
俺も同じ物をストレートでいただいている。
美しい琥珀色の液体から立ち上る甘やかな香りが、味覚だけではなく嗅覚も楽しませてくれる。
ブランデーは単に酒としてだけではなく、香料としても非常に優秀で、フランベと呼ばれる調理法―――度数の高い酒を入れて一気にアルコールを飛ばすやつ―――や洋菓子の香り付けなどにも用いられることが多い。
そのため、ロックなどのように冷やして呑む方法はあまり好まれない。
折角の香りが立たなくなってしまうからだ。
「まさか二人に頭を下げられる日がやって来るとは……」
「ようやく巡って来たチャンスだからねぇ。ローグさんもディーンさんも絶対に失敗したくないんだよ」
「十三年か。長いよな」
「懸けてる想いが違うからね」
ローグさんとディーンさんが受ける予定の白銀級昇格試験。
その試験合格のために力を貸してほしいとローグさんから頼まれ、ディーンさんからも深々と頭を下げられた。
「試験の日取りが決まったらまた連絡する。答えはその時に聞かせくれ」
予想もしていなかった申し出に戸惑う俺達を余所に、一先ずその場はお開きとなった。
ギルドを出た後、なんとなく帰る気分になれなかった俺は、一人で街の中を当てもなく歩いていた。
そこで追い掛けて来たトルムに河岸を変えて呑み直さないかと誘われたのだ。
大通りから外れた場所に位置するこの店は、トルムがたまに一人でゆっくり呑みたい時に利用しているらしい。
店内は狭く、精々大人五人が並んで座れる程度のカウンターを除けば、あとは小さな丸テーブルが二台設置してあるだけ。年季の入った壁も剥き出し。
マスターらしき初老の男性は愛想笑いの一つもせず、厳めしい表情のまま黙々とグラスを磨いている。
喧騒とは無縁な空間だが、俺はこの酒場の雰囲気が嫌いではなかった。
お世辞にも小洒落ているとは言えないものの、静かに酒を楽しみながら考え事をしたり、語り合うには丁度良い。
注文した酒が届き、何口か味わったところで俺はトルムから教えられたのだ。
ローグさん達がどれだけの思いを懸けて、昇格試験に臨もうとしているのかを。
「ズルいよねぇ、俺って。態々こんな話をしてまでマスミくん達の協力を取り付けようとしてんだから」
「トルム?」
「言っておくけど、二人に頼まれたとかじゃないからね。俺が勝手に喋っただけ」
「……別に最初から断るつもりなんてなかったよ」
「うん、そんな気はしてたんだけど、それでもちょっとは考えちゃうんだよ。マスミくんに断られたらどうしようって」
どうしても引き受けてほしかったからと自嘲気味に笑うトルム。
思えばこうしてトルムと腹を割って話すのは初めてかもしれない。
「なんでそこまでするんだ?」
「理由は単純。二人に恩があるからです」
トルムはマスターにブランデーのお代わりを要求しつつ「俺さぁ、二人に出会うまでは悪さばっかしてたんだよね」と自らの過去を話し始めた。
どうやら冒険者になる前のトルムはある犯罪集団―――ストリートチルドレンだけで構成された集団―――の一員として、悪事に手を染めることで生計を立ててきたらしい。
「殺し以外ならなんでもやったよ。許されることじゃないのは分かってたけど、俺らみたいな底辺はそうでもしないと生きられなかったから」
トルム達も生きるために必死だったのだろうが、被害に遭った街の住民からすれば、彼らの事情など関係なかった。
被害者らの訴えを聞いて行動を起こした官権とそれに率いられた兵士達がアジトへと押し入ってきた。
仲間が次々と捕縛されていく中、辛くもトルムだけはアジトを脱出することが出来たものの、既にボロボロだった彼は路地裏で力尽き、そのまま気を失ってしまった。
そして目を覚ました時には知らない部屋のベッドに寝かされており、傷付き倒れたトルムを保護した人物こそがローグさんとディーンさんだったという訳だ。
「回復するまでの間、二人の部屋に置いてもらったんだけどさぁ。当時の俺ってば荒んでたからすっごい生意気な口利いてたんだよねぇ。助けてもらっといて感謝の言葉もなしだよ?」
「クソガキだな」
「だよねぇ。我ながらそう思うよ」
他者を信じられず、二人のことを過剰に警戒するトルムだったが、結果としてそれも長くは続かなかった。
何故得体の知れない自分を保護したのかと問い詰めたところ、特に深い理由はないけど放っておいたら死にそうだったので取り敢えず保護しただけ。嫌なら勝手に出て行ってくれて構わない……とローグさんが答えた。
突き放したいのか、そうじゃないのか。
予想とかけ離れたその答えに、警戒心バリバリであった筈のトルムも呆気に取られてしまった。
「ついでに毒気も抜かれちゃったのか、意地張ってんのが馬鹿らしくなっちゃってさ。どうせ行く当てもなかったことだし、二人にくっ付いて冒険者をすることに決めた訳」
「なんというか、あの人らも大概面倒見が良いなぁって思うわ」
「ま、恩があるってのはこういうこと。二人がいなかったら俺は今頃野垂れ死んでただろうし、冒険者になることもなかったのです。なので二人の夢は応援したいのです」
「成程ねぇ」
今の明るいトルムの姿からは想像も付かないが、中々どうして壮絶な人生を歩んできたらしい。
ローリエの過去を聞いた時も思ったけど、人に歴史ありってのは本当だな。
話を聞きながら呑んでいる内にグラスの中が空になっていたので、マスターに同じブランデーをお願いする。
「改めて言うけど、ローグさん達が受ける試験の手伝い、引き受けさせてもらうよ」
「ありがと」
「いいよ、世話になってるのは俺も同じだしな」
俺なんかが役に立つかは知らんけどねと答えつつ、新たに注がれたブランデーの香りを楽しむ。
そうだ。折角ブランデーを呑んでいることだし……。
「マスター、新しいグラスをいただけませんか?」
「マスミくん?」
何する気なのというトルムの質問には答えず、新しく受け取ったグラスにブランデーを少量だけ注ぎ、内側を満遍なく濡らすように揺らす。
そしてポケットの中に手を突っ込み、空間収納からマッチを取り出して素早く火を点ける。
不思議そうに俺の手元を見ているトルム―――ついでにマスターも―――に笑みを返し、マッチの火をグラスに近付けていく。
するとボッという小さな音と共にグラスの内側で炎が躍り出し、今までよりも香りが強く広がった。
「「おおっ!?」」
「ブランデーにはこういう楽しみ方もあるんだよ」
トルムはともかくマスターまで食い付くとは思わなかった。
ここで更にブランデーを注いで呑むというやり方もあるのだが、そこまでする必要もあるまい。
元々演出の意味合いが強いし、自然と消えるまで眺めている方が俺は好きなのだ。
「本人達がいないのはちょっとアレだけど、折角だから前祝いといこうじゃないの」
炎が灯されている方とは別のグラスを掲げると、トルムも笑いながら「ははは、こりゃなんとも凝った演出だね」と同じようにグラスを掲げた。
そこにマスターが新たにブランデーを注いでくれた。
気が利いてる。
「そんじゃまあ、先輩二人の試験合格を願って―――」
「ついでにマスターへの感謝も込めて―――」
―――乾杯。
お互いのグラスを軽くぶつけ、チンッと涼やかな音が響く。
琥珀色の液体の上で揺らめく炎を眺めながら、俺達はゆっくりとグラスを傾けた。
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